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アッツ島玉砕の生存者を捜しています

先日「呂61潜水艦の元乗組員を捜しています」 で、呂61潜水艦の元
乗組員に関する情報をお願いしましたしたところ、ある有力な情報をい
ただきました。

おかげさまでそれにより、撃沈された呂61潜水艦の元乗組員で米軍に救
助された5名の内のお一人である内門義雄元三等兵曹(86)の所在が
判明し、昨日電話でお話することができました。

われわれが捜しているのは、この5名のお一人と思われるセキネ・ズ
サク氏ですが、内門さんによれば、残念ながら呂61の乗組員にはセキ
ネ姓の人はいなかったとのことでした。

しかし内門さんたちが捕虜になってから9カ月後の1943年5月末のアッ
ツ島玉砕のさい捕虜になった陸軍兵士の中に、セキネ上等兵という人
がいたとの証言もいただきました。

セキネ氏とはアメリカ本土の収容所(キャンプ・マッコイ)でごいっ
しょだったそうですが、彼は商科大学でのインテリで、英語も少し話
せたそうです。

セキネ氏にぜひコンタクトしたいと望んでいるる元米海軍のパウル・
ラデロー氏(90)によれば、「1943年の5月の終わり頃、撃沈した潜
水艦から救助した」とのことですが、何分65年も前ですから記憶違い
ということも考えられ、セキネ・ズサク氏はアッツ島玉砕で生き残っ
た27名の内のお一人である可能性がきわめて高くなりました。

そこで、今度はアッツ島の生存者に関する情報を、何でも結構ですか
らぜひお寄せくださるようお願いするしだいです。


内門さんには、その戦争体験も断片的にお伺いしましたが、次のよう
にまことに波乱に富んだ内容でした。

・昭和12年9月に召集で海軍に入隊した。
・1942年9月1日アリューシャンの海上で、米駆逐艦レイドの攻撃によ
り、搭乗していた呂61潜水艦は撃沈された。
・アリューシャンの海は冷たくて、5分も泳げず、意識がなくなった
ところを敵艦のレイドに、戦友の4人と共に救助された。
・レイドはその後フィリピン沖で日本の特攻機によって撃沈されたと、
戦後知った。
・その後アリューシャンから米本土へ移され、収容所を転々とした。
・アル・カポネが収容されたことで有名なサンフランシスコ湾内のア
ルカトラズ島の監獄に入れられたこともある。
・収容所では、捕虜第1号の酒巻和男さんにもお世話になった。彼は
英語もでき、いろいろ皆の世話もしていた。

昨日はちょうど12月8日、かつてわれわれ軍国少年の血を沸かせた真
珠湾攻撃の特攻隊の一員だった酒巻和男氏のお話も耳にし、まさに生
ける歴史をお聞きする感がしました。

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田母神論文に関する論評

「開戦の日」の昨日、例の田母神論文の表彰式が行われましたが、そ
の後の記者会見でアパグループの元谷外志雄代表は「どだい民間会社
がやる懸賞論文制度だから、(主催した)私がいいと思った人に賞を
あげても何らおかしくない」(朝日新聞)と語りました。

ふつうこういう場合、審査委員長の渡部昇一氏から講評が発表される
ものですが、渡部氏の声は一向に聞こえてきません。まさに語るに落
ちる、この懸賞論文が“出来レース”であったことが立証されました。

この田母神論文について、大学講師の上久保誠人氏は今日のダイヤモ
ンド・オンラインで<この文章は、大学の「レポート」にすらならな
い、ただの「作文」なのだ。>と酷評した上で、保守派の「歴史認識」
は世界では通用しないと書いています。

< 仮に保守派の主張にも一理あるとしても、それを世界に理解して
もらうには50年はかかると私は考えている。それが現実であり、日本
国内にしか通用しないで「声高な主張」をしても、なんの意味もない
ことを保守派はそろそろ自覚すべきなのだ。>
田母神問題で思う、 世界で通用しない保守派の内弁慶

この懸賞論文の審査委員を務めた花岡信昭氏も、今日の産経新聞のコ
ラム「政論探求」で、

< 政治の対応、メディアの反応、日本の防衛体制や文民統制(シビ
リアン・コントロール)のあり方、歴史認識など、さまざまなテーマ
をめぐって、これほどのインパクトを持った論文は、過分にして知ら
ない。>

と賞賛しながらも、

< 論文の内容についての議論はさまざまだが、歴史的事実の評価は
歴史学者に任せよう。>

と、その歴史認識は歴史学者の検証に耐えうるものではないことを認
めているかのようです。

「【政論探求】『田母神論文』が突きつけたもの

山本五十六は対米戦争を回避したかった

太平洋戦争開戦の直前、当時海軍軍令部に勤務していた高松宮が兄の
昭和天皇に「いま艦隊進発の御裁可をすることは非常に危険です」と
言上しましたが、実はその裏には、対米戦争を回避したいという連合
艦隊司令長官の山本五十六の意向があったと、評論家の鳥居民氏が、
今日の産経新聞のコラム「正論」で説明しています。

にもかかわらずなぜ開戦が決定されたかは下記でお読みください。

「【正論】評論家・鳥居民 山本五十六の書簡発見に寄せて

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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