勝ち抜く僕ら少国民
今日の産経新聞のコラム「正論」に、敗戦のとき国民学校3年生であ
ったという立命館大学教授の加地伸行氏が、久しぶりの同窓会で、当
時の唱歌を「勝ち抜く僕ら少国民、天皇陛下のおんために、死ねと教
えた父母(ちちはは)の…」と大合唱したとし、次のように書いてい
ます。
< それから茫々(ぼうぼう)60年余、この老骨、皇室への敬意は
変わらない。>
井上俊夫さんの遺作「詩集 八十六歳の戦争論」には、次のような一
節がありました。
当時の国民はみんな天皇の赤子だった
だから天皇のおんために死ぬのが当然とされていた。
それにしても老いも若きも見事なまでに
皇国史観と軍国主義に染め上げられていたものよ。
それも一朝一夕に染められたのではなく
梅干を作る際、青梅がじわじわと赤くなっていくように
幼い時から受けてきた天皇制教育により
徐々に、けれども確実に染められていったのだ。
だから戦争が終わって六十有余年にもなるこんにち
いまだに梅干のようなアタマを
後生大事に持っている人が大勢いる。
「梅干の壷を覗きながら」より
ったという立命館大学教授の加地伸行氏が、久しぶりの同窓会で、当
時の唱歌を「勝ち抜く僕ら少国民、天皇陛下のおんために、死ねと教
えた父母(ちちはは)の…」と大合唱したとし、次のように書いてい
ます。
< それから茫々(ぼうぼう)60年余、この老骨、皇室への敬意は
変わらない。>
井上俊夫さんの遺作「詩集 八十六歳の戦争論」には、次のような一
節がありました。
当時の国民はみんな天皇の赤子だった
だから天皇のおんために死ぬのが当然とされていた。
それにしても老いも若きも見事なまでに
皇国史観と軍国主義に染め上げられていたものよ。
それも一朝一夕に染められたのではなく
梅干を作る際、青梅がじわじわと赤くなっていくように
幼い時から受けてきた天皇制教育により
徐々に、けれども確実に染められていったのだ。
だから戦争が終わって六十有余年にもなるこんにち
いまだに梅干のようなアタマを
後生大事に持っている人が大勢いる。
「梅干の壷を覗きながら」より
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