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従軍記者が見聞した南京事件(8)

南京戦の報道には「やらせ」があった。

第2野戦高射砲兵司令部副官、石松政敏の証言がある(『南京戦史』)
「郷土新聞社からの従軍記者や写真班が望むがままに……大勢のなか
には刺殺、斬首などの真似をした馬鹿者もおりました」

南京陥落からーカ月近くたった ! 938年1月9日、国際難民区の入り
口で、数人の記者が、ケーキ、りんご、わずかな硬貨を難民に手渡し、
その場面を映画撮影していた。

「 ( この間 ) かなりの数の兵士が裏の塀をよじ登り、構内に侵入し
て一〇名ほどの婦人を強姦したが、こちらの写真は一枚も撮らなかっ
た」(一九三七―三八年冬季の日本軍の南京虐殺に関する報告(『南
京事件資料集1』 )

1月、日本政府は、中国との和平工作を打ち切り、近衛文麿内閣は
16日、「国民政府を相手とせず」との声明を発表。戦争は泥沼化する。

南京陥落で戦争が終わる、父が、夫が帰ってくる。万歳の背後にあ
った人々の期待は、消えた。

4月15日、上海などで配られた朝日新聞中支版に、林田重五郎特派
員の記事が載る。
「南京でまづ整理しなければならないものは敵の遺棄死体であつた。
濠を埋め、小川に山と重なってゐる幾万とも知れない死骸……」
「 ( 自治委員会などが ) 最近までに城内で一千七百九十二体、城外
で三万三百十一体を片づけた」

この記事は、北支版と朝鮮の地方版にも掲載された。しかし、国内
の紙面には載らなかった。

5月、前年秋に戦死した陸軍中佐杉本五郎の遺稿が『大義』の題で
出版された。ベストセラーとなったこの本には、多くの伏せ字があっ
た。例えは、次の一節 (89年発行の復刊本による ) 。

「一度敵地を占領すれば敵国民族なるの所以を以て殺傷して飽く事な
く、略奪して留る処を知らず。悲しむべし」

「尊皇に生きよ」と説き、「軍神」とたたえられた杉本は、皇軍の批
判者でもあった。

7月6日朝、富山日報記者、深山清市の乗る列車が富山駅についた。
「 ( 南京・下関に ) 敵屍の山」 (5月9日付富山日報 ) と報じた記
者の8カ月ぶりの帰郷である。

「車窓に , ( 顔を ) 現すやワッと歓声あがり万歳のどよめき」 (7
日付富山日報タ刊 )

駅頭、地元名士や群衆は深山の勇壮なあいさつを待った。しかし、
深山は、一言も発することなく、ただ泣いた。次女篁子 (70) は語る。
「『恥ずかしくて、逃げて帰ってきた』と母は繰り返し言っておりま
した。父は『女、子供に戦争がわかるもんか』と母に話したそうです」
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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