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戦争だけはいけない(堀田力)

毎日新聞に毎月連載されています「今、平和を語る」、11月は元特捜
検事で今はさわやか福祉財団理事長の堀田力さん (74) の登場です。

22歳だった叔父の戦死、空腹に涙した学童疎開などの経験から、堀田
さんは「戦争は、人殺し」と断じ、「21世紀の国際社会は軍隊でなく
国際警察隊が求められる」と語っています。

今、平和を語る:弁護士、さわやか福祉財団理事長・堀田力さん

この堀田さんの戦争観は、自身のウェブサイトで詳しく述べられてい
ます。

戦争だけはいけない
<  私はまだ11歳だったが、戦争のもたらす死と飢えが、どれほ
ど悲惨なものかを骨の髄まで知った。爆撃の恐怖におびえて暮らす日
々が、どれほど神経を痛めつけるかということも知った。軍人が威張
り、日々の辛さすら語ることのできない抑圧感が、どれほど非人間的
かも知った。日本人の誰もが、何度生まれ変わっても忘れられないく
らい、戦争の残酷さを知ったと思ってきた。>

堀田さんはまた05年にNHKテレビで放送されました「あの日 昭和
20年の記憶」で、疎開時代のひもじかった食生活の思い出を語られま
したが、その内容もサイトに掲載されています。

4月7日 この日のできごと

この放送のことは当時MLで紹介しましたが、そのときの文章の一
部を再録しておきます。

<そのころ、「芋するめ」にするためふかした芋を干してあるのがお
いしそうで、友達たちと盗もうと相談したことがあるそうです。そこ
でまずその家の行動パターンを観察して、留守の時を見計らい、皆で
役割分担を決め、実行しました。川原で、皆で分けて食べた芋するめ
は本当においしかったと言っておられました。

あのロッキード事件で名検事として、腕を振るった堀田さんが、この
ような、計画的、組織的な“犯罪”を告白されたのには驚きましたが、
同じ腹ペコの疎開児童だった身には、何かほろ苦く、そしてほほえま
しく感じました。>

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南京大虐殺、被害女性や元日本兵から聞き取り

今日の毎日新聞大阪版の「なにわ人模様」欄に、多くの誹謗中傷に耐
えながら約20年間にわたり、南京大虐殺の加害者、被害者双方の体験
の聞き取り活動を続けてきた松岡環さん(61)が登場しています。

< だが、聞き取った元兵士約250人のうち、罪の意識を打ち明け
たのは、この男性を含めほんの数人だけ。「戦争だから仕方がない」
「殺すか殺されるかだった」「命令に従っただけ」などと多くが弁解
した。5人の首を切った男性は「ハエを殺すのと同じ感覚」と言った。
心の奥底にある中国人への強いべっ視が垣間見えた。>

なにわ人模様:南京大虐殺60カ年全国連絡会共同代表・松岡環さ


NHKドラマ「最後の戦犯」

NHKドラマ「最後の戦犯」が次のように放送されます。ぜひご覧く
ださい。

11月29日(土) [BS-hi]   22:00~23:29
12月 7日(日) [総合]    21:00~22:29

【概要】
終戦のわずか5日前、上官の命令に従って一人の米兵を処刑した
見習い士官・左田野修さん(当時22歳)。岐阜県多治見での3年半
余りの逃亡生活の後、戦犯として裁かれました。日本国内での「最
後の戦犯裁判」でした。

左田野さんが獄中で綴った「告白録」が近年、発見されました。それ
は「個人の戦争責任」を問い続けた何百枚にも及ぶ手記でした。この
膨大な手記に基づいて“敗戦国日本の戦争責任”を個人で考え抜い
た一人の若者の姿を描く迫真のドラマをお送りします。

逃亡生活で出会った人々の上に色濃く残る戦争の傷跡、“戦争犯罪
人”の身内として不当な差別にあった家族の苦悩、処刑を命じた上
官たちの葛藤・・・様々な人間模様を織り交ぜながら、“戦争の罪悪”
を問いかけます。
NHKスペシャル「最後の戦犯」

田母神前空幕長独占手記

月刊誌 WiLL の09年新年号に、「田母神前空幕長独占手記」が掲載さ
れました。最初の4ページが下記で“立ち読み”できます。
http://www.zassi.net/mag_index.php?id=228&issue=24510

そのうち、04年に田母神氏が中国を訪問した際の中国軍幹部と会談に
関する部分が、下記ブログに引用されていますので、お読みください。

中国軍幹部と歴史討論  ( 『 Will 』 田母神前空幕長独占手
記より )」


これによりますと、田母神氏は「日本は中国を侵略していない」とい
う例の歴史観を、中国軍幹部に滔々と述べています。事もあろうに中
国軍との公式の場で政府の方針と違う意見を述べたということは、下
手をすると外交問題にも発展しかねず、当然懲戒に値する行為で、当
時の防衛庁・政府の監督責任も問われるべきでしょう。

彼はまたこの手記の中で、<自衛隊は北朝鮮に攻め入って被害者を実
力で奪還してくるべきである>という驚くべき本音を吐露していると、
江川紹子氏も強く非難しています。

< そんなことも分からないのだろうか。威勢ばかりはいいが、思考
の浅薄さ、視野の狭さ、あまりの単細胞ぶりに、この程度の人物がい
ざ有事となったら実際の作戦を統括する制服組のトップにいたのか…
…と愕然とした。
 なぜ、こういう人が空幕長の立場まで上り詰めることができたのだ
ろうか。それほどまでに、自衛隊には広い視野と識見を備えた人材が
いない、ということなのだろうか。だとしたら、これは大変なことだ。>
田母神発言・その単純明快さが危ない


衆院安全保障委における田母神問題質疑

昨27日の衆議院安全保障委員会において、田母神問題が討議され、主
として自衛隊内における教育や自衛官の意識について各野党から問題
が提起されました。その内容は新聞ではほとんど報道されていません
ので、衆議院のビデオライブラリでご覧ください。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/video_lib3.cfm?deli_id=39452&media_type=wb

上記サイトの、川内博史 ( 民主党・無所属クラブ ) 、赤嶺政賢
( 日本共産党 ) 、辻元清美 ( 社会民主党・市民連合 ) による質疑
の部分をご覧ください。

辻元氏が提示した内部資料によれば、空自の第52期指揮幕僚課程学生
等選抜第一次試験に「愛国心について論ぜよ」という問題が出されま
したが、主任試験官の所見として「ごく一部の受験者において、自身
が戦後のいわゆる自虐史観教育の影響から抜けきらず、その考え方を
是とした者がいたのは極めて残念であった」と書かれています。

参考サイト:
辻元清美ブログ : つじとも WEB
侵略美化 空将も 空自隊内誌に論文 赤嶺議員が批判」(しんぶん
赤旗、28日)

韓国野党代表、田母神論文を批判

目下来日中の韓国最大野党・民主党の丁世均(チョン・セギュン)代
表が27日、朝日新聞のインタビューに答え、田母神論文について「歴
史の歪曲であり、大変憂慮すべきことだ」と批判しました。

来日の韓国野党代表、前空幕長論文を批判『大変憂慮』」

田母神前空幕長のインタビュー記事

今日の産経新聞は、田母神前空幕長のインタビュー記事を大きく掲載
しています。

「【田母神前空幕長インタビュー】『自国を悪く言う外国人将校に会
ったことはありません』」


<論文で言いたかったのは、米露英仏などが侵略国家といわれないの
に、なぜ日本だけがいわれるのか。よその国が侵略国家でないなら、
日本も侵略国家でないということが言いたかったのです>

田母神氏はどうやら今の日本国とかつての大日本帝国を混同している
ようですね。今の日本国を侵略国家と言う人は、国内でも海外でも皆
無でしょう。またかつての米露英仏を侵略国家ではなかったと言う人
も、日本人ではまずいないでしょう。

<外国の将校は、まず自国を弁護する。自分の国を悪く言う外国人将
校に会ったことはありません>

ドイツの将校にナチスドイツをどう思うか聞いてみたら、彼は弁護す
るでしょうか?

戦争遺留品のノート、ご遺族に返還

去る7月に 「新たな戦争遺留品(T017)」でご協力をお願いしました戦
争慰留品のノートの元の持ち主・一戸惣一さんの身元が、厚生労働省
の調査で判明し、このほどアメリカから青森県の兄上に返還されました。

皆さんのご協力についても感謝いたします。今後ともよろしくお願いいた
します。

長野県中川村村長の靖国神社観

長野県上伊那郡中川村の曽我逸郎村長が、 村のサイトに「村長か
らのメッセージ」として、長野県戦没者遺族大会・戦没者追悼式に出
席しての感想と靖国神社についての意見を書いています。

たいへん教えられることが多いと思いますので、ぜひご一読ください。
長野県戦没者遺族大会・戦没者追悼式、靖国神社

なお曽我氏は、1955年生まれ、関西出身で、大手広告代理店・電通に
勤務後、長野県の中川村にIターン、05年に同村の有志による「窓をひら
く会」の擁立により村長選に初当選しました。同氏は元々仏教の研究
家であり、次のようなサイトを開いています。

月を差す指はどれか?」

平和をたずねて:わが内なる「靖国」超えて

毎日新聞西部朝刊の「平和をたずねて」シリーズ、今回のテーマの
「わが内なる『靖国』超えて」の5回の連載が昨26日で終わりました。

平和をたずねて  アーカイブ

今回も担当しています福岡賢正記者は、結びで自分の祖父のことに言
及していますが、このシリーズの最初の記事で、祖父のことを詳しく
書いています。これが彼の一連の記事の原点と思われます。

平和をたずねて:背中の残像を追って/1 祖父は終戦後に戦死し


なお第5回の記事では、特攻隊の生き残りで美術家の池田龍雄氏の特
攻隊員時代と最近に詠んだ和歌が紹介されています。

君のため 花と散りしと 東風よ いさをつたへよ 父母のもとに

あざむかれ 散りそこねたる桜花 くだんの空は なきにしもがな

後者の歌を添えたという作品「散りそこねた桜の碑」は次のサイトで
見ることができます。

今日の反核反戦展

西原正・前防衛大校長の田母神批判

先にご紹介しましたように、去る9日付の毎日新聞に、防衛大校長の五百旗
頭氏が田母神前空幕長を批判する一文を書いています。

その後前校長の西原正氏も、12日付の毎日新聞で<自衛官には思想の自由、
考える自由はあるが、それを発表する自由には制限があると考えるべきだ。>
という田母神批判を述べていますが、さらに今朝の朝日新聞には論文の内容ま
で批判する談話が掲載されています。

< 田母神氏の論文について言えば、歴史的事実にはいろんな側面があるこ
とを踏まえて書いてほしかった。どの国にだって人に語りたくない暗い歴史の
裏面がある。過去の間違いをすべて否定して、だから自分の国はすばらしいと
言うのは不健全ではないか。>

< 作戦を練る時に部内で熱心に議論するように、歴史についても自分たちの
思いを大いに議論すればいい。しかし、公務員である以上、政府見解と明らか
に違うことを公言するのはおかしい。米国でも軍のトツプが「イラク介入反対」と
言えば解任される。>

漫画家の「私の八月十五日」中国で出版

今日の読売新聞のコラム「編集手帳」は、約100人の漫画家がみずか
らの終戦体験を描いた画集「私の八月十五日」の中国語版が、近く人
民日報出版社から刊行されると書いています。

< 亡くなった漫画家の赤塚不二夫さんは、9歳の時に中国東北部
(旧満州)で終戦の日を迎えた。夕刻、カラスの大群が真っ赤な夕空
を不気味に埋め尽くしていた。その赤と黒の光景が、生涯の原風景と
なったという>

赤塚さんが描いたこの“原風景”は、下記サイトをご覧ください。
http://www.maizuru-bunkajigyoudan.or.jp/hikiage_homepage/gallery/akatuka.html

「私の八月十五日」(04年、A.セーリング)は、日本漫画家協会賞
大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門奨励賞をダブル受賞していま
すが、これを編集した「私の八月十五日の会」の代表幹事の森田拳次
氏は同会のサイトで次のように書いています。

< この本は、その時代を生き、戦争を肌で感じた我々仲間達の、昭
和二十年八月十五日の記録である。
戦う日本が平和な日本に生まれ変わったその日、その時、それぞれ
が何処にいて何を考え、何をしていたか。
戦禍をくぐって今日まで生き延びた人々のそれぞれのドラマティッ
クな一日を描いた作品は、その一つ一つが平和な世界への道標のよう
な気がする。
我々の趣旨に賛同し、それぞれ、絵や文章を寄せて下さった戦後生
まれの方々の作品も加えて、重みのある一冊となったこの「私の八月
十五日」。>
http://815.surpara.com/first.html

中国の人たちはこれをどのように受け止めるでしょうか。相互理解に
役立てばいいのですが。

新規リンクのお知らせ

「戦争を語り継ごう -リンク集-」に新しく下記の2サイトを追加
しましたので、ご覧ください。

丹後の伝説:35集 市民の戦争体験
京都府舞鶴市の女性の戦争体験記。食糧難や学徒動員の思い出など。

戦時朝日新聞
1943年4月の朝日新聞の記事と広告のコピーを掲載

自衛官の心がまえ

先日の毎日新聞で防衛大校長の五百旗頭氏が、槇智雄初代校長の「服
従の誇り」という言葉を紹介していましたが、「自衛官の心がまえ
4. (2)の解説にも次のように書かれています。

<服徒の真価はみずから進んで行なうところにある。よい服従は表裏
のない誇りをもった服従であり、それは自律にまで高めることができ
る。>

「自衛官の心がまえ」とは、いわば旧軍の「軍人勅諭」にあたるもの
で、昇任試験の論文の問題としてよく出るといわれています。

その前文は次のような書き出で始まっています。

<古い歴史とすぐれた伝統をもつわが国は、多くの試練を経て、民主
主義を基調とする国家として発展しつつある。その理想は、自由と平
和を愛し、社会福祉を増進し、正義と秩序を基とする世界平和に寄与
することにある。>

これはまさに、安倍元首相や田母神前空幕長が批判する“戦後レジー
ム”の精神に基づくものでしょう。

そして文民統制についても次のように書かれています。

<自衛隊はつねに国民とともに存在する。したがって民主政治の原則
により、その最高指揮官は内閣の代表としての内閣総理大臣であり、
その運営の基本については国会の統制を受けるものである。>

<われわれは自衛官の本質にかえりみ、政治的活動に関与せず、自衛
官としての名誉ある使命に深く思いをいたし、高い誇りをもち、次に
掲げるところを基本として日夜訓練に励み、修養を怠らず、ことに臨
んでは、身をもって職責を完遂する覚悟がなくてはならない。>

呂61潜水艦の元乗組員を捜しています

1942(昭和17)年9月1日、アリューシャン列島の作戦に参加していた
日本海軍の呂号第61潜水艦は、アトカ島ノース岬の南東、北緯52°36
′西経173°57′において、米駆逐艦レイドの爆雷攻撃を受け撃沈さ
れました。

艦長の徳富利貞大尉以下60名の乗組員は艦と運命を共にしましたが、
5名は生き残って、米海軍の補給艦に救助され、捕虜となりました。

この補給艦の乗組員であったパウル・ラデロー氏は今年90歳になりま
すが、米オハイオ州に健在で、捕虜の一人であったセキネ・ズサク氏
に連絡を取りたいと望んでいます。

もしこのセキネ・ズサク氏について何か情報がありましたら、ぜひお寄
せください。

ご参考までに、1943年12月にセキネ氏がラデロー氏宛てに書いた手紙
のコピーをご紹介します。

sekine

参考サイト:
無敵潜水艦隊 ( 10 )
HIJMS Submarine RO-61: Tabular Record of Movement

戦争を語り継ぐ投書

「『戦争出前噺』の本多立太郎さん、世界へ」でご紹介しました、今年94
歳になる本多立太郎さんが、去る3日の朝日新聞「声」欄に次のような投
書をされました。
--------------------------------------------------------
侵略を知らぬ空幕長の空論

                           無職 本多 立太郎 
                           (和歌山県みなべ町 94)

 元兵士である。1939年、25歳で応召。2度の中国出征とシベリア抑留
を経て47年に帰国した。中国戦線では無数の友を失い、シベリアの凍土に
は多くの友が眠る。

 戦争は、もう二度とあってはならぬ。どんな理由があろうと、人の命は地球
より重い。しかし、戦後63年。戦場を体験した人間が少なくなり、戦争の記
憶が我々から失われている。それに呼応するように、戦争を肯定し命を散ら
すことを美学とたたえるかつての風潮が際立つ。恐ろしいことだ。

 「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」。そう主張する論文を、航
空自衛隊のトップが書き、民間企業主催の懸賞論文に応募していたという。
自衛隊そのものが再び軍隊と化している証しではないか。

 我々は中国で、言うに言われぬ体験をした。村をあらし、村人を手にかけた。
あの戦争は、まさしく「侵略」だった。日本の占領が「圧制からの解放」などとは、
きれいごとに過ぎない。中国人民を苦しめた我々の痛みが空幕長にわかるの
か。頭の中だけで、戦争を語るのはやめて頂きたい。
------------------------------------------------------------
これに対し昨21日、15歳の中学生の次のような投書がありました。
-----------------------------------------------------------
戦争語り継ぐ大切さ知った

                          中学生 和田 紗容子
                          (仙台市泉区 15)

「侵略を知らぬ空幕長の空論」(3日)を読んだ。元兵士の方の言葉は一つ
一つに重みが感じられ、空幕長論文を新聞で読んだ時に感じた疑問に答え
をもらった思いだ。歴史の教科書では日中戦争の発端から日本の敗戦まで
数ページにまとめられている。しかし、この戦争で多くの命が失われ、残
虐なことも行われた。私は戦争についてもっと多くのことを知りたいと思
っている。

 いつの日か日本中に一人も戦争を体験した人がいなくなる日が来てまた
同じ過ちが起こるかも知れない。平和を守り抜いていくには私たちが伝え
てもらった戦争の恐ろしさをしっかり受け止め、次の世代に伝えていかな
ければならない。

 日本の戦争は侵略で、戦争は二度とあつてはならず、人の命は地球より
も重い……。94歳の方の言葉は、空幕長論文で中国の方々にすまないと思
っていた私の気持ちを少し和らげてくれ、戦争を語り継ぐ大切さを改めて
知らせてくれた。
-----------------------------------------------------------

94歳から15歳へ、これぞ「戦争を語り継ごう」だと思います。


アパ懸賞論文の審査委員(続)

問題のアパ主催の懸賞論文の審査員の一人が産経新聞客員編集委員の
花岡信昭氏であると、前にお伝えしましたが、去る15日に行われた花
岡氏の講演からメンバー全員の名前が確認できました。

委員長 渡部昇一(上智大学名誉教授)
委員  小松崎和夫(報知新聞社社長)
中山泰秀(自民党代議士、元外務大臣政務官)
花岡信昭(産経新聞客員編集委員)
元谷外志雄(アパグループ代表)

「真の近現代史観」を審査するメンバーとして、近現代史の専門家が
一人もいないというのはどういうことでしょうか。余りにも法外な
最優秀賞300万円(芥川賞でも100万円)という懸賞論文の審査委員と
しては、まことにお粗末な、人為的な顔ぶれです。

これでは、事実上花岡氏と元谷氏で決めた、まったくの“出来レース”
といわれてもしょうがないでしょう。

花岡信昭氏、田母神論文審査の裏側を語る」 ( JanJan 、21日)


空幕長更迭と「思想信条の自由」(百地章)

今日の産経新聞のコラム「正論」に、日本大学教授の百地章氏が寄稿
し、防衛省で懸賞論文に応募していた幹部多数に対して防衛監察が行
われるのは「思想・信条の自由」を侵すと論じています。

「【正論】日本大学教授・百地章 空幕長更迭と『思想信条の自由』」

確かに個々の自衛隊員がどういう思想信条を持とうが自由ですが、今
問題になっているのは、特定個人のイデオロギーを教育で押しつけた
り、それを集団で外部に発表したりしたことでしょう。

百地氏は最後に、<これは現代の「踏み絵」であって、このような悪
弊から速やかに脱却し、一日も早く「村山談話」を撤回する必要があ
ると思われる。>と書いていますが、どうやら主張したいのは「村山
談話」の撤回にあるように見えます。

コミンテルン謀略説と岸信介

週刊朝日の今週号(11/28)に、田母神論文のネタ元の一つに岸信介
元首相による文章があると書かれています。それは三田村武夫著「大
東亜戦争とスターリンの謀略」(自由社)の巻末に書かれている文で
す。その一部をご紹介します。

<読む程に、私は、思わず、ウーンと唸ること屡々(しばしば)であ
った。支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対
ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を
引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルン
であり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者、尾崎秀
實であった、ということが、実に赤羅々に描写されているではないか。

近衛文麿、東條英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変
から大東亜戦争を指導した我々は、言うなれば、スターリンと尾崎に
踊らされた操り人形だったということになる。>

これは名うての切れ者だった岸信介の自嘲の弁でしょうか?

そして週刊朝日は、<岸元首相の孫である安倍晋三元首相の時代に、
田母神氏が航空幕僚長の要職に任命されたのは、歴史の偶然ではない
のだ。>と結んでいます。

コミンテルン謀略説によれば、コミンテルンの命令を受けたスパイの
尾崎秀實が近衛首相を動かして、対米戦争に踏み切らせたということ
になりますが、近衛は対米戦争には消極的で、軍部の強硬派に抗しき
れず内閣を投げ出したのではなかったでしょうか?

その後を受け継いだ東条英機が対米戦争に踏み切るわけですが、これ
も尾崎が仕掛けたものなのでしょうか? 

コミンテルンが日米を戦わせる謀略工作をしていたというなら、なぜ
日本共産党は体を張って戦争に反対したのでしょうか?


統合幕僚学校講座の講師名公表

田母神前空幕長が統合幕僚学校の学校長のときに新設された「歴史・
国家観」講座に、「新しい歴史教科書をつくる会」の幹部が講師を務
めていたことは先にお伝えしましたが、防衛省は昨19日その講師名や
講義内容の一部を公表しました。

統幕学校講義、田母神論文と共通点も 防衛省、内容公表」(日経、19日)
自衛隊統幕学校講座で『つくる会』正副会長が講師」(しんぶん赤旗、19日)
歴史を歪曲した団体会員が自衛隊幹部に歴史教育/日本」(韓国・中央日報、20日)

猪木正道氏の二人の教え子

去る14日の京都新聞のコラム「凡語」は田母神問題を採りあげ、次の
ように書いています。

<第三代防衛大校長だった猪木正道氏は「軍国主義が愛国心を不当に
ゆがめた反動で、戦後は愛国心が否定されてしまった」と「軍国日本
の興亡」(中公新書)で指摘している。世界に誇れる堂々とした愛国
心のあり方を考えてみたい。 >

戦時中愛国心を叩き込まれた私には、田母神前空幕長が考えている愛
国心と軍国主義によってゆがめられた愛国心とはよく似ているように
思われます。

猪木氏はまた「軍国日本の興亡」で次のようにも書いています。

< 戦前・戦中の軍国主義と戦後の空想的平和主義とは、まるで双生
児のようによく似ている。考え方が独善的であり、国際的視野を欠い
て一国主義的であること等そっくりである。>

田母神論文もまさに「国際的視野を欠いて一国主義的」です。田母神
氏が防衛大に在学中の校長であった猪木氏が生きていたら、この論文
をどのように評価したでしょうか?

現在の防衛大校長である五百旗頭真氏も、京大時代の猪木教授の教え
子ですが、9日付の毎日新聞「時代の風」欄で田母神氏を批判しています。
この記事は読んでいないのですが、MLでO氏がその内容を紹介していた
だいたので、以下転載します。

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昭和からの遺言(大田昌秀)

週刊朝日の今週号(11/28)の連載記事「昭和からの遺言」に、大田
昌秀・元沖縄県知事のインタビュー記事が掲載されています。その中
から戦争体験を語っている部分を引用します。

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沖縄の朝鮮人従軍慰安婦

「沖縄一中・鉄血勤皇隊の記録」(上巻・2000年、下巻・2005年、高文
研出版)を読んでの感想がMLに投稿されました。その中に、 沖縄に
は約50カ所の慰安所があり、約350名の慰安婦がいて、そのほとんど
が朝鮮人慰安婦とありました。彼女たちは、看護婦や洋裁の勉強がで
きるという甘言に乗せられて、日本の増援部隊とともに、九州を経てや
ってきたそうです。

以前にも書きましたが、鉄血勤皇隊員であった大田昌秀・元沖縄県知
事も次のように述べています。

<今、従軍慰安婦問題が表面化していますが、首里城の司令部の脇に
は朝鮮から連れてこられた女性たちがおり、司令部が南部の摩文仁に
移ってからも最後までこういう女性たちはずっといたということを、
私なども目にしてきました。>
沖縄戦のガマの中にも慰安所が (続)」

大江・岩波沖縄戦裁判の原告である梅澤裕元隊長の手記にも、次のよ
うに書かれています。

<軍司令部は若い将兵を思ってか女傑の店主の引率する五人の可憐な
朝鮮慰安婦を送って来た。若い将校は始めて青春を知ったのだ。>
座間味島集団自決事件に関する隊長手記

梅澤元隊長が負傷後は、朝鮮出身のこの店主がつききりで看護し、住
民に石を投げられながら米軍に投降していったときも一緒だったとい
われています。

下記のサイトにも沖縄戦の朝鮮人慰安婦についての記述があります。

<昭和19年8月、宇土部隊約3000人が駐屯。伊豆味国民学校に本部を
置く。将校専用の慰安所や兵隊たちの慰安所が伊豆味にできる。ほと
んどが那覇の辻遊郭から連れて来られた女たちだったが、不足してい
たのか、軍の命令で朝鮮人慰安婦も連れて来られる。>
福地曠昭著『オキナワ戦の女たち 朝鮮人従軍慰安婦』より

「従軍慰安婦」の“従軍”という言葉を否定する向きがあるようですが、こう
いう事実を読むと、彼女たちはまさに“従軍”慰安婦であったことがよくわか
ります。

前空幕長招致に関する各紙社説・コラム(3)

田母神問題については、今日の中日・東京新聞が社説にふたたび採り
あげています。

週のはじめに考える 『制服』暴走の悪夢
< ここで注目したいのは栗栖、田母神両氏の世代差です。栗栖氏は
一九二〇年生まれの戦前派で、終戦を海軍大尉として南方戦線で迎え
ました。一方、田母神氏は四八年生まれの戦後派です。この世代の開
きは国家観、防衛意識の差にも反映しているに違いありません。たと
えば故後藤田正晴・元副総理は晩年、憲法九条(戦争放棄)改正や軍
備強化について「僕らの世代は戦争で加害者の立場だった。しかも被
害者はまだ生きている。こうした世代がいなくなってから変えるとい
うなら変えてもいいが、今はまだ早過ぎる」と言っていたものでした。


また今朝の毎日新聞は「社説ウオッチング」で、この問題に関する全
国紙各紙の社説を比較し、朝日、読売、毎日、日経、東京の各紙の論
調は共通点が多いが、産経だけは他紙とかけ離れているとして、次の
ように書いています。

< こうした経過が暗示しているのは、産経が今回の騒動の少なくと
も事実上の当事者として、村山談話見直しキャンペーンを張っている
という構図だ。これが他紙との論調の隔絶につながっていると見ても
的外れではあるまい。>

社説ウオッチング:前空幕長論文問題 『更迭は当然』が大勢

この記事では地方紙には触れていないが、合わせれば半分ほどのシェ
アを持つ地方紙のほとんどすべてが産経とは逆の論調であることも無
視してはならないと思います。

朝毎読日経 VS 地方紙のシェア争い

軍人こそ正しい歴史観を(中谷孝)

昨日の日刊ベリタに、元日本陸軍特務機関員の中谷孝氏さんが
田母神前空幕長を批判する一文を寄稿し、戦前の愛国心教育に
ついて書いています。

戦争を知らない世代へ 軍人こそ正しい歴史観を 自衛隊空幕長の
浅薄な歴史認識を憂う 中谷孝


「村山談話」発表の経緯

今日の産経新聞の「土・日曜日に書く」欄で、論説委員の石川水穂氏が、
村山談話の検証が不可欠だ」という一文を書いて、<今後、国会が
すべきことは、村山談話の作成から閣議決定に至る過程をきちんと検
証することである。>と主張しています。

この中で、1995年8月15日村山談話が発表されるまでの経緯が書かれ
ていますが、当時閣僚だった平沼赳夫氏や江藤隆美氏といった、名に
しおうタカ派の面々も、閣議決定には反対していなかったことがわか
ります。当時の閣僚にはその他、島村宜伸氏、森喜朗氏なども名を連
ねています。

以前にも書きましたが、これまたタカ派の中川昭一財務相も、村山談
話については「朝鮮半島を植民地支配したのは歴史的事実。中国に対
しても宣戦布告をせずに奥地まで戦線を拡大して侵略した 」と語っ
ています。

「《霞ヶ浦の日記》 中川昭一の歴史認識

このように自民党のタカ派でも、朝鮮半島の植民地支配や中国への侵
略などは表立って否定できないわけですから、石川氏の主張どおり検
証してもヤブヘビになるだけなのは目に見えています。

なおこの文章でも、11日付けの社説と同じく、田母神論文にある張作
霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説は“異説”としています。


田母神論文は“言論クーデーター”(田原総一朗)

昨日の日経BPネットに、評論家の田原総一朗氏が田母神論文は“言
論クーデーター”とし、今は5.15事件や2.26事件を引き起こした昭和
初期に似ていると書いています。

「『田母神論文』問題の本質は “決起”の危険性

戦地からの手紙、送り主が判明

昨13日の朝日新聞大阪本社版夕刊に、次のような記事が掲載されまし
た。

< 戦地から届いた1通の手紙。当時5歳だった堺市の嶋崎研一さん
(70)は、手紙を何回も読み直し、両親のいない寂しさを乗り越え
てきた。差出人は出征した父の所属部隊の上司だった「八木一夫隊長」。
不明だった恩人の身元が、朝日新聞の記事をきっかけに65年ぶりに
わかった。嶋崎さんは「胸のつかえがとれた思いだ」と話す。>

全文は:
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200811130057.html

東京裁判60年にあたっての新聞社説

昨12日は、東京裁判が終了してちょうど60年にあたりますが、11日の
産経と今日の朝日が、対照的な内容の社説を掲載しています。

東京裁判60年 歴史観の呪縛から脱却を」(産経、11日)
< もちろん、戦争を美化してはならぬが、戦後の価値観で日本の過
去を裁くこともしてはならない。当時の国民がどんな価値観をもって
行動したかを理解する姿勢が必要である。>

東京裁判60年―歴史から目をそらすまい」(朝日)
< 都合の良い歴史だけをつなげて愛国心をあおるのは、もう終わり
にしたい。グローバル化は進み、狭い日本の仲間うちだけで身勝手な
物語に酔いしれていられる世界では、もはやない。
悪いのは全部外国だ。そう言いつのるだけでは、国際社会で尊敬さ
れる日本がどうして築けるだろうか。>

なお例の田母神論文では張作霖列車爆破事件について関東軍の仕業と
は断定できないと書いてありますが、産経の社説は関東軍将校の計画
的な事件だったのが真相と明記しています。

藤岡信勝氏の沖縄戦裁判批判

今日の産経新聞のコラム「正論」で、拓殖大学教授の藤岡信勝氏が先
の大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審判決を批判しています。

藤岡氏は判決を不当としながらも、提訴自体には大きな意義があった
として、次のように書いています。

< ただし、元隊長らの提訴は大きな意義があった。法廷の外の言論
の世界では、隊長命令説は論破されている。裁判は教科書の記述見直
しの契機ともなった。それに、裁判官はバランス感覚をもった公正な
判断をする人であるという幻想の間違いが白日のもとにさらされたこ
とも「成果」の一つに付け加えておきたい。>

これは図らずもこの提訴の大きな目的が教科書の記述見直しにあった
ことを吐露したものではないでしょうか?

「【正論】拓殖大学教授・藤岡信勝 真実に背向けた集団自決判決

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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