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反戦僧侶・竹中彰元

昨夜NHK教育テレビで放送されましたETV特集「戦争は罪悪であ
る ~ある仏教者の名誉回復~
」を観ました。

日中戦争時「戦争は罪悪である」と説いて、禁固刑を受けた真宗大谷
派の高僧・竹中彰元のことを描いた番組です。彼が刑を受けたのは陸
軍刑法第99条に違反したという理由ですが、当時は民間人も陸軍刑法
で裁かれたのです。

竹中師が逮捕された時、岐阜県の地元の僧侶たちも皆彼を批判し、宗
門の真宗大谷派は布教使資格を剥奪、僧侶身分を最下位としました。
減刑の嘆願書を出したのは檀家だけでした。

真宗大谷派は戦時中、本来仏教は殺生を禁じているのに、一殺多生
(多くを生かすため、少しの殺生はやむを得ない)と教義を曲げて、
“聖戦”に協力しました。

戦後50年経った1995年になってやっと戦争協力を自己批判し、「不戦
決議」を公表、外国人を含む全戦没者を追悼する法要を営みました。
しかし竹中師に対する謝罪はありませんでした。

竹中師の名誉回復に立ち上がったのは、今度も地元の僧侶たちでした。
その運動が効を奏して、昨年9月同派は70年ぶりに竹中師に対する処
分を取り消しました。

番組の最後のほうで、竹中彰元の曾孫にあたる明泉寺の住職が「彰元
は偉い人だったなで終わることなく、今日のこととしてその言葉を受
け止めてほしい」と信者に説いていたのが印象的でした。

他にもご覧になった方も多いと思います。ぜひご感想をお寄せくださ
い。

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貞明皇后は和平派だった?

去る7月、「原武史著『昭和天皇』を読んで」の中で、次のように書きま
した。

<戦況が深刻になっても、貞明皇后(当時の皇太后)は自らを神功皇
后に擬して「かちいくさ」を祈り続けましたが、昭和天皇はなかなか
その呪縛から抜けきれず、同じように戦勝を祈り続け、戦争終結を主
張する弟の高松宮の進言にも耳をかそうとしませんでした。>

すなわち原武史氏の意見は、昭和天皇は抗戦派の母の影響を受けて、
なかなか戦争終結に踏み切れなかったということです。

これに対し評論家の鳥居民氏が、今朝の産経新聞のコラム「正論」で、
“貞明皇太后”はむしろ和平派であって、原氏は<二、三の出来事を
誤読、誤解>していると批判しています。

< 神がかりであり、抗戦派である貞明皇太后といった叙述、その呪
縛下にあった昭和天皇といった主張は、事実から遠い。残念ながらと
もう一度言うが、すべては原氏の思い過ごしである。>
「【正論】評論家・鳥居民 『宮中祭祀廃止論』への疑問

なお文中“貞明皇太后”とあるのは、正しくは“貞明皇后”と書くべ
きでしょう。私にはどちらでもいいことですが、皇室の伝統を尊重す
べしという鳥居氏が書くと、その意見の信憑性も疑われかねますね。

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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