スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

飢えたるこどもたち (1)

暮らしの手帖 96号 特集・戦時中の暮らしの記録」(1968年8月)
から、「飢えたるこどもたち」を転載します。同じような経験を持
っていますので、読んでいますと、切なくて涙が出てきそうです。
元疎開児童の皆さんも、ご経験をお寄せください。 ●お手玉の中の大豆

部屋の壁によりかかり、不足するかもしれない
副食のたしにと持たされた胡麻塩を、ちびちびな
めた。小学三年から六年まで、十人位の同室者た
ちは、黙々と同じような姿勢と仕草をしていた。
日がたち、胡麻塩が少なくなってくると、粒を数
え、一粒がとけてしまうほどにゆっくり、ていね
いに噛んだ。

茨城県、袋田村の旅館での、昭和十九年夏から
秋にかけての体験である。

東京は空襲があって危険だからと、学校ですす
められるままに、両親にねだって、修学旅行に出
かけるような気持で、学童集団疎開に加わった。
そして、地元の児童たちの振る日の丸の旗に迎え
られて、全校の半数くらいの友達といっしょに、
この袋田村の住人となった。

はじめのうちは、村人たちの好意と、集団生活
の珍らしさ、楽しさで夢中であったが、次第に強
まる空腹感にはどうしようもなかった。内心恥か
しかった。

ある日、学校から部屋にもどると、一人の友達
が掌に何かをのせて、なめていた。思わずつぱを
のみこんだ。お互いにだまったままであった。そ
のうちに、班長が帰ってきて、その子が食べてい
るものをたずねたが、返事はない。先生に報告す
るからと班長がいうと、掌をひろげてみせた。
「胡麻塩じゃない…」胡麻塩は持参してよい唯
一の食料品であった。

れからは、学校から帰ると、みなが胡麻塩を
なめるようになった。

家へ出す便り、家族からの手紙、小包は全てあ
らかじめ開かれて、食料品は取つ上げられた。そ
れで、家族へは、おなか一ばい食べて元気ですと
書いた。

当地に来て一ケ月ほどして、母が面会に来た。
そのとき、友達がお手玉をといて、中の小豆を保
母に煎ってもらったこと、分けてもらえなかった
ことを話した。 

母が帰って何日かすると、先生から、小包が屈
いたと呼出された。規則に従って先生の前で小包
を開いた。小包をひろげながら、中味について不
安であった。包紙を少しずつ開けてゆくと、香ば
しいにおいがしてきた。ますます不安になってき
た。 

小包には、本が二冊と寝衣が入っていた。そし
て、煎った大豆のにおいがした。どの先生も黙っ
ていた。寝衣をひろげるようにいわれて、あける
と、テニスボールほどの丸いお手玉が、十個くら
い出てきた。またひろげると、さらに十位あっ
た。袂にも入っていた。胸はどきどきし、赤くな
って汗をかいていた顔が、あおくなった。「大き
なお手玉ね。ハイ、よろしい」と先生にいわれ
て、三十くらいのお手玉と本、寝衣をかかえて、
逃げるようにして部屋にもどった。

同室の友達は、豆の煎ったにおいがするから
と、お手玉を開けることを催促した。食物を送っ
てもらってはいけないのだからと、班長がいっ
た。落した一つを誰かが開けようとしたが、なか
なか破れないでいるところを取上げて、持物入れ
のトランクに小包全部を押込んでカギをかげた。
そLて、一人外に飛びだした。送ってきたお手玉
はうれしかったが、友達にいろいろいわれたとき
は、恐怖感のほうが強かった。ほんとにこわく
て、なにもいえなかった。母が以前に作ってくれ
たお手玉は、もっと小さく、恰好もよかった。

翌日になると、心の緊張感もなくなり、空腹感
だけが強くなった。

それからは、ポケットにお手玉一つと鋏をしの
ぱせ、階下の部屋にいる弟をさそい、宿舎である
旅館の裏山へ行っては、一粒ずつゆっくりとよく
かみしめながら食べた。

ある時は川岸のしげみの中に二人して坐り、と
きには、神杜の木立の中で、共にただだまって、
煎った豆をなめるようにして食べた。 

台風のせいか、風雨の強い日がつづいた。お手
玉の誘惑にはかてず、こっそりお手玉の中味を食
べられる場所を思いめぐらした。

そして、母が面会にきたときに使ったことのあ
る、客専用の水洗便所を思いだした。

お手玉と鋏を持って、いやがる弟を連れて、こ
っそりとお手洗に入った。そのとき、隣のお手洗
の戸のあくのが聞え、足音がしたのでびっくりし
たが、ひょうきんな弟が戸をすこし開げてのぞい
ているので、みると早足で遠ざかる班長の後姿が
あった。

お手洗の中で豆を食べたが、不潔感はなく、誰
にも見つからずに弟といっしょに、空腹感をある
程度満たせたことがうれしかった。

弟と別れて、都屋に帰ると、雨で退屈していた
友達が、長時間部屋にいなかった理由をたずねる
かのように、一せいに見つめたので、また、なに
かいわれるのではないかと、しぱらくは緊張して
いた。(KY・東京都)
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://nishiha.blog43.fc2.com/tb.php/209-f8307cff
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。