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飢えたるこどもたち (2)

暮らしの手帖 96号 特集・戦時中の暮らしの記録」(1968年8月)
掲載の「飢えたるこどもたち」から引き続き転載します。
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●いなごの青い塩汁

十九年八月、学童集団疎開の附添教師として、
名古屋から三重県菰野町に行きました。真夏では、
あり、まだ炊事の設備も不充分なので、しぱらく
は、油で揚げた食パンを御飯代りにしておりまし
た。当時の学校給食は食パンに味噌汁でしたが、
いまの食パンを思い浮べてもらっては困ります。
あんな上等な、真っ白いパンなんかではありませ
ん。ぬかやふすまのまじった、まっ黒な、ガサガ
サしたパンで、腐敗も早く、油でバリバリに揚げ
たわげです。

その後炊事場もでき、普通食になったのです
が、御飯は麦の入った雑炊、それも丸麦を一度煮
立てた後、しばらく放置してうませたものを入れ
ますから、噛めぱ口の中で粒々が残り、たいへん
食べにくいのです。それにふすまのいっぱい入っ
た小麦粉のだんご汁。これのくり返しです。

終戦近くの雑炊のなかには、名も知れない、真
っ黒い、もじゃもじゃした海藻が入りました。ま
た秋になると、だんご汁のなかに、子供たちの採
ってきたいなごが、すっかり水ぶくれして入った
りしました。いなごも、砂糖だまりでカラッと煮
つげるとなかなか香ぱしいものですが、うす青い
、肌の色をそのまま、塩汁の中にふくれているのを
はじめて見たときは、ゾッとして、空腹にもかか
わらず、食欲が滅退したものです。

食事の質は、いつでもこうしたもので、竹を輸
切りにした大小二つの食器に入れて食べるので
す。つまり、飯と汁というわげですが、飯と汁が
混合してしまっているので、おなじものを二はい
食べるわけです。質も質ですが、量も絶対量がす
くないので、たまに給食用のバケツの中に雑炊が
あまったりすれぱ、希望者は続出します。そんな
場合早いものがちなので、子供たちは勢い早ぐい
になり、少Lでも早く並ぽうと思います。それで
は食事もおちおち出来ないし、早い者はいつも食
べれるので、順番をきめてやり、たとえ少しづつ
でも、皆に当るよう工夫したりしました。

しかし、そんなことは焼石に水で、子供たちは
つねに空腹でした。

月に一回面会日があり、都会から親たちがリュ
ツクに一バイの食糧を持ってきます。そんな時
は、子供らはお祭りです。さんざん食べすぎて、
おなかをこわす子もいます。しかし、菓子なんか
は見ることもできず、みんな親の手作りです。

たとえぱ、干しうどんを油で揚げたもの、配給
の大豆を妙っただげのもの、大豆を妙って塩汁に
つけたもの(しわがよっていて、塩気があり、や
わらかい)そら豆の妙ったものなどです。こうし
た、いまどきの子なら見向きもしない、菓子代り
の食糧を、子供たちは大切に、お茶のアキカンな
どに入れて、めいめいの行李にしまいこんでお
き、空腹をまぎらしたのです。

その間恩賜の―といっても今の人にはわから
ないでしょうが、つまり天皇からの賜りものです
―らくがんが頂けたことが一度あります。その
とき、盗難事件が起って困ったのをおぼえていま
す。

予供たちの発育を助げるため、バターとか砂糖
とかの配給もありましたが、子供たちに渡るまで
に、途中でどうにかなる分が多くて、ごく少量で
した。このバターや砂糖を、きちんとわけてやり
たくて、寮母さんと相談して自分の部屋にしまい
こんだために、炊事婦を信用しないのかと、その
夫である寺の住職にどなりこまれたこともありま
す。

秋になると、お宮の境内の椎の実が落ちまし
た。それを拾ってきて、妙って食べました。それ
から、演習場のぐみが、小さな実をつけます。そ
れを空きびんにいっぱいとってきて、炊事場でも
らってきた塩で漬けておいて、食べました。ぐみ
の実はとてもきれいだけれど、すっぱいし、渋い
し、あまりおいしいものではありません。でも、
その頃の子供たちにとっては、貴重な食べもので
した。

遠足は、麦飯にさつまいもを混ぜた握りめしで
した。おやつなどはありません。でも、さつまい
もの甘さが、それに何よりもかたい御飯が、たい
へんな御馳走でした。

終戦前になると、いよいよ野菜が欠乏してしま
い、子供たちは放課後、列を組んで、野菜とりに
歩いたものです。すかんぽや野びるや、その他何
でも、食べられる草が雑炊のかさをふやしました。
さつまいものつるなんか、上等の部類でした。
(R.W.愛知県)
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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