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亀井静香氏と広島原爆

昨日お伝えしました藤井裕久氏の入閣予想はどうやらはずれる情勢に
なってきましたが、すでに入閣が確定しているメンバーの中にも戦争
体験世代はいます。亀井静香・国民新党代表です。

亀井氏は1936年生まれ、終戦時は国民学校3年生でした。その時広島
県の田舎から見た原爆の閃光とキノコ雲が反戦の原点になったと語っ
ています。以下は、08年12月のツカサネット新聞の「亀井静香が明か
す原爆体験」という記事からの抜粋です。

< 1945年8月6日、7歳のときに、原爆の閃光を目にしました。私は
小学生でした。広島県比婆郡山内北村という片田舎で、食料がなかっ
たから、児童みんなで校庭に芋畑をつくるために、芋を植えていまし
た。夏休みなのに、学校に行って、芋作りするために、校庭にたまた
まいたんですよ。

山の向こうからピカーっと空に鮮烈な光が見え、キノコ雲が上がっ
て、とてつもない地響きが伝わってきました。大変なことが起きたん
だ……と幼心でも感じられました。

数日後、服も着ずに肌が焼け爛れ、逃げてこられた人が多くおられ
たのを現在(いま)も記憶しています。>

<被爆者には親戚もいましてね。私の姉は爆撃地近くの三好高等女学
校におりました。距離としてね、そうだな、80 キロぐらい離れてい
たのかな。被爆者でありながら、被爆者を助けに、姉を含む女学生は
爆心地に通いました。救助に行った女学生も第二次被曝を受け、闘い
ました。

私の姉は病気に苛まれ、煩悶し続け、10年後に死にました。姉のク
ラスメートが原爆訴訟を起こしたんですよ。>
亀井静香が明かす原爆体験(1)」

<まあ、原爆だけじゃなくてさ、東京大空襲も含めてね、或いは戦地
で戦闘死した人を含めて、やはり、とにかく 戦争という一人殺そう
が十万人殺そうが同じことだということは永久に放棄しなきゃいけな
い。国家目的の為の殺し合いは神様が命令してやらしている訳じゃな
い。人間同士がある面、利害の衝突の中で、起こしている。私がね、
民主党と組むのは最期の奉仕として、戦争を知らない世代の彼らだと
戦争をやりかねぬ一抹の危惧がぬぐい去りきれないからです。その時
は俺だけでも命をかけて抵抗しようと思っている。>
亀井静香が明かす原爆体験(2)」

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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