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十二月八日(国民学校教科書より)

戦時中の国民学校教科書に描かれた「十二月八日」をご紹介します。
私も習ったはずですが、記憶力が悪いので、さっぱり憶えていません。
まあ当時によくあった紋切り型の内容で、とくに印象に残るような文
章でなかったせいもありましょう。

「九 十二月八日(国民学校初等科5年生後期用国語教科書)」

「戦争を語り継ごう -リンク集-」に、皆さんからの寄稿を集めた
「私の十二月八日」というサイトがあります。教科書よりもっといき
いきした内容になっています。まだご覧になっていない方は、ぜひご
覧ください。

「戦争を語り継ごうML」のメンバーも多数寄稿していただいていま
すが、残念ながら何人かの方がすでに鬼籍に入られてしまいました。
あの日を経験されました皆さん、ぜひ投稿ください。

私の十二月八日

「12月8日」に寄せて(井上寿一)

今日の産経新聞「正論」の「『12月8日』に寄せて」の筆者は学習
院大学教授・井上寿一氏です。

「【正論】『12月8日』に寄せて 学習院大学教授・井上寿一
< 第3は開戦回避の可能性である。第1と第2の点から明らかなよ
うに、日米間には戦争を不可避とする争点はなかった。言い換えると、
開戦回避は可能だった。これは戦後早くからこのテーマに取り組んで
きた、実証主義の日本外交史研究の結論でもある。この通説的な見解
によれば、「ハル・ノート」は最後通牒(つうちょう)ではなかった。
文言のなかの「中国大陸」に満州国が含まれているか否か、アメリカ
側に確認を求める価値はあった。アメリカは「満州国は『中国大陸』
に含まれない」と示唆するだろう。そこに暫定協定が成立する。日米
開戦は回避可能だった。>

井上氏は歴史学者だけに、「正論」論者の中では比較的史実に基づき
客観的に分析されていると思います。いずれにしろ日米開戦の原因は
少なくとも満州事変にまで遡って考えねばならないと思います。

満蒙開拓についての戦争体験講演会

去る11月29日兵庫県洲本市五色町で、「戦中・戦後体験を語る講演会」
が行われました。その講演の中から、満蒙開拓を中心に話した二人の
講演のレポートが今日の JanJan に掲載されています。

戦時中、淡路島の旧津名郡広石村は村を挙げて分村移民を行い、旧満
州に「満州淡路村」を作っていたとのことです。

満蒙開拓団の過酷な実相 洲本五色町で戦争体験講演会

「12月8日」に寄せて(新保祐司)

今日の産経新聞のコラム「正論」に、都留文科大学教授の新保祐司氏が
「『12月8日』に寄せて」という一文を寄稿しています。 

「【正論】『12月8日』に寄せて 文芸批評家、都留文科大学教授
・新保祐司

< 昭和16年12月8日に、「勝ち目のない戦争」であることは十
分、分かっていた「にもかかわらず」日本は、開戦したのである。戦
わなければ、戦わずして敗戦後の日本と同じ状態にさせられていた。
その方が、戦禍がなかっただけ良かったと思う人間も今日、多いかも
しれない。そこまで、日本人は安全と利害だけに関心を持ち、誇りと
歴史に対する敬意というものを失ったのであろうか。>

どうもこの先生の論旨はいつもながらの精神論のように思え、戦争中
の標語「撃ちてし止まん」が憶い起こされるのです。

シベリア抑留の補償法案(続)

先に書きましたように、シベリア抑留の補償法案は先の臨時国会で提出が見送られましたが、これについて今日の中日新聞のコラム「中日春秋」(東京新聞は「筆洗」)が書いています。

<▼一昨日、国会に集まった元抑留者からは「老兵は誇り高く去るこ
とができる」と通常国会での早期成立を期待する声もあったが、「あ
の世に行ってから結果が出ても、死んだ仲間に報告できない」という
意見も漏れた>
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2009120602000048.html

90歳元兵士が「南京大虐殺」証言(続)

先にお伝えしました「南京大虐殺」の証 言集会が昨日大阪で行われましたが、その報告が今朝の朝日新聞に 掲載されています。

南京大虐殺『火を噴く機関銃 倒れる人』 元日本兵証言
<「殺害した兵士も出征前はよき父であり、頼もしい青年だったはず。
殺すか殺されるかの日々の中で、人間が壊れた。戦争こそ元凶だ」>

聖路加病院はなぜ戦災を免れたのか

昨日の朝日新聞 be 面に、98歳の医師・日野原重明氏が「なぜ聖路加
国際病院は米軍の空襲を免れたのか」について書いています。

それによりますと、当時米軍機によって撒かれたビラに「我々は破壊
を好まぬ。(中略)我々は嘗て日本に病院を建て、それが今日も君等
の間に役立ってゐるのである。(中略)我々は無駄な犠牲を嫌う」と
書いてあったそうです。

聖路加国際病院は、確かに米国聖公会の宣教医師によって1902年に
設立されました。米軍の最高司令官であったマッカーサーは聖公会の熱
心な信徒でした。

しかし空襲を避けたのは、それだけの理由でなく、戦後米軍の病院と
して利用するためだったともいわれています。事実占領時代は米軍に
接収され、日野原医師らは追い出されました。

テレビ番組「日米開戦を語る 海軍はなぜ過ったのか」

去る8月、NHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」が放送されましたが、この証言を巡って、 作家・半藤一利、澤地久枝の両氏と海軍史の研究者・戸高一成氏が語るテレビ番組が次のように放送されます。

「日米開戦を語る 海軍はなぜ過ったのか〜400時間の証言より〜 」
12月7日 (月)  22:00-23:15
NHK総合テレビ
http://tv.so-net.ne.jp/ichioshi/?id=1#contRecommend886

捕虜の兵士との交流 後世に

戦争中滋賀県野洲郡(現・野洲市)に大阪俘虜収容所第8分所が設置
され、オランダ兵の捕虜を収容されていましたが、栄養失調に苦しむ
捕虜のために住民が収容所に野菜を投げ込むなど、捕虜と住民との間
に温かい交流があったということです。

地元の自治会ではこのほど、「人間のあり方を示す郷土の歴史として
後世に引き継ぎたい」として、跡地に記念板を設置しました。

捕虜の兵士との交流 後世に 野洲 地元自治会が記念板」(京都
新聞滋賀版、5日)

旧日本軍の捕虜収容所はとかく虐待があったと問題視されていますが、
こういう地元との温かい交流もあったとは、心和む話です。

この捕虜収容所については、下記サイトにも詳しく紹介されています。
大阪俘虜収容所第8分所跡

戦争遺留品に関するテレビ放送のお知らせ

NHK総合テレビで毎週月~木曜の19時30分から放送されています
「クローズアップ現代」、来る「開戦の日」8日(火)のテーマは
「戦争遺留品」です。

さまよう日章旗 ~揺らぐ戦争の記憶~(仮題)」

この企画は約2年前、あるNHKディレクターが構想を抱き、私に協
力を依頼してきたものです。それ以来彼の熱意と粘り強い努力でさま
ざまな局内の制約を乗り越え、ついにNHKの看板番組に採りあげら
れるに到りました。

その間私もずっと相談に乗ってきましたので、やっと実現したとの思
い一入なるものがあります。

遺留品を返す側、受け取る側の、日米の兵士の遺族に取材し、双方の
遺族の思いや返還にまつわる問題点などが描かれていると思います。
スタジオゲストは作家の半藤一利氏の予定です。

ぜひご覧の上、ご感想をお寄せいただければ幸いです。

NHKスペシャル「真珠湾の謎 ~悲劇の特殊潜航艇~」

太平洋戦争「開戦の日」が迫ってきて、テレビでも戦争関係の放送が増えてきましたが、明後6日の「NHKスペシャル」では、真珠湾攻撃にまつわるエピソードを採りあげています。

「真珠湾の謎 ~悲劇の特殊潜航艇~ 」
12月6日(日) 午後9時45分~10時34分
総合テレビ
< 真珠湾の湾外、水深400メートルの海底で、3つに解体された日本軍の特殊潜航艇が発見された。このほど、NHKではアメリカの公共放送WGBHと共同で潜水撮影に成功した。魚雷は発射されていた。艦尾にはケーブルが残されており、何者かが移動させた可能性が高い。いったい誰が、何のために潜航艇を海底に移動させたのか? >
http://www.nhk.or.jp/special/onair/091206.html

90歳元兵士が「南京大虐殺」証言

明5日大阪市で、南京攻略戦に参加した元海軍兵士が、現地で目撃し
た光景を語る集会が開かれます。

語るのは大阪府在住の三谷翔さん(90)。最後の生き残り世代として
「ほんまに見たんや」と伝える責任があるから、ということで、今ま
でと違って、素顔を見せて語るとのことです。

< 集会は5日午後6時半から大阪市中央区のエル・おおさかで。初
来日する楊翠英(ヤン・チュイイン)さん(84)が12歳の時、南
京で父と弟を日本軍に殺された体験を語る。参加費千円。問い合わせ
は南京大虐殺60カ年大阪実行委(090・9986・0972)へ。

虐殺の光景、わが遺言 90歳元兵士『南京大虐殺』証言」(朝日
大阪本社版、3日夕刊)

平山郁夫氏の被爆体験

ご承知のように、日本画家・平山郁夫氏が昨2日お亡くなりになりま
した。旧制中学3年生の時の広島原爆の被爆体験が画家としての原点
になったといわれています。

平山氏はその被爆体験について、2005年のNHKテレビ番組「あの日
 昭和20年の記憶」の8月6、7日放送で、詳しく語っています。そ
の内容が次のサイトに記録されていますので、お読みください。
あの日 昭和20年の記憶 8月編

また同氏は、05年12月19日に放送されましたNHKラジオ「被爆60年
・私のヒロシマ」でも語っています。次のサイトではその肉声を聴く
ことができます。
被爆60年・私のヒロシマ

シベリア抑留の補償法案

昨日の信濃毎日新聞のコラム「斜面」は、シベリア抑留の補償法案について書いています。

<抑留問題の特別措置法案が、今国会で成立するかどうかの瀬戸際にある。政府が元抑留者に1人あたり最高150万円の給付金を支給し、抑留の実態解明や遺骨の収集も進めるとの内容。与野党が議員立法で提出する手はずである>
http://www.shinmai.co.jp/news/20091130/KT091127ETI090012000022.htm

このように与野党議員で法案がまとまり、今国会に提出し、成立すると期待されていましたが、今国会の審議のもつれからどうやら提出は来年の通常国会まで延期される模様です。

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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