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住民の集団自決と隊長の投降

大江・岩波沖縄戦裁判の原告である、当時座間味島駐屯の海上挺
進第一戦隊長・梅澤裕元少佐について、次のようなコメントが寄せら
れました。

< 私は多くの島民を自決させた後も洞窟に潜み、戦火が収まった
のを見極めて米軍に投降し,五体満足のまま内地へ帰り戦後60年、
訴えられたのであればまだしも あれは俺のせいではないとわざわ
ざ人を訴えるとは・・・この隊長、これまたお付き合いの出来ない人
物であります。>

梅澤元隊長については、フォトジャーナリスト森住卓氏が自分のブログ
に次のように書いています。

<しかし、彼は米軍上陸後、次ぎつぎと突撃命令を出し、多くの将兵
を死に追いやり住民をスパイとして虐殺し、自決へと追い込んだ責任
者でした。梅澤少佐は、朝鮮人慰安婦を伴い壕を転々と逃げ回り4月
10日、各隊に独自行動を命令。部隊の事実上の解散宣言をしてしまい
ました。

本人は自決もせず生き延びました。米軍に捕まったとき朝鮮人慰安婦
と一緒で、住民から石を投げられ、米軍に保護されながらトラックに
乗せられ連行されました。>

一方、桜井よしこ氏の描く梅澤像はちょっと違うようです。

<2006年も多くの取材をした。そのなかでも、10月18日に東京市谷で
会った梅澤裕氏は今後の日本のあるべき姿を物語るうえでも、印象深
い人だった。

氏は12月21日で90歳になった。祖父、一直は日清戦争の騎兵、父、英
彦は日露戦争の軍人だった。父は陸軍士官学校16期生で、板垣征四郎、
土肥原賢二、永田鉄山らとは自宅を訪れ合う仲だった。

「本当にすばらしい軍人ばかりで、私は幼い頃から、父たちのような
立派な軍人になることを夢見ていたのです」と梅澤氏は語る。

その声は力強く、椅子にかけた背はまっすぐだ。鍛錬を重ねたであろ
う往時の軍人の姿が思われる。>

櫻井よしこ ブログ! ≫ 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣

「慰安婦とともに逃げ回る隊長」と「立派な軍人」、どちらが実像かわか
りませんが、梅澤元隊長が米軍に投降したのは45年5月下旬であった
ことは事実です。

陸軍士官学校出身の部隊長殿が、戦争終結を待たず、負傷を装って敵
の捕虜になるなどとは、「生きて虜囚の辱を受けず」を信じていた当時の
軍国少年にはとても考えられないことでした。

防衛研究所の史料に「集団自決に隊長の命令はなかった」という見解を
付けた、戦史編纂官の伊藤常男氏は、「戦史叢書 沖縄方面陸軍作戦」
の中で住民の集団自決は「崇高な犠牲的精神」によるものだと書いてい
ます。陸士後輩の梅澤元少佐の投降についてはどう評価していたのでし
ょう?

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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