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戦後63年の「実績」と保守主義(櫻田淳 )

産経新聞「正論」の「8月15日」シリーズの最終回?は、櫻田淳・
東洋学園大学准教授の登場です。

櫻田氏は、戦後63年の日本の歩みを肯定した上で、<「古き良き日本」
に想いを寄せる>“保守派”や<「輝かしき共産主義社会」を夢想し
た>“進歩派”をともに観念論として批判した上で、次のように述べ
ています。

< 現在、日本には、様々な困難が降りかかっている。しかし、日本
は、過去の様々な困難を踏み越えながら、少なくとも千数百年の時間
を刻んできた。故に、今後の日本を語る際の総(すべ)ての前提は、
戦後63年の歳月を含む過去の歩みを一応は肯定することであろう。

この肯定の感情こそが、「自信」と「心の安らぎ」の基盤である。
そして、筆者が左翼層の「自虐」論にも右翼層の「憂国」論にも距離
を置いているのは、こうした「自信」と「心の安らぎ」が双方の議論
に感じられないからである。

そして、筆者は、今後の日本の足を掬(すく)うのは、こうした二
つの観念論であろうと読んでいる。>
「【正論】『8月15日』 東洋学園大学准教授 櫻田淳

これは安倍前首相の「戦後レジームからの脱却」を真っ向から否定す
る意見と言えましょう。

このような43歳の櫻田氏に象徴されるように、今年の「正論:8月1
5日」シリーズは、従来の凝り固まった右翼論客でなく、それから一
線を画した、若手の新しい保守派学者を起用しています。

産経紙も、戦前思想の抜けきらない古い読者層が高齢化とともに減り
つつあるので、もっと若い層をターゲットに舵を切り換えつつあるの
でしょうか?


動物園の「戦争を語り継ごう」

戦時中は各地の動物園でいわゆる「猛獣処分」が行われ、多くの罪の
ない動物が殺されました。この悲しい出来事を伝えようと、大阪の天王
寺動物園では目下「戦時中の動物園」を開催していますが、その模様
を昨日の朝日新聞大阪本社版夕刊が伝えています。

< 天王寺動物園(大阪市天王寺区)の「戦時中の動物園」展は、0
6年に始まった。宮下実園長(58)は「戦後60年を過ぎ、戦争関
連の催しが減りつつあった。そういう時だからこそ、動物園から戦争
の悲しみを伝えようと、職員たちが考えた」と振り返る。>
天王寺動物園『戦時中の動物園』展


野球選手の剛腕奪った手投げ弾

オリンピックの陰に隠れて、今年はちょっと影が薄いですが、今甲子
園球場では高校野球がたけなわです。

ご承知のように、15年戦争では多数の甲子園球児OBたちも戦争に駆
り出され、その多くが帰らぬ人となりました。また無事帰った野球選手で
も、硬球より数倍重い手投げ弾の遠投競争の影響で肩を壊し、投手生
命を絶たれた人もいたと、昨日の朝日新聞大阪本社版夕刊は伝えてい
ます。

野球選手の剛腕奪った手投げ弾 遠投、肩むしばむ


私の八月十五日

戦争体験者にとって、二度目の「20年8月15日」を迎えました。63年
前のあの衝撃の日の思い出を綴る「私の八月十五日」というサイトを
設けています。60数名の人たちから原稿を寄せていただきました。

まだご覧になっていない方は、ぜひ「私の八月十五日」をクリックして
ください。また戦争体験者のご寄稿もお待ちしています。




戦争遺留品に関する新聞記事

今朝の産経新聞に、私どもの戦争遺留品返還活動に関する記事が掲載
されました。切抜きのコピーを下記にアップしましたので、ご覧くだ
さい。
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/iryuhin/medea/sankei080814.htm

日中戦争最初で最大の「帰順」

元日本陸軍特務機関員の中谷孝さんによる日刊ベリタ「戦争を知らな
い世代へ」シリーズ、今回は日中戦争において二万四千もの国民党軍
の大部隊を日本側に寝返らせたという秘話です。

日中戦争最初で最大の『帰順』 国民党軍師団長・王占林との出会
いと別れ 中谷孝(元日本陸軍特務機関員
)」


「三国同盟」の教訓と日本外交(坂元一哉)

「【正論】「8月15日」 シリーズの第4回の筆者は大阪大学大学院教授
の坂元一哉氏です。

「【正論】「8月15日」 大阪大学大学院教授・坂元一哉

坂元氏は、戦前の日本は<「国際社会から孤立」して、それに耐えき
れず、危険な国(ドイツ)と同盟したので奈落に落ちたということ
だろう。>と三国同盟を批判しています。

そして、<戦後の日本は、国際社会との協調を何より重視する外交を
展開してきた。その背景には、国際社会からの孤立が無謀な戦争と未
曾有の敗戦を招いたとの反省がある。その反省は正しいし、国際協調
外交は、戦後日本の平和と繁栄の基盤になった。>と書いています。

以上の点についてはほぼ同感です。

しかし、<私はいつも、そういう議論を聞くたびに、外交において孤
立はもちろんよくないが、孤立を恐れるのはもっとよくないと言いた
くなる。三国同盟の失敗から得られる一番の教訓は、それだと思う
からである。>としているのはどうもよく理解できません。

戦後の日本外交はアメリカとの協調を基盤としてきました。そのアメ
リカの力がだんだん衰えてきて、世界が多極化するにつれ、アメリカ
に追従しているだけでは、世界で孤立する恐れも出てきました。そこ
で孤立を恐れる余り、かつてのナチス・ドイツのような「危険な国」
と手を結んではならないということでしょうか?

アメリカだけでなく他の国々、とくに東アジアの各国と協調を深めて
いくことこそが、三国同盟の愚の教訓を活かし、日本の平和と繁栄に
つながると愚考するのですが…。


玉砕の島からの生還者の証言

今日の朝日新聞大阪本社版夕刊で、旧日本軍が玉砕したペリリュー島
およびアッツ島から奇跡的に生還した二人の元兵士が体験を語ってい
ます。

戦場の真実語る 島から生還の元日本軍兵士たち


【書評】「百人斬り競争」と南京事件

笠原十九司著「『百人斬り競争』と南京事件―史実の解明から歴史対
話へ」(大月書店、08年6月)の書評(評者赤澤史朗・立命館大学教
授)が、朝日新聞のウェブサイトに掲載されましたので、ご紹介しま
す。

< 本書によればこの2人の将校に限らず、日本軍将兵が1人で数十
人の中国兵を軍刀で斬り殺したという話は、日中戦争期には数多く見
られ、将兵の出身地の地方紙上で報道されていた。だがそれは実際に
は、敗残兵や捕虜など無抵抗の中国人を斬った場合が多いと推測され
るという。

衝撃的なのは、その当時こうした斬殺を、将兵の家族を含む地域社
会が称賛し、彼らを郷土の英雄扱いしていたことだ。事件を裏で支え
ていたのは、マスメディアも含む国民の喝采だったことを、本書は明
らかにしたのだった。>
http://book.asahi.com/review/TKY200808120115.html

すいとんを食べて戦時を思う

昨日東京都杉並区の児童館で、「戦時中の話を聞きながらすいとんを
食べる会」が開かれ、80代の元兵士二人が小学生たちに戦争体験を話
しました。

その模様が東京新聞の東京ニュース動画でご覧になれます。
http://www.tokyo-np.co.jp/mxtv/200808127.asx

子供たちはすいとんを「おいしい」とお代わりしていましたが、見れ
ば戦中、戦後われわれが食べたとはまったく違うご馳走で、料理もや
はり体験者が伝えなければなりませんね。

「8月15日神話」の問ひかけ(長谷川三千子)

今日の産経新聞のコラム「正論」の「8月15日」シリーズは、埼玉
大学教授の長谷川三千子氏が執筆しています。

「【正論】「8月15日」 埼玉大学教授・長谷川三千子

長谷川氏は、なぜ「八月十五日神話」というような言い方がされるの
か、その意味を追求して、次のように書いています。

< 佐藤氏のこの労作に唯一欠けてゐるのは、昭和20年8月15日
正午-氏自身「この瞬間、ラジオの前の日本国民はすべての活動を停
止していた」と言ふその瞬間を、自らの身心をもつて追体験するとい
ふことであらう。そのこと抜きに「八月十五日神話」を内側から明ら
かにすることは不可能なのである。

かつて河上徹太郎氏は、この瞬間を指して「あのシーンとした国民
の心の一瞬」と呼び、「全人類の歴史であれに類する時が幾度あつた
か、私は尋ねたい」と語つた。また桶谷秀昭氏の名著『昭和精神史』
及びその戦後篇は、この「謎の瞬間」への問ひかけを核として書かれ
てゐる。これが感傷や心理の問題ではなく、わが国の精神史上もつと
も重要な問題の一つであることを、心ある人々はすでに洞察してゐる
のである。>

確かにあの8月15日の玉音放送を聴いた瞬間は、当時の国民にとって
天と地がひっくり返るほどの衝撃を与えました。11歳の少年であった
私にとっても、それはそれまでの価値観のコペルニクス的転換であり、
その後の人生観、世界観に大きく影響を与えました。

それだからこそ、「八月十五日」が神話のように語り継がれているの
でしょう。

しかしそれは長谷川氏のいう“民族的抵抗”の表れなのではなく、現
人神がただの人間に戻ったという、大日本帝国という神話が崩れ去っ
た日としてであると思うのです。

それにしても余計なことですが、戦後生まれの筆者がなぜ天下の公器
に旧仮名遣いで文章を書くのか、時代錯誤的な違和感を禁じ得ません。

「死者のいる歴史」学ぼう

今日の毎日新聞のコラム「記者の目」に、大阪本社版で「今、平和を
語る」と題したインタビューを担当している広岩近広記者が、取材し
た戦時体験を紹介し、<これまでインタビューした18人の方々の問
いかけを集成すると、こうなろう。「歴史が教えているではありませ
んか。歴史に学んでください」>と、歴史に学ぶことを訴えています。

記者の目:『死者のいる歴史』学ぼう=広岩近広


「天下ニ恥ヂザル」敗戦ナリ(新保祐司)

産経新聞のコラム「正論」は、「8月15日」シリーズが始まったよ
うで、2回目の今日は都留文科大学教授の新保祐司氏が書いています。

「【正論】『8月15日』 文芸批評家・都留文科大学教授 新保祐


新保氏は、敗戦直後に書かれた吉田満の「戦艦大和ノ最期」の末尾が、
初稿では「至烈ノ闘魂、至高ノ錬度、天下ニ恥ヂザル最期ナリ」とな
っていたのに、昭和27年刊行時には「今ナホ埋没スル三千ノ骸 彼ラ
終焉ノ胸中果シテ如何」と書き換えられたことから、次のように述べ
ています。

< それが、7年間に及ぶ占領期を経て、昭和27年の時点では「彼
ラ終焉ノ胸中果シテ如何」という鎮魂のトーンの強いものとなった。
「天下ニ恥ヂザル最期ナリ」という矜持(きょうじ)と賛嘆に満ちた
精神から変化していったのである。
戦後63回目の敗戦の日を迎えるにあたって、日本人は「天下ニ恥
ヂザル」敗北をしたのだという気高い精神をまず回復すべきである。


敗戦直後は多くの人はまだ戦前戦中の思想を引きずっており、その後
7年間も経って戦争の実態がしだいに明らかになってくるにつれ、そ
の思想もまた変わってくるのは当然です。

今またその敗戦直後の“気高い精神”を取り戻せというのは、過去の
戦争を正当化し、“世界に冠たる”大日本帝国に戻れといっているよ
うに、かつての軍国少年には思われます。そこにはあの戦争に対する
反省はまったく見られません。

新保氏はまた、<「天下ニ恥ヂザル」敗戦ということでは、今村均大
将が真っ先に頭に浮かぶ。>と書いていますが、今村は当時の軍首脳
からはかならずしも評価された存在ではありませんでした。

当時の軍人が皆今村均のような“気高い精神”の持ち主であれば、あ
のような戦争を起こすこともなっかたのではないでしょうか?

終戦は日本の「選択」だった(阿川尚之)

今日の産経新聞のコラム「正論」に、慶応大学教授・阿川尚之氏が
「終戦は日本の『選択』だった」という一文を寄稿しています。

阿川氏は、<アメリカが卑劣な手段で日本を戦に追い込み、その上で
予定どおり壊滅させたのだと説明する>“右の勢力”と<無謀な戦争
を起こしたのは天皇の下の政府と軍部であり、国民は犠牲者に過ぎな
いと主張する>“左の勢力”をともに批判した上で、次のように述べ
ています。

< 戦争に負けて真っ先にすべきは、敗戦の原因を徹底的に分析し、
責任者を処分し、次の戦争には決して負けない備えをすることである。
それをしないで、本当は負けていない、悪いのはアメリカだ、自分た
ちは犠牲者に過ぎないなどと、60年間ぶつぶつ言い続けるのは、潔
くないし、何の役にも立たない。
負けは負けと率直に認め、そのうえで最善の策を取らねばならない。


「【正論】『8月15日』 慶応大学教授・阿川尚之 終戦は日本の
『選択』だった」」



捕虜の扱いに見る日本陸軍のモラル

日刊ベリタに元日本陸軍特務機関員の中谷孝さんが連載されています
「戦争を知らない世代へ」シリーズの最新回は「捕虜の扱いに見る日
本陸軍のモラル」です。

「日中戦争実録 捕虜の扱いに見る日本陸軍のモラル 中谷孝(元日
本陸軍特務機関員)」


長崎被爆者代表の「平和への誓い」

今日午前に行われました長崎市の平和祈念式典で、被爆者代表の森重
子さん(72)が読み上げられた「平和への誓い」がたいへん感動的で
したので、以下全文を転載します。

全文を表示 »

「ナガサキ原爆の日」の新聞社説・コラム

今日の「ナガサキ原爆の日」は、各紙がいっせいに社説で原爆を採り
あげた6日と違い、原爆をテーマにしたのは地元紙だけでした。しか
しコラムではいくつかの地方紙が採りあげています。以下ご紹介しま
す。


「『平和は長崎から』を新たに 原爆の日 永井博士の遺言」(西日
本)
<  まず日本が非核3原則の法制化を実現し、北東アジア非核地帯化
に取り組まねばならない。長崎平和宣言文の起草委員会の総意でもあ
る。>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/39959?c=181

「長崎原爆の日  希望の灯をともし続けよう」(長崎)
<  高校生たちが、被爆者の思いを、被爆者に代わって、世界に、未
来に伝える活動に立ち上がってくれた。高齢化した被爆者にとって、
これほどの喜びはない。>
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/ronsetu/08/074.shtml

 
「卓上四季:最後の被爆都市」(北海道)
<「多くの国が核兵器を持つようになればどうなるか。中には不安定
な国もある」。四十五年前、ケネディ米大統領は核兵器拡散の危険性
を訴えた▼ブッシュ政権与党・共和党の大統領候補となるマケイン氏
が、演説でこれを引用しながら語った。「ケネディ氏の警告は今日、
かつてなく共感を得ている」「拡散の危険をなくす希望ある選択肢は、
核兵器の削減だ」>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/

「河北春秋」(河北新報)
<  原爆稲をご存じだろうか。被爆直後に長崎で採取された稲の子孫
のことだ。何度栽培しても稲穂の半分ほども実らない半不稔(ふねん)
が、この稲の特色という>
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20080809_01.htm

「正平調」(神戸)
<永井隆博士。あなたが自ら被爆しながら医師として救護活動に取り
組んだあの夏から六十三年が過ぎました。長崎市の田上富久市長はき
ょうの平和祈念式典で「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけ
である」という博士の言葉を盛り込んだ平和宣言文を読み上げるそう
です>
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0001315795.shtml

「明窓 :  ナガサキ」(山陰中央日報)
<「その日、昭和二十年八月九日午前十一時二分!/ギギギギン長く
尾をひいた金属性の音/ハッと友と見合った瞬間/窓ガラスに強烈な
白閃!」▼この詩句は、反原爆詩人で知られる福田須磨子(一九二二
-七四)の詩集「原子野」にある「忌まわしき思いでの日に」の導入
部分である。>
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=505310034&from=top

「春秋:8月9日の長崎発『平和宣言』は」(西日本)
<冷戦下で国務長官を務めたキッシンジャー氏らが、冷戦時代の全面 
核戦争を想定した時代遅れの計画を捨てることが「核なき世界」への
第一歩と提案した。そこからも引用しつつ田上富久長崎市長は平和宣
言を読み上げる。核廃絶への決意を道標付きで発信する。>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/40004?c=182

「水や雲:何を祈り決意する」(長崎)
< 「一発あたると何万人もがペチャンコにやられるところの、…想
像もされないような大威力のものができねばなりません」。満州事変
にもかかわった元陸軍軍人石原莞爾が、太平洋戦争前の1940年に
著した『世界最終戦論』の一部だ>
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/mizusora/top.html

「有明抄」(佐賀)
<しかし、63年前のきょう、この大聖堂は一発の原爆で一瞬にして
破壊され、多くの信徒も犠牲となった。無残なそのがれきの中から掘
り出された一個の鐘。フランス製の「アンジェラスの鐘」である。生
き残った教徒たちは苦しい生活の中で天主堂を再建。この「アンジェ
ラスの鐘」をまた鳴らしたのである。>
http://www.saga-s.co.jp/ariakesyou.html

 

終戦記念テレビ番組のご案内(4)

終戦記念テレビ番組の追加です。

★8月16日(土)15:00~16:25 日本テレビ
  8月24日(日)15:00~16:25 読売テレビ
日中戦争秘話 ふたつの祖国をもつ女諜報員~鄭蘋如の真実~
http://www.ytv.co.jp/zheng/index.html


以上ご紹介しましたように、毎年8月になると戦争関連のテレビ番組
が急増しますが、日本のテレビは戦争や原爆をどう扱っているのかを
分析するプロジェクトを、九州大や長崎県立大の研究者が共同で進め
ています。今月1日から15日まで、長崎、広島、福岡、東京の地上波
テレビ放送の延べ22局、計約8000時間をすべて録画し、検証する試み
です。

昨年は福岡のみしか録画できなかったそうですが、その約2000時間の
録画映像を素材に分析すると、戦争をテーマに据えたドラマやドキュ
メンタリーの登場人物の国籍は、約9割が日本人で、うち加害者とし
て扱ったのは全体の1割にも満たず、被害者イコール日本人という伝
え方が際立っていたとのことです。さて今年はどうでしょうか?

「長崎など22局の全放送を録画 TVが伝える戦争を分析 終戦の
日まで15日間 九州大准教授ら調査」(西日本、8日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/39757?c=110

満州支配の願望が15年戦争の悲劇に 中谷孝

昨日の日刊ベリタに、元日本陸軍特務機関員の中谷孝さんが、「日本
人はなぜあのような悲劇に突入しなければならなかったのかを体力と
気力のつづくかぎり書き残しておきたい」という意図から、日清戦争
以降15年戦争に到る一連の歴史の流れを簡潔にまとめていますので、
ご一読ください。

戦争を知らない世代へ 明治の日本人が懐いた満州支配の願望が1
5年戦争の悲劇に 中谷孝(元日本陸軍特務機関員)」



「ヒロシマ原爆の日」の新聞社説・コラム

今日は「ヒロシマ原爆の日」、この日の新聞の社説・コラムをご紹介
します。社説ではほとんどの新聞が「核廃絶は世界の動向となりつつ
ある」しかし「北朝鮮・イランなどの核拡散の危険性も高い」といっ
た論調のようですが、前者に希望を持つ新聞と後者への警戒を強める
新聞とに分かれるようです。


「被爆63年―核廃絶は夢物語ではない」(朝日)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
「原爆忌 核拡散を止めねばならない」(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080805-OYT1T00766.htm
「原爆の日 世界は核廃絶の頂を目指せ」(毎日)
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/
「核拡散への監視を緩めるな」(日経)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080805AS1K0500305082008.html
「原爆の日 北の核許さぬ決意新たに」(産経)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080806/plc0808060255002-n1.htm
「伝えたい、語りたい 原爆忌に考える」(中日 / 東京)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008080602000091.html
「原爆の日 核廃絶への『希望の芽』」(北海道)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/109464.html
「原爆の日/核廃絶の実現へ一歩でも」(神戸)
http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0001306889.shtml
「ヒロシマ63年 核軍縮への道開く好機」(中国)
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200808060113.html
「核廃絶へ、悲観論を排す時だ 広島原爆の日に」(西日本)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/39310?c=181


「天声人語」(朝日)
<  先ごろ長崎市であった国際平和シンポジウムに、少し勇気がわい
た。米メリーランド大、ナンシー・ギャラハーさんの発言だ。「米議
会は核兵器は無意味だと考え始めている。次期大統領が核廃絶を唱え
れば、国民は支持するだろう」>
http://www.asahi.com/paper/column.html

「編集手帳」(読売)
<  家が倒れ、両親が下敷きになった。手の先だけが見えた。指を握
っていると、炎が迫ってきた。瓦 ( が ) 礫 ( れき ) に埋まった母
が「早くお逃げ」と言った。ひとりぼっちになったので、祖母を訪ね
ようと思う>
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20080805-OYT1T00799.htm

「余録:原爆」(毎日)
<  「口の中にその光の味を感じたが、鉛のような味だった」。63
年前のきょう午前8時16分、広島市上空で自らが投下した原爆の閃
光(せんこう)を見た爆撃機B29エノラ・ゲイの機長の言葉である。
別の乗員は心境をこう語った。「とても、すごい。やれやれ安心した」

http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/

「記者の目:CGで復元する広島爆心地の営み」(毎日)
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20080806k0000m070132000c.html

「春秋」(日経)
<▼広島の爆心地から300メートルの本川国民学校は数千度の熱と爆
風でなぎ倒された。生き残ったのは全校生徒620人のうち6年生の居 
森清子さん、ただ1人。校庭には黒こげの死体があふれ先生もみな 
亡くなった。両親も弟も失う。被爆者の多くは体験を語ろうとしな 
い。差別もある。居森さんもその1人だった。>
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080805AS1K0500505082008.html

「筆洗」(東京)
<それでも内心からの訴えが勝ったのだろう。<にんげんの にんげ
んのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ>。やはり
よく知られる原爆詩集の中の詩句である。時代を超えて、叫び続けて
いく必要がある。>
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2008080602000145.html

「ケロイドの娘」(北海道)
<原爆の被害については学んできたつもりだが、知らなかった体験談
に出合うたび、新たな衝撃を受ける。例えば被爆して顔にひどいケロ
イドを負った女性の言葉だ。写真家の福島菊次郎さんが書き残してい
た▼「こんな顔になって、結婚してくれる人もいないのよ。子供が好
きだから、お母さんに抱かれた赤ちゃんに思わず声をかけるの。赤ち
ゃんはわたしの顔を見たとたん、火がついたように泣き叫んで、お母
さんにしがみつくの」>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/

「正平調」(神戸)
<小学校の修学旅行といえば、かつては伊勢が定番だったが、今は広
島という学校が多い。昨年、兵庫県内では三百二十校が訪れた◆旅の
思い出をつづった作文を読むと、原爆ドームよりも黒く焦げた弁当箱
や学生服、切り刻まれたようなワンピースなどについて書いたものが
多い。子どもたちは、これら日常にある品々に刻まれたつめ跡から、
被爆の恐怖や悲劇を感じ取っていた>
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0001306917.shtml

「天風録:原爆の絵日記」(中国)
<土砂降りの黒い雨をつき、焼けただれた姿で逃れてくる人々。そし
て息絶えて…。「まっすぐに見ることもできず、怖くて手を差し伸べ
ることもできなかった」。あの日の情景は、今でも夢に出てくるとい
う>
http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te200808050121.html

「春秋:日本以外に被爆地をつくる愚行を」(西日本)
<  日本以外に被爆地をつくる愚行を人間は犯さないはずだから、原
爆被爆者は何十年か後には地上からいなくなる。そんな時代を生きる
1人として、40年近く前から重たい録音機を抱えて全国を歩いてき
た人がいる。>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/39329?c=182

赤塚不二夫さんと満州引揚げ

漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなりました。赤塚さんは1935年、旧満
州生まれ、終戦直後は母子5人で苦労して引揚げてきた経験を持って
います。

そういう体験を伝えようとして、ちばてつや氏らと「中国引き揚げ漫
画の会」を組織し、引揚げ体験の伝承に尽力してきました。京都府舞
鶴市の舞鶴引揚記念館には、この会のメンバーの漫画が展示されてい
ますが、その一部が同館のサイトで見ることができます。

中国引き揚げ漫画の会」(左側の自画像をクリックしてください。)

またお一人「戦争を語り継ごう」のお仲間が亡くなりました。謹んで
ご冥福をお祈りします。
赤塚

終戦記念テレビ番組のご案内(3)


引続き戦争関連のテレビ番組の8月8日以降の放送予定をご紹介します。

★8月15日(金)10:05~11:00  テレビ朝日
'08戦争童話 キクちゃんとオオカミ 昭和20年満州―忘れてはいけな
い物語
http://www.shin-ei-animation.jp/sensoudouwa08/

★8月15日(金) 22:30~23:30  NHK 総合
NHKスペシャル
証言記録 レイテ決戦 “勝者なき”戦場
http://cgi4.nhk.or.jp/feature/index.cgi?p=rOsAhUdw&c=1

★8月17日(日)22:00~  NHK 教育
ETV 特集シリーズ BC 級戦犯 (1)韓国・朝鮮人戦犯の悲劇
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/0817.html

★8月24日(日)22:00~  NHK 教育
ETV 特集シリーズ BC 級戦犯 (2)“罪”に向きあう時
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/0824.html

★8月25日(月)21:00~23:18 日本テレビ
特別ドラマ 霧の火~北の大地・樺太に散った九人の乙女たち(仮)
http://www.ntv.co.jp/kyu-otome/

 

「地獄の日本兵」を読んで

飯田進著「地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相」(新潮新書、08
年7月)という本を読みました。

著者の飯田進氏は1923年生まれで、1943年志願して海軍民政府職員と
なり、資源調査隊員としてニューギニアに赴任。激戦の地で無事生き
延びて終戦を迎えましたが、戦犯として重労働20年の刑に服しました。

この本はそうした飯田氏のちょっと変わった体験を綴ったものと思っ
て買ったのですが、自分自身の体験の記述はごく一部で、ニューギニ
ア戦線で戦った多くの軍人の体験記等からの引用が主体となっていま
す。

そしてこの本で著者が言いたかったのは、<太平洋戦争中の戦死者で
もっとも多い死者は、敵と撃ち合って死んだ兵士でなく、日本から遠
く離れた戦地で置き去りにされ、飢え死にするしかなかった兵士たち
なのです>ということです。

そこに描かれているのは、蝶々や蜘蛛はいうに及ばず人肉までも口に
する飢え、果てには味方同士の間での強盗、殺人、まさに餓鬼道の世
界です。

こうしたことは何もニューギニアだけでなく、インパールその他各地
の戦場で実際に起こったことです。あの戦争を正当化したり、戦死者
を英霊として美化したりする向きがありますが、これが兵士を使い捨
てにした大日本帝国の戦争の実態だったのです。

最後に終章の一部を引用しておきます。

<しかし次のことだけは、お伝えしておきたいと思います。
戦後、とりわけバブル景気華やかだったころ、数多くの戦友会によ
って頻繁に行われた慰霊祭の祭文に、不思議に共通していた言葉があ
りました。
「あなた方の尊い犠牲の上に、今日の経済的繁栄があります。どうか
安らかにお眠りください」

飢え死にした兵士たちのどこに、経済的繁栄を築く要困があったの
でしょうか。怒り狂った死者たちの叫び声が、聞こえて来るようです。
そんな理申付けは、生き残った者を慰める役割を果たしても、反省へ
はつながりません。逆に正当化に資するだけです。実際、そうなって
しまいました。>

地獄の日本兵―ニューギニア戦線の真相―」


映画「火垂るの墓」

野坂昭如氏の小説「火垂(ほた)るの墓」が直木賞に選ばれて40年に
なりますが、今年は実写映画化され、現在公開中です。今日の西日本
新聞のコラム「春秋」はこの映画をテーマに採りあげています。

<▼監督は40代の日向寺(ひゅうがじ)太郎さん。野坂さんと同世
代で師でもあった黒木和雄監督の遺志を継いだ。戦争を知らない世代
の自分でいいのかと悩んだという。体験を受け継ごうと決めて原作と
向き合った。戦闘場面は出てこない。戦闘場面をちりばめた映画以上
に戦争のむごさを伝える。>
せみ時雨が運ぶ鎮魂の8月

実写映画「火垂るの墓」公式ホームページ

滋賀県満州報国農場奉仕隊

今朝の京都新聞には、終戦間際旧日本軍に食料を供出するため、満
州に渡った滋賀県の若者たちによる「滋賀県満州報国農場奉仕隊」の
ことが書いてあります。

県の満州農場に引率 女性教師 米原で展示 生き抜いた1年半 証



平和のため勇気を持とう(中谷孝)

昨日の日刊ベリタに、かつてこのブログでもご紹介しました元日本陸軍
特務機関員の中谷孝さんが寄稿されています。

< 然し今戦前と戦後、どちらの日本が良いかと問われれば私は戦後
と答えるだろう。勿論今の日本に問題は多い。心配なことも沢山ある。
だが戦争をもうしないという日本人には大きな安心感がある。六年余
り戦場を体験した私にとって平和憲法は何にも代えられない宝である。
憲法に譲られた戦後六十年の平和の有難さは身に沁みている。> 

平和憲法は何にも代えられない宝 平和のため勇気を持とう 中谷
孝(元日本陸軍特務機関員)」



わだつみ会 8・15集会

日本戦没学生記念会(わだつみ会)では、今年も8月13日(水)から
16日まで東京都墨田区の江戸東京博物館ホールで、8・15集会「講演
と映像ドキュメント 戦没学生遺稿展」を開催します。

案内のチラシを下記にアップしましたので、ご覧ください。
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/kirinuki/wadatsumi815.htm



ある「大陸の花嫁」の引揚げ体験

ある「大陸の花嫁」(満洲開拓移民に嫁いだ女性)の娘さんから、お
母さんの旧満州からの引揚げ体験記を寄せていただきましたので、以
下転載させていただきます。


「戦争が激しくなり、開拓団は疎開する、3日分の食糧を持って只ち
に集合」・・・との事

これは、昨年 (2007)89歳で亡くなった母が生前書き遺してくれたも
ので、昭和20年8月8日満州から、佐世保港に上陸するまでの出来事
です。母は「大陸の花嫁」として昭和14年に満州に(東安省密山県東
光村佐賀屯)渡りました。

ここからは母の引き揚げ当時の記録です。

全文を表示 »

鶴彬 没後70年

一昨年6月 「反戦川柳作家・鶴彬」でご紹介しました反戦川柳作家
・鶴彬(つるあきら)のことが、今日の朝日新聞のコラム「天声人語
に書かれています。今年は29歳で亡くなった彼の没後70年にあたる
そうです。

<▼軍国色に染まる時代に立ち向かうように、その句はきっぱりと強
い。〈屍(しかばね)のいないニュース映画で勇ましい〉〈銃剣で奪
った美田の移民村〉〈手と足をもいだ丸太にしてかえし〉。2句目は
旧満州への入植を、3句目は、手や足を失った帰還兵を詠んだものだ>

記事にもありますように、来年の生誕100年を機に鶴彬の生涯を描く
映画の作成が始められています。
ドキュメンタリー映画『鶴彬』 - 公式サイト

先のメールで彼の作品の一部をご紹介しましたが、さらに戦争関連の
句を追加します。

出征のあとに食へない老夫婦
ざん壕で読む妹を売る手紙
タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやらう
稼ぎ手を殺してならぬ千人針
高梁(コーリャン)の実りへ戦車と靴の鋲
出征の門標があってがらんどうの小店
万歳とあげて行った手を大陸において来た
鶴彬 川柳選」より


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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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