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中国大陸打通苦しみの行軍

今日15時10分から、NHK・BS2で放送されました「証言記録 兵
士たちの戦争『中国大陸打通苦しみの行軍1500キロ』」を観まし
た。

<「大陸打通」。第二次世界大戦で、米軍の前に敗北を重ねていた日
本が、南方との陸上交通路を確保すべく広大な中国大陸縦断を目指し
た陸軍史上最大の作戦。それは参謀本部内でも中止論が出るほど無謀
なものだった。静岡県出身者で編成された陸軍歩兵第34連隊は、そ
の先陣部隊として参加。兵士たちは、コレラや赤痢に倒れ、弾薬が尽
きるなか突撃していった。静岡34連隊の元兵士たちの証言を基に、
中国大陸打通作戦の実態を描く。>(NHKの番組紹介)

この作戦は、大本営の第二作戦課長・服部卓四郎大佐らが机上で計画
したもので、途中で「インパール作戦の轍を踏むな」と中止論が出る
ほどでいたが、服部課長の面目を保つため続行されました。しかし約
8カ月かけてやっと目的地を占領したときには、その作戦はまったく
無意味なものになっていました。

作戦に参加した静岡34連隊の約4300名の内戦死者は約2200名。内約
8割が病死または自殺だったとのことです。


生き残った元兵士の皆さんが語った生々しい証言のいくつかを拾って
みました。

夜も寝ずに歩いていたため、歩きながら眠っていた。「歩きながら眠
る」「眠りながら歩く」だった。

歩きづめだったので、足がマメだらけで、膨れ上がっていた。

補給がないので、撃つ弾もなくなった。敵がビュンビュン弾を撃って
くる中を、銃剣だけで突撃して、敵の陣地を奪った。

この作戦では最初から食糧は現地調達という方針だった。徴発という
と聞こえがいいが、実際は野盗だった。住民は皆逃げていて空き家だ
ったので、罪悪感はまったくなかった。それがなければ、こちらが死
んでしまうのだ。

飲む水がなくなって、その辺の泥水を飲んだ。そのためコレラ、赤痢
にかかるものが多く、多くの兵士が病死した。

こんなに苦しいのなら死んだほうがましだと言って、多くの兵士が自
殺した。

死ぬときは誰も「天皇陛下万歳」なんて言いませんよ。ほとんど「お
かあさ~ん」だった。

やっと補充兵が増援されたと思ったら、彼らは10人に2丁しか小銃を
持っていなかった。兵士の必需品である水筒は竹筒、飯盒は竹を編ん
だ弁当箱だった。

終戦を聞いたとき、「ああこれで家へ帰れる」とうれしかった。

あの戦争はなんだったのか。「天皇陛下のために」と信じて死んでい
った戦友たちの死は、はたして天皇陛下のお役に立ったのか、お国の
お役に立ったのか。

あの作戦は無意味だった、戦死した兵士の死は無駄だったなどと言わ
れると、腹が立つ。死んだ部下たちに申し訳ない。


明日もまたNHK・BS2で「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズ
の放送があります。

15:10 「フィリピン最後の攻防 極限の持久戦」
15:53 「満蒙国境 知らされなかった終戦」

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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