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フィリピン市民を救った日本軍大尉

フィリピンの駐エジプト大使である Oscar Valenzuela 氏からメール
をいただきました。戦時中彼がまだ3か月の乳児だった頃、ある日本
軍大尉のおかげで命を救われたという内容です。

東京裁判では、マニラ市街戦で<一人の赤児が放り上げられ、銃剣
で刺殺された>という聞くに堪えない事実が明らかにされましたが、
これはまた心が洗われるような話ですので、以下ご紹介します。

なお大使はこの日本軍大尉の名前を知りたいと言われています。何か
情報があれば、ぜひお寄せください。

--------------------------------------------------------------
私は、第二次大戦の末期、フィリピンのバルカン州ポロ市に駐屯して
いた、一人の日本軍大尉のことを調べています。

アメリカ軍がマニラを解放しつつあった1945年2月、日本の軍隊が私
の祖父の家を臨時司令部としていました。その家は広く、われわれの
一族と多くの町の人がいました。

大尉は、当時ともに若い医師であった私の両親と友達になりました。
彼はあるとき母に「皆をこっそり集めて、日本兵たちが昼食を食べ始
めたらすぐに、屋敷の外へ連れ出しなさい。そして約1キロ先の川ま
で全力で走って、向こう岸へ渡りなさい」と告げました。

その理由を彼はこう言いました。「アメリカ軍進撃の情報を聞いたら
兵士たちは冷静さを失って、皆さんに危害を加えだすかもしれない」

母は彼の言ったとおりにし、全員川まで走りました。私はまだ3か月
の赤ん坊でしたが、アマが抱いて川を渡ってくれ、助かりました。身
内の者も、町の人たちも、全員負傷することもなく逃げることができ
ました。あの日本軍大尉がいなかったら、私は今日生きてはいなかっ
たかもしれません !!!

彼を偲ぶ小さな記念碑を家の跡地に建てるため、彼の名前を知りたい
と思っています。日本兵が立ち去って間もなく、アメリカ軍は祖父の
家を爆撃し、全壊させてしまったのです!

なおバルカン州ポロ市はその後祖父の名をとって“バレンスエラ市”
と改名されました。
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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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