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戦時中の食生活(1)

06年5月に、戦時中の疎開児童たちの体験記「飢えたるこどもたち」を
ご紹介しましたが、今度は一般家庭における食生活の体験記「食」を、
同じく「暮らしの手帖 96号 特集・戦時中の暮らしの記録」(1968
年8月)から数回に分けて転載します。

(1)海水のおかゆ

私の生家は、岡山県笠岡市の隣村で、旧家のボンボンに育った父は、
旧制中学校の先生をしており、ヤミ物資には絶対に手を出さぬように
と、いつも母にいっておりました。でも、子供たちの旺盛な食欲には
勝てず、母の着物は一枚、二枚と、父にかくれて米に変っていったよ
うでした。

朝は父や子供達のお弁当がいるので、乏しい中から御飯を炊きます。
お麦や、干うどんの細かく折ったのや、大豆などを、日によって、い
ろいろとりままぜて、三、四割も入れた御飯です。

それでも、一日の中ではご飯らしい食事でした。昼は、団子やパン
などの代用食です。小麦粉も勿論不足で、へんな粉がいっしょに配給
されます。なんの粉だか、聞いてもよくわからず「どんぐりの粉では
ないか」などといっていた人もいましたが、国からの配給物だから、
食べられるものには違いないと、小麦粉にまぜて団子にして、焼いた
りしていましたが、青くさい匂いと、なんともいえないイヤな味には、
空腹な子供達でさえ閉口して、一口かじってはソッポを向きます。

でも、他に食物がないのですから、遊び疲れて帰ると、残した団子
を、外側のよく焼けたところをグルリとむくように食べるのです。こ
げたくらいの方が、いくらか匂いもごまかせます。

お菓子なども、芋から作った飴とか、煎餅などが、たまに缶に入っ
ていることもありましたが、それは父が、のまないでためた配給の煙
草と、交換してくれたものでした。

夕食は、いつもきまってお粥です。一升五合くらいのお釜に口まで
一ぱいつくるのです。ですから味付け用の塩が相当沢山いります。配
給だけではとても足りません。困ったあげくの果て、母の考えついた
のが、一里ほど先にある瀬戸内海の海水の利用でした。近所の主婦二
人を誘って三人で、大八車に二斗樽を三つ積みこんで出かけてゆきま
した。私も、夏休みなど、後押しに、ついて行きました。

近い方の海岸は、結核の療養所が傍にあるので気持が悪いといって、
半キロほど先の岬を廻った所の、岩場で内浦のような所までゆきまし
た。ごみのないきれいな所を探して、各々の樽が一ぱいになると、帰
り道につくのですが「行きはよいよい、帰りは…」のとおり、一里あ
まりの田舎のデコボコ道を樽三つに満載した海水を運ぶのですから、
大変です。一人が前の梶を持ち、二人が後押しです。

フタのない樽もあり、車の揺れるたびにポチャンと海水がはねます。
「アア惜しい、梶を下げて、もっとゆっくり」と後から声をかけて、
途中で一服するときも、梶は手からはなせません。車が水平を失うと、
海水がそれだけこぼれるからです。

大体平坦な道ですが、家の前が少し登り坂になっていて、二、三割
はどうしてもこぼれてしまいます。台所の片隅に樽を収めて、一息つ
くみなの顔は、汗とほこりでまっ黒、モンペは、はねた海水と汗で白
く、地図を書いたようになっています。それをなめてみては「ショッ
パイ」「きょうのはよくきくョ」と母たちは、疲れも忘れて無邪気に
よろこんでおりました。

このようにして、母たちの海水汲みがしぼらくはつづき、隣組でも
有名になり、真似する人も何人かあったようでした。

こうして、海水で味付けしたお粥が夕食なのです。さつま芋のある
頃は入れると、芋の甘さがお粥にとけこんでおいしくなり、子供たち
はこの芋粥が大好きでした。母は、父や子供たちには、釜の底の方を
すくって、米粒が少しでも多く入るように盛ってくれ、重労働をして
一番お腹の空いている筈の自分は、上のほうのおもゆのようなところ
ばかりすすって、四杯も五杯も食べておりました。

現在私が主婦となり、あの頃の年令にだんだん近くなってきますと、
あの苦しい暗い時代を、よくぞ病気もしないで、みんなを守って来て
くれたものとつくづく思います。

本当に、気力だけだったと思います。食べるものも、着るものも、
一切をがまんして、戦争に勝つまではと、ただただ盲目的に働き通し
てきた今のお年寄りたち、ババヌキなどといわないで、残された大切
な日日を、少しでも幸せにしてあげたいと心からおもいます。
( 戸原照子 川崎市 )
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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