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従軍記者が見聞した南京事件(7)

南京陥落から2週問たった1937年12月27日のことだ。文芸評論家で東
京朝日嘱託の杉山平助は、朝7時に車で上海をたち、タ5時、南京支局
に着いた。

支局は国際難民区の中にあった。「避難民がまはりにいっぱい住ん
で」おり、「死骸はまだ、いたるところに転がつてゐ」た。

夜、若い従軍記者がランプの周りで「戦争と人道」をめぐって議論
を始めた。
「勝利のためには……一切の道徳律は無力であり無能である」と杉山
は論じた ( 「南京」『改造』38年3月号 ) 。そう考えることで杉山
は、自らを納得させようとしたのだろう。

南京滞在中、「支那人の死骸がツクダニのやうに折り重なった南京
の城壁のほとりを、ひとり静かに歩い」た。「南京城内外、鬼哭啾々
(きこくしゅうしゅう)たるの恨み」を聞いた。「南京の印象は、あ
まりに強烈だ。私の心はレストレスである。不安である」と杉山は朝
日紙上で告自した (38年1月18日付 ) 。

童謡「かなりや」などで知られる詩人、作詞家の西条八十は、雑誌
の「皇軍慰問使」として南京入城式に臨み、戦揚跡を歩いた。その経
験を「皇軍奮戦の跡を弔ふ」と題する一文にまとめ、『主婦之友』38
年2月号に寄せる。

なかに「さらば上海」という詩がある。
夢魔の都をさまよひて、
見るべからざるものを見ぬ、
十日の旅の血地獄に
身も魂も疲れたり。
( 中略 )
幾万千の屍を
底に沈めし長江ぞ、
夜のジャンクの舷に
青き燐火は燃ゆるなり。 ( 後略 )

朝日の従軍記者たちも、行間に思いを込めた。
「戦争後の南京は烏がふえた。その烏が ( 莫愁 ) 湖畔の枯枝の間に
群れ鳴いて一種のな腥気(せいき、生臭い空気)がいまなほあたりに
たちこめてゐる」 ( 守山義雄、1月5日付大阪朝日 )

「戦場は……進軍ラツパも鳴らねば晴れやかな大行軍もない『地冷や
かにして膏未だ朽ちず』と杜甫の詩にあるやうな小鳥も鳴かぬ流血の
野だ」 ( 横田省已、2月9日付東京朝日夕刊 )

名古屋新聞の従軍記者、柴田儀雄は、「三田澪人」の筆名をもつ歌
人でもあった。『短歌研究』38年6月号に三田の「戦地吟詠」が載る。
二万余のいのちたちまち滅びしとわが驚く前のしかばねの山
(下関)
まざまざと屍の山見てぞ過ぐ黒土の下のしかばねの臭ひ
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西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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