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真珠湾への道 日米開戦65年(2)

前回に引き続き、産経新聞のコラム「正論」連載の「真珠湾への道 
日米開戦65年」の、4~6日掲載分をご紹介します。

(4)「衝突不可避へ7つの契機」帝塚山大学名誉教授・伊原吉之助

< 「負け戦は断じてすべきではなかった」という反省もある。三国
干渉時のように臥薪嘗胆(がしんしょうたん)すればよかったという
のである。でも、昭和16年に満洲を含め、中国全土から撤兵できた
だろうか? 日清戦争当時の日本の実力では引っ込むほかなかったに
しても、昭和に米国の言いなりになって臥薪嘗胆するのは無理だった。

 なぜ無理か? 軍部を含めて日本の各界が官僚制化し、指導者不在
のまま「誰も責任をとらぬ」世の中になったからである。進出は指導
者なしでもできるが、撤退は無理。江戸時代に各藩は藩校で指導者教
育をしたから指導者に事欠かなかったものの、近代化を担う専門家・
技術者が払底していた。そこで開国後は技術者・専門家教育に専念し
た。>
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061204/srn061204000.htm

(5)「色眼鏡越しの冷たい眼差し」 防衛大学校長・五百旗頭真

<  ローズベルトが真珠湾攻撃を知りつつ、やらせたとの主張が何度
も現れてきた。が、それを実証したものはいない。大統領は日本の開
戦を予知していた。たぶん、それを歓迎していたであろう。だが日本
軍の南進を予期し、真珠湾攻撃を想定できなかった。彼は日本海軍の
能力を過小評価し、大きな打撃を被る過ちを犯したのである。もちろ
ん、それ以上に大きな過ちを犯したのが、300万人を超える犠牲を
出したうえ敗戦を招く日本政府であることはいうまでもない。>
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061205/srn061205000.htm

(6)「開戦に踏み切らせた小さな意志」 評論家・鳥居民

< 大きな出来事がまことに小さな原因から起きることがあるという
事実をだれも認めたがらないし、私もつぎのように書くのは抵抗があ
る。

 だが、すべては木戸幸一の小さな私心にあったのだ。

 中国からの撤兵となれば、その戦いを拡大してしまった陸軍首脳の
責任が追及されよう。かれらは昭和11年に起きた二・二六事件後の
粛軍の実行者でもあった。かれらが行った粛軍の基本方針を定めたの
が、当時の内大臣秘書官長、木戸だった。かれは、その責を追及され
るのを恐れて、中国撤兵の決意ができなかった。>
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061206/srn061206000.htm
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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