スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「玉音放送」に関する聞き取り(3)

最終回を掲載します。今回の証言者はいずれもNさんの中学の同級生で、当時は学徒動員により工場で働いていた人たちです。

(10) 舞鶴海軍工廠の2人

 8月15日の当日は、玉音放送のことなど、だれも知らなかった。ただ、何人かは、工場の指導員から、「戦争は終わったらしい」と聞いていたが、まさか降伏だとは思わなかった。翌日の朝、寮の大食堂で、海軍将校の訓示を聞いた。

   「戦争は終わった。日本が再び世界を制覇するまで、
    各自、自宅に帰って待機せよ」。

 数日後、トラックに鈴なりに乗って、舞鶴から福知山へ帰った。トラックに乗るなど、生まれて初めてなので、初めは、みんな、はしゃいでいた。
 「ラバウル小唄」の替え歌、「さらば舞鶴よ また来るまでは」と大声で楽しく歌いながら、福知山へ向った。 
 しかし、デコボコ道で、ものすごく揺れ、1人は、転落しかけて、片手でトラックのヘリにぶら下がり、みんなで引き上げた。それ以後、みんな、沈黙し、日本の将来はどうなるかと心配した。

(11) 綾部の郡是工場の3人

 8月15日は、盆休みで、全員、自宅へ帰っていた。
  * (あのころに、盆休みがあったなど、私は、初めて聞きました。
      舞鶴海軍工廠でも、私がいた福知山分工場でも、戦争末期
     には、日曜日の休み、盆休みは、ありませんでした)。

 3人とも、自宅または近所の家で、玉音放送を聞いたそうです。しかし、「日本が負けた」ということがわかったのは1人だけで、あとの2人は、「みんな、頑張れ」という意味だと思ったそうです。しかし、そのあとのニュースで、「日本は負けた」ということがわかったそうです。

 1人は、自宅近くへ工場疎開していた陸軍被服廠の陸軍将校が、自決したということを聞き、アメリカ軍がやってきたら、自分たちも自決することになるかもと心配したそうです。

 翌日、3人とも、郡是工場へ帰りました。
 工場では、みんなが、一人の生徒の話に耳を傾けました。彼は、開戦当初から、「日本は負ける」という大胆不敵な発言をしていて、みんなから恐れられていた生徒です。
 彼いわく:
 「鬼畜米英といわれているが、アメリカは、そんな国ではない。これから、日本は、復興のために頑張らなければならない。アメリカは、それを妨げないはずだ」。
 日本の敗戦を予告していた人物が言うことだから、その通りかもしれないと、みんな、安心したそうです。

次のサイトもご覧ください。
私の八月十五日

スポンサーサイト

トラックバック

http://nishiha.blog43.fc2.com/tb.php/1132-aea833df
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。