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戦争を伝え、未来を見つめる言葉

今日の朝日新聞のコラム「天声人語」は、戦争を伝え、未来を見つめ
る「8月の言葉」を紹介しています。

●79歳の被爆者「私たちにはもう何もできません。ただ体の続く限り、
こうやって集会に出るだけ。あの日を風化させないように」

●シベリア抑留経験者「日本に帰ってうれしかったのは、戦争をしな
い国になっていたことだった」

●731部隊の元隊員「部隊にいたころ、考えることをやめていた。
自分の行動の意味を考えれば気が狂ってしまう」。

●日本軍の捕虜だった元英兵「過去を悔やみながら振り返らないでく
ださい。二度と帰ってこないのだから。現在を賢く改善してくださ
い。未来に向かって恐れず進んでください」
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「霧の火」と「氷雪の門」(続)

先の「『霧の火』と『氷雪の門』」に対し、両者とも見たといわれるYさんから、「霧の火」を高く評価するとしてたいへん適確なコメントをいただきましたので、ご紹介します。

< 何が評価されるべきかと言えば、同じ事件を扱った1974年の映画「氷雪の門」では経緯の不明な曖昧な悲劇として描かれていた集団自決が、実は各人がバラバラに行ったもので、まったく死ぬ必要のないものだった事が、現在までにわかった事を元にドラマとしてはっきり描かれていたことです。これは昨年沖縄戦「集団自決」に関して教科書を歪曲して殉国美談にしようとした日本社会の半分の存在を考えれば本当に素晴らしい事だと思います。

 このドラマの良い点はそれだけではなく、ソ連兵に強姦されてしまった若い女性の怒り、民間人に対するソ連兵の残酷さ、自決に失敗し生き残ってしまった体験者の罪悪感などの今も残る苦しみ、天皇批判、そして当時の樺太の生活の描写など、それらがはっきりした歴史観と戦争を批判するという明確な製作意図によって演出構成されている点です。>

なおこのドラマを観られなかった方へ:下記の YOUTUBE で全編ご覧になれます。ぜひご覧ください。

霧の火-樺太・真岡郵便局に散った九人の乙女たち-

永六輔さん、平和を語る

1933年生まれ、学童疎開派の永六輔さんは、野坂昭如さん、小沢昭一
さんらと「戦争を語り伝える会」を立ち上げ、講演やラジオを通じて
積極的に活動をしています。

その永さんが、25日の毎日新聞大阪版夕刊の「今、平和を語る」シリ
ーズで、戦争を語り継ぐ活動や平和について語っています。

<◇低レベルの政治よりも宗教の力で平和を
◇三波春夫、江戸家猫八さんの語りは見事だった。権力者の足かせと
なる99条守れば、憲法守れる。憲法は中身変えずに普段使う言葉
に改めよう。聖徳太子の精神を受け継ぎ、異教を認め仲良く。>

今、平和を語る:作家・放送タレント、永六輔さん


戦争と方言

今日の神戸新聞のコラム「正平調」は、海軍兵学校で方言が禁じられ
ていたことについて書いています。岩手県出身の生徒が東北なまりが
なかなか消えなくて、鉄拳制裁を受けた話が紹介されています。

各地方の人が集まる軍隊では、戦闘時でも正確に意思が通じるよう、
標準語への統一が強制されたのでしょう。

しかし軍隊だけではありません。戦場となった沖縄では、軍と住民の
意思疎通を図るため方言が禁じられ、島言葉を話すとスパイとみなさ
れました。

もっとも沖縄では戦前から皇国民教育が徹底しており、学校で島言葉
を話すと、方言札を首からぶら下げられました。旧制県立一中では方
言を使ったため、落第させられたこともあるそうです。

さらには旧植民地の朝鮮や台湾でも、日本への同化政策のため、学校
では母国語の使用が禁止されていたことは有名です。それは戦争の際、
朝鮮や台湾の人たちを、軍人、軍属あるいは従軍慰安婦として活用す
るのにも役立ちました。

軍隊は画一な兵士を養成し、全体主義国家は画一な国民を創り上げま
す。


フィリピン市民を救った日本軍大尉

フィリピンの駐エジプト大使である Oscar Valenzuela 氏からメール
をいただきました。戦時中彼がまだ3か月の乳児だった頃、ある日本
軍大尉のおかげで命を救われたという内容です。

東京裁判では、マニラ市街戦で<一人の赤児が放り上げられ、銃剣
で刺殺された>という聞くに堪えない事実が明らかにされましたが、
これはまた心が洗われるような話ですので、以下ご紹介します。

なお大使はこの日本軍大尉の名前を知りたいと言われています。何か
情報があれば、ぜひお寄せください。

--------------------------------------------------------------
私は、第二次大戦の末期、フィリピンのバルカン州ポロ市に駐屯して
いた、一人の日本軍大尉のことを調べています。

アメリカ軍がマニラを解放しつつあった1945年2月、日本の軍隊が私
の祖父の家を臨時司令部としていました。その家は広く、われわれの
一族と多くの町の人がいました。

大尉は、当時ともに若い医師であった私の両親と友達になりました。
彼はあるとき母に「皆をこっそり集めて、日本兵たちが昼食を食べ始
めたらすぐに、屋敷の外へ連れ出しなさい。そして約1キロ先の川ま
で全力で走って、向こう岸へ渡りなさい」と告げました。

その理由を彼はこう言いました。「アメリカ軍進撃の情報を聞いたら
兵士たちは冷静さを失って、皆さんに危害を加えだすかもしれない」

母は彼の言ったとおりにし、全員川まで走りました。私はまだ3か月
の赤ん坊でしたが、アマが抱いて川を渡ってくれ、助かりました。身
内の者も、町の人たちも、全員負傷することもなく逃げることができ
ました。あの日本軍大尉がいなかったら、私は今日生きてはいなかっ
たかもしれません !!!

彼を偲ぶ小さな記念碑を家の跡地に建てるため、彼の名前を知りたい
と思っています。日本兵が立ち去って間もなく、アメリカ軍は祖父の
家を爆撃し、全壊させてしまったのです!

なおバルカン州ポロ市はその後祖父の名をとって“バレンスエラ市”
と改名されました。

ある元戦犯と“アジア解放”

24日に NHK 教育テレビで放映されました 「BC級戦犯(2)“罪”
に向きあう時」の録画を観ました。番組には、先に「『地獄の日本兵』
を読んで 」
でご紹介しました「地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真
相」という本を書いた飯田進氏が出演されていました。

飯田氏は若い頃吉田松陰に心酔し、アジア解放に一生を捧げようと、
インドネシア語と剣道を学びました。そして1943年志願して海軍民政
府職員となり、ニューギニアへ赴任しました。

彼が戦犯の罪に問われたのは、敵軍のスパイと疑われた原住民の男性
を、上官の命令で処刑したからです。最初はもっとも年次の若い朝鮮
半島出身の兵士が銃剣で刺殺を命じられたのですが、彼が緊張してう
まく突けなくて男性が苦しむのを見て、軍刀で止めを刺したのだそう
です。

またある時、調達した食糧を運ばせるため、女性と子供を「自分は住
民のための民政府の職員だから、命は絶対に保証する」と言って連れ
てきたことがあります。ところが軍の上官は、自分たちの居場所が通
報されるからという理由で、飯田氏の反対を押し切って、その婦女子
も処刑していまいました。

これについて飯田氏はテレビで次のように語っていました。

「戦争は殺すか、殺されるか、ですから、敵に加担した者や通じた者
は殺されても止むを得ないと思っていました。しかし罪のない女性や
子供まで巻き添えにするなんて、人間としてとても許せませんでした。

その時から、この戦争に疑問を持つようになりました。アジア解放な
んて何だったろう」

「大東亜戦争はアジア解放のためだった」などとノーテンキに言う若
者たちに、あの飯田さんの苦悩に満ちた言葉を聞かしてやりたいと感
じました。

「霧の火」と「氷雪の門」

昨夜読売テレビで放映されましたTVドラマ「霧の火~北の大地・樺
太に散った九人の乙女たち」を観ました。

これは1945年8月20日、旧樺太(サハリン)の真岡にソ連軍が侵攻し
てきたとき、最後まで業務を遂行していた真岡郵便局の電話交換手の
女性12名のうち9名が集団自決した事件を描いたものです。

ウィキペディア「真岡郵便電信局事件

この自決した9名の電話交換手は、実は靖国神社に祀られています。
なぜ軍の仕事をしていたわけでもない女性たちが靖国の神になるのか、
不可解ですが、“殉国美談”の主として、靖国神社の宣伝に利用する
ためとしか思えません。

1974年に製作された古い映画「樺太1945年夏 氷雪の門」がいまだに
靖国の遊就館で上映されているのもその証拠です。この映画を観てい
ませんので、映画の意図するところはよく解かりませんが、少なくと
もこの映画が、9名の乙女たちを英霊として顕彰するために利用され
ていることは事実です。

昨日の「霧の火」は後半しか観ていません。全体のストーリーより、
どういう視点から製作されたかに興味があったからですが、後半だけ
でもそれはよく解かりました。

このドラマでは、靖国の祭神になった女性たちではなく、生き残った
女性が主人公になっています。そして最後の部分で、その主人公の心
の叫びとして次のように語らせていました。

「散華という名の下に、死を美化した時代は終わりました。戦争は、
8月15日に終わったんです。 私たちは生きなくてはなりません。
英霊たちの命に報いるために。幸せになるために。新しい自由な時代
を生き抜かなくては」

「散華」という言葉が溢れている遊就館では、このドラマは決して上
映されることはないでしょう。

映画もTVドラマもろくろく観ていないのに、生半可な感想で申し訳
ありません。どなたか、どちらでもいいですからご覧になった方のご
批判をお待ちします。


御国の旗をばおし立てて

今日の産経新聞のコラム「正論」に作家の深田祐介氏が、「北京五輪
と国旗の似合う美女
」という一文を書いています。

深田氏は、北京オリンピックで日本選手団の旗手を務めた福原愛さん
の姿から、戦時中の国策映画に出演した入江たか子や高峰秀子の凛々
しい姿を連想し、往時の「美しい国、日本」を思い起こしています。

そして愛ちゃんの堂々たる行進の感想を次のように述べています。

< 福原愛さんは、日中交流の最前線に立っているという自覚があり、
どちらの国からも支持されているという強い自信があるのだろう。

それで彼女の堂々の旗手ぶりは一般日本人の胸を打ち中国人観衆の
罵声(ばせい)、罵倒(ばとう)のこだまも「まあ、あの美人と笑顔
に免じておおめに見てやろう」という範囲に踏みとどまったのではな
いか。

どんどん中国が安定を失いつつあるのは間違いない。オリンピック
もいつなにが起るか判らない危うさに満ちていた。たかが旗手の問題
ではない。彼女が旗手でなかったら、大混乱や暴動が絶対に起らなか
ったとは言いきれないのだ。

鈍感な中国人は気がついていないが、福原愛という存在を失ったら、
中国が突然亡国の危機にさらされる可能性だって皆無と言えなかった。


「愛ちゃんが旗手を務めていなかったら、中国が亡国の危機にさら
される」などとはとても思えませんが、最後の文章にはもっと驚きま
した。

< 「すすめや すすめや みなすすめ 御国の旗をばおし立てて」。
私は戦時歌謡を思い出し、知らぬ間に口ずさんでいた。>

かつて“皇軍”は「皇国(みくに)の旗をばおし立てて」、こういう“軍歌”
を歌いながら、中国へ侵略の歩を進めました。日中の平和友好のシ
ンボルのような愛ちゃんの行進から、どうしてこのような“戦時歌謡”
が思い出されるのでしょう?

深田氏は戦後63年経ってもまだ、軍国少年ボケから抜けきっていない
ようですね。そのくせ「御国」などと間違うのは、高名な作家らしく
ありません。

ご参考までに、軍歌「皇国の守り(来たれや 来たれ)」の一節をご
紹介しておきます。

♪すすめや すすめや みなすすめ
皇国の旗をば おし立てて
すすめや すすめや みなすすめ
先祖の国を まもりつつ
死すとも しりぞく事なかれ
皇国のためなり 君のため♪

皇国の守 ( 来たれや来たれ )


東条の孤影

今日の毎日新聞のコラム「発信箱」は、最近公開された東条メモから
書き出し、戦争末期には東条元首相は誰も近寄らない孤独の存在であ
ったこと、そして彼の自殺未遂などに言及しています。

「発信箱:東条の孤影=玉木研二(論説室)」


63年目の追憶

<戦争が終わって63年。当時の記憶は風化していくばかりだが、一
方で戦争の痕跡を探し求め、平和への思いを新たにする作業をしてい
る人たちがいる。彼らの夏の姿を追った。>

という趣旨の特集記事が、去る8月13日から3回にわたって産経新聞に
連載されました。(中)は 戦争遺留品に関する新聞記事でご紹介させてい
ただきました戦争遺留品に関する記事です。

このほど産経のサイトにもアップされましたので、ご紹介します。

【終戦企画・63年目の追憶】
(上)戦前を探し求める若者
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080812/trd0808121645014-n1.htm
(中)遺品の主を探して
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080822/trd0808221544006-n1.htm
(下)まだ見ぬ肉親の墓
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080814/kor0808142207008-n1.htm

鎮霊社

昨日、産経新聞のコラム「正論」に加地伸行・立命館大学教授が書い
た一文をご紹介しましが、その中に<靖国神社拝殿に向かって左に、
鎮魂社…>とありますが、この「鎮魂社」は「鎮霊社」の誤りでしょう。

なにか違和感を感じたので、靖国神社の公式サイトで確認しますと、
確かに「鎮霊社」となっています。われわれならいざ知らず、「正論」
の論説委員としては勘違いでは済まされませんね。そのまま掲載し
た産経新聞も「靖国派」の名が泣くというものです。

この鎮霊社のことは、「靖国派」でもタブーとなっているようですが、産
経の「イザ! 」でも、早速加地教授の論を批判しています。しかしここ
でもやはり「鎮魂社」と書いているのはご愛嬌です。

<加地先生の提案は、拝殿に向かって左に、「鎮魂社」として祭られ
ている戦禍犠牲者を、夏季特別慰霊祭において合祀するとのことだが、
日本の宗教界の内実をご存知ないと見える。>
http://qendo18kai.iza.ne.jp/blog/entry/689554/

靖国ガイドのベテラン・Hさんから「鎮霊社」の解説を寄せていただ
きましたので、以下引用させていただきます。
--------------------------------------------------------------
昭和44年第61国会に自民党が靖国神社法案を提出しました。必
ず靖国神社の合祀者は戦死者だけではないか。官軍兵士だけではない
かと論議されることが想定されますので急いで創建したのが鎮霊社だ
と言われております。

靖国神社公式 web サイトの「境内のご案内」から画像を見て頂けれ
ばお分かりのように小さな小さな祠なのです。
http://www.yasukuni.or.jp/precincts/index.html

神道では御霊代(御神体)に神が宿ることになっています。靖国神社
は剣(つるぎ)と鏡と言われています。ところがこの鎮霊社の御霊代
が何であるか一切明らかにされていません。さらには鳥居がありませ
ん。

天の岩戸の前にいた「常世の長鳴鳥」の止まり木であり、「神域に入
る人間のための入口」であることを表すのが鳥居です。

靖国神社自身が鎮霊社にマスコミのスポットが当たるのは嫌がるはず
ですのでこの議論は空論の域を出ません。何となれば、午前10時か
ら午後4時までしか通用門が開らかれていない、そして鳥居もないと
いう「冷たい扱い」をされているのが実状の鎮霊社なのですから。

8.15 「靖国フィールドワーク」のルポ

今日のブログ「リベラル21」に、1935年生まれで元軍国少年という
半澤健市氏が、去る15日に「靖国フィールドワーク」に参加して、靖
国神社・遊就館、千鳥ヶ淵戦没者墓園、東京都慰霊堂の3箇所を巡っ
たルポを書いています。

<慰霊3施設を巡って感じたことは、「靖国神社の強さ」よりも「戦
後民主主義のひ弱さ」である。靖国神社は、本来「天皇の戦争」とい
う弱さを負っているのである。しかし戦後民主主義は「天皇の戦争」
を「国民のための戦争」とは異なるものである、という認識に至るこ
とができなかった。私自身の「主観的な」参拝理由もその一例である。

靖国神社・2008年夏 ―戦没者慰霊のあり方を考えた8月15
日―」



森田実氏の1945年夏の回顧

旧制中学1年生で終戦を迎えた政治評論家の森田実氏は、自身のウェ
ブサイトにおいて「1945( 昭和20) 年夏を振り返る」というタイトル
で、6回にわたり当時を振り返っています。

<  ポツダム宣言が発せられたのは7月26日。御前会議がポツダム宣
言受諾を決定したのは8月14日(これが玉音放送で国民に知らされた
のは8月15日)だった。前回も述べたことだが、この間20日がむなし
く過ぎ、大悲劇が起きた。その間の広島と長崎への米軍による原爆投
下とソ連参戦で少なくとも約40万人の人命が奪われた。「国体護持」
をめぐっての政府内部での対立のためだった。戦争が終わってしばら
くして、この20日間の空白を知ったとき、私には「国体の護持」とは
いったい何だったのかという怒りがこみ上げてきた。この怒りはいま
も消えない。ある意味では、ここに私の人生の原点がある。>

各回の URL は次のとおりですので、通してお読みください。

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04497.HTML
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04501.HTML
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04504.HTML
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04506.HTML
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04509.HTML
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C04510.HTML

「靖国」を全戦没者慰霊の場に(加地伸行)

今日の産経新聞のコラム「正論」に、立命館大学教授の加地伸行氏が
「『靖国』を全戦没者慰霊の場に」という一文を書いています。

加地氏は、
< 靖国神社拝殿に向かって左に、鎮魂社という小さな社がひっそり
と建っている。昭和40年の創建で、靖国神社に合祀されていない日
本人神霊(例えば西郷隆盛)や全世界の戦死者・戦禍犠牲者(例えば
湾岸戦争関係者)の神霊がそこに祀(まつ)られている。
その諸霊を英霊とともに新設の夏季特別大祭において降神して祭神
とし、慰霊鎮魂の誠を尽くしていただきたいのである。>
と、「靖国」を全戦没者慰霊の場にすべしと主張しています。

しかし「天皇に尊い命を捧げた英霊を弔う」という靖国神社の生い立ちや
本質を考えるならば、それはまったくの空論と言うべきでしょう。 

加地氏は、敵味方の区別なく戦没者を弔う例として、松井石根元大将
の興亜観音やキューバのカストロが第一回革命記念祭に敵軍兵士の遺
族も招いたことを挙げていますが、沖縄の「平和の礎」こそが世界に
誇る代表的な例です。

「全戦没者慰霊の場」としては、「中韓への阿諛追従」などのためで
はなく、「日本人の主体性に基づいての生産的な議論」から生まれる
「平和の礎」全国版以外にはないのではないかと考えます。


「硫黄島からの手帳」故郷へ還る(後日談)

先月末「『硫黄島からの手帳』故郷へ還る」で、戦争遺留品(T016)
の「青年学校手帳」が、異例の早さで北海道のご遺族に返還されたと
ご報告しました。

その時いち早く鶴居村の役場に駆けつけ、ご遺族の所在を見つけてく
ださったNさんが、このほどわざわざご遺族宅を訪問し、お花を供え
てくださいました。

そこで手帳に挟んであった1枚の紙を見て、硫黄島で戦死された齊藤
学冶とNさんは、半年ほどの差で共に横須賀海兵団に入団された、い
わば戦友だったことがわかり、驚かれたそうです。

こんなに早くご遺品をお返しできたのも、お二人が何か目に見えない
糸で結ばれていたからのようで、まことに感動しました。


映画「火垂るの墓」を観て

遅ればせながら実写映画「火垂るの墓」を、神戸の映画館で観てきま
した。

この物語には、ひとしお思い入れがあります。原作者の野坂昭如氏と
は3歳違いの同世代、彼が空襲時住んでいた神戸市灘区の家と私が空
襲の前年まで住んでいた家とはほど近く、また第二の舞台となった西
宮のニテコ池や回生病院は今の家からも近くて時々散歩で訪れる場所
なので、まったく身近に感じられるからです。

それだけに“実写”映画となると、いろいろ違和感を感じることがあ
ります。例えば神戸っ子の主人公が神戸弁でなく大阪弁をしゃべるな
どです。そういう細かいことはいろいろありますが、まあ全体的には
テレビドラマ版に比べれば、時代考証的にはまずまずと思いました。

しかし中学校の校長室に掲げられていたご真影(天皇皇后の写真)が
失火により焼失するというの話には違和感を禁じ得ませんでした。戦
前・戦中は、学校のご真影は耐火性のある奉安殿か奉安庫に厳重に保
管されており、あのようにむき出しで掲げられ、簡単に焼失するとい
うのはまったく当時では考えられないことです。

たぶんこの映画のために新しく挿入されてたエピソードでしょうが、
当時を知らない人の創作と思います。またご真影を焼失したため、責
任を取って校長が自殺したという実話はいくつかありますが、あのよ
うに世間体を恥じて家中で夜逃げして一家心中してしまうというのは
少しオーバーではないかと感じました。

映画の結末である二人の主人公の最期も、割に淡々と描かれており、
何かあっけない感じがしました。最近は涙腺が老化していますが、涙
ぐむようなことはありませんでした。映画が終わって周りを見回して
も、涙を浮かべているような人は見当たりませんでした。

アニメ版では、兄妹の最期がもっと詳しく、深刻に描かれており、そ
れが涙を誘うのですが、あえてそのようなお涙頂戴的な演出を避けた
のでしょうか? それとも6歳の子役では、しだいに衰弱して死に到
るといった演技は無理だからでしょうか?

結局これは観る前からある程度予想されたことですが、「実写」はアニ
メを超えられなかった、というのが私の独断的な感想です。


敗戦、焼け跡からの復興の写真

毎日新聞のサイトに、敗戦そして焼け跡から復興へ向けて立ち上がる
庶民の姿を写した写真が掲載されています。

戦争体験世代には見慣れた写真ですが、若い世代にはぜひ見ていただ
きたい写真です。

1845年敗戦、焼け跡からの復興


「辻政信」の数奇な足跡

今日の日刊ベリタのシリーズ「戦争を知らない世代へ」で、元日本陸
軍特務機関員の中谷孝さんは辻政信について書いています。

元陸軍参謀の辻政信は敗戦直後戦犯訴追を逃れるため、中国国民党の
蒋介石の庇護の下に潜行を続けました。「蒋介石は何故連合国の重要
戦犯辻政信を匿ったのか」は以下でお読みください。

「『辻政信』の数奇な足跡 元陸軍参謀から戦後参院議員に、そして
ラオスで失踪 中谷孝



戦中・戦後をともにした動物たち

先に大阪の天王寺動物園の「戦時中の動物園」展をご紹介しましたが、
東京の昭和館でも「戦中・戦後をともにした動物たち」という特別企
画展を開催中(8月末まで)です。

今日の毎日新聞のコラム「発信箱」は、この特別企画展について書い
ています。

< 会場には殺処分された上野動物園の猛獣たちのはく製も展示され
ている。耳を澄ませば、雄ライオン「アリ」のたてがみから無念のう
なりが漏れてきそうな気配である。>

発信箱:忠犬たちの夏=玉木研二(論説室)」


新たな戦争遺留品(F086)

F086

また新しくアメリカ・ミシガン州の Kenneth Buckingham さんという
元米陸軍下士官から日章旗の返還協力の依頼がありました。戦争中フ
ィリッピン・ミンダナオ島の山岳地帯から持ち帰り、たいせつに保管
していたが、高齢(85歳)にもなるし、この際元の所有者かご家族に
お返ししたいとのことです。

旗に書かれた寄せ書きから、元の所有者は「木村伊三男」さんと考え
られ、また寄せ書きには「従四位勲四等江藤誠之書」とあり、木下
(光次、敏冶、喜代志、しげ子)、江藤(寿夫、君夫、一英、陽子、
君子、マサ子)などの署名があります。

旧日本軍人の遺留品」の「日章旗(F051~  )」のページに、F086と
してアップしましたので、ご覧ください。

なおこの日章旗については、ミシガン州の地方紙 The Monroe
Evening News のサイトに記事が掲載されています。
Vet returning Japanese flag from WWII


日本軍と阿片

昨夜のテレビ番組「NHKスペシャル 日本軍と阿片」を見ました。
証言していた元兵士が「暴力団が麻薬を資金源にしているでしょう。
あれと同じですよ」と言っていたのが、事の本質を表しているようで、
印象的でした。

関東軍は阿片により中国の人々の健康を蝕み、それで得た資金で武器
を購入し、それでまた中国人を殺傷したのです。

旧陸軍の資料に「大東亜共栄圏の鍵は阿片政策」と書いてあったとい
うのも驚きでした。われわれは子供の頃、皇軍は立派な軍隊、大東亜
共栄圏は理想の世界と教え込まれていました。

番組では、A級戦犯の東条英機と板垣征四郎が満州時代阿片に関わっ
ていたと説明されていましたが、同じくA級戦犯に指名され、旧満州
帝国の要職にあった岸信介の名は出てきませんでした。自民党有力政
治家の祖父だからではないと思いますが…。

しかし岸信介が阿片王といわれた里見甫の墓の墓碑銘を揮毫したのは
事実です。

東条メモを読んで(梅田正己)

先日公開されました東条英機元首相の直筆メモについて、書籍編集者
の梅田正己氏が「マスコミ九条の会」のサイトにその感想を書いてい
ます。

< このような狂信的な単細胞が、総理大臣の座にすわり、他の大臣
職も兼務し、独裁的な権力を振るったのである。この国の敗北は必然
であった。>

戦争指導者の本質 ――東条英機の直筆メモを読んで


63年目の「火垂るの墓」


映画「火垂(ほた)るの墓」は目下各地で上映中ですが、この物語に
まつわる話を朝日新聞兵庫版が3回にわたって連載しました。下記で
お読みください。

63年目の『火垂るの墓』」
(上)「名前ない死」映像で提示
(中)戦争の記憶、今のうちに
(下)空襲の悲惨さ 若者が継ぐ

実写 映画『火垂るの墓 - ほたるのはか - 』公式ホームページ


旧日本軍とアヘンの関わりを示す新資料

今日の朝日新聞夕刊に、中国における旧日本軍とアヘンの関わりあい
を示す資料が見つかったという記事が掲載されています。

< 日中戦争中、中国占領地でアヘン流通にかかわり「アヘン王」と
呼ばれた里見甫(はじめ)(1896~1965)が、アヘンの取扱
高などを自ら記した資料や、旧日本軍がアヘン販売の原案を作ってい
たことを示す資料が日本と中国で相次いで見つかった。>

アヘン王、巨利の足跡 新資料、旧日本軍の販売原案も


靖国問題に関する新聞の社説・コラム

「終戦の日」の昨日、福田首相の靖国神社参拝はありませんでした閣
僚が3人参拝しました。また 全国戦没者追悼式で河野衆院議長が無
宗教の追悼施設建設を検討するよう求め、話題となりました。

これを巡って、今日は毎日、産経、琉球新報の3紙が社説やコラムで
靖国問題について書いています。産経はやはり福田首相を批判し、一
方新しい追悼施設の建設には反対の立場ですが、他の2紙は逆の立場
です。

「追悼のあり方 静かに議論を続けたい」(毎日)
<  河野洋平衆院議長が、この日の全国戦没者追悼式で無宗教の追悼
施設建設を検討するよう求めたのは、この状況は好ましくないと考え
たからだろう。小泉時代の喧騒(けんそう)は終わった。むしろ、静
かに追悼のあり方を議論する好機だと考えたい。>
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080816k0000m070152000c.html

「終戦の日と靖国 福田首相はなぜ参拝せぬ」(産経)
< 終戦の日の8月15日、東京・九段の靖国神社には、今年も多く
の国民が参拝に訪れた。だが、福田康夫首相の姿はなかった。予想さ
れたこととはいえ、残念である。>
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080816/edc0808160333001-n1.htm

「産経抄」(産経)
<今年も福田首相をはじめ大半の閣僚が靖国参拝を見送った。むろん
河野議長もそうだ。それならせめて一度だけでも、参拝の風景を見に
いってほしい。そうすれば、政治レベルで代替施設を造れなどと軽々
な議論はできないはずである。>
http://sankei.jp.msn.com/life/education/080816/edc0808160333002-n1.htm

「靖国神社参拝 政治家の歴史認識を問う」(琉球新報)
< 福田首相はアジア諸国の信頼を損なうことがないよう、A級戦犯
分祀や宗教色のない新追悼施設の建設など、抜本的な解決に前向きに
取り組む時期に来ている。>
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-135279-storytopic-11.html

靖国冬の時代

今朝の産経新聞に、昨15日の靖国神社のルポが掲載され、<福田政権
下における靖国が「冬の時代」を迎えていることを実感した>と報告
しています。

<わずか2年前のこの日には、靖国神社には小泉元首相の参拝効果で
約25万8000人もの参拝者が詰めかけた。それが、昨年は一気に
約16万5000人へと落ち込み、今年はさらにそれを下回る約15
万2000人となった。>

この「冬の時代」という言葉は産経の記者が言い出したのでなく、当
日神社境内で開催された戦没者追悼中央国民集会における「英霊にこ
たえる会」の堀江正夫会長の挨拶にあったものです。

<靖国神社問題は現在、『冬の時代』にある。一気に『氷河期』に突
入することも予想される。靖国の無視、ご英霊の否定にも発展しかね
ない事態だ>

ルポ『靖国冬の時代』平成20年8月15日 忘れてはならない慰
霊・追悼


「冬の時代」という危機感は、今年の戦没者追悼中央国民集会の声明
にも表れています。

<現在、真正保守にとって厳しい時世であることは昨年来の内外諸情
勢を顧みれば歴然としている>

以下その声明の全文を転載します。

全文を表示 »

ヒトニマケナイツヨイコニナリナサイ、硫黄島からの手紙

昨日の朝日新聞大阪本社版夕刊に、戦争中硫黄島から子どもたちに手
紙を送り続けた元軍人のことが紹介されています。当時6歳で、手紙
を受け取った周藤征一さんの言葉、

<国家と云う美名のもとに行われる戦争が、いかに市民の為にはなら
ない愚行である事かを、必ず次世代に語り継いでほしい>

ヒトニマケナイツヨイコニナリナサイ、硫黄島からの手紙


無宗教の追悼施設を 河野衆院議長

河野洋平衆院議長は今日の全国戦没者追悼式の「追悼の辞」で、「政
府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる
施設の設置について真剣に検討を進めることが強く求められている」
と述べました。

終戦記念日:無宗教の追悼施設を 河野衆院議長、政府に検討求め
」(毎日、15日夕刊)

福田首相が官房長官当時に主宰した私的懇談会答申の「国立の無宗教
の恒久的施設」はその後棚上げになったままです。福田内閣のうちに
何とかその道筋をつけてほしいものです。

「終戦の日」の新聞コラムから

今日の各紙のコラムもやはりほとんどが戦争関連の内容です。全国紙
はなぜか一様に先日公開された東条メモから東条元首相を批判してい
ます。地方紙は多彩なテーマです。

朝日の「天声人語」は元中尉の戦記と東条元首相のメモを比較してい
ます。
http://www.asahi.com/paper/column.html

読売の「編集手帳」は特攻隊員が子供に残した手紙を引用しつつ、東
条元首相を批判しています。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20080814-OYT1T01002.htm

毎日の「余録」も「東条メモ」を批判し、次のように書いています。
<戦記作家の伊藤桂一さんは、元首相が陸相当時に示達した戦陣訓を
陸軍の一兵卒として一読し、すぐ破り捨てたそうだ。辛酸と出血を重
ねる戦場の兵に何の同情も理解もなく、高みから督戦するだけの文章
に感じたのは「羞恥(しゅうち)」だという>
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20080815k0000m070147000c.html

産経の「産経抄」も戦争体験を集めた『孫たちへの証言』を紹介し、
次のように書いています。
<63年前の8月13日に、戦争に負けたのは、「国政指導者及国民
の無気魂」のせいだ、と書き残していた東条英機元首相にも、読ませ
たかった。>
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080815/acd0808150313002-n1.htm

東京の「筆洗」は、日中戦争時の漢口陥落を祝うちょうちん行列を例
に引き、<人々の熱狂と、戦争の拡大は無縁ではない。>と書いてい
ます。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2008081502000135.html

北海道の「卓上四季」は、軍部に「献納」を求められたり、「徴用」
された動物について書いています。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/

河北新報の「河北春秋」のテーマは映画「火垂(ほた)るの墓」です。
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20080815_01.htm

福島民友の「編集日記」は古河好間炭砿に設けられた捕虜収容所にま
つわる話です。
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/0815n.html

新潟日報の「日報抄」は映画「靖国」とナショナリズムについて書い
ています。
http://www.niigata-nippo.co.jp/nipposho/index.asp#1

福井の「越山若水」は川柳です。
<「ヒロシマの水(み)漬(づ)く屍(かばね)となった川」>
http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news5/index.php

山陰中央日報の「明窓」
<身の回りから戦争の跡が消えていく。体験を伝える人も少なくなる。
聴いて、見て、伝える-。今のうちにしておかねば。>
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=505489034&from=top

高知の「小社会」
<そこから浮かび上がってくるのは、内向きの「終戦の日」だけでは
とらえきれない歴史の重さだろう。日中戦争以降の日本人の戦没者は
約三百十万人に上るが、一方で中国や朝鮮、フィリピンなどアジア各
国の戦没者は合わせて一千九百万人以上とされる。 >
http://203.139.202.230/?&nwSrl=230685&nwIW=1&nwVt=knd

西日本の「春秋」は、野城市の元西日本新聞記者、坂井美彦さんと妻
で児童文学作家のひろ子さんの共著「筑紫れくいえむ」を紹介してい
ます。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/41275?c=182

佐賀の「有明抄」はあの日の“号泣”について書いています。
http://www.saga-s.co.jp/ariakesyou.html

熊本日日の「新生面」のタイトルは「五輪と平和」です。
http://kumanichi.com/sinseimen/200808/20080815001.shtml

 

「終戦の日」の各紙社説

「終戦の日」の主要各紙の社説をご紹介します。

「終戦から63回目の夏―『嫌日』と『嫌中』を越えて」(朝日)
< 終戦から63回目の夏。五輪が象徴する中国の台頭は、日中関係
にも新たな発想を迫っている。若い世代の取り組みにそのひとつの芽
を見る。>
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

「静かな追悼の日としたい」(読売)
< 国立追悼施設の建設に向けた調査費は来年度予算案でも計上が見
送られる模様だ。
  しかし、靖国神社側が、適切な対応をしなければ、千鳥ヶ淵戦没者
墓苑を拡充するなどして天皇参拝の中心施設にすべきだという議論が、
今後勢いを増していくことになるのではないか。
  追悼施設の問題に一日も早く決着をつけ、国民が一致して静かに戦
没者を追悼する8月15日となってほしい。>
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080814-OYT1T00996.htm

「終戦記念日 日本独自の国際協力を」(毎日)
<  米国との同盟は日本外交の基軸であり、同盟を確かなものにする
努力を怠ってはなるまい。しかし、それは何もかも米国に追随するこ
とを意味しない。ことに、平和維持への国際協力ではそうだ。対米追
随では評価されず、日本の国際的地位も高まらないだろう。>
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/

「平和の尊さをだれが語り継ぐのか」(日経)
< 63年が経過し、もはや戦争があったことも知らない世代が増えて
いる。「過去に目を閉ざす者は未来に対してもやはり盲目となる」と
ドイツのワイツゼッカー元大統領が語っている。過去をきちんと学び、
現在の平和の尊さを知るべきだろう。>
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20080814AS1K1400114082008.html

「8月15日 日米の絆を確かめたい」(産経)
<  今、日米同盟に代わり、価値観の異なる中国や、領土問題などで
日本に敵対姿勢を強める韓国などと、多国間の枠組みを選ぶとなれば、
日本はまた、孤立の道を歩むことになるだろう。>
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080815/plc0808150313002-n1.htm

「人間中心主義に帰れ終戦記念日に考える」(中日 / 東京)
<  一人一人が人間として大切にされなければならないのは無論です
が、あの戦争では多くの若者が日本の未来を信じることで不条理の死
の慰めとしました。他人と歴史に無関心で、それすら忘れてしまった
ら戦後の日本が不毛になってしまいます。>
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008081502000088.html

「終戦記念日 記憶の灯を語り継ぎたい」(北海道)
<  戦争体験者たちはすでに高齢となった。あの日々の記憶を語り継
ぎ、平和の灯を広げたい。>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/111526.html

「終戦の日/足元から『平和』を問い直そう」(神戸) 
< わたしたち一人一人の動きも問われる。時がたてばたつほど、悲
惨な体験を次の世代に伝える作業が大切だ。身の回りで起きているこ
とに目を向け、本当に「平和」の名にふさわしいのかどうかを考える。
 そうした多様な努力の継続が、もっと足腰の強い平和国家につなが
っていく。>
http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0001338847.shtml

「終戦記念日 見直したい『不戦の力』」(中国)
<  多くの尊い命を犠牲にした末にたどり着いた「不戦の誓い」。国
内にとどまらずアジア諸国の人々に多大な損害や苦しみを与えたこと
への深い反省に立ち、日本国憲法が生まれた。六十年余りたった今、
その精神はどこまで守られているのだろうか。足元に目を凝らすと、
平和主義を脅かす影が徐々に広がっているようにも見える。>
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200808150202.html
 
「『記憶』のひだに刻む作業を 63回目の『終戦の日』に」(西日
本)
< モニュメントを、戦争体験を、記録として語り継ぐと同時に、日
本国民が体験した記憶を確実に受け継がなければならない。私たちは
次の段階に進む必要があるのではないか。>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/41264?c=181


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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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