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戦時中の食生活(12 完)

引き続き皆さんからお寄せいただきました体験をご紹介します。今回
が最終回です。

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(12)甘いもの

 前回「石炭箱」云々とかきましたが「リンゴ箱」と書けばよかったかな、と後か
ら気がつきました。大きさなどは一緒です。冬になると各教室暖房に「だるまスト
ーブ」、その横に一日分の石炭の入った石炭箱。当番は朝早く出かけて燃やす準備
をしなくてはなりません。石炭は火付きがわるく要領があります。石炭不足でのち
に薪を燃やすようになりました。

 今は「リンゴ箱」などみかけませんが、リンゴや梨など籾殻の中にいれて運搬さ
れたものです。各家庭では空き箱を何かの入れ物にするとか重宝しました。新任の
高校教師の下宿などに行くと、たいがいリンゴ箱を本棚にしていました。引っ越し
ではそのまま本の入れ物になるわけです。

 この箱作り屋の前を通ると甘酸っぱい臭いがしました。アイスキャンデー屋の臭
いと同じで心棒の箸の臭いです。戦争中もアイスキャンデーはありました。甘味剤
はサッカリンかズルチンだったでしょうか。チリンチリンの鈴鳴らし、自転車のキ
ャンデー売りもきました。暑い盛り、カチンカチンのアイスキャンデーは楽しみで
した。噛み損ねて落としたりしました。

 甘いものには飢えていました。干し柿の皮も干して刻み甘味料にしました。薩摩
芋も甘味の強い種類は「干し芋」向きでした。兄弟が多いと乾かないうちに無くな
ってしまいました。戦後、郷里を離れた私たちのところへ母はせっせと干し芋を送
ってきました。町に鯛焼きが売り出された当座、アンコは薩摩芋でした。

 アンコと言えば、親戚の農家からもらった餅は塩味アンでした。糠餅も食べました。
米糠と米粉にヨモギを混ぜて搗いたものです。ヨモギは風味と粘りを与えてく
れます。春先になるとヨモギ摘みに精を出しました。

 イナゴは自転車のホークに突き刺し、焼いて醤油をつけて食べました。稲刈りあ
とのタニシ取りもいきましたが、珍味で今では手に入りません。蜂にに刺されたり
しながら蜂の子を丸飲み込み。薪割りで出てくるカミキリ虫の幼虫は焼いてたべま
した。桑の実、野いちご、ツツジの花、イタドリ、野生の栗、山野を駆けめぐり半
分は遊びと興味で手当たり次第に食べましたが総じて酸っぱい。今ではとても食え
たものではありませんません。

 今はウド、タラの芽、蕗のとう、ワラビなど山菜類は市販されていますが、若い
人は料理法もよく知らないし馴染みがないようです。春になると近くの生駒山府民
の森あたりによく山菜採りにいきましたが、植林したせいか山菜の穴場も無くなっ
てしまいました。
                            [ 完 ]
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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