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明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか(2/3)

昭和天皇については、その生の人間像についてというよりも、主とし
て文献等を基にして戦争責任問題を追及しています。

「無頼記者」として宮内庁記者クラブでも異色の存在だった筆者は、
ある時それまでの慣例を破るような不躾な質問を昭和天皇にしたこと
があるそうです。旧憲法時代なら、“不敬者”として侍従武官などに
その場で斬り殺されても文句のいえない質問だったと言います。

そのときの天皇の対応から、「下世話な言い方をすると、まことに《
良いお人柄》」と感じたそうです。しかしその人がかつて「絶対不可
侵の神聖なる君主」「陸海軍を統率する大元帥」であったわけで、お
人柄はともかく、その戦争責任は追及せねばならない。そして筆者の
結論は「重大な責任あり」ということです。

その理由は、昭和天皇の建前は“立憲君主制”であったが、実際はご
下問・奉答などを通じて間接的に自分の考えを示しており、“臣下”
はその顔色をうかがって天皇の意思を確認していたということです。
その結果として、戦争はどんどん進められました。ですから死後発表
された「独白録」も、戦争責任を回避するための自己弁護であったと
断じています。

戦後「人間宣言」はしたものの、自分が“神の末裔”であるという神
権思想は終生持ち続けており、“象徴天皇”になっても、政治に対す
る姿勢は変わらなかったといいます。元宮内庁長官だった宇佐美毅の
オフレコ談によると、戦後の首相で天皇の前でまともに話ができたの
は吉田茂くらいで、池田勇人その他は皆コチコチ、ましてやヒラの大
臣などはメロメロだったとのことです。それ故戦後も昭和天皇による
間接的な“政治指導”はあったのではないかと、筆者は推察していま
す。

また昭和天皇は、ソ連などの共産勢力に強い脅威を感じており、日本
の防衛にも不安を持っていたといわれます。連合国最高司令官との19
回にも及ぶ会談で、天皇は再軍備についても訴えています。そのとき
の様子について、<占領時代にGHQ最高司令官のマッカーサーやリ
ッジウェーとわたり合う昭和天皇は、その場に立ち会った通訳の秘密
メモによると、さながら「大日本帝国憲法」の元首として軍を統率し
た大元帥の姿を彷彿させる有様が浮き彫りにされている。>と書かか
れています

昭和天皇は、東条英機などA級戦犯が合祀されてから、靖国神社には
参拝していないことから、東条が嫌いだったともいわれていますが、
東条が処刑された7日後に遺族宅に勅使を差し向け、「東条だけは本
物だった」との伝言を伝えています。これは筆者が勝子未亡人から直
接聞いた実話です。昭和天皇の戦争観も、「大東亜戦争は自衛上やむ
を得なかった」ということではなかったでしょうか?       
                          (つづく)
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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