スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

従軍記者が見聞した南京事件(5)

「(揚子)江岸で一万五千捕虜」
1937年12月16日の朝日は、大きくそう報じた。「両角部隊は……総
計一万四千七百七十七名の敵軍と遭遇……捕虜とした」

両角部隊 ( 歩兵第65連隊、両角業作連隊長 ) の編成地は、福島の
会津若松。翌17日の朝日福島版は「おおでかした両角部隊」と郷土の
部隊をたたえ、県内の反応を伝えた。

前文で記者は「痛快だ、思ひ切つて一人残らず鏖殺(おうさつ)に
してやればよいのに、と老若男女一様に」「胸を……沸き立たせ」て
いる、と書いた。
「鏖殺」とは、皆殺しの意昧だ。

両角部隊が所属する歩兵第103旅団、山田栴二旅団長は14日の日記
にしるす。
「捕虜の仕末に困り、恰も発見せし上元門外の学校に収容せし所、一
四、七七七名を得たり、斯く多くては殺すも生かすも困ったものなり」
( 『南京戦史資料集Ⅱ』 )
記事と日記と、捕虜の数が一致する。

「十五日 晴 捕虜の仕末其他にて本間騎兵少尉を南京に派遣し連絡
す 皆殺せとのことなり 各隊食糧なく困却す」 ( 山田日記 )

南京入城式を17日に控え、日本軍は「残敵掃討」を急いだ。欧米人
が設置した「国際難民区」にも入り、「残敵」を連行した。

戦意を失い、軍服を捨てた中国兵と、避難民とは、ほとんど見分け
がつかなかった。

歩兵第7連隊の井家又一上等兵は、16日午前10時から「掃蕩」に出
かけた。「若い奴を三百三十五名を捕えて来る。避難民の中から敗残
兵らしき奴を皆連れ来るのである。……只々泣くので困る。手にすが
る、体にすがる全く困った」

この模様を取材しようと新聞記者が車から降りてきた。「十重二
(十)重にまき来る支那人の為、流石の新聞記者もつひに逃げ去る」
「揚子江付近に此の敗残兵三百三十五名を連れて他の兵が射殺に行っ
た」 ( 『同資料集Ⅰ』 )

16日午後、同盟通信記者前田雄二は、日本兵が捕虜を池の端に立た
せ、背後から撃つのを見た。
「記者さん、やってみないか」
下士官が銃を差し出した。前田は驚いて手を引っこめた。同行の連絡
員がニヤリと笑って銃を受けとった ( 前田『戦争の流れの中に』 ) 。

「目につく殆どの若者は狩り出される。……徹底的に掃蕩せよとの、
軍司令官松井(石根)大将の命令が出ているから、掃蕩は厳しいもの
である」 ( 「水谷荘日記」『同資料集Ⅰ』 )

スポンサーサイト

トラックバック

http://nishiha.blog43.fc2.com/tb.php/930-863c71a5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。