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旅順虐殺

1933年生まれの私の幼児時代の英雄といえば、日露戦争で活躍した東
郷元帥や乃木大将でした。東郷の日本海海戦や乃木の旅順攻略は、子
供向け絵本の定番のテーマでありました。

中でも旅順攻略は、乃木大将と敵の敗将ステッセルとの水師営での会
見など、歌にもなってよく知られていました。しかしその十年前の日
清戦争でも、やはり旅順攻略が行われ、その時中国人に対する虐殺が
行われたなどは、余り知られていなかったのではないでしょうか?

日露戦争における旅順攻略戦は、日本海海戦と並んで、この戦争の山
場でした。日本軍は、後方部隊を含めて延べ約13万人を投入し、155
日かけてやっと攻略できましたが、1万5千人余の戦死者を出しました。

しかし日清戦争の場合は、旅順は僅か1日で陥落したのです。そして
その直後、開城された市内へ入った日本軍は、敗残兵の残る市内の掃
討作戦として、多くの市民を巻き添えにした虐殺を行ったのです。詳
しくは、次のサイトをご参照ください。

旅順虐殺事件 - Wikipedia

この状況は、ちょうど日中戦争時の南京虐殺を思わせます。ただ南京
の場合と違うのは、日清戦争の場合は、欧米のジャーナリストも多く
従軍しており、彼らによって、その実態が広く世界に知らされてしま
ったことです。そのため、日本も文明国の一員と認められたいと願っ
ていた明治政府は、その善後策に苦慮することになります。

明治天皇もこの事実を知っていたため、10年後の「水師営の会見」に
おいては、とくに敵将ステッセルの名誉を重んじ、帯剣を許すよう指
示したとのことです。そのためこの会見では、お互いの健闘を称えあ
うものとなり、日本の武士道の鑑を世界に示したものとして、教科書
にも書かれるようになりました。

このように、日露戦争時の「水師営の会見」にも、ロシア兵捕虜への
人道的な扱いにも、日清戦争時の「旅順虐殺」という背景があったの
です。しかし戦前も今も、そういうことを知っている人はきわめて少
ないようです。

戦前の私たちは日清・日露の戦争については、まったくの“自慰的”
史観で教えられていました。旅順虐殺といった、“自虐的”な事実は
ぜんぜん教えられていませんでした。そうしたことが太平洋戦争に人
々を駆り立てていった一因であったことも、あながち否定できないで
しょう。
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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