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従軍記者が見聞した南京事件(3)

中国軍や一般市民は、揚子江の対岸に渡って逃げようと、前日から
南京城北西、下関(シャーカン)の埠頭一帯に殺到した。しかし、船
がなかった。

日本軍は南京を包囲し、揚子江上には日本海軍の艦隊があった。
 
そこで何が起きたか。
「敗残兵三万の充満する」揚子江を小船で下った陸軍准尉らの体験
談が朝日新聞に載った ( 同盟電、38年1月25日付長崎版など ) 。

「 (12目13日午前3時ごろ ) 江上全部敵です……前後左右、民船、筏、
発動船、戸板などに乗った敵が一杯で殆んど水面が見えないほど」
「 ( 夜が明けて ) 敵の数は殖える一方……敗残兵はいづれも寒さに
震へながら一生懸命に漕いでゐる、その大部分は鉄砲を捨てたらしく
持つてゐない」

「翌十四日午前二時半下から ( 日本の ) 軍艦が遡つて来た……機銃、
小銃で猛烈に敗残兵を打ちながら来るので、我々はその敗残兵の中に
ゐるのでその危険といつたらありません、周囲の敵は銃火を浴びると
皆ザブンザブンと冷たい河中に飛び込む」

13日夜、軍報道部は「南京城を完全に占領せり」と発表した。

歩兵第36連隊乙副官の菅原茂俊は、タ食の際「記者団と共に」祝杯
をあげた ( 『南京戦史資料集Ⅱ』 ) 。

下関に突入した歩兵第30旅団長佐々木到一は「私記」にこうつづる
( 『同1』 ) 。

「軽装甲車中隊 (13日 ) 午前十時頃先づ下関に突進し、江岸に蝿集
し或は江上を逃れる敗敵を掃射して無慮一万五千発の弾丸を射ち尽し
た」
「我支隊の作戦地域内に遺棄された敵屍は一万数千……各部隊の俘虜
を合算すれば我支隊のみにて二万以上の敵は解決されてゐる筈である」
「その後俘虜続々投降し来り数千に達す、激昂せる兵は上官の制止を
肯かばこそ片はしより殺戮する。多数戦友の流血と十日間の辛惨を顧
みれば兵隊ならずとも『皆やってしまへ』と云ひ度くなる」「俘虜に
食はせるもの……我軍には無い筈…… ( 今夜はゆつくり睡られるぞ)」
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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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