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自衛隊機派遣の見送りについて

昨日の時事通信は次のように報じています。

< 自民党の伊吹文明幹事長は30日午前の記者会見で、四川大地震の
被災者支援で政府が中国への自衛隊機派遣を見送ったことに関し、
「(派遣検討の)話を聞いた時直感的に、自衛隊機が(旧日本軍が爆
撃した)重慶のそばまで飛んでいけるようであれば、日中関係はもう
少し楽な状態で動いていたのではないかという印象を受けた」と述べ、
自衛隊機を派遣できるほど日中関係は成熟していないとの認識を示し
た。>
日中関係、なお未成熟=伊吹自民幹事長

この談話で気になったのは、「重慶のそば」という表現です。これは
明らかに成都のことを言っていると思いますが、昨日も説明しました
ように成都も重慶と同じく旧日本軍の爆撃を受けているのです。

なぜはっきりと「旧日本軍が爆撃した成都」と言わないのでしょう。
どうも伊吹幹事長はそういう歴史的な事実を知らないのではないかと
思えます。

もう一つ引っかかったのは「日中関係は成熟していない」という言葉
です。上記のサイトには、<評論するより、成熟させろよ。>という
コメントも書かれていますが、自民党の有力幹部の中には「支那事変
は侵略戦争でなかった」という“靖国史観”の信奉者もいて、それが
日中関係の成熟を大きく妨げているのです。

この「成熟」という言葉は今日の読売新聞の社説でも使われています。

< 派遣が実現すれば、日中両国が先の戦争の苦い記憶を乗り越え、
成熟した関係を構築するうえで、歴史的な一歩になる。日本側には、
そんな期待が広がった。>
「空自機中国派遣 見送られた歴史的な一歩

また今日の産経新聞の主張(社説)も、この問題について次のように
書いています。

< 感情的な反発に走るだけでは両国間に真に建設的な関係を構築す
ることはかなわない。中国側には国内政治への思惑もあったのだろう
が、自衛隊を受け入れることで過去のわだかまりを払拭(ふっしょく)
する好機にしてほしかった。>
自衛隊機派遣 日中の問題点克服しよう

両紙とも今回の自衛隊機派遣見送りは中国の国内の「反日世論」のせ
いであるとし、まことに遺憾としているようです。しかしどうも被災
者に毛布やテントなどを送り届けるという本来の目的より、自衛隊を
中国に飛ばして、中国側に自衛隊の海外派兵のアレルギーをなくさせ
ることのほうに関心があると思われてなりません。


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成都爆撃

中国・四川省の省都・成都は、今回の大地震により日本でも一躍有名
になりましたが、日中戦争時日本軍により無差別空襲が行われたこと
をご存じの方は多くないと思います。

戦争中国民政府の首都だった重慶に対する空襲は、日本軍による初の
都市に対する無差別爆撃としてよく知られていますが、同時に近くの
成都に対しても爆撃が行われていました。

以下の文章は、成都に住んでいたことのある日本人のサイトからの引
用です。

< 成都に住んでいた時分のある日、人民南路で自殺によるバスの爆
発事件が有りました。たまたま通りかかって野次馬根性を出して覗い
ていた時、となりにいたお婆さんが、「日本鬼子の空襲の時は塩市口
が三日三晩燃え続けたんだから、こんなのは大した事ない」と私に語
りかけてきました。日本人とは全く気付かなかったみたいで、ばつが
悪く「そうですか」と言って、その場は逃げてしまった事があります。>
http://homepage1.nifty.com/sisenweb/laochengdu26.htm

こういう歴史があるので、今回取りざたされた自衛隊機による震災救
援物資輸送についても、中国人の中にはトラウマを感じる人もあるか
もしれませんね。

今日の北海道新聞のコラム「卓上四季」も、次のように書いています。

<▼この地に自衛隊機の派遣が検討されていたが、急きょ見送られる
ようだ。爆弾とは反対にテントや毛布などが積み込まれる予定だった。
戦禍の悲痛を振り返れば、ここは民間機に頼らざるを得ないのか▼両
国の人々が戦争で傷ついた。簡単に癒やされるものではない。それで
も、援助を通じて人と人との心がつながれば、救いともなるのだろう。>

新たな戦争遺留品(F083)

F083

また新しくアメリカの女性から戦争遺留品である日章旗の返還協力の
依頼が来ました。米海兵隊員だった彼女の叔父(86歳)が、ガタルカ
ナル島のテナル川の戦闘の際、戦死した日本帝国陸軍の兵士の背嚢か
ら収得したものだそうです。

この旗には、中央に「君が代」の歌詞、右端に「武運長久 長春富士
町二丁目 田中?氏」と書かれているだけで、その他手がかりになる
ような文字はありません。

「長春富士町」の「長春」は中国東北部の長春のことでしょうか? 
確かに旧満州の新京市(今の長春)には富士町という地名が存在しま
したが、しかし当時日本人が「長春富士町」というような書き方をし
たかは疑問です。どなたかお分かりになる方がありましたら、ご教示
ください。

この日章旗については拙サイト「旧日本軍人の遺留品」の「日章旗
(F051~ ) 」のページにに、F082として掲載しましたので、ご覧く
ださい。

元の持ち主またはそのご家族について何か手がかりになるような情報
がありましたら、ぜひお知らせください。


千鳥ケ淵で戦没者拝礼式

昨26日千鳥ケ淵戦没者墓苑で、旧ソ連やフィリピン、インドネシアな
どから持ち帰った遺骨629柱が新たに納骨され、戦没者を慰霊する拝
礼式が開かれました。

式典では主催者の舛添厚労相が式辞を述べ、福田首相や高円宮妃など
が献花を捧げました。

「新たに629柱を納骨 千鳥ケ淵で戦没者拝礼式」(産経、26日)

福田首相が官房長官時代に設けた私的諮問機関が提言し、この千鳥ケ
淵に建設が検討された国立の戦没者追悼施設は、その後まったく棚上
げになったままです。こういうニュースを聞くにつけ、首相も天皇も、
修学旅行生や私たちも、わだかまりなく戦没者を追悼できる施設の建
設が望まれます。


国公立学校の靖国訪問

国公立学校の靖国訪は、1949年の文部事務次官通達によって禁じられていましたが、政府は23日の閣議で「通達は失効している。授業の一環として、歴史や文化を学ぶために靖国神社を訪問してよい」との答弁書を決定しました。
国公立学校の『靖国』訪問OK」(産経、23日)

本日の朝鮮日報の社説はこれを批判しています。
幼い児童生徒に靖国で何を教えるのか

なお靖国神社付属の遊就館は、2006年に「夏休み小中学生無料」のポスターを東京都内の小中学校に直接発送しました。そのポスターを貼りだした学校もあったようですが殆どの学校は貼らなかったようです。

映画「靖国」広島でも始まる

昨日から広島市の「シネツイン新天地」でも、映画「靖国 YASU
KUNI」の上映が始まりました。初日の昨日は、客足は好調で、岡
山県や九州から訪れた人もあったそうです。警官が10人も警備態勢を
敷いたとのことですが、大きな混乱はなかったようです。

上映前には、蔵本順子館主が「広島は戦争で(原爆に)被爆した最初
の都市。靖国神社を知り、戦争について考えるためにも広島の映画館
で上映する意味がある」などと挨拶しました。

映画『靖国』広島でも始まる 大きな混乱なし」(読売広島版、25
日)

映画『靖国』:『見られてこそ完成する』 上映の意図、館主・蔵
本さんに聞く
」(毎日広島版、24日)

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ましたので、ご覧ください。

戦争体験記
6年生で終戦を迎えた国民学校時代の体験記。軍国主義教育や敗戦の
衝撃など

対馬丸語り継ぐ悲劇
4歳の時疎開船・対馬丸に乗船、奇跡的に助かったが、家族9人を失っ
た、高良政勝・対馬丸記念会会長の手記

映画「靖国」は反日?

もうかなり空いてきただろうと、やっと今日映画「靖国  YASUKUNI
を、大阪・十三の第七芸術劇場で観てきました。10時55分からの二回
目の上映でしたが、上映30分ほど前に劇場に着いたら、整理券の番号
はすでに91番でした。

椅子は96席しかないのでどうにか座れましたが、補助椅子も満席で、
数人が立ち見でした。公開から11日も経っている平日の午前でこれで
すから、いかに稲田センセイらの宣伝効果が大きかったか、うかがい
知れました。

観客は高齢者が多いのではないかと予想していましたが、案に反して、
70代以上の戦争世代とおぼしい人は1割くらいで、中年の人が大半、
女性は4割くらいでした。

映画の内容は、先に池田幸一さんがブログ「蟷螂余話」できわめて的確
にご紹介されていますので、それ以上に駄見を述べることはありませんが、
私として興味深かったのは、最初のほうに描かれている終戦の日の靖国
神社の喧騒ぶりです。

それは井上俊夫さんがご自分のウエブサイトで紹介されているルポル
タージュ「八・一五の靖国神社探訪記」とまったく同じ世界で、まるで大
日本帝国の亡霊が蘇ってきて、パレードをしたり、集会を開いているよう
に見えました。

この亡霊たちの描写はずいぶん長々と続きますが、最後のほうになっ
てホンモノの大日本帝国時代のフィルムが映し出されると、その両者
のイメージが重なり合ってなるほどと制作者の意図がわかったように
思えます。

日本の実状をまったく何も知らない外国の人が見たら、日本は今なお
軍国主義の国かと誤解されかねません。この映画は“反日”かどうか
で意見がいろいろあるようですが、そういう意味では国益を害する
“反日”といえるかもしれません。

いずれにしろこの映画はいっさいのコメントがなく、観る人に考えさ
せる映画でした。劇場の出口で放送局のマイクが待ち構えていました
が、それに答えた中年女性の一言が耳に残りました。―「難解です」。


調布の不発弾処理、B29撃墜の目撃談

昨日東京・調布市で、住民およそ1万6千人に退去命令が出されるとい
う大掛かりな不発弾処理が行われましたが、この不発弾は1945年4月7
日に東京に襲来した米軍の爆撃機・ B29に、日本の戦闘機・飛燕が体
当たり攻撃した際、落下したものとみられています。

当時中学生であった岡田敬造さん(77)は、勤労動員に向かう途中そ
の瞬間を目撃し、日記帳にスケッチしていました。昨日の FNN ニュ
ースで岡田さんがそのときの様子を語っていますので、そのビデオを
ご覧ください。

東京・調布市の不発弾処理終了 当時、米軍機撃墜の瞬間を目撃し
た男性がその様子を語る


なおこの飛燕を操縦して B29に体当たりし、落下傘で生還した古波津
里英少尉(当時)は、06年 10月、87歳で逝去されました。 B29撃墜
時、主翼の落下で防空壕に避難していた住民8名が犠牲になりました
が、古波津氏はそのことに責任を感じ、戦後何度も墓参を希望したも
のの、ことごとく遺族に拒否されたとのことです。

「対馬丸」の悲劇描く映画

戦争中米潜水艦に撃沈され、約1500人が亡くなった学童疎開船「対馬
丸」をテーマとした映画「銀の鈴」が先に企画されましたが、来年の
公開を目指し、関西各地で撮影が進んでいます。

疎開船『対馬丸』の悲劇描く映画、関西各地で撮影」(朝日大阪本
社版、17日夕刊)

「銀の鈴」公式サイト

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芦屋への空襲記録
1945年5-6月、兵庫県芦屋市を襲った空襲の資料

吉川英治南方紀行日誌
作家の吉川英治が、1942年8月従軍記者として南方戦線を一巡した時
の日誌

敗戦の日の黒澤明

今は亡き映画監督の黒澤明は、自伝の中で終戦の玉音放送を聞いた時
のことを書いていますが、あるブログでそのを部分が引用されていま
したので、ご紹介します。

< 黒澤明は『蝦蟇の油―自伝のようなもの』という自伝のなかで4
5年8月15日の記憶を次のように書いている。当日、黒澤は玉音放
送を聞くために撮影所へ呼び出されていた。

▼往路、祖師谷から砧の撮影所へ行く商店街の様子は、まさに一億玉
砕を覚悟した、あわただしい気配で、日本刀を持ち出し、その鞘を
払って、抜身の刃をじっと眺めている商家の主人もいた。詔書が終
戦の宣言である、と予想していた私は、この有様を見て、日本はど
うなる事かと思った。しかし撮影所で終戦の詔勅を聞いて、家へ帰
るその道は、まるで空気が一変し、商店街の人々は祭りの前日のよ
うに、浮々とした表情で立ち働いていた。これは、日本人の性格の
柔軟性なのか、それとも虚弱性なのか。私は、少なくとも、日本人
の性格には、この両面がある、と考えざるを得なかった。この両面
は、私自身の中にもある。もし、終戦の詔勅がなく、いや、あれが
一億玉砕を呼びかけるものだったら、あの祖師谷の道にいた人達は、
それに従って死んだろう。そして、おそらく、私もそうしたであろ
う。>
黒澤明全作品30作の放映(9) 『虎の尾を踏む男達』」


「真実のインパール」を読んで

平久保正男著「真実のインパール」(光人社、2006年)を読みました。著
者の平久保氏は、主計士官としてインパール戦線に従軍した方で、この
本はその体験記です。

ご承知のように、アジア太平洋戦争における日本軍の戦死者の6割以
上が餓死といわれています。これは旧帝国陸軍が兵站を軽視し、食糧
補給を現地調達に頼ったためですが、その典型的な例がインパール作
戦でした。

この最悪の条件の戦場で、入隊したばかりの新参の見習士官がいかに
部隊の食糧などを確保するかが克明に描写されており、余り知られて
いない主計部隊の苦労がよく分かりました。

インパール作戦に関する戦記、体験記は数多く公表されていますが、
兵站面から書かれた資料は極めて稀と思いますので、たいへん貴重な
資料といえましょう。

ただ私が意外だったのは、ビルマの農家が日本軍に協力的で、食糧の
現地調達(軍票による購入)もほとんどこれら農家に頼っており、著
者たちもしばしば農家に泊めてもらったり、食事に与っているという
ことでした。

しかし中には軍規を無視した兵士たちが食糧などを強奪し、逆襲され
て殺されるといった例も書かれていますが、中国戦線などでの例から
みて、これはきわめて例外的なように思えました。

ただしこれは日本軍が確保していたビルマの領内のことで、インド領
のインパールの山地では、敵の食糧を奪う以外は食糧補給の途はなく、
それが白骨街道といわれるほどの多くの餓死者を出した原因だったと
思います。

著者の平久保正男氏は、戦後イギリスの戦友会との交流を始め、かつ
ての敵味方の軍人が参加するBCFG(ビルマ戦友同士会)、BCS(ビル
マ作戦協会)の会長として日英和解を進めてこられました。その功績で、
英女王よりOBE(4等勲爵士)の勲章を、日本の外務大臣からも表彰を
受けられました。

同氏は惜しくも今年の3月4日に急逝されましたが、 その後4月2日つけ
のThe Times(ロンドンタイムズ)は"Masao Hirakubo-Japanese Burma
veteran who worked for reconciliation after the wa
r"という見出し
で追悼文を掲載しました。ロンドンタイムズに日本人の追悼文が載ることは
そんなに多くはありません。氏の業績が英人にいかに評価されているかう
かがえます。

中曽根・土井・不破、3氏と戦争(続)

昨日ご紹介しました11日放映のテレビ朝日番組「サンデープロジェク
ト」について、今日のしんぶん赤旗が不破哲三氏の発言の一部を掲載
しています。

不破さんが語る 戦争 青春 世界 憲法

その中で、不破氏が敗戦を迎えた時の体験談は、当時の学徒動員世代
・学童疎開世代の多くが共鳴するものではないでしょうか?

< 不破 私は完全な戦争世代で、生まれた翌年が「満州事変」で、
小学校の二年が中国全面戦争、六年が(太平洋戦争開戦の)真珠湾攻
撃。小学校のはじめから日本は「神の国」という教育を徹底的に受け
ていました。「神の国」だから戦争に負けるはずがない、「神の国」
だからどこへ出て行っても手を出す権利があるんだと、たたきこまれ
ているでしょ。

その中で八月十四日に「どうも明日の放送は負ける話のようだ」と
うわさが流れてきた。(私は)相手にしなかった、そんなことありっ
こないと。翌日聞いてみたらその話でしょ。担任の先生は泣いて、
「この悔しさを忘れるな」と訓示した。そのときはそういう気持ちに
なるけれども、だけど「神の国」が負けたのですから、これは戦争中
の教育が全部崩れますよ。

まだ十五(歳)でしたが、いったい何が本物かとか、何をにぎって
生きるべきかという模索が敗戦の中で始まるのです。>

中曽根・土井・不破、3氏と戦争

今日のテレビ朝日番組「サンデープロジェクト」は20周年特別企画と
して、元首相の中曽根康弘、元社会党委員長の土井たか子、日本共産
党前議長の不破哲三の3氏が出演し、それぞれの青春時代から今後の日
本が進むべき道までを語っていました。

いずれも戦後の政治をリードしてきた重鎮だけに、たいへん興味深い
内容でしたが、そのうち過去の戦争に関する話をご紹介します。

戦時中海軍将校だった中曽根氏ですが、アメリカとの戦争は負けると
思っていたとのことです。敗戦時女子専門学校1年生だった土井氏は、
今に神風が吹いて勝つと思っていたそうです。同じく中学3年生だっ
た不破氏は、日本は神国と教育されていたのでやはり勝利を信じてい
たと語っていました。

戦後の革新勢力を率い、平和運動を担ってきたお二人も、やはり生ま
れた時からの軍国主義教育で共に軍国少女・少年であったことは、興
味深いことです。

過去の戦争について、中曽根氏は中国やアジアに対しては侵略であっ
たが、米英との戦争は通常の戦争であったと語りました。それに対し、
不破氏は日中戦争を止めなかったことが米英との戦争を引き起こした
ので、すべて一貫して侵略戦争であるとの認識を示しました。

「自民党の中には、あの戦争は侵略でなく、アジア解放のためであっ
たという人たちもいるのではないか?」という質問に対し、中曽根氏
は、「一部にはいます。若い人たちは歴史、とくに現代を勉強してい
ない」と、ちょっと苦い顔をして答えていました。

映画「靖国」、大阪でも今日から公開

すっかり話題になった映画「靖国 YASUKUNI」が東京に引続
き、今日から大阪・十三の第七芸術劇場で公開されました。

予想通りの盛況で、一番乗りは午前3時ごろから並び始めたという香
川県坂出市の女性(49)でした。1回目はすぐ満席になり、臨時会場
が急遽設けられるほどでした。しかし妨害活動はまったくなかったと
のことです。

映画『靖国』、大阪でも公開 全国で2番目」(朝日、10日)

よみうりテレビのニュースです。
http://www.ytv.co.jp/press/y-movie/movie.cgi?movie=080510noon01.300k

第七芸術劇場のサイトです。
http://www.nanagei.com/

「南京事件」で胡主席に公開質問状

昨8日の産経ニュースは、「南京事件の真実を検証する会」(加瀬英
明会長)が8日、日本外国特派員協会で記者会見し、中国の胡錦濤国
家主席への公開質問状を発表したと伝えています。

< 質問状で同会は「昨年、南京大虐殺記念館が大規模に拡張改装さ
れたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と
行う貴国に対して強い不信の念を感じざるをえない」と強調。「南京
で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定され
つつある」と指摘し、同会が行ってきた検証に対する胡主席の見解を
求めている。>
「『南京事件』で胡主席に公開質問状

なお南京事件の真実を検証する会では、昨年4月中国の温家宝首相が
来日した際にも、「南京事件」についての公開質問状を出しています。
その内容は下記のとおりです。この公開質問状について、温首相から
回答があったかどうかは不明ですが、ご存知の方がおられましたらご
教示ください。
温家宝国務総理閣下への公開質問状

ある戦跡ガイドの映画「南京の真実」感想記

映画「南京の真実 第一部 七人の『死刑囚』」が、先月國神社の遊就館で上映されましたが、戦跡ガイドの石橋さんがこの映画のたいへん詳しい感想記を下記ブログにアップされていますので、お読みください。

<トータルとしての評価は、「南京事件陰謀派・まぼろし派」の自己満足にもなっていないのではないかというのが正直なところです。主張は真新しさはなく、彼らの本を1冊読めば、だいたい見当のつくような感じ。>
戦争遺跡ガイドのブログ

映画「靖国」、ドキュメンタリー製作の難しさ

今日の毎日新聞・東京朝刊は、靖国神社が映画「靖国 YASUKU
NI」の一部映像の削除を要求しているなど、ドキュメンタリーの製
作の難しさについて、テレビプロデューサーの吉永春子さんの意見を
紹介しています。

その中で吉永さんは、「国会議員が口出しするようではドキュメンタ
リーは製作できなくなってしまう。製作者側に不安が広がり、『問題
のない作品を作ろう』と言い出したら、戦前と同じだ。表現・言論に
携わる者として無視できない問題だ」と一部の国会議員の行動を批判
しています。

また先月27日に行われた試写会におけるアンケートの一部も紹介して
いますが、「反日」というよりむしろ「靖国礼賛」に近いとの意見が
多かったようです。

映画『靖国』:神社が映像削除要請 ドキュメンタリー製作の難し


映画「靖国 YASUKUNI」、混乱なく初公開

映画「靖国 YASUKUNI」が3日から東京で公開されましたが、
心配された右翼の妨害もなく、無事予定どおり上映が行われました。
稲田センセイなどの宣伝?のおかけか、開館前から長蛇の列ができ、
中には長崎県からわざわざ来た観客もいたそうです。

<周囲の“騒ぎ”とは対照的に、映画を見た人たちの反応は「淡々と
描いている」「過激な印象は受けなかった」などと冷静な声が目立っ
た。>と産経ニュースは伝えています。
緊張の中で初公開 映画『靖国 YASUKUNI』」

フランスの通信社AFPも報じています。
映画『靖国』、警戒のなか公開


靖国神社からの招待状

戦時中、戦没者の遺族に送られた靖国神社の例大祭への招待状のコピ
ーが、「虚構の皇国 blog 」というブログに掲載されています。

これはある戦没者の妹さんが、映画「靖国」の件でたいへん立腹し、
次のように述べて、ブログの作者に公開するよう頼んだものだそうで
す。

「ちょっとアンタ、アタシの兄が戦死したときにこんなのが来たのヨ。
あの頃はお兄ちゃんが神様になったんだって喜んでたけど、いま見返
すとハラが立ってハラが立ってどうっしようもないの。稲田とか有田
とかいう小娘になにがわかるのっ。こーゆーのが来たらどんな気がす
るのか、いまの若い人に教えてあげてちょうだい」

シネマの週末・この1本:靖国 YASUKUNI(毎日)

何かと話題になった映画「靖国 YASUKUNI」がいよいよ明日
から東京・渋谷のシネ・アミューズで公開されますが、今日の毎日新
聞の東京夕刊は、「シネマの週末」欄でこの映画を採りあげています。

< 靖国神社について考え直すための得がたい教材であることは間違
いない。その意味では、一見の価値は十分以上にある。しかし、「反
日的」と見るのは買いかぶり。一外国人の見た靖国神社として受け止
めるべきではないか。>
シネマの週末・この1本:靖国 YASUKUNI

なお昨日は名古屋でも試写会が開かれ、150人の出席者の多くが好意
的な反応であったととのことです。

映画『靖国』:名古屋で試写会、150人出席 反応、多くが好意
的」
(毎日愛知版、2日)


講演「南京事件の真実は」(山田朗)

山田朗・明治大学教授が昨年12月、映画人九条の会において、「南
京事件70年─南京事件の真実は」というタイトルで講演されました内
容が、下記サイトで紹介されています。

南京事件70年─南京事件の真実は

南京事件の概要を、当事者である日本軍将兵の日記を引用しながら、
たいへん簡にして要を得た説明をされていますので、南京事件につい
てあまりご存知でない方、風聞だけで「南京事件は幻」と思っている
方には、ぜひ読んでいただきたいと思います。

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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