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戦時中の食生活(4)

引き続き、「暮らしの手帖 96号 特集・戦時中の暮らしの記録」
(1968年8月)から転載します。

(4)日の丸弁当
私の父は昭和18年、急死致しました。長いこと村の郵便局の局長代
理をつとめておりました。戦費調達のための簡易保険、郵便年金の割
当を消化すべく、加入者勧誘に必死でした。

増産にいそがしいお百姓さんを説得するには、夜でなければなりま
せん。帰宅は午前二時三時ということが一週間以上もつづきました。
そして、望み通りの成果を上げて、「なせぼなるってなあ」とうれし
そうに話していましたが、過労が原因の脳溢血で、8月3日急死いたし
ました。五十七才でした。遺族は母、私、弟、妹六津子、妹英子、妹
好の六人でした。

父の積立金その他下付されましたが、葬式のあと清算したら、いく
らも残りませんでした。それまで父の収入のみ頼って暮らしていた一
家は、にわかに一銭の収入もない家庭となってしまったのでした。

母は商家の出なので、商ないをすることにしましたが、統制令と品
物不足で休業も同然でした。私は遊んでいられませんから、仙台の軍
需工場に勤めました。弟は徴用令で横須賀の海軍工廠に勤めていまし
た。軍需工場の給与はひどいもので、自分ひとりが食べるのがやっと
でした。家へ送金などとてもできませんでした。

母は翌年3月、日赤の救護看護婦養成所を卒業した妹六津子が帰っ
てきた翌々日、高血圧に倒れ、寝たっきりになってしまいました。私
は職場放棄ができないので、六津子が召集猶予を願って、家事を切り
もり致しました。

当時の極度に悪い食糧事情では、一家のうち誰かが食べることに専
念しなげれぼ生きてゆけない時代でした。私の家では配給をうけるの
がやっとで、とても買出しをする余裕はありませんでした。御飯には
いろいろな物をまぜて食べまし

女学校一年の英子は、このまぜ飯を弁当に持ってゆくのが恥ずかし
いといって、おかゆのような白い御飯に梅干一つの、小さな弁当をも
ってゆくのでした。こんな粗食で一日運動をし、勉強をし、活動を続
けていたのですから、体が悪くならないはずはありません。

そのときの秋、帰省した私に、英子がいいました。「姉ちゃん、微熱
があるみたいなの。どうしたらいい」私はきっと肺を悪くしたに違い
ないと思い、帰りをのばして、方々の医師にみてもらいました。

ところがこれは「結核ではない」というのです。「ではどこが悪い
のですか」と聞くと「ビタミンB1の欠乏ですな」というのです。

つまり食物が足りないのです。栄養失調というあれでした。でもま
だ私は、御飯の食べられない恐しさを、ほんとに気づいていませんで
した。結核でないのに安心して、仙台にもどった私が、病気になって
家に帰ったのは20年の3月でした。

妹が上級生といっしょにとった写真を見せました。一見して驚きま
した。まるで幽霊のように、ボヤーと写っています。実際に見てはそ
んなに感じないのに、写真で見ると、衰弱しているのがはっきりとわ
かるのでした。

これはいけない。悪くすると妹を失うかもしれぬ。なんとかして存
分に食べさせてやらねば。だがどうすれば、何もないこの手から、食
糧がわいてくるでしょう。その時、脳裏にバッと閃くものがありまし
た。紙芝居です。あれなら仙台で、養成工の少年たちにやってみせた
ことがある。あれなら出来る。

思いついた私は、古い少女雑誌の小説を脚色して、ボール紙に半紙
をはり、それに絵を描き、「三井寺の鐘の由来」「愛の一念」自作童
話「千代ちゃん物語」の三種をつくりました。それを風呂敷に包んで
背負い、薪タバの中から探した拍子木とメリケソ袋二枚をもって、本
物の紙芝居屋のこない山の部落へ行ってはじめました。

「馬鈴薯三つで紙芝居見せるよ」恥かしかったけれど、大声で叫んで
拍子木をならしますと、子供たちは馬鈴薯を三個ずつ持って集ってき
ます。

子供たちの後には、もの珍らしげに見ている大人たちがいました。
私はただ一心にやりました。幸い知代ちゃんの紙芝居はためになると
評判になり、子供会の余興にもときどき呼ばれるようになりました。

一日紙芝居をして歩くと、二枚のメリケン袋に、馬鈴薯が一杯にな
りました。それを御飯に入れたりゆでたりして、とにかく存分に食べ
させました。おかげで英子は元気になり、22年3月卒業するときの写
真は、幽霊のようではありませんでした。

父が「なせばなるってなあ」といっていたのを思いだしました。
( 草野知代子 いわき市 )
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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