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Re: 二・二六事件

昨日二・二六事件当時の記憶がある方に、その思い出をお願いしたところ、以下
のようなお返事をいただきましたので、ご紹介します。


2.26事件当時私は小学校1年ですから、記憶と言ってもたいした記憶ではありま
せん。
私の家は市ヶ谷富久町にありました。新宿の伊勢丹裏から、市ヶ谷の士官学校、
靖国神社へ通ずる「靖国通り」に面した薬屋でした。

家の斜め前には、陸軍の大島少将という人の邸宅。200メートルほど先には、日
本海海戦で「三笠」の砲術長を務めた安保海軍大将の邸宅がありました。

普段でも代々木練兵場や戸山が原射撃場へ往復する兵隊が列を組み、軍歌を歌っ
て通るのを眺めて育ちました。

2月26日、朝から雪が降っていました。どんどん積もります。学校は休みという
連絡が入ったとの事。はじめは雪でかと思いました。父から外へ出ては駄目だよ
と怖い顔で言われました。

大島少将の家には、剣付き鉄砲を構えた兵隊が並んで警戒していました。
家の前を駆け足で、何組みもの部隊が駆け足で通り過ぎます。慌ただしく、それ
こそ慌ただしくです。普段と違って鉄砲の先にみんな剣をつけています。先頭の
将校は、軍刀を抜いています。

店からは、ガラス戸越しに通りが見えます。日露戦争で胸に貫通銃創の弾の跡の
ある向かいのたんす屋さんのおじさんが来て、父とひそひそ話をしています。

子供心にただならぬことを感じました。旧制商業学校の長兄も休みです。反乱だ
ぞ、反乱ってわかるかと囁きます。
何が起こったのだろう。子供でも何も手が着きません。ひっそりと、ぼんやりと
していました。

夕方、治まったそうだ。反乱軍が降伏したそうだ。外へ出ても良いよと、父から
告げられました。
大島少将の邸宅も平常に戻ったようです。

雪も止んだ大島少将宅の前に子供隊たちが集まり、締められた鉄扉の間から邸内
をのぞき、それぞれ親たちの話を知ったかぶりにがやがや話したのを覚えていま
す。そんな記憶でもやはり忘れられない思い出です。
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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