スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

マニラ市街戦

16日の夜にNHK・BS1で放送されました「証言記録 マニラ市
街戦 ~死者12万 焦土への1か月~」を、録画で観ました。

フィリピンの首都マニラは、戦前人口100万を擁する大都市でした。
1941年12月太平洋戦争勃発と同時に、日本軍はフィリピンに侵攻しま
したが、米軍のマッカーサー司令官はいち早くマニラを「無防備都市」
と宣言して撤退し、日本軍は無血占領しました。

ところが戦局が逆転し、今度はマッカーサーが「アイ・シャル・リタ
ーン」の言葉通りフィリピンに反撃したきた時、日本軍の山下泰文司
令官は、マニラからの撤退を決めました。ところが海軍はあくまで死
守を主張し、撃沈された軍艦の生存兵などを集めて陸戦隊を組織、抗
戦することになりました。

こうしてマニラでは、住宅地やビル街などで、住民を巻き込んだ市街
戦が展開され、12万人の死者が出ましたが、そのうち市民は実に10万
人といわれています。「死して虜囚の辱めを受けず」という皇軍の精
神が、いたずらに戦闘を長引かせ、犠牲者を増やしたといえましょう。

その映像を観ていて、同じく住民を巻き添えにした沖縄戦を思い出し
ました。しかし沖縄戦と違うのは、住民は第3国の人たちで、しかも
日米双方の軍隊によって殺されたということです。

フィリピンでの戦いというと、われわれはすぐコレヒドールとか、レ
イテを思い浮かべますが、マニラ市街戦のことももっと知るべきでし
ょう。

ところで、この市街戦の直後、米海軍将校によって拾われた日本兵の
手紙などの戦争遺留品を、拙サイト「旧日本軍人の遺留品」に掲載し
ていますが、マニラでの戦闘がこのようにまで苛烈なものであったと
は改めて知りました。

この遺留品については、下記サイトの「手帳・日記・手紙」のページ
にT009として掲載しています。
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/iryuhin/

これらの遺留品を日本のご家族にお返しくださった(一部はまだ未返
還)、フィリピン在住の米人ピーター・パーソンズ氏は、現在マニラ
市街戦に関するドキュメンタリー・フィルム「 Manila 1945: The
Forgotten Atrocities 」を製作中とのことです。完成すれば、戦争
を語り継ぐ貴重な作品となることでしょう。
スポンサーサイト

トラックバック

http://nishiha.blog43.fc2.com/tb.php/779-ac1026c8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。