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沖縄の朝鮮人従軍慰安婦

「沖縄一中・鉄血勤皇隊の記録」(上巻・2000年、下巻・2005年、高文
研出版)を読んでの感想がMLに投稿されました。その中に、 沖縄に
は約50カ所の慰安所があり、約350名の慰安婦がいて、そのほとんど
が朝鮮人慰安婦とありました。彼女たちは、看護婦や洋裁の勉強がで
きるという甘言に乗せられて、日本の増援部隊とともに、九州を経てや
ってきたそうです。

以前にも書きましたが、鉄血勤皇隊員であった大田昌秀・元沖縄県知
事も次のように述べています。

<今、従軍慰安婦問題が表面化していますが、首里城の司令部の脇に
は朝鮮から連れてこられた女性たちがおり、司令部が南部の摩文仁に
移ってからも最後までこういう女性たちはずっといたということを、
私なども目にしてきました。>
沖縄戦のガマの中にも慰安所が (続)」

大江・岩波沖縄戦裁判の原告である梅澤裕元隊長の手記にも、次のよ
うに書かれています。

<軍司令部は若い将兵を思ってか女傑の店主の引率する五人の可憐な
朝鮮慰安婦を送って来た。若い将校は始めて青春を知ったのだ。>
座間味島集団自決事件に関する隊長手記

梅澤元隊長が負傷後は、朝鮮出身のこの店主がつききりで看護し、住
民に石を投げられながら米軍に投降していったときも一緒だったとい
われています。

下記のサイトにも沖縄戦の朝鮮人慰安婦についての記述があります。

<昭和19年8月、宇土部隊約3000人が駐屯。伊豆味国民学校に本部を
置く。将校専用の慰安所や兵隊たちの慰安所が伊豆味にできる。ほと
んどが那覇の辻遊郭から連れて来られた女たちだったが、不足してい
たのか、軍の命令で朝鮮人慰安婦も連れて来られる。>
福地曠昭著『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』より

「従軍慰安婦」の“従軍”という言葉を否定する向きがあるようですが、こう
いう事実を読むと、彼女たちはまさに“従軍”慰安婦であったことがよくわか
ります。

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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