スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大東亜会議

ちょうど63年前の今日、1943年11月5日に、東京で「大東亜会議」が開かれました。これは当時占領下にあったアジアの各地域の代表を集め、「大東亜共栄圏」の実現を目指し、協力と結束を示すものでした。

当時私はまだ国民学校4年生でしたので、詳しいことは分かりませんでしたが、大東亜共栄圏の盟主になった大日本帝国を誇りに思っていました。

当時の国民と同じく、「新しい歴史教科書」も、この大東亜会議を高く評価し、「大東亜会議とアジア諸国」という1章を設けて、当時の新聞と同じように写真を大きく掲載しています(下記URL)。

http://www.tsukurukai.com/05_rekisi_text/HP_kaitei_pdf/kaitei_75.pdf

しかし戦後知ったことですが、会議に参加した中国(南京政府)、満州国、フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)は、いずれも事実上日本の傀儡政権の代表でした。またインド(自由インド仮政府)も、必ずしもインド人民全体を代表する政府ではありませんでした。

戦前から独立国であったタイは、巧みな外交戦略で、日本と手を結びながらも水面下では連合国側とも通じていましたので、日本の度重なる要請にもかかわらず、正式の代表は送らず、代理出席にとどめました。もちろんインドネシアやマレーシアは、当時はまだ帝国の領土にするという方針だったので、朝鮮・台湾と同様、出席はできませんでした。

このように集まった代表は皆、東條首相(当時)の息の掛かったカイライばかりという声もあります。事実 、東條がもっとも得意の絶頂にあったのは、この時だったでしょう。 首相退陣後、彼はこの大東亜会議をしきりに話したといわれていますし、戦後まもなく自殺未遂を起こした時、彼の応接間にはこの時の会議の写真が飾ってあったそうです。

「大東亜会議」について、ご存じない方は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E6%A0%84%E5%9C%8F#.E5.A4.A7.E6.9D.B1.E4.BA.9C.E4.BC.9A.E8.AD.B0

当時「大東亜共栄圏」は、八紘一宇の精神ということで、日本を家長、その他のアジア諸国を家族として、アジアを一つの家のようにするものだと、教えられていました。しかし今では何となく、戦後のソ連邦を連想させます。日本がもし戦争に勝っていたら、それは実現していたでしょうが、ソ連邦と同じ運命を辿ったに違いありません。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://nishiha.blog43.fc2.com/tb.php/418-1feb2900
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。