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戦争遺留品(F090)をご遺族に返還

先に「 新たな戦争遺留品(F090、F091)」で情報提供をお願いしました
戦争遺留品である日章旗の返還先が厚生労働省の調査で判明し、こ
のほどアメリカから岐阜県の妹さんの元へ戻ってきました。

持ち主だった西堅蔵さんは歩兵第229連隊所属の陸軍伍長でしたが、
戦死されたとのことです。

ご支援、ご協力ありがとうございました。

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二・二六事件のドキュメンタリー番組

今日は73年前「二・二六事件」が起こった日です。この事件を描いた、
NHKテレビのドキュメンタリー番組「二・二六事件 消された真実
 陸軍軍法会議秘録」(1988年2月放送)が YouTube にアップされて
いますので、ご覧ください。

< 昭和11年2月26日未明、陸軍の青年将校たちが下士官兵1, 400人
を従え、首相官邸や内大臣、大蔵大臣の私邸など都内数カ所を襲い要
人を殺害、その後首相官邸、陸相官邸、警視庁などを占拠し立てこも
った。事件は3日後の29日、兵が原隊に復帰し、首謀者の青年将校た
ちが逮捕される形で終結した。青年将校たちが目論んだ計画は失敗に
終わった。事件後、直ちに軍法会議が開かれ、同年の7月には、事件
の首謀者の青年将校17名に死刑宣告が言い渡され、翌年2・26事件軍
法会議は閉廷した。
事件の関係者は断罪され、2・26事件はその後忘れ去られていった。
 事件から50年が過ぎた1987年、NHKのスタッフは2・26事件の定
説を揺るがす、新たな資料と巡り会った。それは、二・二六事件軍法
会議で主席検察官を務めた、匂坂春平法務官の残した膨大な調査資料
であった。番組では、作家澤地久枝さんとともに、この資料を綿密に
調査し、2・26事件の闇に葬られた事実をあぶり出していく。>

http://www.youtube.com/watch?v=uHjewXLmhAQ
http://www.youtube.com/watch?v=_JcltqAP_Y4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=EKW_opjtE6k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=owOLuhdu9d4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=KFNiDWWWY8o&feature=related

第二次世界大戦は真珠湾攻撃で始まった?(続)

08年12月4日の「太郎ちゃんねる」における麻生首相の発言に関し、
新党日本の田中康夫代表が「凡そ日本国の宰相としての智性を疑われ
る、極めて恥ずべき行為」と厳しく詰問する質問主意書を提出しまし
たが、その全文およびそれに対する内閣の答弁書が下記サイトに掲載
されています。

第二次世界大戦に係る日本政府の歴史認識に関する質問主意書

以前 「麻生首相、『大東亜戦争』と表現」でお伝えしましたように、麻生
首相は昨年9月にも「いわゆる大東亜戦争、つまり第2次世界大戦」と
答え、批判を浴びました。

この「太郎ちゃんねる」でも、「大東亜戦争」と言いたかったのを、
前回のこともあったので、「第2次世界大戦」と言ったのでしょう。

太平洋戦争(大東亜戦争)も第2次世界大戦の一環ですから、前回の
「つまり第2次世界大戦」では気づかれませんでしたが、今回の「真
珠湾攻撃で始まった」発言で、第2次世界大戦とは大東亜戦争のこと
だと認識していることが暴露されてしまいました。

第二次世界大戦は真珠湾攻撃で始まった?

漢字が読めなかったり、言うことがブレたり、悪評散々の麻生首相で
すが、「麻生内閣メールマガジン第9号」(08年12月4日)のインタビ
ューで、「1941年12月に第二次世界大戦が真珠湾攻撃で始まる」と発
言しています。

YouTube - 麻生総理 第二次世界大戦は真珠湾攻撃で始まった

この発言は一般のメディアではあまり採りあげられていませんが、
「戦争を語り継ごう」の立場では、単なる言い間違いと看過できませ
ん。それはまさに首相の歴史認識の浅薄さを露呈したものといえるか
らです。

麻生氏はかつて外相時代、靖国神社の遊就館について「戦争を美化す
る感じではなく、当時をありのままに伝えているだけ」と語り、国会
で共産党の緒方靖夫議員から追求されたところ、「私の場合はあなた
と違って戦前生まれ。そういった意味で私の方が記憶は正確」と見得
を切ったことがあります。( 「『遊就館は戦争美化でない』麻生外相」参照 )

「戦前生まれ」といっても、真珠湾攻撃の時は満1歳。もちろん第二
次世界大戦が始まった1939年には生まれていません。まるで神童かの
ごとく「記憶は正確」ならば、どうしてこういう間違いが生じるので
しょう。

ネトウヨたちの期待を受けて首相になった麻生氏ですが、まんが本の
愛読者のせいか、その戦争についての歴史認識はせいぜい小林よしの
り程度で、彼らと余り変わらないようですね。政見も歴史認識もまっ
たく定見がないことがよくわかりました。

なおこの件について新党日本の田中康夫代表が質問主意書で訂正など
を求めましたが、政府は24日訂正しない答弁書を閣議決定したとのこ
とです。

麻生首相:『第二次世界大戦は真珠湾攻撃が始まり』『訂正しませ
ん』答弁書閣議決定
」(毎日、25日)

不戦時代におけるテロとの戦争

今日の産経新聞のコラム「正論」に、「新、戦争論」の著者・伊藤
憲一氏が「テロとの戦争」について書いています。

< 私は、1945年までの人類史を「戦争時代」と呼び、その後の
「冷戦時代(熱戦のない時代)」あるいは冷戦終焉(しゅうえん)後
の「不戦時代(戦争のない時代)」から区別すべきであると主張して
いる。くわしくは、拙著『新・戦争論』(新潮新書)を参照ありたい。
しかし、そこでいう「不戦時代」とは「平和な時代」という意味では
まったくない。「戦争に代わって紛争が世界の平和を脅かす時代」と
いう意味である。「戦争」がなくなり、「軍隊」の任務が「警察」化
する時代だとも言える。>
「【正論】日本国際フォーラム理事長・伊藤憲一 「テロとの戦争」
の何が誤りか


私もかねてから経済がグローバル化した今日、国家間の戦争は起こり
えない時代に入ったと主張してきました。しかし一方で経済のグロー
バル化は、国内外の格差を拡大、先鋭化し、テロや紛争を激化させる
という負の面も持っています。そういう意味で、上記の伊藤氏の考え
は「正論」と考えます。

伊藤氏はさらに、ブッシュ大統領はテロとの「紛争」をテロとの「戦
争」とまったく逆の判断をしてしまったと述べています。その結果イ
ラク戦争は失敗に終わりました。軍事力では抜きん出ているアメリカ
ですが、ベトナム戦争以降、その軍事力で真に勝利したことがあるで
しょうか?

オバマ政権の誕生で、やっとその非に気づいたのか、その外交政策の
スタンスを軍事力からスマートパワーにチェンジしようとしています。
世界の超軍事大国であるアメリカでも、軍事力では支配できない時代
です。

それなのに、田母神氏のようにいまだに19世紀的な「砲艦外交」を信
奉する人たちがいます。しかし21世紀の外交では、軍事力より経済力
のほうがずっとものをいうと思うのです。

なお伊藤氏は後段で、テロとの闘いは「全人類的な闘いとなるであろ
う」と言っていますが、この闘いもけっして武力だけでは完全に解決
できるものではないでしょう。

村上春樹氏の反戦スピーチの原点

作家の村上春樹氏がエルサレム賞の授賞式の記念講演で、イスラエル
によるガザへの攻撃を批判したことは有名ですが、その中で次のように
語っているのはあまり知られてないようです。

< 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、
僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の
戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く
深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父にな
ぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散っ
た人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味
方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとの
ことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たと
き、父の周りに死の影を感じたような気がしました。>

「【日本語全訳】村上春樹『エルサレム賞』受賞スピーチ」
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php

村上氏の「壁」でなく常に「卵」のサイドに立つというスタンスは、
父のこうした無言の教えが原点となっているのでしょう。まさに背中
で語る「戦争を語り継ごう」だと思います。

春樹氏の父上・村上千秋氏は、愚息の中学時代の教頭先生でしたので、
一度お目にかかったことがありますが、こういうエピソードは初めて
知り、改めて感動を受けました。

戦争が終わる日

今日の毎日新聞のコラム「発信箱」は、東京大空襲で重傷を負い、今
なお心と体の傷に苦しむ女性のことを採りあげています。

<(略)旧軍人・軍属には補償があり、なぜ民間人犠牲者は放置され
るのか。国に賠償や謝罪を求める訴訟の原告団に加わった。証言のた
め記憶をたどるうちにこみ上げてきたのは「戦後64年と言うけれど、
戦争は今も私を追いかけてくる」との思いだ。>

発信箱:戦争が終わる日

今、平和を語る:関千枝子さん

毎日新聞に毎月連載されています「今、平和を語る」、今月は被爆者
であり、「広島第二県女二年西組--原爆で死んだ級友たち」(ちく
ま文庫)の著者として知られる関千枝子さん(76)です。

関さんは、あの8月6日下痢のため学徒動員を休んでいて、助かりまし
た。しかし死んだ同級生にすまないという「心の傷」は何十年経って
もますます強くなるばかりと言います。そしてその「心の傷」が核兵
器廃絶と恒久平和の運動に向かわせているとのことです。

<戦争は美しい言葉とともにやってきます。「正義」とか「国益」と
か、時には「平和」という言葉まで。だまされないことです。>

同世代である私の頭には、「東洋平和のためならば…」という軍歌の
一節が浮かんできました。

今、平和を語る:ノンフィクションライター・関千枝子さん

NHKテレビ「人間魚雷」を視て

昨夜NHK BShi で放送されました「人間魚雷 悲劇の作戦~回天特
別攻撃隊~」を視ました。この「証言記録 兵士たちの戦争」シリー
ズは、実際に体験した元兵士の証言をよく集めたといつも感心するの
ですが、まさに「戦争を語り継ごう」にぴったりの番組です。

かつて靖国神社の遊就館で実物の「回天」を見た時、よくぞまあこの
中に人が入れるものだと思いましたが、こういう閉塞空間にただ一人
閉じ込められ、しかも進む方向も定かでないとは、乗組員の不安はい
かばかりだったかと改めて感じました。

お国のためと信じて、死を覚悟して志願した特攻隊員たちも、初めて
「回天」にお目にかかったときは、驚いて声を上げたそうです。そし
て練習で実際に乗り込んだ時もやはり不安は隠せなかったと異口同音
に語っておられました。

ただ盲めっぽうに突っ込むだけでは、目標への命中率もきわめて低く、
ほとんどが自爆だったといいます。余り効果がないとわかっても、帝
国海軍は作戦を変えなかったということですが、ただただ「特攻」に
意義を見出していたとしか思えません。

終わりのほうで元隊員のお一人が言われた言葉が印象的でした。

「人間の命を本当にお粗末にした国だったね、日本は」

東京裁判判決文に日本人弁護人が関与

今日の朝日新聞は、東京裁判でA級戦犯の日本人弁護団の一人が「判
決文の作成に携わった」と、1961年に法務省の聞き取り調査に答えて
いたことが分かったと伝えています。

日本人元弁護人『東京裁判判決文に関与』 61年に証言

NHKテレビ「人間魚雷 悲劇の作戦」今夜放映

NHKテレビのシリーズ「証言記録 兵士たちの戦争」の「人間魚雷
 悲劇の作戦~回天特別攻撃隊~」が、今夜次のように放送されます。
ぜひご覧ください。

チャンネル :BShi
放送日 :2009年 2月22日(日)
放送時間 :午後7:00~午後7:45(45分)
番組内容:
太平洋戦争末期、誕生した特攻兵器「回天」。魚雷に人間が乗り込み
米艦隊に突っ込む“人間魚雷”である。100人を超す若者の尊い命
が太平洋に散った作戦の真相に迫る。

http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20090222/001/10-1900.html

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しましたので、ご覧ください。

宇都宮平和祈念館をつくる会」
宇都宮市の戦災と空襲を語り継ぐための資料や体験記

「『富山大空襲』のことを知って下さい!」
富山大空襲に関する資料や体験記

田母神前空幕長が石破氏を批判

田母神俊雄前航空幕僚長が19日自民党本部で講演し、「石破元防衛相
は『空幕長ともあろう人があんな偏った歴史観では困る』と言ったが、
偏っているのはあなただと言いたい」と批判しました。

田母神前空幕長が石破氏批判 『偏っているのはあなただ』」(西
日本、19日)

石破氏の歴史観とは、以前ご紹介しました同氏のブログの下記記事と
思われます。

田母神・前空幕長の論文から思うこと

大田昌秀氏に聞く沖縄戦の実態

今日の JanJan に、元沖縄県知事の大田昌秀氏が昨年夏、東京・杉並
で沖縄戦や沖縄の歴史について語った講演の概要が掲載されています。

「鉄血勤皇隊」としての自身の体験や、アメリカの国立公文書館の資
料で調べた沖縄戦の実態から、沖縄の歴史や現在の基地問題について
語っています。ぜひお読みください。

「大田昌秀・元沖縄県知事が自ら調べた沖縄戦の証言を聞く

中国のHPに掲載された日本兵士の写真(続)

昨日の記事に、いろいろと情報をいただきました。

まず「南?」とある?(ウ冠に丁)は「寧」の簡体字でした。すなわち「南?」
は広西チワン族自治区の南寧市のことです。

写真には仏印進駐時のものもありますので、この部隊は1939年12月の
南寧占領後転進して、仏印(現ベトナム)に進駐したものと思われます。

深堀部隊長の写真もありますが、この人は「深堀 游亀」(陸士28期)と
考えられます。この写真では襟章が大佐ですが、最終階級は中将です。

この一連の写真は、説明書きの筆跡が同一ですから、ある軍人(たぶ
ん将校クラス)が持っていたアルバム(相冊)にあったものでしょう。

慰安婦の写真もありますが、よくチェックしましたら、もっといろいろなこと
が分かるかもしれません。

中国のHPに掲載された日本兵士の写真

このブログに寄せられた情報ですが、ある中国のウェブサイトに「侵
略南?的日本士兵」と見出しで多数の日本兵士の写真が掲載されてい
ます。(?はウ冠に丁)

http://www.ngzb.com.cn/staticpages/20080413/newgx4801ed4b-1379534.shtml

あいにく中国語が読めませんので、どなたか記事の内容をご説明いた
だければ幸いです。

父の日章旗、67年ぶり遺族へ (続)

先日 「父の日章旗、67年ぶり遺族へ」でお伝えしました兵士の遺品返還につい
て、本日の読売新聞青森版にも記事が掲載されました。

出征67年 父の日章旗帰る

田母神氏と沖縄集団自決

いまや全国に引っ張りだこの田母神俊雄前航空幕僚長ですが、一
昨日読売テレビで放送された「たかじんのそこまで言って委員会」に
も出演していました。テーマは「あなたなら『沖縄集団自決問題』を
教科書にどのように明記しますか ? 」。

今回の出演者は、レギュラーのパネラーと田母神氏それにゲストとし
て高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)、小牧薫(大江・岩波沖縄戦裁判支
援連絡会事務局長)、惠隆之介(元海上自衛隊) の3氏です。

この番組は、ネットウヨたちの推薦番組なっていますが、今回は専門
家である高嶋、小牧両氏の説得力ある説明に、いつものウヨク・パネ
ラーたちもさほど迫力なく、まして旧軍を擁護したい思いだけのタモ
ちゃんなどは霞んでいるように見えました。

この中で、高嶋氏が豊下楢彦著「昭和天皇・マッカーサー会見」を紹
介し、日米安保条約が不平等条約になっているのは昭和天皇の責
任であるという話をしました。

この話を聞いて、パネラーの三宅久之氏や勝谷誠彦氏は初めて聞いた
として反論しかけましたが、高嶋氏の説明を聞いて納得していました。
日ごろ右派論客としてテレビで活躍している両氏ですが、図らずもそ
の不勉強ぶりを露呈した感がありました。

この番組は首都圏では放映されていません。ご覧になっていない方は、
下記サイトで録画ビデオをご覧ください。

たかじんのそこまで言って委員会 2009年2月15日

タモちゃん現象 講演に引っ張りだこ

田母神俊雄前航空幕僚長は、いまや全国から引っ張りだこ。半年先の
スケジュールまで講演で埋まっているそうですが、「その人気はなぜ?」
という記事がAERA の2月16日号に掲載されています。

講演に引っ張りだこ タモちゃん現象の使命感」

原爆被爆者、米の国際会議で核廃絶を訴える

アメリカ・ワシントンで14日、「核不拡散・核軍縮に関する国際委員
会」が開かれ、広島・長崎の被爆者が原爆体験を語り、核兵器の廃絶
を訴えました。

その模様を日本テレビのニュースが伝えています。
広島・長崎の被爆者、核廃絶を訴える 米国

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不戦の思い 戦後60年の証し
上毛新聞に2005年に連載された群馬県民の戦争体験談

石坂准尉の八年戦争
1937年入営後、中国戦線、ノモンハン事件に従軍、戦争末期に沖縄・
宮古島へ転進し、終戦を迎えるまでの体験を語る

新たな戦争遺留品(F099)

f099

ニューヨークのアメリカ人から戦争遺留品である日章旗の返還協力の
依頼がありました。知人の父上が1945年1月フィリピンのルソン島で
取得した物だそうです。

寄せ書には、松島(勘兵衛、正夫)、鈴木(安太郎、則夫、英樹、昭
司、市平)、鋤先(芳松、正市、高夫)等の氏名がありますが、肝心
の持ち主の名は記されていません。

拙サイト「旧日本軍人の遺留品」の「日章旗 (F051~ ) 」のページ
に、F099として掲載しましたので、ご覧の上、何か手がかりになる
ような情報がありましたらぜひお知らせください。

父の日章旗、67年ぶり遺族へ

f093

先日「戦死した兵士の日章旗、奥様の元へ」で、フィリピン・レイテ島で
戦死された逢坂岩蔵伍長の日章旗を青森県のご遺族にお返しできたと
お伝えしましたが、この件が13日付の東奥日報に記事が掲載されまし
た。ご一読ください。

父の日章旗、67年ぶり遺族へ

新たな戦争遺留品(M034)

M034

英国ウェールズ在住の日本人女性から戦争遺留品である千人針の返還
協力の依頼がありました。

知人の父(故人)がビルマ戦線から持ち帰った物で、「川端松義」と
いう氏名が書かれています。

詳しい経緯は、下記ブログに書かれていますので、ご覧の上、何か手
がかりになるような情報がありましたら、ぜひお知らせください。

http://tempest.blog3.fc2.com/blog-entry-2036.html

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きんちゃんパパのお部屋
1942年召集され、中国戦線を転戦、負傷して終戦を迎えるまでの従軍
記。戦争や帝国陸軍の実態を鋭く語る

特殊潜航艇『蛟竜』(海軍の自分史)」
1944年海軍予備学生として大竹海兵団に入団、旅順で教育中に特攻を
志願して、特殊潜航艇「蛟竜」の訓練中に終戦を迎えるまでの自分史

視覚障害者の戦争体験

MLで視覚障害者の戦時中の体験記のサイトをご紹介いただきました
ので、「戦争を語り継ごう -リンク集-」に掲載しました。ぜひご訪問
ください。

視覚障害者の戦争体験

筑紫哲也「がん残日録」を読んで

昨年11月7日、肺がんのため亡くなった筑紫哲也さんが闘病中残した
「がん残日録」が、文芸春秋2月号に掲載されています。

このノートは、07年5月10日がん告知を受けてから1カ月半後の6月23
日から始まっています。この日は筑紫さんの誕生日であり、また沖縄
戦の「慰霊の日」でもあります。彼はそれまで10年以上もの間、誕生
日は沖縄の現地でテレビに出演してきました。07年のこの日は、病院
から外泊許可を得て自宅に帰り、体調不良に悩みながら、自宅で過ご
したとのことです。                      
         
それ以来約500日、病状は予想以上に悪化し、転移は全身に及びます。
しかしその中でも、治療の合間を縫ってテレビに出演するなど、ジャ
ーナリストとしての活動を続けています。

08年1月23日には、吉永小百合さんに次のような手紙を出しています。

<(略)当方、しつこい相手に、何とか対抗して、元気を保っていま
す。やりたいことだけやるのが、いちばんの療法とかで、やり残して
気にかかることがないよう、努めています。

実はそのひとつ、気にかかっていたのが3月10日の東京大空襲のこと
で、やっと今年、ドラマを交えてですが特番をやれることになりまし
た。広島・長崎・沖縄などに較べ、無視同然ですが、こんな短時間に
こんなに多くが焼き殺された例は、人類史上他に記録がないのです。

(略)戦争がますますジェノサイドに向かって行くさまを知らせない
と、なかなか止まりません。>

私ががんの告知を受けたのは、筑紫さんの9カ月前。告知時点ではむ
しろより進行した病状でしたが、以来900日余、彼のように種々の療
法の治療を受けることも手術をすることもないまま、抗がん剤のみで
何とか命を繋いでいます。

この僥倖に感謝し、筑紫さんの足元にもはるか及ばないまでも、「戦
争を語り継ごう」や戦争遺留品の返還活動に微力を注がねばと、勇気
を貰ったように思います。
      

戦時中の連合国捕虜使役問題

戦時中の旧麻生鉱業における捕虜使役問題に関連して、民主党の藤
田幸久参議院議員から政府に提出されました「戦時中の連合国捕虜
使役問題に関する質問主意書」およびそれに対する答弁書をご紹介し
ます。

戦時中の連合国捕虜使役問題に関する質問主意書
戦時中の連合国捕虜使役問題に関する答弁書

南京大虐殺の生存者・夏淑琴さん、最高裁で勝訴

東中野修道著「『南京虐殺』の徹底検証」の中で、ニセ被害者扱いさ
れたとして南京事件生存者の夏淑琴氏が、著者と出版社を名誉毀損で
訴えた裁判で、最高裁は5日一審、二審同様原告側の勝訴の判決を下
しました。

日本のメディアは余り伝えていませんが、中国では大きく報道されて
いるようです。

南京大虐殺の生存者・夏淑琴さん、最高裁で勝訴」(人民網日本語
版、6日)

夏淑琴さんおよびこの裁判については、ウィキペディアをご参照ください。

紙のランドセル

新入学シーズンを前に、そろそろランドセルが売れ始めているようで
す。今年は不景気にもかかわらず高級品が人気で、売れ筋は5万円前
後とか。

ところで60年ほど前の小学生が背負っていたのは紙製のランドセルだ
ったことをご存知でしょうか?

今朝の朝日新聞大阪本社版に、岡山県の女性が戦時中の暮らしを学ぶ
小学4年生に、この紙製ランドセルを使った体験談を語っているという記事
が掲載されています。

私が小学校に入学した1940年はまだ皮製でしたが、弟妹たちの時はこ
の紙のランドセルだったことを思い出しました。戦争末期にはそのランド
セル自体もなくなり、戦後復活してもしばらく紙製だったと思います。

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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