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空幕長が「侵略国家はぬれぎぬ」、更迭へ

航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家だった
とはぬれぎぬだ」などと主張する論文を、アパグループ主催の第一回
「真の近現代史観」懸賞論文に応募、最優秀賞を受賞しました。

「『侵略国家はぬれぎぬ』=空幕長が懸賞論文で独自史観-中国など
の反発必至
」(時事通信、31日)

この論文は下記サイトで読めます。
アパグループ第一回『真の近現代史観』懸賞論文受賞者発表

なお田母神幕僚長は、先に航空自衛隊による一部のイラク活動を違憲
とした名古屋高裁判決を巡り、「純真な隊員には心を傷つけられた人
もいるかもしれないが、私が心境を代弁すれば大多数はそんなの関係
ねえという状況だ」と発言しています。

【続報】
浜田靖一防衛相は早くも、田母神空幕長を更迭する意向を固めたとの
ことです。まるで戦前の軍を思わせるような出来事ですから、当然で
しょう。

航空幕僚長:『侵略国家はぬれぎぬ』と論文発表、更迭へ」(毎日、
31日)

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大江・岩波沖縄戦裁判、原告の控訴棄却

okinawa

沖縄戦の集団自決をめぐる大江・岩波沖縄戦裁判の控訴審判決が今日
大阪高裁で言い渡されましたが、小田耕治裁判長は、原告側の請求を
退けた1審の大阪地裁判決を支持、原告側の控訴を棄却しました。

沖縄ノート訴訟:控訴審、原告の請求棄却 名誉棄損認めず」(毎
日、31日)

この判決について、琉球新報は電子号外を発行しました。
http://ryukyushimpo.jp/uploads/img490a98c8024f9.pdf

また沖縄タイムスのサイトは判決要旨を掲載しています。
http://www.okinawatimes.co.jp/news/2008-10-31-E_1-001-3_001.html

被告の大江健三郎さんのコメントをご紹介しておきます。

< 私のこの裁判に向けての基本態度は、いまも読み続けられている
『沖縄ノート』を守る、という一作家のねがいです。原告側は、裁判
の政治的目的を明言しています。それは「国に殉ずる死」「美しい尊
厳死」と、この悲惨な犠牲を言いくるめ、ナショナルな氣運を復興さ
せることです。
私はそれと戦うことを、もう残り少ない人生の時、また作家として
の仕事の、中心におく所存です。>

大江健三郎さん『沖縄の犠牲の記憶を守り、戦う』」(朝日、31日)

八紘一宇

戦争中叫ばれたスローガンに「八紘一宇」という言葉があります。
これについて次のように主張する人たちがいます。

<東京裁判の公式英語では、八紘一宇は"Universal Brotherhood"
と訳された。この八紘一宇を悪の根源のように言う人の気がしれ
ない>

確かにUniversal Brotherhoodを訳せば「人類みな兄弟」というこ
とになり、これは人類の普遍的な理想です。現に諸外国ではこ
の名を付した団体や活動が数多くあるようです。

しかし戦時中日本で叫ばれた「八紘一宇」の概念はそれとはまった
く違います。それは“天皇のもとでの”八紘一宇でした。

「はっこういちう」という難しい言葉は、われわれ小学生でも知ってい
ました。そして天皇陛下がお父さん、われわれ臣民は子供、そして
世界を一つの家にすると教えられていました。

「八紘一宇」という言葉は元々神武天皇の建国宣言からとられたと言
われ、大和王朝が日本全国を統一したことを意味していると思います。
それが戦時中、アジアをそして世界を統一するためのスローガンとし
て利用されたのです。

八紘一宇が「人類みな兄弟」の思想でなく、「人類みな天皇の臣民」
であったことは、大日本帝国の植民地政策、占領地政策を見ても明ら
かです。

大日本帝国は植民地や占領地に、朝鮮神宮、台湾神宮、建国神廟(旧
満州)、彩帆神社(サイパン)、昭南神社(シンガポール)など、天
皇家の始祖とされる天照大神を祭神とした神社をまず作りました。そ
して住民たちに、天皇崇拝を強制し、宮城遥拝や教育勅語の奉読など
をさせました。

これはまさに、八紘一宇が天皇教によるアジア支配、世界支配のイデ
ィオロギーであったことを物語っていると思います。

八紘一宇については、下記をご参照ください。
八紘一宇について意味、語源、論点など教えてください

南京事件を否定する「南京の実相」発刊

南京事件を否定する「南京の実相―国際連盟は『南京2万人虐殺』す
ら認めなかった」(監修:日本の前途と歴史教育を考える議員の会、
日新報道)という本が11月1日に発売されるそうです。

「【教育】『南京の実相』発売へ」(産経、29日)

これは自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(中山成
彬会長)が新しく入手したという資料をまとめたもので、中川昭一財
務相、島村宜伸氏、平沼赳夫氏らが推薦の言葉を書いているそうです。

この議員の会の南京問題小委員会の戸井田徹委員長は、この本の元に
なった資料について、かつて自身のブログに次のように書いています。

<記名採決から戻り、自席から何気なく議長席を見ていると、目の前
を安倍総理が通った。ふと、目が合った瞬間に「総理!南京問題、一
気に解決ですよ!」と声を掛けると、「え?どういう事?」と興味深
そうに聞いてきた、私が「決定的な、一次史料が見つかりました!」
と伝えると不思議そうな顔をして自席に戻られた、私はしばらく席に
座っていたが、今がチャンスと思い、総理の席まで行き、詳しい経過
を説明した。それを聞いた総理は、うれしそうな顔をされていた。>
http://blog.goo.ne.jp/toidahimeji/e/d67be8bee5f11de1962c8cbddd8b9209

この本を解説した二つのブログをご紹介しておきます。
丸坊主日記
dj19の日記

毎日新聞「平和をたずねて」の新シリーズ

毎日新聞西部朝刊の特集「平和をたずねて」で、「わが内なる『靖国』
超えて」という新シリーズが始まりました。ご好評を得ています福岡
賢正記者がどういう切り口でせまるか、楽しみです。

第1回のテーマは、MLでも話題になったことがある「特攻とテロ」で
す。

平和をたずねて:わが内なる『靖国』超えて/1 特攻からテロが
分かるか


新たな戦争遺留品(F093)

F093


アメリカ・ネバダ州のアメリカ人から戦争遺留品である日章旗の返還
協力の依頼がありました。義父の従兄がガダルカナルの戦地から持ち
帰った物だそうです。

寄せ書きから、旗の元の持ち主は「逢坂岩蔵」さんとわかりました。
その他、逢坂(糸子、善吉、昭一、キラ、君子、初蔵、志郎、善太郎、
きせ、巌、喜代美 ) 、山田歳男、山田一五、田村市郎などの署名が
あり、また土屋青少年団とも書かれています。

この日章旗については拙サイト「旧日本軍人の遺留品」の「日章旗
(F051~ ) 」のページにに、F093として掲載しましたので、ご覧の
上、何か手がかりになるような情報がありましたら、ぜひお知らせく
ださい。

「私の八月十五日」に新しい寄稿

「私の八月十五日」に、新しくご寄稿をいただきましたので、お読みく
ださい。

あの日も暑かった 井上圭史(当時:国民学校6年生)」 

< 後で考えると、戦時中の暗さを払拭して乾いた砂に吸い込まれる
水のように広がった明るさが、戦後の民主的な風潮を象徴しているか
のようだった。わたしの人生の原点も、あの畳に落ちて部屋中が明々
と広がったあの日のまばゆいばかりの光に始まったといっていい。そ
れは重苦しい戦雲、国家の圧力などが一気に取り払われ、解放された
歴史的な日であり、平和を希求する民主日本の誕生の兆しだったので
ある。>

同じ歳の私には、そのお気持ちが実感をもって理解できます。戦前・
戦中の重苦しい、暗い時代をいまだに引きずっていたり、知らずに憧
れている人たちの気が知れません。

皆さんのご寄稿もお待ちしています。

麻生首相、中国TVで侵略を謝罪(続)

麻生首相の中国中央電視台 (CCTV) インタビュー記事が、人民網日本
語版にも掲載されましたので、ご覧ください。

麻生首相、日本の植民地支配と侵略に深い反省を表明


証言記録 兵士たちの戦争「ビルマ濁流に散った敵中突破作戦」

昨夜NHKのBSハイビジョンで放映されました「証言記録 兵士たち
の戦争 ビルマ濁流に散った敵中突破作戦」を観ました。

ビルマの戦記はいろいろ読みましたが、参戦した元兵士たちの生々し
い証言や実写の映像を視聴して、あの厳しい戦いの理解をさらに深め
ることができました。あのシッタン河の急流の映像を見ると、この河
をいかだで、しかも敵の攻撃を避けながら渡るのがいかに至難事だっ
たかよくわかります。

そして当初は「英国人を追い出してくれる」と歓迎していた住民たち
が、後には反抗するようになり、日本軍が組織したビルマ人の義勇軍
が寝返るようになったことも実感としてわかりました。「大東亜戦争
はアジア解放の戦争だった」というのがいかに空論かということも。

ある元兵士がぽつりと言った一言が印象に残っています。「考えてみ
たら、何のため戦争しよるんかいなと思ってたな」

次回の放送予定は次のとおりです。

証言記録 兵士たちの戦争 従軍看護婦が見た戦争
BShi 11月15日(土)午後8:00~8:43


井上俊夫さんを悼む記事

今朝の東京新聞のコラム「筆洗」(中日新聞の「中日春秋」)に、先日亡くなりました井上俊夫さんを悼む一文が掲載されています。以下全文を転載します。

< 忘れたくても忘れられない、いや、忘れてはいけない記憶が人にはある。H氏賞の受賞者で、農民詩人として知られる井上俊夫さんにとっては、先の大戦の記憶がそれに当たる▼『もしも私が蛇に生まれていたら』と題した作品がある。蛇だったら兵隊にならなくてすんだ。現実には二十歳から二十四歳にかけて、中国で従軍した▼その間に、詩から引用すると<中国人に平気で銃剣を突きつけられる男の一人となった>。初年兵のころ、縛られた中国人捕虜を刺殺した経験を指しているのだろう。兵隊に度胸をつけて、実戦に役立つようにする訓練だったという▼<えらいことになったぞ。誰もこの場から逃げることは出来ないんだ。俺も人殺しをやらねばならないのだ>と自分に言い聞かせたが、罪悪感まではなかった(『八十歳の戦争論』から)。この体験を含め、戦争の実相を語り継ぐことが、戦後の井上さんの使命になっていたと推察する▼『戦死させてもらえる顔』では、戦死するのは<権力者を批判したり/それと闘ったりする術など全然知らない/素直で従順な若者と/相場が決まっているのだ>とつづっている。いつの時代でも、どこの国においても言えそうである▼過日、八十六歳で亡くなった。忘れてはいけない記憶は活字で十分に残してある。受け継がれていくことを願っての最期だったろう。>

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2008102702000122.html

麻生首相、中国TVで侵略を謝罪

北京を訪問していた麻生太郎首相は25日、中国中央電視台 (CCTV) の
インタビューに答え、村山談話の踏襲と日本の植民地統治及び侵略に
対する謝罪を表明しました。また首相は改革開放以来30年間の中国の
経済成長に触れ、日本のみならず世界全体にとってもプラスとなると
高く評価しました。

麻生首相、村山談話踏襲を表明=日中友好路線継続に期待―北京市
( Record China 、27日)

今日の人民網にもその模様が伝えられています。中国語ができません
ので、意味がよくわかりませんが、鷹派が徐々にソフト派に転じてい
ると論評しているようです。

麻生太郎向中国人民道歉 対殖民侵略深表反省

これでまたネトウヨたちの反発がますます強くなるようですね。

新たな戦争遺留品(F092)

F092

またロスアンゼルスのアメリカ人から戦争遺留品である日章旗の返還
協力の依頼がありました。24年前に購入したもので、それ以前の入手
経路は不明とのことです。

この人は1980年代に米海軍航空隊の一員として、日本本土および沖縄
に駐在したことがあり、その時日本語を習い、日本を好きになったそ
うです。そしてずっとこの旗をご家族にお返ししたいと思っていたと
のことです。

寄せ書きから、旗の元の持ち主は「奥田義一」さんとわかりました。
「莫大小中央配給統制株式会社大阪支店」と書かれていますので、同
社の社員だったと思われます。

この日章旗については拙サイト「旧日本軍人の遺留品」の「日章旗
(F051~ ) 」のページにに、F092として掲載しましたので、ご覧の
上、何か手がかりになるような情報がありましたら、ぜひお知らせく
ださい。

慰安婦問題、漫画で解説

今日の朝日新聞阪神版に、神戸女学院大の学生たちが「女子大生と学
ぼう『慰安婦問題』」という本を出版したという記事が掲載されてい
ます。

この本は、授業で学ぶことが少なくなった中学、高校生を対象に、漫
画仕立てにして慰安婦問題をわかりやすく説明しているとのことです。

<考え方を押しつけないように配慮し、本の後半には中学生2人が
「日本に都合の悪いことをどう伝えるべきか」という点で意見をこと
にする場面もある。2人のやり取りを聴いていた大学生は「どっちの
意見がいい、ということでなくそれぞれが事実を知った上でしっかり
考えていくことがまず大切」と説いている。>
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000000810250001

従軍慰安婦問題など「日本に都合の悪いこと」を直視しない人たちも
いるようですが、まず“事実”を知るということが重要です。この女
子大生たちを見習うべきですね。

出版社のサイトもご覧ください。

いよいよ発行! 『女子大生と学ぼう 「慰安婦」問題』」

強制労働 証言のタコ部屋

毎日新聞の「平和をたずねて」シリーズ、今月は戦時中北海道へ強制
連行されてきた中国人労務者の強制労働の模様を、証言に基づいて書
いています。証言しているのは、当時「タコ部屋」と称された寮の管
理事務員だった志村墨然人さん(85)です。

平和をたずねて:強制労働 証言のタコ部屋

麻生炭鉱と朝鮮人強制連行

今日の JanJan に、戦時中の麻生炭鉱における朝鮮人労働者の強制労
働と強制連行を紹介する記事が掲載されています。

これによりますと、戦時中朝鮮半島から麻生炭鉱に連行されてきた労
務者は1万人を超えていたとのことです。これら労働者の募集には現
地の警察が当たっていました。

< 戦前の麻生炭鉱で10,000人の強制連行朝鮮人を強制労働さ
せ賃金をそっくり搾取することなくしては、現在の麻生財閥はありえ
ず、したがって今の麻生太郎内閣総理大臣もありえなかったといって
も過言ではありません。>

ネトウヨの諸君も、さすがにこの“事実”は否定できないでしょうね。

マスコミが書かない麻生財閥の深い闇

「戦争のある暮らし」の書評

去る8月15日に発刊されました乾淑子編「戦争のある暮らし」(水声
社)の書評が、朝日新聞の書評欄に掲載されました。

< この本は国家と戦争が、日常の生活雑貨やマイナーな視覚メディ
アの中に、どのように表現され刻印されていたかを描いたものだ。戦
争のイメージは、安価な商品になって、または習俗と結びついて広く
流通し、人びとの生活に入り込んだのである。そこでは戦争宣伝が民
衆の嗜好(しこう)と結びあって貫かれていたともいえるし、プロパ
ガンダが人びとの意識や習俗に合うように改変されていたともいえる。

http://book.asahi.com/review/TKY200810210093.html

私の子供時代も、生活のいろいろな面に戦争が入り込んで、それが軍
国主義のマインドコントロールに役立っていたように思います。

映画「The Last Bomb 最後の爆弾」

戦後間もなく、アメリカで「 The Last Bomb 最後の爆弾」という映
画が作成されました。この映画は、日本の空襲を米軍側から描いたド
キュメンタリーですが、米軍の物量作戦がいかにもの凄いものであっ
たかを如実に物語っています。

そして映画は最後のシーンで原爆投下を映し、次のナレーションで結
んでいます。

<この時、我々はドイツではやったこともない実験を行いました。 我が
B29機が2つの原子爆弾を投下したのです。原子爆弾は日本の降伏
を早め、何千何万人というアメリカ人の命を救いました。>

この映画は次のサイトでご覧になれます。
“THE LAST BOMB”「最後の爆弾」

龍谷大学が学徒出陣を調査

今日の朝日新聞大阪本社版夕刊は、浄土真宗本願寺派系の龍谷大学が
学徒出陣した卒業生の全員調査を始めたと報じています。

< 調査に参加している4年生の加藤正樹さん(21)は「実際に会
って話を聞くと、想像もつかない世界。でも、自分たちは消してはい
けない歴史を紡ぐ仕事をしているのだと思う。一言も聞き漏らせない」
と話す。

同大の学徒出陣壮行会には約4千人が参加し、当時の大谷光照門主
が「南無阿弥陀佛」と書かれた懐中名号を学生に渡した。送り出され
た学生は約360人だった。>

「戦争を語り始めた宗教者ら、龍谷大は学徒出陣を全員調査


地下壕で発行された沖縄の新聞

今日の琉球新報のコラム「金口木舌」は、沖縄戦の激戦のさなか首里
城地下の壕で新聞が発行されていたが、それは軍によって脚色された
情報だったと、反省をこめて書いています。

<琉球新報など3紙が統合された沖縄新報は、日本軍(第32軍)が
首里城地下の司令部を放棄する5月下旬まで発行。劣勢な戦況にもか
かわらず、あたかも戦果を挙げているかのような報道をして読者に嘘
をつき続けた>

この“陣中新聞”は、戦況を全戦線の軍、民に知らせるため、軍から
迫られて発行されたと、下記のサイトに書かれています。

人物列伝 沖縄 戦後新聞の足跡(11)」(沖縄タイムス、98年
3月17日)


「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー(続)

去る15日「『かわいそうなぞう』とシンディ・ローパー」をアップしました
が、この童話の中に「ぐんたいの めいれいで」と書いてあるのは誤り
で、実際は東京都長官の命令だったというご指摘をいただきました。

そこでネットで調べてみますのと、確かにそのとおりでした。しかしウィ
キペディアには<空襲時に逃げ出したら危険ということで陸軍の判断
に基づき地方行政から猛獣たちを殺処分する命令が出された>と書い
てあります。上野動物園は1941年8月に陸軍東部軍令部獣医部から
求められて、危険な動物の殺害処分などを記載した「動物園非常処置
要網」を提出しており、都長官の命令もこれが前提となっていたことが
考えられます。

その他の動物園のケースについても調べてみました。名古屋・東山動
物園の場合は、同園の公式サイトに<(1943年)11月、佐藤正俊市長から
軍の要請があるので猛獣を何頭か処分しろという指示が届いた。>と
書かれています。

大阪の天王寺動物園の場合は、「動物園と市長・助役が協議の上」と
なっていますが、当時の飼育係は「戦争が激しくなった昭和18年、軍
の命令でライオン、トラ、ゾウ…次つぎと殺しました」と語っており、
従業員たちは“軍の命令”と受け取っていたことがわかります。
猛獣26頭が犠牲に… ライオンに毒入りエサ

さらに神戸・諏訪山動物園の場合は、1951年3月15日の神戸新聞夕刊
に、<猛獣処分は軍の命令で、1944年7月~9月にかけて処分された>
と書かれていますが、憲兵隊が直接動物園に出向いてきて「お前たち
がやらないのなら、われわれが直接手を下す」と執拗に迫るほどで、
当時の野田神戸市長が軍部からの矢の催促に勝てず、断腸の思いで処
分を決定をしたといわれています。
神戸市諏訪山動物園

いずれにせよ軍が直接動物園に命令するのは権限上できないので、軍
から行政機関へ何らかの要請ないし指示があり、それによって都や市
が決定したのは事実のようです。しかし当時の軍の要請というのは、
実質的には命令みたいなもので、時には神戸のように憲兵隊が威嚇す
るといったことは、この問題以外にも例が多かったと思います。

「かわいそうなぞう」の「ぐんたいの めいれいで」という記述は、確かにか
形式的な意味では誤りですが、実質的には間違いないともいえるでしょう。

松谷幸夫様のご家族へ

3月19日付けの「新たな戦争遺留品(F80)」へ拍手コメントをいただき、
ありがとうございました。

ご祖父様のことでお伺いしたいことがありますので、管理者
nishiha@rose.sannet.ne.jpあてご連絡いただければ幸いです。

拍手コメントではアドレスがわかりませんので、ブログに書かせていただき
ました。失礼の段お許しください。

井上俊夫さんのご逝去を悼む

井上俊夫氏

浪速の反戦詩人として知られた井上俊夫さんが昨日逝去されました。

反戦の詩人 井上俊夫さん死去

井上さんは、メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」のメンバーとして、
約5年間、すばらしい詩や貴重なご体験をお寄せいただきました。

昨年7月には、オフ会で講演をお願いしたところ、お足元がご不自由
なのにもかかわらず、わざわざ神戸までお越しいただき、自作の詩の
朗読と解説をお聞かせいただきました。

今年の5月、体調を崩したとのお便りを最後にご投稿が途絶えていま
したので、心配していましたが、このように突然訃報に接するとは、
まことに痛切の極みです。

また一人貴重な戦争の語り部が亡くなりました。謹んでご冥福をお祈
りいたします。 

井上さんが遺されたウェブサイトです↓。ぜひお訪ねください。
浪速の詩人工房

大原康男氏のA級戦犯分祀論批判

今日の産経新聞のコラム「正論」で大原康男・国学院大学教授が、古
賀誠日本遺族会会長と石原慎太郎東京都知事のA級戦犯分祀論を批判
し、A級戦犯合祀を問題として首相の靖国参拝に反対する論は、<そ
もそも毒入りギョーザと同じく中国原産の輸入品であった。>と書い
ています。

「【正論】国学院大学教授 大原康男 またぞろ“A級戦犯”分祀論


また大原氏は先の自民党総裁選に出馬した各候補について、<石原伸
晃、与謝野馨、石破茂の3氏は明確に分祀論に賛同したが、小池百合
子、麻生太郎両氏はそうではない。>と書いていますが、日経新聞は、
各候補は<靖国神社からA級戦犯を分祀(ぶんし)することが望まし
いとの見解で一致した。>と書いています。

靖国問題、A級戦犯の分祀で一致 自民総裁選5候補

なお麻生首相は外相時代、「A級戦犯について言えば、靖国神社は戦
死者をまつるところで、戊辰の役以来、戦死者しかまつっていない。
(しかし)戦死者ではない方がまつられている」と述べ、A級戦犯を
分祀すべきとの考えを示しています。

麻生首相も「河野談話」を踏襲

麻生首相は昨日のの参院予算委員会で、93年の河野洋平官房長官談話
について「政府の基本的立場は現在も談話を踏襲する」と述べました。

麻生首相:従軍慰安婦問題で『河野談話を踏襲する』」(毎日、15
日)

先にも書きましたが、麻生首相は「村山談話」についてもそれを踏
襲すると国会答弁をし、多くのネトウヨたちを失望させましたが、今
回はまたさらに輪をかけてネット上での反発が予想されます。

昨日MLの投稿から、石破茂農水相も“自虐史観”の持ち主であり、
「村山談話」も「河野談話」も認めていることがわかりました。右翼の
論者からは<石破防衛相、軍事オタクというから、防衛省にとって大
なる貢献をする人物と思っていたら大間違い!でした。>と批判され
ています。
クライン孝子の日記

首相の盟友・中川昭一財務相も「村山談話」を肯定しており、また内
閣の要である河村建夫官房長官も、日韓議員連盟副幹事長を務める親
韓派であって、ネトウヨからは民団の走狗と罵られています。

ネトウヨから見ると、麻生内閣はまさに“反日”内閣なのでしょう。


「かわいそうなぞう」とシンディ・ローパー

今朝のNHKテレビのニュースで、アメリカの歌手、シンディ・ロー
パーのインタビューが放送されていました。彼女は童話「かわいそう
なぞう」の英語版を朗読してCDに録音していますが、読むたびに涙
が出ると言っていました。

「かわいそうなぞう」は、戦争末期、安全のため飢え死にさせられた
東京・上野動物園の象をテーマとしたノンフィクションの童話で、か
つて小学校の教科書にも載りました。

シンディがこの童話に出会ったのは、初めて日本へ来て広島の原爆記
念館を訪れた時のことです。彼女が「このような戦争の悲惨さを伝え
ていくため、私にできることがあればやりたい」と言ったら、この本
の英語版を紹介され、一読して泣いてしまったそうです。この童話を
息子さんが赤ちゃんの時から読み聞かせ、朗読のレコーディングの時
も、息子さんに対するように思いを込めて読んだとのことです。

シンディ・ローバーさん かわいそうなぞう英訳版の朗読で平和へ
の願いを訴え


「かわいそうなぞう」の紙芝居は下記で見ることができます。
紙芝居の部屋 今月のお話 かわいそうな ぞう

反戦僧侶・竹中彰元

昨夜NHK教育テレビで放送されましたETV特集「戦争は罪悪であ
る ~ある仏教者の名誉回復~
」を観ました。

日中戦争時「戦争は罪悪である」と説いて、禁固刑を受けた真宗大谷
派の高僧・竹中彰元のことを描いた番組です。彼が刑を受けたのは陸
軍刑法第99条に違反したという理由ですが、当時は民間人も陸軍刑法
で裁かれたのです。

竹中師が逮捕された時、岐阜県の地元の僧侶たちも皆彼を批判し、宗
門の真宗大谷派は布教使資格を剥奪、僧侶身分を最下位としました。
減刑の嘆願書を出したのは檀家だけでした。

真宗大谷派は戦時中、本来仏教は殺生を禁じているのに、一殺多生
(多くを生かすため、少しの殺生はやむを得ない)と教義を曲げて、
“聖戦”に協力しました。

戦後50年経った1995年になってやっと戦争協力を自己批判し、「不戦
決議」を公表、外国人を含む全戦没者を追悼する法要を営みました。
しかし竹中師に対する謝罪はありませんでした。

竹中師の名誉回復に立ち上がったのは、今度も地元の僧侶たちでした。
その運動が効を奏して、昨年9月同派は70年ぶりに竹中師に対する処
分を取り消しました。

番組の最後のほうで、竹中彰元の曾孫にあたる明泉寺の住職が「彰元
は偉い人だったなで終わることなく、今日のこととしてその言葉を受
け止めてほしい」と信者に説いていたのが印象的でした。

他にもご覧になった方も多いと思います。ぜひご感想をお寄せくださ
い。

貞明皇后は和平派だった?

去る7月、「原武史著『昭和天皇』を読んで」の中で、次のように書きま
した。

<戦況が深刻になっても、貞明皇后(当時の皇太后)は自らを神功皇
后に擬して「かちいくさ」を祈り続けましたが、昭和天皇はなかなか
その呪縛から抜けきれず、同じように戦勝を祈り続け、戦争終結を主
張する弟の高松宮の進言にも耳をかそうとしませんでした。>

すなわち原武史氏の意見は、昭和天皇は抗戦派の母の影響を受けて、
なかなか戦争終結に踏み切れなかったということです。

これに対し評論家の鳥居民氏が、今朝の産経新聞のコラム「正論」で、
“貞明皇太后”はむしろ和平派であって、原氏は<二、三の出来事を
誤読、誤解>していると批判しています。

< 神がかりであり、抗戦派である貞明皇太后といった叙述、その呪
縛下にあった昭和天皇といった主張は、事実から遠い。残念ながらと
もう一度言うが、すべては原氏の思い過ごしである。>
「【正論】評論家・鳥居民 『宮中祭祀廃止論』への疑問

なお文中“貞明皇太后”とあるのは、正しくは“貞明皇后”と書くべ
きでしょう。私にはどちらでもいいことですが、皇室の伝統を尊重す
べしという鳥居氏が書くと、その意見の信憑性も疑われかねますね。

戦争遺留品(F091)の身元判明

先日アップしました「新たな戦争遺留品(F090、F091)」の2枚の日章
旗のうち、 F091の元の持ち主である大熊武雄さんの身元が判明しま
した。

この旗には珍しく「印旛郡千代田町内黒田」(現:千葉県四街道市内
黒田)と出身地と思われる住所が書かれていますが、「戦争を語り継
ごうML」のメンバーであるNさんから、四街道市の市会議員に大熊文
夫さんという方がおられ、住所も同じ内黒田との情報をいただきました。

そこでインターネットに公開されています市議会の名簿にある電話番
号に電話しますと、大熊武雄さん方とは親戚ではないが、近所なので
よく知っているというお答えがありました。そして旗に書かれた氏名
の中には、文夫さんの父上や姉上の名もあり、その他ご健在の方の名
前もあるとのことでした。

そして昨日大熊武雄さんのご家族からお電話がありました。それによ
りますと武雄さんはフィリピンのルソン島で戦死されたそうです。実
はこの日章旗は、アメリカの元海軍軍人が1944年か1945年ごろ、フィ
リピンで入手したもので、それとも符合します。

ご家族は、旗が帰ってきたら、あの戦争を伝えるなまの資料として、
もう二度とあのような戦争が起こらないよう役立てていきたいと話し
ておられました。

去る7月には、やはりMLのメンバーのご協力で青年学校手帳が返還
されたましたが、それにに引き続き、今回もまたNさんのご協力で、
きわめて早期に身元が判明しました。

改めてインターネットの威力に感銘するとともに、引続き皆さん方のご
協力のほどをお願いいたします。

南京大虐殺紀念館の日本人ボランティア

今朝の毎日新聞の「ひと」欄に、「南京大虐殺紀念館」の国際ボラン
ティア第1号として、先月中旬までの2カ月間、日本語ガイドを務め
た黒田薫さんが掲載されています。

< 南京では新聞やテレビで報道されたこともあり、地元の人から話
しかけられることも多かった。日本軍の行為を謝罪すると、決まって
「歴史の中の出来事。これからは友好を」との反応が返ってきた。

「その心に応えるためにも南京の歴史事実を忘れまい」との思いを新
たにしている。>

ひと:黒田薫さん 南京大虐殺紀念館初の国際ボランティア

黒田さんが、地元大阪府枚方市のミニコミ紙に寄稿した南京だよりで
す。↓
「『南京』を知っていますか?」


判決受諾と裁判受諾

今日の産経新聞のコラム「正論」で、上智大学名誉教授の渡部昇一氏
が、相変わらずの「日本はサンフランシスコ講和条約で、東京裁判の
諸判決 (Judgments) を受諾したが、裁判そのものを受諾したわけで
はない」との異論を展開し、麻生首相や外務省を批判しています。

「【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 政治家・官僚にお願いした
い事」


渡部氏は、裁判受諾と判決受諾が違う例として、ソクラテスや戸塚ヨ
ットスクールの戸塚宏氏の例を挙げています。また東京裁判のA級戦
犯は誰も裁判を受諾しておらず、受諾したのは判決であると述べてい
ます。

仮にその理屈を認めるとしても、日本政府の場合は、正式見解で“東
京裁判を受諾”しているのです。例えば06年6月16日、小泉内閣は民
主党の野田よしひこ衆議院議員が出した質問書に対する答弁書で明確
な見解を示しています。

< 極東国際軍事裁判所の裁判については、法的な諸問題に関して種
々の議論があることは承知しているが、我が国は、日本国との平和条
約(昭和二十七年条約第五号。以下「平和条約」という。)第十一条
により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している。>
サンフランシスコ平和条約第十一条の解釈ならびに『A級戦犯』へ
の追悼行為に関する質問主意書及びそれに対する答弁書


渡部氏は「裁判受諾」説を外務省の誤った見解としていますが、そう
でなく内閣すなわち日本政府の正式見解なのです。安倍内閣当時の麻
生外相が発言した<「日本は東京裁判を受諾して国際社会に復帰した」
との発言には重大な錯誤があったと思う>との彼の記述には、簡単明
瞭な錯誤があると思います。

この渡部氏とまったく同じ説を、小泉内閣の官房長官であった安倍晋
三氏が国会答弁で述べています。もし安倍氏が首相になった時、「日
本は東京裁判を受諾していない」という「安倍談話」を発表していた
ら、国の内外で大騒ぎになり、たちまち内閣は瓦解したことでしょう。

このようないわば牽強付会的な説を、天下の公器でいまだに主張して
いる人がいるとは驚かされました。

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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