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私のビルマ戦記(2)

小安歸一さんの「私のビルマ戦記」第2回を掲載します。         「私のビルマ戦記」行動表
1 昭和17年10月 1日 東京青山東部第7部隊(近衛歩兵第4聯隊補充隊
              )第2機関銃中隊入隊
2 昭和18年 5月10日 群馬県相馬ヶ原前橋陸軍予備士官学校第1機関銃中隊入校 兵科甲種幹部候補生教育
3 昭和18年12月25日 同校卒業 曹長の階級に進め兵科見習士官命ず
4 同         日 南方軍総司令部参謀部付を命ず(異民族軍隊指導要員)軍用列車にて東京品川経由広島宇品港暁部隊(船舶部隊)に向う
5 昭和18年12月27日 広島宇品の暁部隊到着 昭和19年1月16日
              門司港(現北九州市)に集合、それ迄各自自宅待機
6 昭和19年 1月19日 門司港にて輸送船(郵船貨客船)三池丸乗船
7 昭和19年 1月20日 正午門司港出港途中台湾沖にて敵魚雷襲撃うく
8 昭和19年 1月29日 正午昭南港(シンガポール)に無事到着昭南ステーションホテル泊
9 昭和19年 1月30日 南方軍総司令部参謀部に申告、第18独立守備隊司令部(昭南防衛司令部)に転属 前橋予備士校出の40名の異民族軍隊指導要員の集合教育
              (約2週間)その後各任地に向う
0 昭和19年 2月  末 島嶼義勇隊勤務を命ぜられリオ群島ビンタン島
              タンジョンピナン(インドネシア)に赴任 義勇隊の集合教育に当たる
1 昭和19年 3月  末 集合教育終了義勇兵出身島に帰任 クンドル島
              カリモン群島モロ諸島の担当となる
2 昭和19年 4月30日 第7方面軍司令部に転属を命ぜらる(シンガポール)、同日付にてビルマ方面軍司令部に転属
              富士屋ホテルに滞在
3 昭和19年 5月25日 昭南駅(シンガポール)を国際列車に乗車マレーシア縦断タイ国チュンポンに向かう途中ペナン島の対岸の駅にて燃料補給の大休止あり
4 昭和19年 5月  末 タイ国チュンポン到着タイ・ビルマ国境の街カオファージまでの鉄道が不通のため兵站宿舎に約3週間留まる
5 昭和19年 6月20日 鉄道にてチュンポンからカオファージに到着、船にてビルマ最南端の街ビクトリアポイントに着く。既に雨季になっていたのでトラックと舟の乗り継ぎでメルギー・タボイを経由してビルマの鉄道最南端の駅イエ到着
6 昭和19年 6月 下旬 ビルマ第2の都市モールメン到着、ビルマ第2の大河サルイン河を船で渡り対岸のマルタバンに着く、此処から首都ラングーンまで列車、途中ビルマ第3の大河シッタン河を渡る
7 昭和19年 7月 1日 ビルマの首都ラングーン着、ビルマ方面軍司令部に申告、第53師団司令部(京都「安」兵団)に転属を命ぜらる。マンダレー経由メイミョウへ 
8 昭和19年 7月10日 メイミョウにて第33軍司令部に申告、マンダレー、サガイン、メザを経て北ビルマのホピン目指して、ミートキナに続く鉄路を北上した
9 昭和19年 8月20日 ホピンにて漸く第53師団司令部に到着申告し
              歩兵第128聯隊勤務が発令された。また7月1日付にて陸軍少尉に任官していた
0 昭和19年 8月  末 モーハンにて歩兵第128聯隊本部到着、岡田聯隊長に申告、第3大隊第3機関銃中隊付となった。これから雨季明けの10月末まで掩蓋壕造りが続いた
1 昭和19年10月26日 モーハンの戦闘続いてナンシャの戦闘
2 昭和19年11月14日 ピンウエの戦闘にて負傷、後方に下がる。サガインの53師団野戦病院にて右大腿部盲貫銃創の弾を摘出マンダレーを経てキャウセ
3 昭和19年12月 3日 キャウセにて岡田聯隊長の戦死の報を聞く。
メークテーラの兵站病院を経てカローへ。
4 昭和19年12月20日 カロー野戦病院着、日赤看護婦御子柴(原秋子)さんにお世話になる。昭和20年の新年をカローにて迎える。
5 昭和20年 1月10日 タウンジー兵站病院に後送される。
6 昭和20年 1月20日 タウンジー兵站病院退院し、インレ湖畔の温泉
              療養所に入る。療養1ヶ月余り。
7 昭和20年 2月 下旬 インレ湖畔温泉療養所出所、前線へ。
8 昭和20年 3月 5日 夜半マンダレー西南西のイラワジ河畔イワボーに到着、翌早朝聯隊本部にて菊池聯隊長に申告、
              第3機関銃中隊に復帰、直ちに戦闘に参加。
9 昭和20年 3月 中旬 イワボーの戦闘後キャウセに撤退し、更にキャウセからカロー街道まで一月足らずかけて後退してパヤガスの戦闘に備えた。
0 昭和20年 4月15日 パヤガスの戦闘。
1 昭和20年 4月29日 ピンヤンの戦闘。
2 昭和20年 5月 初旬 カロー出発しモチ高原を雨季の中長途に渡り南下し、シッタン河畔ザロッキー目指して行軍する。
3 昭和20年 6月22日 ザロッキー到着。最後のシッタン河畔戦のミッチョウ作戦に備える。
4 昭和20年 7月 初旬 雨季の大河シッタンの濁流を越えてミッチョウ作戦開始。7月8日菊池聯隊長戦死。この作戦も初期の目的を達成できずザロッキーに撤退する。
5 昭和20年 8月15日 大東亜戦争終結。
6 昭和20年 8月20日 陸軍中尉に昇進(所謂ポッダム中尉)
7 昭和20年 9月23日 モパリンコールにて武装解除。
8 昭和20年10月 1日 パヤジーにて英軍の監視の下キャンプに入る・
9 昭和20年11月 6日 パヤジーより列車にてラングーン市アーロン収容所に移動、またその後ラングーン市コカイン収容所に移動し英軍作業に従事する。
0 昭和22年 6月 1日 コカイン収容所を後にして、アーロン乗船滞留キャンプに移動した。
1 昭和22年 7月 7日 イラワジ河畔のラングーン港にて復員船摂津丸乗船内地向け出港した。途中給油の為シンガポール島セレター軍港に立ち寄った。
2 昭和22年 7月20日 広島の宇品港に入港した。
3 昭和22年 7月24日 復員

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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