スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

教科書検定意見撤回に関する社説

昨日沖縄で行われました「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に
関する今朝の各紙の社説をご紹介します。


「集団自決―検定意見の撤回を急げ」(朝日)
< 伊吹前文科相は「大臣が検定に介入できるという道を私の代で開
きたくない」と述べた。専門家の審議会を通ったものなので、口出し
できないとの理屈だ。
  しかし、これは審議会を盾に逃げているとしか思えない。「日本軍」
を削除するよう最初に意見書をまとめたのは、文科省の教科書調査官
だ。その意見書がそのまま審議会を通った。それをもとに文科省が検
定意見を決めたのだ。>
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu2


「『事実』から目をそらす愚 『集団自決』検定」(西日本)
<  戦争の悲惨さを体験した人々の証言は歴史の事実としての重みを
もつ。戦争体験を風化させないためにも、私たちはその声に謙虚に耳
を傾ける必要がある。>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/syasetu/20070930/20070930_001.shtml


「検定撤回県民大会 国は総意を見詰めよ/歪曲を許さない意志固く」(琉球新報)
<「歴史の改ざんや歪曲(わいきょく)は決して許してはならない。
禍根を残すことになる」
  会場を埋め尽くした参加者の胸の内は、老若男女を問わず恐らく、
この一点に集約されるのではないか。>
http://ryukyushimpo.jp/news/storytopic-11.html


「[11万人の訴え]政府の見解を問いたい」(沖縄タイムス)
< 教科書の信頼を取り戻すには事実をゆがめず、史実を真摯に記す
ことだ。県民の訴えを政府がどう聞くのか。国会の動きとともに注視
していきたい。>
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20070930.html#no_1

スポンサーサイト

教科書検定問題、国会論戦へ

昨日の沖縄における「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に出席
した民主党の菅代表代行は「政府が消極的な、否定的な態度をとるな
らば、参議院においては歴史をねじ曲げるようなやり方はおかしいと
いう、国会決議も提出することも視野に入れて取組んでいきたい。野
党全体が統一して取組んでいきたい」と述べました。

今朝のTBSニュースでご覧ください。

民主・菅氏、検定めぐり国会決議も

菅氏は去る4月20日の衆議院教育再生特別委員会において、この問題
で当時の安倍首相を追及しました。その模様は日テレ NEWS24でご覧
になれます。

菅氏 教科書検定の文言削除めぐり首相追及

安倍前首相の意気軒昂たる答弁振り懐かしい?ですね。もし安倍内閣
が続いていたら、今国会も一波乱あったことでしょう。

教科書検定意見撤回を求める県民大会(TVニュース)

今日午後沖縄県の宜野湾市海浜公園で「教科書検定意見撤回を求める
県民大会」が開かれ、約11万人が参加しました。

その様子がNHKテレビの今夜19時のニュースで報じられました。ご
覧になれなかった方は、下記でビデオをご覧ください。

沖縄 検定意見撤回求める集会

沖縄戦「集団自決」に関する閣僚見解(続)

昨日、沖縄戦「集団自決」に関する官房長官と文科相の見解をご紹介
しましたが、その追加です。

岸田文雄沖縄担当相も28日、「この問題に対する県民の思いの深さを
あらためて感じている。私も福田内閣もしっかり受け止めていかなけ
ればならない」と述べました。

内閣で受け止め対応/沖縄相『丁寧に要請聞く』」(沖縄タイムス、
28日)

渡海文科相も28日、「今回の検定に至る経緯や趣旨等については十分
に精査していきたい」とさらに一歩踏み込んだ見解を示しました。

また自民党の山崎拓前副総裁も、山崎派の渡海文科相に検定見直しの
勧告を働き掛ける考えを明らかにしました。さらに民主党の鳩山幹事
長も高校歴史教科書の検定問題について、再検討を求める談話を発表
しました。

文科相『検定の経緯精査』/意見変更可能性も」(沖縄タイムス、
29日)

証言記録 兵士たちの戦争 ルソン島と満蒙国境

昨日15時10分から、NHK・BS2で放送されました「証言記録 兵
士たちの戦争」シリーズの「フィリピン最後の攻防 極限の持久戦」
および「満蒙国境 知らされなかった終戦」を観ました。印象に残っ
た点をご紹介します。

●フィリピン最後の攻防 極限の持久戦
<太平洋戦争末期の昭和20年。日本の敗色が濃厚になるなか、敵の
日本本土への進攻を遅らせるため、フィリピンのルソン島で壮絶な持
久戦を強いられた部隊がある。岡山の陸軍歩兵第10連隊、3000
人あまりの将兵たち。武器弾薬、食糧の補給もない状況での戦いだっ
た。手りゅう弾や爆薬を抱えて敵の陣地に突っ込む「斬(き)り込み」
と呼ばれる戦法で、多くの兵士が命を落とした。元兵士の証言をもと
に、過酷な戦場の実態に迫る。>(NHKの番組紹介)

この戦闘に参加した第10連隊約3600名の内、生還したのは僅か220名
でした。彼我の圧倒的な戦力の差に、日本軍のとれる戦術は夜陰に乗
じた「斬り込み」だけでした。

・敵は昼も夜も爆撃してくるので、眠る暇もなかった。

・制海権、制空権はまったくなく、最初から勝てる気はぜんぜんしな
かった。(元中隊長)

・勇ましく出て行ったが、いつもいやだなあと思っていた。200名の
部下中生還したのは4名だけだった。(元中隊長)

・「斬り込み」しか反撃の手段はなかったが、これは本当の戦術では
ない。(元参謀)

この戦闘でも、山下奉文司令官が「自活自戦」という方針を下したた
め、兵士たちはまったく食べるものがなく、戦死した戦友の肉を食べ
るのを見たという証言が何人かから聞かれました。

ある元中隊長は、戦後温泉など物見遊山にはまったく行ったことがな
いそうです。「あれだけ部下に死を勧めたのに、遊ぶ気なんかせん。
戦争だけはしてはいけんと思っとるが、時代が変わるとなあ…」

●満蒙国境 知らされなかった終戦
<旧満州、中国東北部で強大なソビエト軍と終戦後も14日間にわた
って戦い続けた部隊があった。陸軍第107師団。将兵の多くは東北
地方出身の若者たち。青森県弘前市に集められ、満蒙(もう)国境の
アルシャンに送られた。8月15日、終戦。しかし、圧倒的な火力と
兵力を持つソビエト軍と、絶望的な戦いを続ける107師団に停戦命
令は届かなかった。彼らはなぜ戦い続けなければならなかったのか。
元兵士たちの証言でたどる。>(NHKの番組紹介)

かつて精鋭を誇った関東軍も、戦争後期に主力を南方に移動したため、
戦力は極端に低下していました。ここでも、ソ連軍との戦力の差は歴
然としていました。

・関東軍は空になっていた。(元参謀)

・こちらは1回に1発しか弾の出ない三八銃。相手は自動小銃。

・突撃と言われて立ち上がったら、たちまち蜂の巣さ。悲しいことに
こちらには武器はない。皆犬死だった。

・死ぬのはなんともなかったが、あれでは犬死だった。

・重傷で苦しむ戦友を、殺してやれとの命令で、顔を背けながら拳銃
で撃った。

・終戦前後の関東軍の命令は、朝令暮改であった。(元大隊長)

沖縄戦「集団自決」に関する閣僚見解

明日沖縄県宜野湾市で行われます「教科書検定意見撤回を求める県民
大会」を前にして、町村官房長官は今日の記者会見で、「沖縄のみな
さんが先の大戦で苦労された。その際に軍部のかかわりがまったくな
かったとは誰も思っていない」と述べ、「集団自決」に旧日本軍の関
与はあったとの認識を示しました。

町村官房長官:沖縄集団自決に旧日本軍の関与はあった」(毎日、
28日)

渡海文科相も先に、教科書検定問題に沖縄県内で強い反発があること
について「沖縄の人にとって実はそうなんだろうなというのが率直な
思い」と述べ、県民感情に理解を示しています。

県民大会注視し対応/検定撤回で渡海文科相」(沖縄タイムス、26
日)

福田内閣に代わって、「教科書検定の調査審議会が学術的な観点から
検討している」と素っ気なかった安倍内閣とはまた違った姿勢が見ら
れるようです。

南京事件70周年に日本車生産開始

今年は南京事件のちょうど70周年に当たりますが、その南京にマツダ、
フォード、長安汽車の日米中3社合弁による自動車工場がこのほど完
成し、10月からデミオを生産することになりました。

70年前、日本軍が“侵出”し、30万人(中国側発表)の人を殺したと
いわれる地で、今度は日本企業が“進出”して、年間30万台の自動車
生産を目指すとは、まったく隔世の感があります。

かつては武力による“強制”で市場を拡大しましたが、今はもう資本
提携による“共生”の時代です。これらの国の間でもし戦争が起これ
ば、お互い共倒れになることでしょう。

中国は今やアメリカに次ぐ世界第二の自動車市場です。あの嫌中派が
期待した安倍前首相ですら、真っ先に中国を訪問したほどです。いた
ずらに中国の軍事的脅威を強調する向きは、まったく時代遅れといわ
ざるを得ません。

今日の中国新聞のコラム「天風録」も、<「南京大虐殺記念館」の展
示に見られる歴史教育とは別に、経済交流優先の考え方はかなり浸透
していると聞いた。>と書いています。

南京の新しい“顔”」

中国大陸打通苦しみの行軍

今日15時10分から、NHK・BS2で放送されました「証言記録 兵
士たちの戦争『中国大陸打通苦しみの行軍1500キロ』」を観まし
た。

<「大陸打通」。第二次世界大戦で、米軍の前に敗北を重ねていた日
本が、南方との陸上交通路を確保すべく広大な中国大陸縦断を目指し
た陸軍史上最大の作戦。それは参謀本部内でも中止論が出るほど無謀
なものだった。静岡県出身者で編成された陸軍歩兵第34連隊は、そ
の先陣部隊として参加。兵士たちは、コレラや赤痢に倒れ、弾薬が尽
きるなか突撃していった。静岡34連隊の元兵士たちの証言を基に、
中国大陸打通作戦の実態を描く。>(NHKの番組紹介)

この作戦は、大本営の第二作戦課長・服部卓四郎大佐らが机上で計画
したもので、途中で「インパール作戦の轍を踏むな」と中止論が出る
ほどでいたが、服部課長の面目を保つため続行されました。しかし約
8カ月かけてやっと目的地を占領したときには、その作戦はまったく
無意味なものになっていました。

作戦に参加した静岡34連隊の約4300名の内戦死者は約2200名。内約
8割が病死または自殺だったとのことです。


生き残った元兵士の皆さんが語った生々しい証言のいくつかを拾って
みました。

夜も寝ずに歩いていたため、歩きながら眠っていた。「歩きながら眠
る」「眠りながら歩く」だった。

歩きづめだったので、足がマメだらけで、膨れ上がっていた。

補給がないので、撃つ弾もなくなった。敵がビュンビュン弾を撃って
くる中を、銃剣だけで突撃して、敵の陣地を奪った。

この作戦では最初から食糧は現地調達という方針だった。徴発という
と聞こえがいいが、実際は野盗だった。住民は皆逃げていて空き家だ
ったので、罪悪感はまったくなかった。それがなければ、こちらが死
んでしまうのだ。

飲む水がなくなって、その辺の泥水を飲んだ。そのためコレラ、赤痢
にかかるものが多く、多くの兵士が病死した。

こんなに苦しいのなら死んだほうがましだと言って、多くの兵士が自
殺した。

死ぬときは誰も「天皇陛下万歳」なんて言いませんよ。ほとんど「お
かあさ~ん」だった。

やっと補充兵が増援されたと思ったら、彼らは10人に2丁しか小銃を
持っていなかった。兵士の必需品である水筒は竹筒、飯盒は竹を編ん
だ弁当箱だった。

終戦を聞いたとき、「ああこれで家へ帰れる」とうれしかった。

あの戦争はなんだったのか。「天皇陛下のために」と信じて死んでい
った戦友たちの死は、はたして天皇陛下のお役に立ったのか、お国の
お役に立ったのか。

あの作戦は無意味だった、戦死した兵士の死は無駄だったなどと言わ
れると、腹が立つ。死んだ部下たちに申し訳ない。


明日もまたNHK・BS2で「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズ
の放送があります。

15:10 「フィリピン最後の攻防 極限の持久戦」
15:53 「満蒙国境 知らされなかった終戦」

特攻兵器 蛟龍艇長の物語(続)

先にご紹介しました宗像基著「特攻兵器 蛟龍艇長の物語」(社会批
評社、07年8月)を読みましたので、その概要をご紹介します。

宗像基氏の略歴:1924年台湾生まれ。海軍兵学校卒業後、特殊潜航艇
「蛟龍」艇長。戦後はキリスト教の牧師となり、現在小平学園教会牧
師。

(1)なぜ海軍兵学校へ進んだか
父の影響で小さいときからクリスチャンであった。また時代の影響で
ゴリゴリの軍国少年でもあった。そして<クリスチャンこそ天皇の忠
良なる臣民であることを身をもって示さなければならない>との思い
から、海が好きなこともあって、海軍兵学校を受験した。

(2)海軍兵学校の教育
基本的には、大元帥・天皇に対する忠誠心を培う、徹底した精神主義
で、その方法は<いわば頭の中を真っ白にさせて恐怖を与えるという
ものだった。>

(3)帝国海軍将校として
海兵での教育の結果、命令には忠実で、艦とともに死ぬのを美学と考
えていた。「生」に対する未練はまったくなくなっていた。蛟龍での
出撃命令を受け、準備中に「玉音放送」を聞いたが、そのまま出撃し
た。しかし途中で「軽挙妄動を慎め!」という命令が来たので、涙を
呑んで引き返した。

(4)特攻についての現在での考え
特攻は海軍の精神主義が産み出した。<犠牲的精神を要求した軍首脳
・天皇とは一体、何なのか。この非道な命令を下し、若き青年たちを
捨て石にし、犬死に追いやったものは何なのか。人の命を徹底して軽
んじ、自爆的攻撃という絶望的な死に追いやっていったこの特攻攻撃
を、私は絶対許せない。>      
   
(5)平和への思い
< 戦後しばらくたって、私の中にはフツフツと怒りが湧き上がって
きた。戦争や国家に関する自分たちの無知もあったが、天皇が私たち
を騙したという思い、そして、天皇自身があの戦争に対して無貴任を
決め込んだことが、私の怒りとなった。

私は天皇の命令で戦争に行ったのだ。それを今さら命令をした覚え
がないというのだから、これだけは許せないという怒りが、だんだん
と強まってきた。だから、私は反天皇制の立場になったのだ。もちろ
ん、それだけではない。

私に対して、特攻兵器に乗っていながら今さら何を言うんだ、とい
う人たちがいる。しかし、私は特攻兵器に乗っていたからこそ、天皇
の命令というのにこだわっているのだ。これが私の原点ともなってい
る。>

沖縄戦「集団自決」に関する社説

沖縄では、来る29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」を控
えて、目下沖縄戦における「集団自決」についての議論が盛り上がっ
ています。本土のメディアでは余り報道されませんが、沖縄の新聞は
連日この問題を採りあげており、今日も沖縄の主要2紙が社説で論じ
ています。

[ 9・29県民大会]再び山が動きつつある」(沖縄タイムス)
< 基地問題、沖縄戦に関する県民の感覚は鋭敏である。歴史体験の
中ではぐくまれてきた共通の感覚だろう。党派を超えた県民大会は復
帰後二度目になる。燎原の火のように広がってきた沖縄の怒り、県民
の世論を政府はどう受け止めるのだろうか。>

意見撤回県民大会 検定制度にもメスを」(琉球新報)
< なぜわれわれが文部科学省の教科書検定意見に反発し、その撤回
を県民挙げて求めているのか。理由はいくつかある。まず沖縄戦にお
ける「集団自決」(強制集団死)について、生存する体験者の証言な
どから旧日本軍の強制・関与があったのは事実であること。そして渡
嘉敷・座間味島の事例が係争中という状況だけをもって、強制・関与
の事実がすべての「集団自決」でなかったことにしたいという動きに
危機感を感じていることだ。
さらに今回の騒ぎで見えてきたのは、決して沖縄のみに特有の問題
ばかりではないということ。つまり現行の教科書検定制度とは、現状
は事実上の国定教科書ではないのか、という疑問だ。そう考えてくる
と、これは沖縄だけでなく全国にも当てはまる、普遍的な問題を含む
ことになる。>


広島原爆 被爆について思うこと

「戦争を語り継ごう -リンク集-」に新しく次のサイトを追加しま
したので、ご覧ください。

広島原爆 被爆について思うこと ・・・一被爆者より・・・
旧制中学4年生のとき、学徒動員中に広島原爆に被爆、やっとたどり
着いた自宅は全焼、母は負傷という体験

安倍氏と村山談話 皮肉な因縁

今朝の朝日新聞に、論説主幹の若宮啓文氏が、村山内閣と安倍内閣を
比較し、<左の村山政権と、右の安倍政権と、私には両者が左右対称
をなしているように見える。>と書いています。

<占領期を民主化の夜明けと見る村山氏と、克服すべき負の遺産と見
る安倍氏、ふたりの政権はいわば「ポジとネガ」であった。>

<1年で命脈尽きた安倍政権ではあるが、靖国神社への参拝を見合わ
せ、日中関係を打開した功績は、右派政権ならではの大きなものがあ
る。そして、村山談話への非難の声が政界で影をひそめたことも、安
倍氏の皮肉な功績かもしれない。>

浄土真宗本願寺派が宗制改正、「戦争協力」発言を削除

浄土真宗本願寺派は20日の臨時宗会で、戦時中に戦争協力を求めた門
主の発言を除外するため、同派の最高法規「宗制」の改正案を賛成多
数で可決しました。

浄土真宗本願寺派が宗制改正可決、戦時中の門主発言を削除」(読
売、20日)

この戦時中の門主発言(ご消息)の一例をご紹介しますと-、

「凡そ皇国に生を受けしもの誰か天恩に浴せざらん、恩を知り徳に報
ゆるは仏祖の垂訓にしてまたこれ祖先の遺風なり、各々その業務を格
守し奉公の誠を尽くさばやがて忠君の本義に相契ふべし、殊に国家の
事変に際し進んで身命を鋒鏑におとし一死君国に殉ぜんは誠に義勇の
極みと謂つべし、一家同族の人々にはさこそ哀悼の悲しみ深かるべし
と覚ゆれども畏くも上聞に達し代々に伝はる忠節の誉を喜び、いやま
しに報國の務にいそしみ其の遺志を完うせらるべく候」

戦時中の浄土真宗本願寺派の戦争協力の実態と、それに対する戦後処
理については、下記のサイトをご参照ください。

「『敗戦50年』西本願寺教団の光と闇

アングレン虜囚劇団

池田幸一著「アングレン虜囚劇団 ソビエト捕虜収容所の青春」
(サンケイ出版、昭和56)を読みました。

これは著者のソ連抑留時代の3年間の記録です。厳しい自然の下での
重労働、空腹の毎日の中にも、文芸や演劇に賭ける青春があり、ま
た民主運動を巡る人間関係の葛藤もありました。そういった環境の中
で、たくましく生き抜く著者の生きざまやその仲間たちおよび周囲の
ソ連人たちの人間性が見事に描かれています。

シベリア抑留の体験記は数多くありますが、厳しい環境に耐えながら
生き抜いた人たちをこれほど活き活きと描いたものは他に類を見ない
でしょう。単なる体験記の域を超え、優れた文芸作品ともなっている
と思います。

あのような戦争を再び繰り返さないためにも、ぜひ多くの人に読んで
もらいたい本ですが、残念ながらもう絶版になっています。

そこでぜひ復刊をしてもらいたいと、「復刊ドットコム」に登録させ
ていただきました。復刊にご賛同の方は、下記サイトを開いて、清き
一票を投じてください。

復刊ドットコム

南京事件の教科書検定も国主導

南京事件に関する史料や旧軍人の証言を集めた「南京戦史」(偕行社
刊)が発刊されたとき、文部省(当時)の教科書課職員が「これで
(南京大虐殺の被害者が)二十万人、三十万人と書いてくる教科書に
指導ができる」と、編集者らにお礼に訪れていたと、昨日の沖縄タイ
ムス朝刊が伝えています。

沖縄戦「集団自決」の教科書検定について、沖縄タイムスは教科書検
定問題取材班を組織して連日フォローしていますが、この事実も国が
教科書検定を事実上主導している証拠だとしています。

「『南京』検定も国主導/職員、反証文献出版にお礼 『官僚中心』
以前から/関係者が証言」

自民党総裁候補の戦争観

今回の自民党総選挙に立候補している福田、麻生両氏が、過去の戦争
について今までどういう発言をしているかをご紹介しましょう。

終戦時国民学校(小学校)3年生だった福田氏は、03年の官房長官時
代、衆院の青少年問題に関する特別委員会において、民主党議員の
「青少年にこの憲法の趣旨、平和の趣旨を政府として広報していくこ
との意義」についての質問に対し、次のようの答えています。

<今御質問のように、イラクのことを例に挙げられました。我が国も、
六十年前にはそういうことがあったんです。私自身も、当時、小学校
二年生。でも、やはり竹やりを持って、攻めてきたならば自分たちも
やるんだ、こういうようなことを教えられてきたわけですね。そして、
それを信じたわけです。ですから、そういう意味においても、やはり
教育というものの大事さ、そういうものはつくづく感じておるところ
でございます。>

一方終戦時4歳だった麻生氏は、外相時代の05年11月、アメリカのテ
レビのインタビューで、靖国神社の遊就館について「戦争を美化する
感じではなく、当時をありのままに伝えているだけ。当時はそうだっ
たと事実を述べているにすぎない」と答え、内外からの批判を浴びま
した。

「『遊就館は戦争美化でない』麻生外相

以上から太平洋戦争について、福田氏は誤った戦争、麻生氏は正当な
戦争だったと考えているように推察されます。

「集団自決」検定修正をめぐっての集会レポート

今日のインターネット新聞 JANJAN は、去る11日東京で開催された
「『今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか』-歴史教科書の〈集団自
決〉検定修正をめぐって」という緊急集会の様子を詳しくレポートし
ています。

この集会は、「沖縄戦教科書検定問題を考える9.11集会」実行委
員会が主催し、山口剛史氏(「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から
平和教育をすすめる会」事務局長・琉球大学准教授)と岡本厚氏(岩
波書店)が講演を行いました。

軍隊は住民を守らない・今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか

特攻兵器 蛟龍艇長の物語

このブログでも何度かご紹介しています、海軍兵学校出身の特攻隊員か
ら戦後は牧師に転身した宗像基氏が、自身の体験した戦争と半生を綴
る下記の本をこのほど出版しました。

特攻兵器 蛟龍艇長の物語 玉音放送下の特殊潜航艇出撃

宗像氏発行の月刊個人誌「バベル」9月号で、この著書について書い
ていますので、お読みください。

蛟龍(コウリュウ)艇長の物語

自民党総裁候補の靖国観

自民党総裁選に立候補した福田康夫元官房長官、麻生太郎幹事長は今
日の共同記者会見で、靖国神社問題について、次のように意見を述べ
ました。

福田氏は新たな国立戦没者追悼施設について、「すべての戦争犠牲者
を追悼できる施設がいつかはできてほしい」と建設を望む意向を強調
しましたが、これに対し麻生氏は、宗教法人である靖国神社の自発的
解散を前提に実質国営化すべきだとする持論を念頭に「追悼施設がで
きても、靖国神社がなくなるわけではない」と反論しました。

新追悼施設で賛否割れる 『地方重視』は一致」(中国新聞、15日)

ご承知のように、福田氏は小泉内閣の官房長官時代、私的諮問機関で
国立追悼施設建設の必要性を示す提言をまとめています。一方麻生氏
は、靖国神社を実質国営化すべきという私案を、自分のオフィシャル
サイトで提言しています。

靖国に弥栄(いやさか)あれ

椿の詩(うた)

tsubaki.jpg


この度、茂吉雅典さんの新作絵本「椿の詩(うた)」(けやき書房)
が出版されましたので、読ませていただきました。

憲法施行60周年記念として出版されたもので、 明治、大正、昭和、
平成と生きたツル子という主人公と椿の木を通して、戦争と平和を問
いかける絵本です。お子さん、お孫さん、あるいは教え子たちにぜひ
読ませてあげてください。

椿の詩 けやきの絵本

新規リンクのお知らせ

「戦争を語り継ごう -リンク集-」に、下記サイトを追加しました
ので、ご覧ください。

狩り立てられた編集者
戦争末期、「文芸春秋」編集長だった池島信平が召集されて海軍に入
隊、その新兵としての体験記

ヒロシマ新聞
中国新聞労働組合が、原爆投下で発行できなかった1945年8月7日付け
の新聞を、現在の視点で取材、編集したもの

「集団自決」教科書検定の内幕

沖縄戦における「集団自決」について、日本軍の強制をめぐる記述を
06年度の教科書検定で削除された問題で、検定調査審議会の日本史小
委員会では、文科省の教科書調査官が検定意見の原案を示して説明し、
そのまま意見が素通りしていたことが明らかになった、と今朝の沖縄
タイムスが報じています。

検定 審議実態なし/小委、文科省意見を追認 『集団自決』軍命
削除/沖縄戦研究者は不在
」(1面)

官僚主導 黙る『素人』/軍強制 あっさり消滅」(24・25面)

なおこの教科書調査官の一人が「新しい歴史教科書をつくる会」とも
関係のあることが、過去の国会審議の中でも明らかになっています。
また先ほど辞意を表明した安倍首相は、この問題についてかつて「こ
れは(文科省の)審議会が学術的観点から検討している」と述べてい
ます。

沖縄戦「集団自決」訴訟で体験者証言

沖縄戦時に旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする大江健三郎氏の
著書「沖縄ノート」などで名誉を傷つけられたとして、戦隊長と遺族
が出版元の岩波書店と大江氏に損害賠償などを求めた訴訟の出張証人
尋問が10日、那覇支部で行われ、被告側の証人として沖縄キリスト教
短大名誉教授金城重明さん(78)が証言しました。

その模様を今朝の沖縄タイムスが詳しく伝えています。

戦隊長下の軍命証言/「集団自決」沖縄法廷 軍曹が手榴弾配布/
金城さん体験証言


<被告代理人によると、金城氏は、当時の兵事主任だった富山真順氏
から「米軍が上陸する約一週間前に、兵器軍曹が役場に青年団や職員
を集めて手榴弾を一人二個ずつ渡した。『一個は敵に投げ、もう一個
で死になさい』と訓示していた」という話を聞いた、と証言した。>

元従軍慰安婦の証言(於高知市)

去る2日高知市で開かれました「消せない記憶 旧日本軍問題の解決
を求める証言集会」における、韓国人元従軍慰安婦の証言が、今日の
インターネット新聞 JANJAN で紹介されています。

消せない記憶・『慰安婦』問題の被害者証言を聴く

新たな戦争遺留品(F067)

F067
また新しく、戦争遺留品の日章旗を返還したいとの依頼がありました。
アメリカ・カリフォルニア州在住の日本人女性からです。会社の同僚
のアメリカ人が知人から譲り受けたもので、その前の入手経路は不明
です。

寄せ書きでは、元の所有者の氏名が確認できませんので、探すのは容
易ではないと思いますが、拙サイト「旧日本軍人の遺留品」の「日章
旗 (F051~ ) 」のページにに、F067として掲載しましたので、何か
情報がありましたら、ぜひお知らせください。



あの戦場体験を語り継ぐ集い

「全国の老兵士、62年ぶりに一堂へ! 」というスローガンで、
「あの戦場体験を語り継ぐ集い」が来る9月21日(金)13時から、東京
日比谷公会堂で開かれます。

詳しくは次のサイトをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/keep-a-record0815

なおこのサイトには、当日参加される兵士の一部の方の証言も掲載さ
れていますので、お読みください。

20世紀の戦争マップ

ノルウェーのノーベル財団のウェブサイトで、20世紀の戦争マップが
見られます。

CONFLICT MAP(ノーベル財団)」

これを見ると、戦争の起きる場所が時代によって変わってきているこ
とがわかります。北米大陸ではほとんで戦争がなかったというのが印
象的ですね。

この戦争マップから見えるものというテーマで、次のようなテレビ番
組が放送されますので、ご覧ください。

「地球データマップ 平和への地図」
 9月6日(木)午前11:30~11:50 NHK教育テレビ
 番組ホームページは http://www.nhk.or.jp/datamap 
(左側の蜂の巣みたいなところの 8戦争 というのをクリックして
ください)



真実を伝える 映画「ひめゆり」 

今日の沖縄タイムス夕刊のコラム「今晩の話題」は、映画「ひめゆり」
の監督の柴田昌平さんとの対話を紹介しています。この映画は一切の
演出は排除して、「ただ、記録したかったんですよ」とのことだそう
です。

真実を伝える


裁かれなかった毒ガス作戦

今夜22時からNHK教育テレビで、東京裁判で裁かれなかった日本軍
の毒ガス作戦を描く「裁かれなかった毒ガス作戦」という番組が
放映されますので、ご覧ください。

ハル・ノート

いわゆる靖国史観は、太平洋戦争開戦前の日米交渉において、アメリ
カは「ハル・ノート」という、日本側がとうてい呑めない無理難題を
突きつけたので、大日本帝国はやむを得ず開戦を決意した、すなわち
「大東亜戦争は自存自衛のための戦争であった」と主張しています。

その論法によれば、ハル・ノートが駐米日本大使に手交されたのが
1941年11月26日で、それに対応して12月1日の御前会議で開戦が正式
に決定されたということになります。

これに対し、吉田裕・一橋大学大学院教授は、その近著「アジア・太
平洋戦争」(岩波新著)で次のように反論しています。

(1)開戦が実質的に決定されたのは11月5日の御前会議である。この
会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「武力発動の時期を十
二月初頭」と決めている。12月1日はあくまで形式的な最終決定の日
に過ぎない。

東京裁判において、東条英機被告や木戸幸一被告が、この11月5日の
御前会議の存在を極力否定しようとしたのは、自衛戦争論の前提自体
が崩壊してしまうことを恐れたのであろう。

(2)帝国陸軍は11月6日付で、天皇の命として攻略準備命令を発令し
た。また帝国海軍も11月5日付で、同じく天皇の命として作戦準備の
「完整」が発令された。さらに11月26日には、海軍の機動部隊が真珠
湾攻撃のために千島列島エトロフ島からひそかに出航している。

(3)ハル・ノートはアメリカ政府の正式な提案ではなく、一国務長
官の覚書に過ぎない。まだその後の交渉の余地もあった。外交交渉す
る努力を最初から放棄し、それを最後通牒とみなして、戦争に突入し
ていったところに日本の外交の過誤があった。

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

08 | 2007/09 | 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。