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日中歴史共同研究 報告書公表

かねてから日本と中国の有識者が共同で行ってきた歴史研究の報告書
が31日公表されました。

問題の南京事件については、日本側は「日本軍による集団的、個別的
な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と認定しました
が、犠牲者数は「20万人を上限として4万人、2万人など様々な推計が
なされている」と指摘しています。

一方中国側は、「中国軍人が集団的に虐殺された」と強調し、犠牲者
数は中国政府の見解を踏襲して「30万人余り」としており。虐殺の事
実では一致しましたが、犠牲者数は両論併記の形になっています。

南京事件の犠牲者、隔たり埋まらず…日中共同研究」(読売、31日)
日中歴史共同研究 報告書公表」 ( NHK、31日)

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長崎原爆:被爆俳人 松尾あつゆき

27日の毎日新聞西部版の「平和を考える」シリーズに、長崎原爆で被
爆した俳人、松尾あつゆき(1904~83年)が、わが子の写真に添えて
いたメモが初めて見つかったと報じられています。

<(被爆は)どこまでも運の悪いことでした>などと淡々と悲しみを
つづっており、研究者は「松尾の深い悲しみと激しい感情がにじんで
おり、非常に貴重」と評価しているとのことです。

長崎原爆:被爆俳人、松尾メモ発見 「どこまでも運の悪いことでし
た」


次のサイトに、被爆後数日の間に詠んだ松尾あつゆきの句が掲載され
ています。ぜひお読みください。
松尾あつゆき 原爆句抄

義烈空挺隊長・諏訪部忠一中佐

25日の毎日新聞東京版夕刊のコラム「憂楽帳」は、義烈空挺隊長とし
て沖縄特攻作戦に参加し、26歳で戦死した諏訪部忠一中佐について書
いています。義烈空挺隊とは重爆撃機に地上戦闘部隊を乗せ、米軍占
領下の沖縄の飛行場の占拠を目指した部隊でした。

憂楽帳:諏訪部忠一中佐

被爆者の自分史を伝える栗原淑江さん

今日の毎日新聞「ひと」欄は、月刊小冊子「自分史つうしん ヒバク
シャ」を編集・発行している栗原淑江さんを紹介しています。

ひと:栗原淑江さん 被爆者の自分史を掲載する月刊誌発行
<「被爆者だって普通の人間。いわば人生の先輩くらいの存在で、特
別な人ではないことを伝えたい」。被爆者の自分史を載せる月刊小冊
子「自分史つうしん ヒバクシャ」を編集・発行する。93年2月創
刊で、現在約640部を発行。昨年9月に200号を数え、投稿した
被爆者は約600人に達する。「投稿が届かなくなったらやめようと
思っていたら、毎月途絶えることがなかった」とほほ笑む。>

NHK「証言記録 兵士たちの戦争」放送予定

NHKテレビで毎月放映中のシリーズ「証言記録 兵士たちの戦争」、
今月は以下のように放送されます。

証言記録 兵士たちの戦争
「ポートモレスビー作戦 絶対ニ成功ノ希望ナシ 陸軍 南海支隊」 

日本軍将兵の9割が命を落とした“生きれ帰れぬ”戦場ニューギニア。
その口火を切ったのが昭和17年のポートモレスビー作戦である。作戦
を命じられた南海支隊長・掘井富太郎は「攻略は不可能」と断じたが、
大本営参謀・辻政信の独断により約9000の将兵が未踏のジャングルに
投入される。しかし、同時に激化したガダルカナルの戦いで戦局は一
変。目的地を目前にして、部隊に作戦中止が命じられる。米公刊戦記
に「世界で最も頑強な戦い」と記された67年前の激戦を、14人の元将
兵と1人の妻が語る。

1月30日 (土) 午前8時00分~ BShi
再放送:2月5日(金)午後4時00分~ BShi

http://www.nhk.or.jp/shogen/schedule/heishi_yotei.html

「戦争責任、日本は謝罪を」(本島元長崎市長)

元長崎市長の本島等氏(87)が右翼団体幹部に狙撃され、重傷を負っ
た事件から満20年の昨18日、本島氏は野中広務元自民党幹事長と「戦
争をしてはならぬ」のテーマで対談し、「戦争をしたのは日本人。そ
の結果、原爆が投下されている。あらためて謝罪、贖罪する以外は日
本人の生きる道はないと思う」と述べ、日本の戦争責任を問い直す必
要性を指摘しました。

戦争責任 日本は謝罪を 本島元長崎市長銃撃から20年 野中元
自民党幹事長と対談
」(西日本、19日)

ちばてつやさん 戦争体験を伝え続ける

今日の毎日新聞の「ひと」欄に、漫画家のちばてつやさんが登場して
います。

ちばさんは旧満州からの引揚者ですが、そういう体験を漫画に描いて
います。そして同じ世代の漫画家が戦争体験を描いた漫画やイラスト
を集め、昨年8月~12月中国・南京市の南京大虐殺記念館で作品展を
開きました。

< 出品者の一人として、初日の8月15日は会場で迎えた。「相当
な覚悟で行った」ものの、サイン会では日本の漫画やアニメに親しむ
中国の子供たちが列を作り、胸がいっぱいになったという。当初11
月14日までだった会期は好評で1カ月延びた。>

ひと:ちばてつやさん 戦争体験を伝え続ける

「私の八月十五日の会」
http://815.surpara.com/

YouTubeで「靖国  YASUKUNI 」が観られます

一昨年日本で公開され、一部の右派国会議員の横やりや右翼の妨害により大きな話題となった映画「靖国  YASUKUNI 」(監督:李櫻)がYouTube でご覧になれます。

当時劇場へ行けなかった方は、下記サイトでご鑑賞ください。
靖国  YASUKUNI

沖縄戦の縮図・伊江島

目下問題になっています普天間基地の移転先として、最近県内の伊江
島が候補の一つとして挙がり、一昨日も平野官房長官が視察しました。

この伊江島について、今日の毎日新聞のコラム「発信箱」は<ここが
沖縄戦全体の縮図のような激戦と惨劇の島となったことはもはや本土
の人々には忘れられている>と書いています。

<日本軍守備隊2700人に住民3800人。1945年4月16日
に米軍は上陸し、21日占領したが、その間予期を超す抵抗に遭遇し
た。日本側の死者4700人余。米陸軍の戦記は、多数の民間戦闘員
(住民)に乳飲み子を抱えた女性もいて、米軍へ切り込んできたと記
録している。>

<伊江島激戦のさなか、東京の毎日新聞投書欄で主婦が「当局に伺い
たい」と迫った。戦いに母親が倒れたら子供たちをどうしてくれるの
か。それがはっきりしない、ちゃんと保護すると約束しろという趣旨
だ。>
発信箱:伊江島=玉木研二(論説室)」

伊江島の戦中・戦後の歴史は、1943年の日本軍飛行場建設時の住民
徴用から始まり、激しい戦闘、戦後の強制住民移動、米軍の強制土
地接収、基地被害などまさに「沖縄戦の縮図」といわれています。

その激戦の実態をを伊江村教育委員会がまとめた資料が、インターネ
ットにアップされています。住民の「集団自決」や日本軍によってス
パイ視された住民の「処刑」のことなども記されています。

またもや米軍基地移転先候補に挙げられた島民の皆さんの気持ちを理
解するためにも、ぜひお読みください。
太平洋戦争と伊江島

天皇は過去の戦争について反省している

今日の韓国・中央日報に「天皇は過去の戦争について反省している」というタイトルで、天皇の百済学の指南役ともいわれる上田正昭京大名誉教授へのインタビュー記事が掲載されています。

この中で上田氏は「天皇は平和をとても愛する人だ。過去の戦争について反省し、平和憲法を守らなくてはならないという思いを持っている。戦争被害者すべてに対する感情も熱い」と述べています。

天皇は過去の戦争について反省している

戦争遺留品(T014)の持ち主判明

07年7月 「硫黄島で戦った若き将校の手記」で情報提供をお願いしま
した戦争遺留品の手帳 (T014) の元の持ち主の氏名がこのほど判明し
ました。この手帳は硫黄島で玉砕した青年将校の遺品と思われますが、
その氏名は不明でした。

きっかけになったのは、一人の元軍人がこの手帳の住所録にご自分の
氏名が記載されていることを知ったことでした。その方は富山薬学専
門学校(現、富山大学薬学部)の昭和17年の卆業生ですが、住所録を
調べてみると、同期生や当時の教員の氏名があるとのことです。

T014

そこで持ち主は同期生の一人に間違いないとして、学友などに問い合
わせした結果、持ち主は姫路市出身で硫黄島で戦死された「堀 清」
さんと推定されました。

この手帳は在米の日本人が元米兵から入手された物で、その内容は下
記のブログで公開されています。このブログに掲載されている住所録
が持ち主判明につながったのです。
「『柵條の道』硫黄島戦を目前に若き将校が残した記録

拙ブログ「旧日本軍人の遺留品」でも他に同じようなケースがありま
すが、なかなか情報の提供がなく、この場合はまったく稀有の例とい
えます。

シベリア抑留に給付金支給へ

先の臨時国会で見送りになった、シベリア抑留者に特別給付金を支給する特別措置法案が、次の通常国会に提出され、成立する見通しとなったと先ほど YOMIURI ONLINE が報じました。

シベリア抑留に給付金支給へ、特措法成立見通し

戦時徴用者の未払い賃金記録、韓国政府に提供へ

戦時徴用で日本企業で働かされたにもかかわらず、賃金などをもらえ
ずに帰国した朝鮮半島出身者の名簿について、法務省は3月にも、各
人の未払い額の記録を添えて韓国政府に提供する方針を固めたと、今
朝の朝日新聞が報じています。

戦後の公文書では、未払い金の対象者は20万人超、総額は当時の額面
で約2億円とされています。日韓条約に基づき、韓国政府は未払い金
の財産権を放棄したものの、徴用の実態解明のため、名簿類の提供を
求めていました。

日本側はこれまで見送ってきましたが、政権交代で方針転換となった
ものです。戦後補償に消極的であった自民党政権が民主党政権に代わ
ったことにより、懸案だったろいろな戦後補償問題が前向きに進展す
るになりましたが、これもその一環といえましょう。

戦時徴用者の未払い賃金記録、韓国政府に提供へ 法務省

抑留者の埋葬地、ロシア新資料で解明へ

戦後シベリア抑留中に死亡したとされる日本軍将兵ら約53000人のう
ち、埋葬地などの情報がない約21000人について、厚生労働省はロシ
ア側から提供を受ける抑留者延べ約70万人分の新資料と、同省保管の
日本側名簿との照合作業を来月にも始めると今日の読売新聞が伝えて
います。

抑留者の埋葬地解明へ…ロシア新資料で

武者小路実篤、戦争支持派とは一線

作家の武者小路実篤は太平洋戦争の開戦時、戦争を賛美する文章を発
表するなど、戦争に協力的だったといわれていますが、このほど発見
された1944年ごろの手紙によれば、戦争末期には国策追従の文学者に
は批判的であったとのことです。

この手紙は、中国人作家の魯迅の弟で文学者の周作人に宛てたもので、
この中で周と論争中だった戦争支持派の作家片岡鉄兵を批判し、また
日本文学報国会についても「皆が同じ意見を持たなければならないの
でしたら、僕はとっくに退会しています」と書いています。

武者小路実篤、戦争支持派とは一線 魯迅弟へ手紙で本音」(朝日、
4日夕刊)
<この全集の編集に加わった大津山国夫・千葉大名誉教授は「大戦末
期になるにつれ、冷静に戦争を見つめていた様子がうかがえる。実篤
の研究者の間でも知られていなかった貴重な資料。これからの分析が
待たれる」と話している。>

原爆を描いたもっとも古い漫画

原爆漫画といえば、何といっても中沢啓治さんの「はだしのゲン」が
有名ですが、それより16年も前に原爆をテーマに描かれた漫画をこの
ほど広島平和記念資料館(原爆資料館)が掘り起こしたと、4日の朝
日新聞夕刊が伝えています。

その漫画は 広島県安村(現・広島市安佐南区)出身の谷川一彦さん
(1936~2008)作の「星はみている」。谷川さんは原爆投下の日、爆
心地から10キロ近く離れた自宅で、「黒い雨」を目撃、市内中心部に
出勤していた父親は行方不明になりました。

この作品は6日から31日まで、原爆資料館で展示されます。

投下12年後の原爆漫画、広島平和記念資料館が『発掘』」

書評「近代日本と戦争」

3日の JanJan に、李盛煥著「近代日本と戦争」(光陽出版社、09年
11月)の書評が掲載されています。

本書は韓国の日本研究者が戦争という視点から日本の近現代史をまと
めたものですが、被害者としての視点は抑制されており、日本研究者
としての中立的な記述になっていると評価されています。

「【書評】『近代日本と戦争』の感想
< 醜悪な過去を直視することには勇気が必要である。それ故に格差
社会化する日本社会で負け組とされてルサンチマンが鬱積した人々は
史実から目をそらし、過去を美化することで民族的自尊心を満足させ
る傾向に流れやすい。これに対して、本書は日本の過去を直視した上
で、日本の中に世界に誇るべきもの(平和憲法)を見出した。これほ
どまでに日本を深く理解した研究者が隣国にいることは日本にとって
幸福である。>

戦争と年賀状

ご家族お揃いで、楽しいお正月を迎えられたことでしょう。また今年
も多くの年賀状を受け取られたことでしょう。

さて戦争中も、年賀状のやり取りはあったのでしょうか? 

明治終わりから昭和初期にかけ、年賀状の取扱量はしだいに増え続け、
1935年頃には7億通を超しピークを迎えます。しかし戦争による紙不
足の影響で、日中戦争突入の1937年頃から急激に減りはじめ、1940年
には年賀郵便の特別取扱も「当面の間」中止ということになりました。

太平洋戦争突入以降はさらに自粛ムードが高まり、1943年ごろには逓
信省が「お互に年賀状はよしませう」と自粛を呼びかけるポスターを
掲げます。そして終戦の年、1945年の正月には、ほとんどやり取りは
なくなっていました。お上のお達しがなくとも年賀状どころではない
社会情勢でした。

最近はインターネットの普及などで年賀状も漸減傾向だそうですが、
それでも2010年の年賀葉書の発行枚数は約39億枚。まさに平和あって
の年賀状といえましょう。

年賀状博物館

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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