スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「支那」という言葉

最近ネットの中では、中国のことを「支那」と呼ぶ連中が多いようで
す。彼らが支持する石原都知事も、中国は正しくは「支那」と呼ぶべ
きだと主張していました。

しかし何千年という長い日中交流の歴史の中で、日本人が「支那」と
呼んだのは僅か数十年間に過ぎません。私たち70代以上の高齢者は、
その短い期間の中で生まれ育ちました。この世代は、当時「支那」
「支那人」という言葉に侮蔑の感情が込められていたことをよく知っ
ています。

ご承知のように、昔から中国に対しては、秦、漢、隋、唐、宗、明、
清など、相手国の呼称で呼んでいました。当時は相手のほうが先進国
で、日本人は敬意を払い、憧れていたと思います。

しかし日清戦争で日本が勝利を収め、彼我の国力が逆転してから、正
式の国名でない「支那」と呼び始めました。そこにそれまでの劣等感
の裏返しのような感情があったことは否めないでしょう。

「支那」の語源は、よく知られているように「秦」で、これは英語の
Chinaを始め、各国語の中国名の語源になっています。中国の公式な
英語名も"People's Republic of China"です。しかし中国自らが漢字
で「支那」と呼んだことはありません。

「中国」という国名が使われだしたのは、清朝末期の1912年に辛亥革
命によって「中華民国」政府が成立して以降と思います。しかしそれ
以降も日本政府は公式には「支那共和国」と呼んでいましたので、中
国政府は改めるよう申し入れ、日本政府も1930年10月29日に「中華民
国」と呼ぶよう閣議決定しました。閣議決定ですから、陸軍大臣も文
部大臣も署名したのだと思います。

しかしその後も軍部はもちろん、一般でも「中華民国(中国)」は使
われず、私たちも教科書で「支那」「支那人」と教わりました。子ど
もであった私は、戦後になって「中華民国」という正式の国名を知り
ましたが、当時の大人でも知らなかった人が多いようです。

MLでいただいた情報では、愛媛県のある村営墓地では、中国で戦死
した兵士の墓には、「中華民国XX省にて戦死」と刻んであるそうで
す。これは多分当時市町村が発行した戦死公報によるものと思われま
すが、これからも、戦時中でも中国の公式名称は「中華民国」であっ
たことが裏付けられます。

また、1941年6月に大政翼賛会東亜局が<この際支那人といふ言葉は
廃めて、今後は中華民国乃至中華人として呼ぶぺきだ>と提唱してい
ます。その前年の1940年に菊池寛が中国と呼ぼうと提唱したという説
もあります。

以上のようなことから、中国を「支那」と呼ぶべきだという説は正し
いとは言えません。かの石原慎太郎氏も、自分が生まれる前の1930年
に、「公式には支那を使わない」という閣議決定が行われたという経
緯を知ってからは、あまり「支那」を使わなくなったとのことです。

このように、「支那」という言葉についても、以上のような正しい歴
史認識が必要かと思います。長い日中の歴史の中で、「支那」という
言葉もいずれ死語となっていくことと思っています。

参考サイト:「『支那』の語源についての考察
スポンサーサイト

コメント

丁寧な解説で大変参考になりました。
石原知事が意見を変えられたという事実からも、ちゃんとした人間は知識を持つことによって偏見から解放されることが分かります。

色付きの文字わたくしは中国の人々の事を中華人民共和国人民と正しく呼ばせて頂いております。

 真に失礼ですが、「嘘つき」と叫んでしまいました。
>しかし中国自らが漢字 で「支那」と呼んだことはありません。
 実際に中国に行かれ、書店で大型辞書を引かれる事をお勧めします。「支那」の項をどうぞ。
 一冊の辞書も「支那とは我が国の蔑称である」等の記述はありません。用例として延々、中国で「支那」と書かれた例が書かれています。例、辞典『漢語大詞典』では唐義浄『南海寄帰内法伝』『宋史外国伝六』等に言及されており、仏教経典では古来より中国では自国の事を「支那」と記していた旨が記載されております。
 また清朝乾隆帝期の『四庫全書』にも見え、また、孫文も使用し、宋教仁も彼の雑誌を『二十世紀之支那』とし.......
 スイマセン、指が疲れました(笑)。
ネットでフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を探し、そこで「支那」の項目を検索してください。
 あと本では支那文学研究家、高島俊男『本が好き、悪口言うのはもっと好き』に纏まった論が載っています。
手に入りやすい本ならば、呉智英『ホントの話』をどうぞ。
 余談。亡くなった祖母は長崎の貿易商の娘でありました。ご存知とは思いますが、長崎は古代より現代に至るまで支那とは深い関係のある所です。そこで祖母は友人の支那人を前にしてハッキリと「支那」と発音しておりました。勿論「馬鹿にして」どころか「お世辞」をいう場面で。時代的には大東亜戦争前です。(ちなみに「当時は一方的に中国人を見下していた」というのは嘘です。全く対等の関係です。恐らく貴方(の周りの方々)は戦前に、裕福で教養を身につけたマトモな中国人に会った事が無かったからでしょう。四書五経等漢籍の知識は日本のインテリにとって必須。即興で漢詩が出来なければ無教養と戦前は見なされていました。デスヨネ。支那の教養人と日本の教養人は全く対等に同じ教養をベースにお付き合いしていたのです。「支那人は劣っている」長崎で当時そんな事を言ったら失笑モノです。)
 絶対に「支那」は差別用語ではありえません。
 こう言っては失礼ですが、貴方に差別心がお有りだったからではなかったのでしょうか?それ故「支那」という対等な言葉も貴方が差別心を持っていたが故に「差別用語」と記憶なさったのでしょう。

支那という国名

通りすがりさん

>しかし中国自らが漢字 で「支那」と呼んだことはありません。

というのは、中国の歴史で、自国の国名を正式に「支那」と呼んだことはないという意味です。

確かに私は戦前、戦中「支那」という言葉を差別感を持って使っていました。当時はまだ小学生だったので、周りの社会に影響された結果と思います。

なお本名を明らかにしているブログに対してコメントされるときは、ご自分も本名、アドレスを明記して下さい。

 あれ、書き込めますね。

>というのは、中国の歴史で、自国の国名を正式に「支那」と呼んだことはないという意味です。

 上記に挙げた清朝乾隆帝期の『四庫全書』は時の政府が国営事業として編纂されたものです。「国営」ね。(態々多くの例のうち『四庫全書』を挙げたんですがね)

 語るに落ちましたね。国家権力者が何と言うかが、貴方の基準なんですね。しかもそれのみ。
 私はその語が差別用語であるか否かを、教養人(辞書なんかを編集執筆するような人も含む)と一般庶民(辞書をひいているような人ね)の基準に求めますが。
 そうですか。国家権力者ですか。しかも、それ以前には使用されていましたから、ズバリ貴方の基準は「中国共産党」に全ての基準を置くと言うものですね。
 中国共産党の権力者サマがなんと言うかが、全ての基準。なるほど。

 ちなみに現在の支那の事情を。
 ズバリ、シナには「シナ・ネット(発音は「新浪」と当てています)」というインターネット・サイトがあります。やはり日本人の自称良識派の人間が抗議をしたところ、当の支那人側から「差別用語にあらず。欧米人にチャイナと呼ぶのを許しながら、日本人にだけ支那と呼ばせないのは不公平」という意見が多数出ました(by「東京新聞2000年9月22日」) 
 権力者サマが何と言うかは知りませんが、一般庶民はこうです。

 また、先先年台湾を訪れた際にはその地のコーディネーター自らが「支那」と使っておりました。

 国家権力者サマが何と言うかも良いでしょうが、貴方ご自身生身の庶民との対話を通じて確かめられては?
 それとも今でも「偏見と差別」がお有ですか。

>当時はまだ小学生だったので、周りの社会に影響された

 道義の問題(差別問題)は自己の責任において捉える事。時の政府、時代、社会、権力者のせいにするのは卑怯、かつ安易な「反権力」サマという「自己陶酔」です。(当時子供であったというなら、貴方の両親が差別人間だったのでしょう。そしてそうでない人も多数当時いたのです。社会の問題では無かったと思いますね)。

>なお本名を明らかにしているブログに対してコメントされるときは、ご自分も本名、アドレスを明記して下さい。

上記コメント。「今泉」氏はよいとしてその下の人の名前は?

おしらせ

こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
終戦直後の菊池寛(文藝春秋)もとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。

http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://nishiha.blog43.fc2.com/tb.php/313-1bcefc77
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。