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戦時中の食生活(9)

「暮らしの手帖」からの転載は前回で終わりましたが、このテーマに
関連して皆さんから体験をお寄せいただきましたので、以下ご紹介し
ます。

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(9)配給あれこれ

豆ご飯の話が紹介されましたが、戦争も末期(といっても43年
(昭和18年)秋頃から 豆かす(油を絞った残り 戦前は肥料でし
た)が配給になるようになりました。煎って食べましたがご飯にもい
れました。その当時でも豆かすご飯は美味しくないと思いました。

肥料にしていたのでは鰊粕(脱脂鰊)も配給されるようになって
「昔はこんなものは猫も食べなかったのに今では人間様がおあがりに
なる」と嘆いていた人もいました。

米の配給量は一人当たり2合5勺(375グラム)あたりから戦後
にかけて2合3勺(345グラム)2合1勺(315グラム)と減っ
ていき それも遅配・欠配が続くという状態でした。戦後のほうがひ
どかったのは敗戦の所為よりも45年(昭和20年)が戦争で人手不
足になったり農地が荒廃しただけでなく気候がわるく大凶作だった所
為が大きかったようです。46年度は概算で100万トンくらい(7
・800万人分くらい)米不足でしたから あのまま戦争が続けば春
にはかなり餓死者がでて戦争の継続は(連合軍が上陸しなくても)不
可能だったのではないでしょうか?

戦後は援助物資の豆やとうもろこしの粉や砂糖が米の替わりに配給
になりました。とうもろこしの粉には「アメリカがハンセン病の細菌
を入れていて そのうち日本人をハンセン病にしようとしている」と
いう噂が流れましたが 皆 気にもせず 団子やパンなどにして食べ
ていました。砂糖は近所の農家と米・野菜と交換しましたがバケツ一
杯配給されて都会の人はどうしたのでしょうか?一人当たり2合1勺
でも年間115キロくらいの消費ですから今の70キロ足らずよりは
かなり多い量ですが当時はうどん・パンなども無かったしおかずも野
菜がやっとでしたから それでも不足でした。戦争中は肉・魚も配給で 
それも肉は滅多になく魚も43年秋ころからは少なくなり 食べたこ
との無い鮫が配給されるようになりました。鮫はアンモニア臭いので
酢や豆乳でにました。1度フグが配給されたことがありましたが怖い
ので近所でフグを調理したことがあるという人にあげました。ただ配
給のフグで死んだ といった話は聞いていませ
ん。

 戦中・戦後の食生活について覚えていることです。

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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