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「集団自決」教科書訂正に関する各紙社説(続)

今日の産経新聞のコラム「産経抄」は<今さら改まっていうことでも
ないが、小紙は少数派に属しているらしい。きのうの各紙(東京版)
と見比べて、つくづく思った。>と書いています。

今日も昨日に引き続き、ほとんどの地方紙の社説が「集団自決」の教
科書改訂の問題を採りあげています。そのすべてが産経と対立する論
調です。東京版だけでなく、地方紙にも目を通したら、もっと「少数
派」であることがわかるでしょう。

「反面教師的な教訓が多い/沖縄・集団自決検定」(東奥日報)
http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2007/sha20071228.html

「沖縄戦の教科書検定 検定意見は撤回すべきだ」(茨城)
http://www.ibaraki-np.co.jp/main/ronsetu.htm

「集団自決教科書 検定の矛盾が噴き出した」(新潟日報)
http://www.niigata-nippo.co.jp/editorial/index.asp

「集団自決記述検定  透明性高める抜本改革を」(岐阜)
http://www.gifu-np.co.jp/column/syasetsu/

「教科書再検定/あり方を再考する機会に」(神戸)
http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/0000784829.shtml

「沖縄教科書問題 課題残した『灰色』の幕引きだ」(愛媛)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017200712283242.html

「【集団自決記述】 現行検定の限界示す」(高知)
http://203.139.202.230/?&nwSrl=221766&nwIW=1&nwVt=knd 

「沖縄戦教科書記述」(宮崎日日)
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?blogid=5&catid=15

「沖縄戦・教科書検定 制度の透明性を上げよう」(熊本日日)
http://kumanichi.com/iken/index.cfm#2651
 
「 [ 集団自決検定 ] 撤回はせず実質的に方針を転換した」(南日本)
http://373news.com/_column/syasetu.php?ym=200712&storyid=8402

「[教科書検定審報告(下)]幾つもの問いが残った」(沖縄タイム
ス)
< 次代を担う学生に希望したいのは、今回の検定事例を丹念に、さ
まざまな角度から検証する機会をつくってほしいということである。
大きな問いを引き受けることが戦争体験の継承と普遍化につながって
いく。>
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20071228.html#no_1

次の各紙も、昨日の社説に引き続きコラムでも採り上げています。

「卓上四季」(北海道)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/

「筆洗」(中日 / 東京)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2007122802075664.html

「金口木舌」(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/variety/storytopic-12.html

戦時中「一億玉砕」を信じていた軍国少年OBとしては、「卓上四季」
の次の一節にいたく同感しました。

<▼考えてみれば、直接の命令がない自決があったとは、むしろ恐ろ
しいことだ。学校や地域も、軍や政府と一体になり、「軍国」日本と 
して戦争に加わった。その宣伝や教育の結果だろう。集団自決を強い
たのと同じ熱病は、沖縄だけでなく全国にまん延していた>

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「南京虐殺はなかった」との証言

今日の産経新聞のコラム「正論」に、拓殖大学教授の藤岡信勝氏が去
る12月6日、東京の九段会館で行われた「南京陥落70年国民の集い 
参戦勇士の語る『南京事件』の真実」という集会のことを寄稿してい
ます。

5人の“勇士”により、<「軍紀弛緩(しかん)・悪逆非道の日本軍」
のイメージを根底から覆す貴重な証言の数々>が語られたとのことで
す。

拓殖大学教授・藤岡信勝 70年目の証言に拍手やまず

なおこの集会については、週刊新潮2007/12/20号でも報道されている
とのことですが、下記ブログではその内容が詳しく引用されています。

家族がいちばん

これによれば、今年97歳の稲垣清証人が次のように語ったとのことで
す。

「中島今朝吾師団長の日記は5冊、目を通しましたが、捕虜を取る方
針でなかったとか、見つけたら即刻片づけること云々とありますけれ
ども、全部反対に解釈されとるように思えますわ。私は、捕虜を取る
方針でない、ゆうんは、殺せいうことやなくて逃がせゆうことだった
んだと、あの頃から思っとりました。」

この証言に藤岡氏は<目からウロコが落ちる思いだった>と書いてい
ますが、その中島今朝吾日記には次のように書かれています。

<一、斯くて敗走する敵は大部分第十六師団の作戦地境内の森林村落
地帯に出て又一方鎮江要塞より逃げ来るものありて到る処に捕虜を見
到底 其始末に堪へざる程なり

一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなした
る(れ)共千五千一万の群集となれば之が武装を解除すること すら
出来ず 唯彼等が全く戦意を失ひぞろぞろついて来るから安全なるも
のの之が一端掻(騒)擾せば始末に困るので部隊をトラツクにて増派
して監視と誘導に任じ 十三日夕はトラツクの大活動を要したりし 
乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速に出来ず 斯る処置は当初
より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり

一、後に到りて知る処に依りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万
五千、大(太)平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇
〇其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千あり尚続々投降し来る

一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず
一案としては百二百に分割したる後適当のけ(か)処に誘きて処理す
る予定なり >

中島今朝吾日記 12月13日

「片付ける」が「逃がす」という意味なら、なぜ“相当大なる壕”が
必要なのでしょうか? 「処理する」とは「逃がす」ということでし
ょうか?

私は戦争中、小学生でしたが、「捕虜を処理する」と聞いたら、「殺
す」と理解したでしょう。子供でもわかることが、将校にわからなか
ったとは驚きです。獣医少尉ということですから、きっと動物好きの、
優しい方だったのでしょう。


従軍記者が見聞した南京事件(7)

南京陥落から2週問たった1937年12月27日のことだ。文芸評論家で東
京朝日嘱託の杉山平助は、朝7時に車で上海をたち、タ5時、南京支局
に着いた。

支局は国際難民区の中にあった。「避難民がまはりにいっぱい住ん
で」おり、「死骸はまだ、いたるところに転がつてゐ」た。

夜、若い従軍記者がランプの周りで「戦争と人道」をめぐって議論
を始めた。
「勝利のためには……一切の道徳律は無力であり無能である」と杉山
は論じた ( 「南京」『改造』38年3月号 ) 。そう考えることで杉山
は、自らを納得させようとしたのだろう。

南京滞在中、「支那人の死骸がツクダニのやうに折り重なった南京
の城壁のほとりを、ひとり静かに歩い」た。「南京城内外、鬼哭啾々
(きこくしゅうしゅう)たるの恨み」を聞いた。「南京の印象は、あ
まりに強烈だ。私の心はレストレスである。不安である」と杉山は朝
日紙上で告自した (38年1月18日付 ) 。

童謡「かなりや」などで知られる詩人、作詞家の西条八十は、雑誌
の「皇軍慰問使」として南京入城式に臨み、戦揚跡を歩いた。その経
験を「皇軍奮戦の跡を弔ふ」と題する一文にまとめ、『主婦之友』38
年2月号に寄せる。

なかに「さらば上海」という詩がある。
夢魔の都をさまよひて、
見るべからざるものを見ぬ、
十日の旅の血地獄に
身も魂も疲れたり。
( 中略 )
幾万千の屍を
底に沈めし長江ぞ、
夜のジャンクの舷に
青き燐火は燃ゆるなり。 ( 後略 )

朝日の従軍記者たちも、行間に思いを込めた。
「戦争後の南京は烏がふえた。その烏が ( 莫愁 ) 湖畔の枯枝の間に
群れ鳴いて一種のな腥気(せいき、生臭い空気)がいまなほあたりに
たちこめてゐる」 ( 守山義雄、1月5日付大阪朝日 )

「戦場は……進軍ラツパも鳴らねば晴れやかな大行軍もない『地冷や
かにして膏未だ朽ちず』と杜甫の詩にあるやうな小鳥も鳴かぬ流血の
野だ」 ( 横田省已、2月9日付東京朝日夕刊 )

名古屋新聞の従軍記者、柴田儀雄は、「三田澪人」の筆名をもつ歌
人でもあった。『短歌研究』38年6月号に三田の「戦地吟詠」が載る。
二万余のいのちたちまち滅びしとわが驚く前のしかばねの山
(下関)
まざまざと屍の山見てぞ過ぐ黒土の下のしかばねの臭ひ

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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