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昭和天皇はA級戦犯合祀に反対だった?

靖国神社に問題のA級戦犯がなぜ、どのような経緯で合祀されたのか、
それを詳しく解説したサイトがありました。これによりますと、昭和
天皇はどうも合祀に反対だったようです。ひじょうに詳細な説明です
ので、以下ポイントのみ引用します。

<こうして国と靖国神社の共謀により、着実に戦犯の合祀が進んでき
たのですが、歴史学者の秦郁彦は、これには「厚生省引揚援護局」の
旧軍人グループと、靖国神社宮司松平永芳の役割が大きかった、と主
張しています。>

<1966年引揚援護局はA級戦犯の「祭神票」を靖国神社に送り付けま
した。しかしこの当時の宮司筑波藤麿は、山階宮家から臣籍降下した
元皇族であり、東大国史学科に学び欧米にも留学した広い視野を持つ
歴史家でした。筑波は、これまでの経緯と天皇家や宮内庁内の空気を
熟知していたので、それに配慮し、合祀を差し止めていました。>

<青木氏(注、一男、東条内閣大東亜相)は、「合祀しないと東京裁
判の結果を認めることになる」「戦争責任者として合祀しないとなる
と神社の社会的責任は重いぞ」と迫りました。事態が急変したのは、
その筑波宮司が急逝し、後任の宮司に東京裁判否定派の松平永芳(自
称「無免許宮司」)が就いてからのことです。>

<この松平永芳は幕末の福井藩主、松平春獄の孫にあたる軍人でした。
自衛隊を一佐で定年退官して郷里の博物館長に引退していた松平を強
く推したのは、元最高裁長官でその退官後「英霊にこたえる会」の会
長、明治神宮総代をつとめいた石田和外でした。
 石田氏は同じ福井県出身である旧藩主の松平氏とは親交があり、下記
平泉思想に共鳴し合う間柄にありました。だが口添えした高松宮は、
「うってつけだが、ただではすまないよ」と洩らしたともいう。その
心配は的中しました。>

<1978年松平は宮司預かりとなっていたA級戦犯合祀を行うことを決
意し、合祀者名簿を天皇のもとへ持って行きます。(中略)
それを受け取った徳川侍従次長は、天皇の意向に基づき「相当の憂慮」
を表明しました。特におかしいと思われたのは病気でなくなった、永野
修身、松岡洋右らの合祀です。しかし松平はそれを無視し、独断で合祀
を強行してしまいました。徳川らの側近たちの不満は天皇の意を汲んで
なされたことは、間違いありません。「昭和天皇独白録」は戦時指導者
に関する辛口評で読者を驚かせましたが、なかでも松岡については「恐
らくはヒトラーにでも買収されたのではないか」とまで酷評を加えてい
ます。そもそも松岡は戦死ではなく裁判中に病死した人間ですが、これ
まで平時の病死者・暗殺者・事故死者が合祀されることはありませんで
した。恣意もここにきわまれりということだと思います。>

「A級戦犯合祀は自らやめるべきである

一昨日ご紹介しました渡辺(読売)・若宮(朝日)対談でも、若宮氏
が次のように述べています。

<A級戦犯の合祀について昭和天皇は、「山階(注、筑波宮司のこと)
ならああいうことはしなかったろうな」と語ったという話を、ある有
力政治家から聞いたことがあります。松平宮司になってA級戦犯を合
祀したことへの、不快感の表明だったのではないですか。現にその後
天皇陛下は四半世紀以上も靖国神社に参拝していないですね。だから
私も国民統合の象徴である天皇陛下がはれて追悼に行けるような、新
しい国立施設をつくったらいいと主張しているんです。それなら、外
国の元首にも来てもらえる。>

これに対し、渡辺氏も「まったく同感です。」と答えています。

A級戦犯の合祀に反対するのは“反日”とする輩がいるようですが、
彼らにとっては昭和天皇も“反日分子”なのでしょうか?
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コメント

2chからきました。大変、興味深いエントリー、ありがとうございました。A級戦犯合祀の問題は、厄介な問題ですね。私も富田メモをきっかけに、大分勉強しました。問題は、書かれている以外で以下の点だと思います。

・当時、4000万人の署名があり、戦犯の赦免が国会でも決議された。つまり、当時の国民は合祀を望んだのではないか?
・それにもかかわらず、A級のみは連合国側から簡単には赦免してもらえなかった。
・当時何があったかを知っている人達にとっては、東京裁判は受け入れられなかった。
・どこまでが徳川氏の意見で、どこからが昭和天皇陛下自身のご意見なのか、イマイチ分からない。

今、富田メモ関係で話し合っていますが、陛下がA級戦犯が合祀が理由で参拝をやめたかどうかは、判断しかねます。

陛下が明確に意思を表明していただいていたら、また分祀も可能だったかもしれません。

・当時、4000万人の署名があり、戦犯の赦免が国会でも決議された。つまり、当時の国民は合祀を望んだのではないか?

これがどうして合祀を望んだことになるのか?
うちのじいさん、ばあさんも言っていたが、敗戦責任の追及を帝国国民でできず、鬼畜米どもに好きにさせることが悔しかったのではないか。
帝都空襲、原爆投下を回避できず、敗戦まで国を疲弊させた者を、英霊と共に祀ることを当時の大多数の人たちは本当に望んだのか?
甚だ疑問である。

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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