スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ハル・ノート

いわゆる靖国史観は、太平洋戦争開戦前の日米交渉において、アメリ
カは「ハル・ノート」という、日本側がとうてい呑めない無理難題を
突きつけたので、大日本帝国はやむを得ず開戦を決意した、すなわち
「大東亜戦争は自存自衛のための戦争であった」と主張しています。

その論法によれば、ハル・ノートが駐米日本大使に手交されたのが
1941年11月26日で、それに対応して12月1日の御前会議で開戦が正式
に決定されたということになります。

これに対し、吉田裕・一橋大学大学院教授は、その近著「アジア・太
平洋戦争」(岩波新著)で次のように反論しています。

(1)開戦が実質的に決定されたのは11月5日の御前会議である。この
会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「武力発動の時期を十
二月初頭」と決めている。12月1日はあくまで形式的な最終決定の日
に過ぎない。

東京裁判において、東条英機被告や木戸幸一被告が、この11月5日の
御前会議の存在を極力否定しようとしたのは、自衛戦争論の前提自体
が崩壊してしまうことを恐れたのであろう。

(2)帝国陸軍は11月6日付で、天皇の命として攻略準備命令を発令し
た。また帝国海軍も11月5日付で、同じく天皇の命として作戦準備の
「完整」が発令された。さらに11月26日には、海軍の機動部隊が真珠
湾攻撃のために千島列島エトロフ島からひそかに出航している。

(3)ハル・ノートはアメリカ政府の正式な提案ではなく、一国務長
官の覚書に過ぎない。まだその後の交渉の余地もあった。外交交渉す
る努力を最初から放棄し、それを最後通牒とみなして、戦争に突入し
ていったところに日本の外交の過誤があった。
スポンサーサイト

トラックバック

http://nishiha.blog43.fc2.com/tb.php/793-b8e9e512
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。