スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

沖縄戦・近現代史専門家の意見

今日の朝日新聞朝刊は、「集団自決」に関する教科書検定審議会・日
本史小委員会の「再審議」について詳しく説明しています。

そのうち、小委員会が諮問した9人の沖縄戦や日本近現代史の専門家
の意見(要旨)を以下引用します。

------------------------------------------------------------
検定審の日本史小委員会は、沖縄戦や日本近現代史の専門家に「集
団自決」について意見を求めた。依頼したのは9人 ( うち1人は匿名
希望 ) で、以下のような要旨の文書を寄せた。

●大城将保氏 ( 沖縄県史編集委員=沖縄戦研究 )
「戦闘能力のないものは捕虜になる前に自決 ( 玉砕 ) せよ」という
方針は全軍的な作戦方針に基づく。避難民は、手榴弾や爆薬が支給さ
れた時点で「軍の自決命令」と受け止めるように心の準備がなされて
いた。沖縄戦をまともに調査・研究している研究者やジャーナリスト
で「命令・強制・誘導等の軍の関与はなかった」と断言できる者は私
の知る限り一人もいない。

●我部政男氏 ( 山梨学院大教授=日本近代史 )
明確なことは、「集団自決」の起こった歴史的な事実の背景に「軍官
民一体化」論理が存在していたこと。戦時におけるこの国民意識の存
在の意義から「集団自決」の発生を考えることが、ごく自然なように
思われる。「軍命令」は「軍官民一体化」論理の範礒に入るものだと
考える。

●高良倉吉氏 ( 琉球大教授=琉球史 )
背景として重視すべき点の一つは、目前の住民=国民の生死よりも作
戦遂行を至上とした日本軍側の論理だ。日本軍側の論理や特質を抜き
に「集団自決」事件を説明することは不可能であり、そのことを特筆
しつつ歴史としての沖縄戦を提示することが求められている。

●秦郁彦氏 ( 現代史家=日本近現代史 )
命令は発令、受令者名、日付、番号を記した文書によるのが原則であ
り、正規の戦隊長命令が出ることはありえない。軍命説が成り立たぬ
理由としては、自決の「強制」は物理的に不可能に近いこと、自決者
は全島民の3割に及ばず多数が生きのびたこと、攻撃用手榴弾の交付
は集団自決との因果関係はないことなどがある。

●林博史氏 ( 関東学院大教授=日本近現代史 )
米軍に捕らえられると残酷な扱いを受けて殺されるという恐怖心の扇
動、多くの将兵があらかじめ手榴弾を配って自決せよと言い渡してい
たことなど、軍はさまざまな方法で「集団自決」を強制していった。
部隊長が直接命令したかどうかという論点から強制と誘導を否定する
ことはできない。

●原剛氏 ( 防衛研究所戦史部客員研究員=軍事史 )
渡嘉敷、座間味の集団自決は、軍の強制と誘導によるとは言えない。
「捕らえられて殺害されるか辱めを受けるよりも死を選ぶ」思潮が強
かったこと、「捕虜になるのは恥ずかしいこと」という観念があっ
たことが原因と考える。ただし、このような事態に追い込まれたのは、
政治・教育・社会思潮・戦争などから醸し出されたものだと言えよう。

●外間守善氏 ( 沖縄学研究所長=沖縄史)
①日本本土の一億日本人のため沖縄島は防波堤として使われた②軍の
存在は住民にとって脅威で、軍隊という組織と秩序は沖縄島を守り住
民を守るためと理解されていたが、戦闘に入った瞬間、県民は逃げ場
を失って右往左往した。集団自決の問題も、①②の問題に通底してい
る。

●山室建徳氏 ( 帝京大講師=日本近現代史 )
前後の状況を見ずに、一部の日本軍が住民に自決を強要したとだけ記
述するのは、それが事実だったとしても、適切な歴史叙述とは言い難
い。少なくとも日本軍将兵の「集団自決」や特別攻撃も併せて記述す
べきだろう。ともに、日本人の戦死観を考える上で、欠くことのでき
ない要因だからだ。

●匿名希望の軍事史家 ( 要旨を文科省が発表 )
沖縄戦は、日本国土が戦場となった稀有の例であり、住民が戦闘に巻
きこまれた。集団自決の起こった原因・背景としては、敵から逃げる
ことができず、投降すべきではないという集団心理が働き、軍人に要
求される規範が住民に心理的強制として作用したことがある。
スポンサーサイト

「集団自決」教科書訂正に関する各紙社説

沖縄戦「集団自決」の教科書訂正に関する今日の各紙の社説をご紹介
します。

「集団自決検定―学んだものは大きかった」(朝日)
< これまで集団自決が教科書に載るのは2~3行程度で、簡単な内
容だった。それが訂正申請で、当時の社会的な背景なども書き込まれ
た。結果としては、内容はいっそう充実したかもしれない。 >
http://www.asahi.com/paper/editorial.html

「『沖縄』教科書 “政治的訂正”の愚を繰り返すな」(読売)
< 実数を5倍以上も上回っていた主催者発表の数字に、政府が驚い
たことで始まった“訂正劇”だった。
  政府は、教科書検定に対する政治介入の愚を二度と繰り返してはな
らない。>
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071226ig91.htm

「集団自決記述 『強制』排除になお疑問が残る」(毎日)
<  本土決戦準備の「時間稼ぎ」とされた沖縄戦で軍は持久戦法を取
り、長期地上戦に住民を巻き込んだ。住民は、「捨て石」視された逃
げ場のない島で、投降も許されず、しばしば軍に壕(ごう)から追い
出されたり、食糧を取り上げられたりした。生き延びる選択を奪われ
たような状況を強いたのは軍であり、個別の自決命令の有無より、ま
ずそうした基本関係への理解が必要だ。>
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/

「沖縄戦集団自決 禍根を残した“二重検定”」(産経)
<  審議会には、沖縄戦に詳しい専門家9人の意見書が提出され、日
本史小委員会だけで7回も開かれた。事実上の“二重検定”であり、
それ自体、検定制度を逸脱している疑いが強い。>
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071227/edc0712270306001-n1.htm

「集団自決記述 『強制』なしで伝わるか」(中日 ・東京)
< だが、「様々な背景・要因」を持ち出して「歴史の真実」から目
を背けていないか。「強制」という言葉を用いずに沖縄戦の悲劇の本
質を伝えることはできるのか。軍が自決用の手榴弾を住民に配った事
実があり、多くの沖縄住民が当時を証言している。強制はなかったと
も解釈できる表現になっている記述があることこそ問題だ。>
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007122702075331.html

「教科書検定 『軍関与』は復活したが」(北海道)
< 沖縄には、数多くの生存者の証言が残っている。そこから伝わっ
てくるのは、軍が捕虜になることを許さず、自決を強いられた人もい
たという軍国主義の異常さだろう。
  「軍の強制」の記述が削られた教科書で、沖縄戦の真実を若い世代
に正しく伝えることができるだろうか。>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/67994.html?_nva=2

「教科書問題 『軍強制』は明らか/検定意見は撤回すべきだ」(琉
球新報)
<「集団自決」の現場にいながら命拾いをした多くの体験者らがこれ
まで「軍の強制」を証言してきた。その事実を検定審が一つ一つ丹念
に検証した形跡はない。
  そのことを抜きに「軍の直接的な命令」を示す根拠はないと断定す
ることに、果たして正当性があるだろうか。>
http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-11.html

「[教科書検定審報告(上)]史実をぼかす政治決着」(沖縄タイム
ス)
< 隊長命令があったかどうかという問題と、日本軍によって強制さ
れたという問題を混同してはならない。>
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20071227.html#no_1

従軍記者が見聞した南京事件(6)

南京入城式の翌日、1937年12月18日発行の東京朝日タ刊 ( 紙面上
は19日付 ) は、軍の発表をうけてこう報じた。
「南京攻略にあたり敵の遺棄せる死体は八、九万を下らず捕虜数千を
算す」

歴史学を研究する洞富雄は当時、この記事を読んで「慄然」とした
( 『近代戦史の謎』 ) 。

直前に朝日は「江岸で一万五千捕虜」 (16日付)、「なほ潜伏二万
五千敗残兵狩り続く」 ( 同 ) などと報じていた。

なのになぜ捕虜が「数千」なのか。洞は、大規模な捕虜殺害を紙面
から「直覚」した。

南京で何が起きたか。新聞は、事実をそのまま書くことはできなか
った。しかし、その一端は、当時の紙面にも刻印されている。

例えば、38年1月13日付朝日尾張版の記事「敵屍をご馳走に南京の
お正月」は言う。
「南京城内外や揚子江付近は敵屍数万、一目で約五、六百の屍体の山
が何ケ所かある。…… 戦争敗けてはいけませんね、日本に生れた我
々は幸福だと思ひます」

1月20日付千葉版にも「南京城の北方で……(揚子江を)渡河中の
敵を射撃し敵二百名以上を殺し、隊長から“お前は殊勲甲である”と
賞められて面目をほどこした」との記事がある。

もっとも「日本の将校がシナ人の首をいくつ切ろうが……無関心」
( 安岡章太郎『僕の昭和史』 ) というのが大方の読者だったかもし
れない。

「南京」は一方で「うわさ」としてひそかに語り伝えられた。
「我軍は支那兵約二万を捕虜としたるが之を全部機関銃にて射殺し死
体は揚子江に流したる旨」
「揚子江岸にて捕虜一万二千名に対し食糧を供給すること能はずして
鏖殺(おうさつ)したる由」

国内でそう話した2人の民問人が38年、それぞれ陸軍刑法違反で有
罪判決を受けている(西ケ谷徹『支那事変に関する造言飛語に就て』)。

日中戦争開始の37年7月から2年間に、憲兵が察知した軍人・軍属
6452人の要注意通信、言動、手記などを分析したデータがある。

「掠奪強姦は自由」「捕虜は列べて試斬りとし又は機関銃にて射殺す」
など「皇軍将兵の掠奪強姦良民虐殺」に関するものが418件。「死体
散乱し惨状目を覆ふ」など戦争の悲惨を言うものが288件にのぼった
( 大本営陸軍部研究班「支那事変ヨリ観察セル我ガ軍人軍属ノ思想状
況」『日本軍思想・検閲関係資料』 ) 。

華々しき戦勝の報書く記者もおびただしかる屍を見む ( 松本基次、
38年刊『支那事変歌集戦地篇』から )

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

11 | 2007/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。