スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「8月15日神話」の問ひかけ(長谷川三千子)

今日の産経新聞のコラム「正論」の「8月15日」シリーズは、埼玉
大学教授の長谷川三千子氏が執筆しています。

「【正論】「8月15日」 埼玉大学教授・長谷川三千子

長谷川氏は、なぜ「八月十五日神話」というような言い方がされるの
か、その意味を追求して、次のように書いています。

< 佐藤氏のこの労作に唯一欠けてゐるのは、昭和20年8月15日
正午-氏自身「この瞬間、ラジオの前の日本国民はすべての活動を停
止していた」と言ふその瞬間を、自らの身心をもつて追体験するとい
ふことであらう。そのこと抜きに「八月十五日神話」を内側から明ら
かにすることは不可能なのである。

かつて河上徹太郎氏は、この瞬間を指して「あのシーンとした国民
の心の一瞬」と呼び、「全人類の歴史であれに類する時が幾度あつた
か、私は尋ねたい」と語つた。また桶谷秀昭氏の名著『昭和精神史』
及びその戦後篇は、この「謎の瞬間」への問ひかけを核として書かれ
てゐる。これが感傷や心理の問題ではなく、わが国の精神史上もつと
も重要な問題の一つであることを、心ある人々はすでに洞察してゐる
のである。>

確かにあの8月15日の玉音放送を聴いた瞬間は、当時の国民にとって
天と地がひっくり返るほどの衝撃を与えました。11歳の少年であった
私にとっても、それはそれまでの価値観のコペルニクス的転換であり、
その後の人生観、世界観に大きく影響を与えました。

それだからこそ、「八月十五日」が神話のように語り継がれているの
でしょう。

しかしそれは長谷川氏のいう“民族的抵抗”の表れなのではなく、現
人神がただの人間に戻ったという、大日本帝国という神話が崩れ去っ
た日としてであると思うのです。

それにしても余計なことですが、戦後生まれの筆者がなぜ天下の公器
に旧仮名遣いで文章を書くのか、時代錯誤的な違和感を禁じ得ません。

スポンサーサイト

トラックバック

http://nishiha.blog43.fc2.com/tb.php/1162-9da92e85
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。