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従軍記者が見聞した南京事件(9/完)

最終回を投アップします。今回は南京事件と従軍慰安婦の関係につい
て書いてあります。これから次のことがいえると思います。

(1)軍上層部は南京等における強姦事件の多発に手を焼いていた。
(2)従軍慰安婦の制度は、南京事件がきっかけとなって、軍主導で
生まれた。
------------------------------------------------------------
「慰安施設の件方面軍より書類来り実施を取計ふ」―上海派遣軍参謀
長の飯沼守は、1937年12月11日の日記にそう書いた ( 『南京戦史資
料集Ⅰ』 ) 。南京に猛攻撃をかけているさなか、軍は慰安所の設置
を準備していた。強姦事件の多発を抑制することなどが目的だった。

朝日新聞三重版 (38年2月4日付 ) が掲載した兵士の手紙に、次の
くだりがある。
「南京も陥落後一ケ月余りになります……各所に軍慰安所(料理屋)
が出来まして毎日押すな押すなの大賑ひです」 ( 丸カッコ内、原文
のまま )

南京陥落直後に帰国した朝日記者斉藤一は38年秋、2度目の派遣で
中国にいた。「上海、鎮江、杭州、蘇州、南京、安慶から九江まで…
…どこにも慰安所」と手記にある。斎藤は、慰安所の「親父」の言葉
を書きとめる。

「女達の中に二人、戦線慰問部隊をどうしても嫌がる女がゐた。無理
やりに連れて来る様にして連れて来たが……(今では ) 兵隊さんに
からだもいのちも献げる気持は本当です……といひながら、ハリ切つ
てやってゐます。…… みんなお国のためですからね」

斎藤は「そういって笑った親父の顔は実に卑しかつた」と記してい
る。

40年、陸軍省は「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」 ( 防
衛省防衛研究所史料 ) を策定する。「掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺
等皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ……聖戦目的の達成を困
難ならしめあるは遺憾とする所なり」

それが「皇軍」の実態だった。

その後、斎藤は、新潟、札幌の支局長を務め、戦後は仙台支局長な
どを歴任する。仙台時代には、平泉・中尊寺に眠る藤原氏三代の遺体
の調査、公開に尽力。76年に73歳で他界した。

長女 (74) は、小学3、4年生のころ、斎藤とこんな会話を交わした
ことを忘れない。

「ぬれた手ぬぐいは、バサッと音をたてて水を切っては絶対にいけな
いよ」
「どうして?」
「支那人の首を兵隊が切った時と同じなんだよ、その音が……。お父
さんはそばにいたんだ」

斎藤はわが子に軍歌を歌うことを禁じ、自らは「勝ってくるぞと痛
ましく……」とつぶやいた。

新潟にいた43年ごろ、長男が予科練に志願したいと打ち明けた。斎
藤は許さなかった。泣きながら、半狂乱となって、何度も息子を殴っ
た。

「行かせねえ、戦争になど行ってはならねえ」

戦況、すでに劣勢。新聞は、日本軍の「赫々たる戦果」を伝えてい
た。                            (完)
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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