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赦しの花

敗戦後、旧ソ連によってシベリアに5年間抑留された捕虜のうち、約
1000人の元日本軍将兵が戦犯として中国に引き渡され、「撫順戦犯管
理所」に6年間収容されました。

彼らはソ連とはまったく対照的な厚遇に驚くとともに、しだいに人間
性を取り戻し、自分たちの罪を認めるようになりました。そしてごく
一部を除き、大半の人が「起訴免除」として赦されて帰国しました。

その別れの時に、ある戦犯が看守の1人から「もう武器を持って2度
と大陸に来ないで下さい。日本へ帰ったら、きれいな花を咲かせて幸
せな家庭を築いて下さい」、と数粒の朝顔の種を手渡されました。

その朝顔が、今「平和と友好」のシンボルとして全国に広まっていま
すすが、福岡の小学校教師らが、その戦犯から聴取った実話を元に、
このほど「赦しの花」という本を作成し、出版しました。

戦犯に託された『朝顔の種』」(JANJAN、25日)
この撫順戦犯管理所での収容生活の様子は、次の元陸軍将校の体験記
に詳しく書かれています。

< 認罪者が自らの残虐性を、心からさらけ出して絶叫するたびに、
その残虐行為の餌食となった中国人の悲鳴と怒号が、最高潮に達し我
々の前で炸裂した。すでに今までの学習で認識を深め、被害者の苦し
みに対する我々の「感度」は敏感になっており、そのうめき声が、耳
元に聞こえてくるようになっていたのだが、その声は今や、地鳴りの
ように膨らんできて大きくなり、ついに厚い幕を引き裂いて、悲鳴と
阿鼻叫喚を、耳をつんざくように轟ろかせた。あまりの凄まじさに、
我々は打ちのめされ震えた。それは津波のようにやって来て、我々を
何回もさらった。しばらくして津波が引いた後も、我々の魂は被害者
の深い悲しみの海の中に漂っていた。悲しみの深さは、一度これを知
ったら、もう永遠に忘れることの出来ない、底知れぬ深淵の様な深さ
を持っていた。

 この時から、殺した方の人間と殺された人間の心が、深く結びつい
たのである。我々は、被害者の血まみれの恨みの手で、魂を掴まれて
しまった。被害者が味わった、地獄の底を見てしまったのである。し
かし不思議なことに、そこに恐怖心も嫌悪感も浮んでこない。深い共
感があるだけだ。我々は被害者に向かって、頭を垂れてこう言ってい
たのである。

「そうとも、アンタ方はもっと怒っていいんだよ。怒る権利があるとも」

 1200万人の人間を殺戮するということは、こういうことだった
のである。建国2年目の中国、戦争中に殺された人々の阿鼻叫喚は、
まだ全国各地に生々しく余韻を残している。その悲しみと恨みの大海
は、この管理所のすぐそばまで、追ってきて渦巻いていたのだ。これ
に対し加害者である我々は、冷酷で不感症の姿勢のままで「俺たちは
大した罪は犯していない」「何時帰れるのか」などとウソぶいていた
のである。

 この認罪運動の、台風一過した後の我々の姿、そこには、官位も肩
書もハギとられた素の人間、もう日本人でも中国人でもない、「人間
そのもの」が残されていた。その位置から、初めて振り返って見る昔
の自分の姿は、残酷で哀れなものであった。

一片の召集令状で軍国主義に乗せられ中国への侵略。時代の狭間に
翻弄され、流されたあげくに、たどり着いたこの戦犯管理所。最後に
残された自分の唯一の過去の遺産が、中国の農村に襲いかかって犯し
た「非人道行為」であったとは、これは情けないというより、歯ぎし
りしたいほど悔しいことであった。ここにいる1000人は昔、軍隊
の強行軍にも、マラリヤにも負けず、シペリアの極寒にも、重労働に
も耐えてきたしたたかな「生き残り組」であったはずである。だが、
この認罪の衝撃には参っていた。これは人間の根本の問題であった。
一度あの被害者の深い「悲しみ」がわかったら、その後再びこれを振
り捨てて行くことは出来ない。まともに処理しなければ、もう人間の
資格から脱落してしまう様な問題、「最後の砦」のようなものが此処
にはある。

この時から又、半年~一年を経過した後では、我々の感動のあり
方は、もう少し鎮静した形になっていた。我々は、自分がまったく違
う人間になったような、不思議な感覚で回りを見回していた。精神と
身体中の組織が、すっかり生まれ変わったような気がした。これは驚
くべき展開であった。「認罪」ということが、こんな新しい世界への
入口であるとは、誰一人予期しなかったことであった。

敗戦から帰国まで 沢田二郎
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コメント

ネット右翼は健忘症?

大東亜戦争中、あれほど酷い侵略をしながら、中国政府は日本敗戦時、100万人に及ぶ日本兵の中国本土からの帰還を認め、彼らに対し一切の攻撃・危害を加えませんでした。この恩義を忘れて、南京虐殺を否定したりするネット右翼には辟易します。

同じ日本人として恥ずかしい限りです。

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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