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小学校新指導要領解説書に「沖縄戦」などを初めて明記

平成23年度から完全実施される新しい小学校学習指導要領の解説書に、
沖縄戦や空襲、原爆などを初めて例示することが決まりました。これ
により小学校の授業で、戦争の歴史に関する学習がいっそう充実する
ことが期待されます。

沖縄戦、原爆など初めて記載 新学習指導要領解説書」(産経、29
日)

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旧満州の山中「幻の大要塞」

旧満州国と旧ソ連との国境地帯には、旧関東軍の手で対ソ戦に備えた
要塞群が築かれていましたが、厳重な軍事機密だったため資料はほと
んど残されていません。この「幻の大要塞」を訪ねたルポが今日の朝
日新聞大阪本社版に掲載されています。

旧満州の山中『幻の大要塞』 関東軍建設、日中が確認

「靖国 YASUKUNI」の映画評

「リベラル21」というブログに、半澤健市さんという人が「靖国 
YASUKUNI」の映画評を投稿していますので、ご紹介します。

映画評『靖国 YASUKUNI』 ―中国人映画監督の深みのあ
る問題提起―」


<この問題提起は、イデオロギー的・政治的なレベルのものを超えて
いると思う。
日中戦争を踏まえてはいるが同時に日中戦争から浮揚して、「戦争と
いう名の亡霊」、「人類にとって永遠のテーゼでもある〈戦争と平和
〉」という大きなテーマにまで拡がっている。>

沖縄戦のガマの中にも慰安所が(続)

一昨日の「沖縄戦のガマの中にも慰安所が」という記事を裏付けるよ
うな話が、大田昌秀・沖縄県元知事のかつての講演の中にありまし
たので、ご紹介します。大田氏は沖縄戦のとき、鉄血勤皇隊として従
軍していましたが、以下はそのとき見聞した事実です。

<そうすると参謀たちはもうこれでは沖縄戦には責任を負えないとい
うことになって、結局は首里城の地下にあった守備軍の司令部では作
戦どころか朝から酒を飲んでいるんです。今、従軍慰安婦問題が表面
化していますが、首里城の司令部の脇には朝鮮から連れてこられた女
性たちがおり、司令部が南部の摩文仁に移ってからも最後までこうい
う女性たちはずっといたということを、私なども目にしてきました。
そしてお偉方というのは戦争がいかにひどいものかということを知っ
ておりますから、司令部の濠の奥から一歩も外に出ないわけです。特
に幹部クラスというのは、特別の料理人を本土から連れてきて料理を
作らせており、飲むものは一般の将兵や地元の人たちが水さえないよ
うな状況の中でもスコッチウイスキーを飲んでいるとか、それが摩文
仁の最後の戦場でもそういうことをやっていたわけです。>

沖縄の小学校で児童たちが「集団自決」劇を熱演

去る20日、沖縄県の宜野湾市立志真志小学校の児童や教諭らによって
集団自決をテーマにした平和劇「ヒルサキツキミソウ」が上演されま
した。

この学校劇に対し、「裁判で係争中の内容を上演するのはいかがなも
のか」「児童に演じさせるのは洗脳ではないか」などと、脚本内容の
変更と練習の見学要請や上演中止を求める電子メール、電話が多く寄
せられましたが、校長先生の判断で実施されたものです。

地域が見守る中、沖縄・志真志小学校児童たちが『集団自決』劇を
熱演
」( JanJan 、26日)

こういった抗議は主として県外からのものでしたが、それが報道され
ると、市民からそれを上回る激励の電話が相次ぎ、上演当日はマスコ
ミ各社が取材に駆けつけたそうです。ちょっと映画「靖国 YASUKUNI 」
の騒ぎを思い出させますね。

なおこの学校劇を伝えた20日の琉球放送のニュースの映像を下記で視
聴できます。

慰霊の日を前に志真志小で平和劇 テーマは集団自決


鈴木邦男の愛国問答

映画「靖国 YASUKUNI 」について、国会のセンセイ方を含むウヨクの
人たちから「反日」との批判が巻き起こりましたが、そういう風潮に
対して本物の右翼である鈴木邦男氏が、最近の「マガジン9条」で
「反日」について皮肉たっぷりに書いています。

鈴木邦男の愛国問答 第2回『反日』だらけのニッポン


沖縄戦「集団自決」についての特集記事

沖縄タイムスは、沖縄戦の集団自決や日本軍による住民虐殺などの体
験者を追った特集記事を、17日から23日まで連載しました。ぜひお読
みください。

刻む・沖縄戦「集団自決」』
第1部 語りだす人々
(1)内原静子さん・渡嘉敷村阿波連(6月17日)
(2)屋宜英太郎さん・渡嘉敷村阿波連(6月18日)
(3)宮平千代枝さん・座間味村座間味(6月19日)
(4)上里和子さん・座間味村座間味(上)(6月20日)
(5)上里和子さん・座間味村座間味(下)(6月21日)
(6)久米島住民虐殺(上)(6月22日)
(7)久米島住民虐殺(下)(6月23日)

この中の(3)に、当時13歳だった女性とその祖母、弟の3人が日本軍
のいる壕に逃げ込んだときの話が紹介されています。そこの責任者の
中尉から、次のように言われたそうです。

「われわれは今晩一時に壕を出る。自分が手榴弾のピンを抜くから、
おばさんの家族は、ここで固まって、玉砕した方がいいんじゃないか」

すなわち女・子どもでは自決は無理だから、自分が殺してあげるとい
うことですが、これは「軍命による集団自決」どころか、「軍による
集団処刑」ではないでしょうか?

またこの中尉たちは3名の朝鮮人慰安婦を連れて、この壕から逃げ出
したとのことですが、これは前稿の JanJan の記事を裏付ける証言です。

なおこの特集記事は、「戦争を語り継ごう -リンク集-」からリン
クしました。


沖縄戦のガマの中にも慰安所が

昨日のインターネット新聞JanJanに、沖縄戦で日本軍が立てこもったガマ(洞穴)の中にも慰安所があったという記事が掲載されています。そして食糧などの補給を軽視していた旧日本軍がなぜ慰安婦を重視していたのか、そして従軍慰安婦に関する「河野談話」が出されたタイミングについての考察もされています。

沖縄戦跡ガマの中に慰安所があった!」

ガマについては、次のサイトをご覧ください。
アブチラガマ (糸数壕)」


沖縄戦生き残り兵士の供養の旅

沖縄戦で負傷し、生き残った旧陸軍軍曹、日比野勝廣さん(84、北名
古屋市)は、「慰霊の日」にに合わせ沖縄へ百十数回目の供養の旅を
しましたが、今朝の毎日新聞愛知版は、その同行ルポを掲載していま
す。

沖縄慰霊の日:思い出すこと…それが供養だ 日比野勝廣さんに同


「慰霊の日」に語る沖縄戦の体験

昨日の「沖縄慰霊の日」に、平和の礎や各地の慰霊祭で、沖縄戦の体
験者が重い口を開いて新たに語った体験談を、今日の沖縄タイムスが
伝えています。

問い続ける『あの日』」
幼い末妹思い 消えぬ痛み/「集団自決」体験した姉妹
手榴弾取り出し「死のうか」と父/座間味村出身・内間さん
南北の塔で戦体験語る/山部隊との合同慰霊祭


沖縄戦の語り部「うつろな目の少女」

昨日の朝日新聞大阪本社版夕刊の1面に、沖縄戦の語り部として1200
回以上も語ってきた大城盛俊さん(75)が引退を決意したという記事
が掲載されています。

大城さんは沖縄戦当時12歳でしたが、家族の食べ物を持っていこうと
した日本兵に殴られて右目失明などの大けがを負いました。またお母
さんもスパイと疑われて日本軍に殺されました。

沖縄戦語り部、大城盛俊さん引退へ 『残酷なのは戦争』」

大城さんは当時、「男の子は日本軍に何をされるか」と案じた父に少
女の格好をさせられていましたが、米軍に傷の手当てを受けている時
に写された写真が、大田昌秀・元沖縄県知事の著書の表紙に「うつろ
な目の少女」と名付けて使われました。

その大城さんと太田さんの出会いのエピソードが、去る2月1日の朝日
新聞沖縄版に掲載されています。

ニッポン人脈記/沖縄の『少女』 これは僕

「沖縄慰霊の日」の新聞社説・コラム

今日「沖縄慰霊の日」の新聞から、関連する社説およびコラムをご紹
介します。昨日の朝日以外では、社説で採りあげたのは地元紙のみです。

「沖縄慰霊の日―本土に届け、戦争の記憶」(朝日、22日)
<沖縄戦で何があったのか。それを知ることは、本土の人たちにとっ
ても、とても大きな意味がある。 >
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

「バトンは私たちの手に」(沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080623.html#no_1
< 戦争体験者は年々、少なくなる。戦争体験のない戦後世代が、さ
らに年少の世代に対して沖縄戦を語る時代がすでに始まっている。学
校のみならず、家庭や地域で戦争について考える環境づくりが欠かせ
ない。体験者自身も気付かなかった新しい事実を掘り起こす努力を続
けよう。>
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20080623.html#no_1

「慰霊の日 逃げ惑わない平穏な島に/語り継ぎたい沖縄戦の実相」
(琉球新報)
< 現代に生きる私たちは、こうした沖縄戦の実相を語り継ぐ責務が
ある。「負の遺産」であっても、目を背けてはいけない。被害の視点
も、加害の視点もともに心に刻んでこそ、未来へとつながる。>
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133424-storytopic-11.html

「春秋」(日本経済)
<▼かつて、彼らと同年代の女学生さえ追いつめられ果てた凄絶(せ
いぜつ)な地上戦があった。すべての死者の名を刻んだ「平和の礎
(いしじ)」を前に、しんと静まりかえる若者たちがいる。国際通り
ではしゃいでいた生徒も、24万の声なき人々に囲まれて何かを思うこ
とだろう。63年前のきょう、この島は組織的抵抗を終えた。>
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080622AS1K2000320062008.html

「中日春秋」(中日)
<▼日本軍による沖縄での「住民虐殺」を早くから証言してきた人は 
「歴史は残そうとする努力があってはじめて残るもの」だという。同
じ過ちを繰り返さぬため、いつまでも努力を続けよう。過去は幸いに
して、永久に静かに立っている。>
http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2008062302000085.html

「新生面」(熊本日日)
<ここ数日、県内は豪雨に見舞われた。沖縄は既に梅雨が明けている。
基地の島は遠い。だが、そこで暮らす人たちの苦しみに無関心でいら
れるほど、心の距離は遠くなりたくない。沖縄に思いをはせる日にし
たい。>
http://kumanichi.com/iken/index.cfm

「金口木舌」(琉球新報)
<▼かつて生き延びることが「卑怯 ( ひきょう)者」と非難され、
「死ぬための思想」がはびこる時代があった。この先、そんな時代に 
ならないように、「命どぅ宝」という沖縄戦の教訓を心に刻みたい。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133418-storytopic-12.html


沖縄戦の動画

YouTube から、アメリカ軍が撮影した沖縄戦のビデオをご紹介します。
ぜひご覧ください。

沖縄戦 1
沖縄戦 2 (修正版)」
アメリカからみた沖縄掃討作戦&ひめゆり学徒隊

平和の詩:世界を見つめる目

今日「慰霊の日」に行われる沖縄全戦没者追悼式で、詩部門(小学校
の部)の最優秀賞に選ばれた嘉納英佑君(読谷小学校4年生)の作品
「世界を見つめる目」が平和の詩として朗読されます。

以下その全文を引用します。

「世界を見つめる目」 嘉納英佑

やせっぽっちの男の子が
ほほえみながら、ぼくを見つめた
テレビの画面の中で…
ぼくも男の子を見つめた
どんな事があったの?
何があったの?
何も食べる物がないんだ
でも、ぼくは生きたい
くるしいけど、あきらめない
ぼく がんばるよ
えがおが あふれる
生きる人間の力強さを感じた
ぼくは 真実を見つめる目を
持ちたいと思った

悲しそうな目をした女の子が
なみだをうかべながら、ぼくを見つめた
テレビの画面の中で
ぼくもその女の子を見つめた
なぜ、悲しい顔をしているの?
なぜ、ないているの?
せんそうで、家族もいなくなっちゃった
家も 友達も
全部、全部なくなっちゃった
悲しいよ さびしいよ
どうすればいいの 助けて
大切なものをなくした人間の弱さを感じた
ぼくは 涙をふいてあげる
やさしい手を持ちたいと思った

きずだらけの男の人が
苦しそうな顔をして ぼくを見つめた
本の写真の中で…
ぼくも男の人を見つめた
どうしたの?
いたいでしょ 大じょうぶ?
あらそいからは なにも生まれはしない
おたがいにきずつくだけ
にくしみがつのるだけ
人間のおかしたあやまちの大きさを感じた
ぼくは やさしくてあてしてあげる
あたたかい心を持ちたいと思った

ぼくのとなりで
おじいちゃんが
自分の目で見てきたできごとを
ぼくに伝えた
苦しかったせんそうのできごと
おばあちゃんが
自分が体験してきたできごとを
ぼくに伝えた
こわかった そかい先でのできごと
お父さんが
自分が聞いたできごとを
ぼくに伝えた
食べる物がなく 苦しんでいる人がいる事
家がなく つらい思いをしている人がいる事
家族とはなればなれになってしまっている人
ざんこくでひさんなできごと
悲しくなった つらくなった
お母さんが何も言わず
ぼくをだきしめた
むねがいっぱいになった
あたたかいぬくもりが
ずっとずっと ぼくの中にのこった

みんながしあわせになれるように
ぼくは、
世の中をしっかりと見つめ
世の中の声に耳をかたむけたい
そしていつまでも
やさしい手と
あたたかい心を持っていたい

無言館 断たれた画学生らの夢

戦没画学生の遺作を集めた私設美術館「無言館」(長野県上田市)の
収蔵作品などを展示する「情熱と戦争の狭間で ~無言館・沖縄・画
家たちの表現~」が目下沖縄県立博物館・美術館で開かれていますが、
21日の沖縄タイムスの社説はこの展覧会について書いています。

< フィリピン・ルソン島で二十七歳で戦死した鹿児島県の若者は出
征が決まった日「桜島」を描いた。「出来るなら、あと五分でも、あ
と十分でも絵を描いていたい」

サイパン島で二十五歳で戦死した愛媛県の若者は、出征する三日前、
義姉に「もし戦場から生きて帰ったらパリに留学させてくれないか。
もっともっと絵の勉強をしたいから」と頼んだという。

「生きていればきっと活躍していたはず」。二十一歳でマリアナ諸
島で戦死した長野県の若者の妹弟は無念さを隠せない。可能性に満ち
た未来が待っていたかもしれないのだから。

父親に「祖国のために戦うことは男子の本懐」と言っていた島根県
の若者はフィリピンで二十五歳で戦死。出征の日に母親と姉が営舎を
訪れたときには「出来ることなら行きたくない。生きのこって鋳金の
作品をつくりたい」と目に涙を浮かべつぶやいたという。>
断たれた画学生らの夢

次のブログでは、無言館の絵をいくつか見ることができます。
無言館のこと

慰安婦を看護婦に、旧海軍が敗戦直後に通達

終戦直後に旧海軍が日本人従軍慰安婦を補助的な看護婦として雇用す
るよう命じた通達が、このほど英公文書で判明しました。“看護婦”
とすることで、従軍慰安婦の存在を連合国側から隠蔽しようとした可
能性も指摘されています。
敗戦後、慰安婦を看護婦に 旧軍の命令、文書で初確認」(共同通
信、19日)

今日の琉球新報の社説はこの問題を採りあげ、「従軍慰安婦問題を隠
ぺいする姑息な工作である」と論じています。
従軍慰安婦 恥ずべき旧軍の事実隠ぺい

沖縄の女性、沖縄戦の体験を手記に

自身の沖縄戦体験を子や孫たちに伝えようと、那覇市の普久原千代さ
ん(84)がこのほど戦争体験をまとめた「私の沖縄戦体験記」を発行
したと、今朝の琉球新報が報じています。

<教科書検定問題や憲法改正問題など最近の日本の動向について普久
原さんは「戦前に似ており、再び戦争への道が開かれるのではないか」
との危機感を抱き、出版を決意した。>とのことです。

< 手記では住民を守ると思っていた日本兵から避難していた本島南
部の瓦ぶきの家を追い出されそうになったことを記している。日本兵
から「民間人はみんなここから出て行け」と言われ、家族が負傷して
いるので夜明けまで待ってほしいと懇願したところ「ぐずぐずしてい
たら、この刀で切ってやるぞ」と言われた。普久原さんは「切るなら
切ってください」と言うと、日本兵は刀を抜いたが、いつの間にか立
ち去ったという。>

手記に込める反戦 普久原さん、深夜まで毎日執筆


映画「靖国」騒ぎの当事者が“激白”

映画「靖国 YASUKUNI 」をめぐっては、一般公開前からいろいろ話題
を巻き起こしましたが、助成金を問題視した有村議員と稲田議員およ
び彼女らの試写要求に「プレッシャーを感じた」という、配給会社の
アルゴ・ピクチャーズの岡田裕代表が、オーマイニュースのTV欄で
“激白”しています。下記でそのビデオをご覧になれます。

【激白】有村・稲田議員、『靖国』をめぐる騒動を語る
映画『靖国』の配給会社代表が激白!」

幻の国歌「われら愛す」

幻の国歌といわれる「われら愛す」という歌をご存じでしょうか?

この歌は1953年、壽屋(現在のサントリー)の佐治敬三社長が、平和
憲法の下、新生日本にふさわしい、君が代に代わる国歌を国民自身の
手でつくろうと公募し、全国から応募した数万点の中から選ばれた曲
です。

幻の国歌(新国民歌) 『われら愛す』」

この“幻の国歌”が去る14日東京・日比谷公園で、埼玉県の「九条の
会・草加」の合唱団により久しぶりに歌われましたが、その予告を伝
える13日付の東京新聞夕刊は、作詞者の芳賀秀次郎について次のよう
に書いています。

< 九条の会・草加の世話人の一人で元高校教師生井弘明さん(74)
は二〇〇五年、歌の由来を「われら愛す-憲法の心を歌った“幻の国
歌”」に著した。同書によると、作詞者の芳賀秀次郎氏(一九一五-
九三年)は山形県の教師で、戦時中、軍国主義教育を推し進め、戦争
賛美の国民歌謡も手掛けたという。

「私は実にやすやすと戦陣訓を愛誦(あいしょう)した翌日に、新
憲法を語ろうとしている自分を見ないわけには行かない。…そのみに
くさ、そのひくさ、そのおろかさ、これを双の目に焼きつくすほど凝
視…しないわけには行かない」

四九年に芳賀氏が記した「わが暗愚小傳」での述懐である。生井さ
んは「教え子を戦場に送り出した苦い経験から、自分の戦争責任を真
正面から反省して『われら愛す』の歌詞を書いたのだろう」と推察す
る。>
公募で戦後誕生 平和への祈り 幻の国歌 あす披露

なお「われら愛す」のメロディは、愛唱歌として歌い続けています
阜大学教育学部附属中学校のサイト
で聴くことができます。


「火垂るの墓」映画化、来月公開

戦争の悲惨さを描き、アニメ映画で反響を呼んだ、野坂昭如氏の自伝
的小説「火垂(ほた)るの墓」が実写映画化され、来月から東京で先
行ロードショーが行われます。

映画『火垂るの墓 - ほたるのはか - 』公式ホームページ

この映画は当初、「美しい夏キリシマ」「TOMORROW/明日」
「父と暮せば」の戦争レクイエム3部作などで知られる黒木和雄氏が
メガホンを取ることになっていましたが、惜しくも急逝されたため、
弟子の日向寺太郎氏が後を継いで監督を務めました。

日向寺氏は「戦争を体験していない自分が描くのは不遜」と思い、一
度は断りましたが、文芸評論家の加藤典洋氏の文章を読んで、<どう
伝えるか、ではなく、どう「受けとる」かを表現する。>という答え
を見つけ、監督を引き受けたと、今日の神戸新聞のコラム「正平調
は伝えています。

<戦争体験を再現するのではなく、表現した映画。それゆえ、清太と
節子の兄妹は、今の時代をも生きている。>

「憲法9条伝えるのは老人の役割」日野原重明さん

今日の日刊ベリタに、96歳の現役医師・日野原重明さんと社民党党首
の福島みずほさんとの対談が紹介されていますが、その中で日野原さ
んは「憲法9条を子どもに伝えるのは、戦争を知っている老人の役割」
と強調しています。 

この対談の中から、過去の戦争に関わる部分を引用します。

<福島:国会では戦争を知らない2世、3世議員が勇ましいことを言
うけれども・・・。
 
日野原:近年、新聞(全国紙)は、12月8日の太平洋戦争開戦日に
ついて何も書いていません。真珠湾攻撃を受けたハワイでは、きちん
と行事があるというのに。今、日本人のほとんどが満州事変も盧溝橋
(ろこうきょう)事件も知らないし、旧日本軍が南京(なんきん)で
何万という市民を殺したことも知りません。
 
僕は京大医学部4年生の時に、先輩の石井四郎中将(731部隊)
から南京で妊婦を銃剣で突いているフィルムを見せられました。旧満
州(現中国東北部)のハルピンで10人ほどの捕虜を独房に入れて伝
染病の菌を食べさせたりして、菌が入って何日目に熱が出て、何日目
に脳症を起こし、何日目に死んだという記録も見せられました。>

憲法9条伝えるのは老人の役割 日野原翁と対談:福島社民党首 
安原和雄


いつまでもお元気で、戦争を語り継ぎ、平和運動にご尽力いただくこ
とをお祈りします。


「青年学校手帳」ご遺族に返還へ

去る9日、硫黄島で戦死されました兵士の遺品である「青年学校手帳」
についてご協力をお願いしましたが、このほど「戦争を語り継ごうML」
のメンバーであるNさんのご協力により、早くもご遺族の所在がわかり、
近くアメリカから返還されることになりました。

この兵士の出身地・北海道鶴居村の隣村にお住まいのNさんは、私
のメールをご覧になって直ちに鶴居村の役場まで駆けつけられ、そこ
で調べていただきました結果、釧路市に姪御さんがお住まいというこ
とが判明しました。

姪御さんは戦後生まれとのことで、叔父様の顔はご存じないそうです
が、戦死公報のみで遺骨も遺品も一切残っていないのでと、たいへん
感激しておられました。

ご遺族探しを依頼してきました、ハワイ在住のアメリカ人に報告しま
すと、彼も「すばらしいニュース」と喜んでくれ、この手帳を戦場か
ら持ち帰った祖父に早速連絡するとのことでした。

彼は現在日本語を勉強中で、その先生が日本人女性だそうですが、今
回の件は彼女がいろいろとサポートされているようで、その先生にも
ずいぶん世話になりました。

このようにわずか数日の間に、ご遺族が判明し、返還の手はずが整っ
たのは、今までの最短記録です。これもひとえにNさんの迅速なご尽
力のおかげと深く感謝申し上げるしだいです。

これでMLのメンバーのご協力でご遺族を見つけていただいたのは、
岡山県のTさんにつづき二度目です。改めてネットの威力とありがた
さを実感しています。

どうか戦争遺留品返還につきまして、今後とも皆さんのご協力をよろ
しくお願いいたします。

日本の戦時下ジョーク集

早坂隆著「日本の戦時下ジョーク集―満州事変・日中戦争篇― 
および ―太平洋戦争篇―」(中公新書ラクレ、07年7月)を読みま
した。

日本の戦時下でも、旧ソ連のアネクドートのようなエスプリの効いた、
体制批判の小咄があったのかと、期待して読みましたが、残念ながら
期待はずれでした。

紹介されているジョークのうち、政府や軍部を批判する類のものは、
「ぜいたくは(す)敵だ」とか、「♪金鵄上がって十五銭」「♪見よ東
條のはげ頭‥」といった替え歌などで、当時私たち子どもでも知って
いたようなものばかりでした。

その程度のものしかなっかたということは、まあそれだけ言論統制が
厳しかったといえるかもしれません。

主として紹介されているのは、ほとんど当時の漫才などのお笑いや、
雑誌の小話などです。敵を嘲ったり、揶揄するようなものが多く、上
質のユーモアと思えるようなものはほとんどありませんでした。

戦時中はお笑い芸能界も、いかにお上に迎合し、戦意高揚に一役買っ
ていたかを知るには、参考になる資料かと思います。

新たな戦争遺留品(青年学校手帳)

T016-1


また新しくアメリカ人から戦争遺留品返還の協力依頼が来ました。今
回の遺留品は「青年学校手帳」です。第二次大戦に従軍した祖父が硫
黄島から持ち帰られたものだそうです

今回は幸い元の所有者について次のような詳しいデータが記載されて
います。

氏名:齊藤学冶 
生年月日:大正12年(1923年)10月24日
本籍:宮城県伊具郡丸森町字川田島
住所:北海道阿寒郡鶴居村字茂雪裡
戸主および続柄:重一 弟
職業:農業

この手帳を拙サイト「旧日本軍人の遺留品」の「手帳・日記・手紙」
のページに、T016として掲載しましたので、ご覧の上、何か手がかりに
なるような情報がありましたら、ぜひお知らせください。

映画「靖国」、京都と新潟でも上映開始

今や全国的に話題となっています映画「靖国  YASUKUNI 」が、昨7
日から京都と新潟でも公開されました。

映画『靖国』:京都シネマで上映始まる 『話題作』ほぼ満席に
(毎日京都版、8日)
< 鑑賞後、立命館大国際関係学部3年の岡島唯さん(20)は「靖
国神社は、周辺の国や政治の状況などで、戦死者を祭るという意味以
上のものを背負わされていると感じた。内容は、大問題になるような
ものではなかったと思う」と話していた。>

「『靖国』上映混乱なし」(読売新潟版、8日)
< 新潟市西区の無職男性(75)は「素晴らしい映画だった。日本
人が一番知らない部分が、外国人の目でこの映画に込められている」
と絶賛。>


廃墟になった「戦没学徒記念若人の広場」

一昨日淡路島へ行った際、南端の福良港の近くで、小山の上に三角形
の塔がそびえているのが見えました。これはかねて聞いていた戦没学徒
を祈念する慰霊塔に違いないと思って、寄ってみました。

確かに間違いなくそこはかつての「戦没学徒記念若人の広場」でしたが、
雑草がぼうぼうと生い茂り、廃墟と化していました。この施設がどうして
造られ、また閉鎖されてしまったかについては、下記の JANJAN の記
事に詳しく説明されています。
廃墟になった『戦没学徒記念若人の広場』 ―英霊は泣いている―」

丹下健三が設計した展示資料館は、トーチカをモチーフにし、石を積
み上げた堂々たる姿ですが、それがまったく荒れ果てて、まるで戦争
遺跡のように見えました。

これだけの立派な施設に巨額の資金が投ぜられたでしょうが、それで
東京に「わだつみのこえ記念館」を建てていたら、どんなに大きな会
館ができていたことでしょう。

慰霊塔に頭を下げ、学徒出陣で戦死した従兄を偲びつつ、山を下りま
した。

若人の広場01


戦没学徒02

沖縄戦を語り継ぐ版画

去る3日の日本経済新聞の文化面に、「ノーモア戦争 執念彫る」という見出しの記事が掲載されたと、MLのメンバーに知らせていただきました。沖縄戦など沖縄の苦難を版画の絵本で後世に伝えておられる版画家の儀間比呂志さんを紹介する記事とのことです。

メールには<齢80歳を超えてなお、戦争の悲惨さ、むなしさを芸術作品にかえて訴えている儀間さんのその姿に、とても胸をうたれました。>とありました。

儀間さんについてはまったく知識がありませんでしたので、どういう作品かネットで検索してみました。「儀間比呂志ギャラリー」の作品集の内、55~60が沖縄戦をモチーフにした作品です。ぜひご覧ください。

新たな戦争遺留品(F084)

F084

また新しくあるアメリカ人から戦争遺留品である日章旗の返還協力の
依頼が来ました。残念ながら「神軍 祈武運長久 大河原美衛」「神
職 村上好美」と書かれている以外は、手がかりはありません。

この日章旗については拙サイト「旧日本軍人の遺留品」の「日章旗
(F051~ ) 」のページにに、F082として掲載しましたので、ご覧の
上、何か手がかりになるような情報がありましたら、ぜひお知らせく
ださい。

沖縄戦を語り継ぐ「虹の会」

今日の琉球新報は、若者たちが沖縄戦の体験を継承しようと立ち上げ
た「虹の会」が、フィールドワークで県内中高生に平和ガイドをして
いる活動を伝えています。

この壕からどんな思いで… ひめゆりの戦場を歩む

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「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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