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日本軍政下におけるベトナムの多数餓死

昨年10月、ベトナムのズン首相が来日し、国会で演説した際、河野衆
議院議長は挨拶の中で、「先の大戦において、わが国の軍政下におい
て多数の餓死者を出してしまったことを、私たちは決して忘れてはな
らないと思います」と述べました。

ズン ベトナム社会主義共和国首相 国会演説の際の衆議院議長挨拶

この言葉に対し、インターネット上では、河野議長を“反日”とする
批判が数多く見られますが、今朝の産経の「正論」では、秦郁彦氏も
「河野談話」の関連でこの挨拶に触れ、河野氏の発言はあやふやな歴
史認識に基づくものと批判しています。

現代史家・秦郁彦 アジア女性基金の遅すぎる解散
< 餓死説の起源は、ホーチミンの独立宣言に出てくる「200万人
餓死」のくだりだが、ベトナムはフランスの統治下にあり、日本が軍
政をしいたのは餓死が下火になりつつあった昭和20年3月以降の5
カ月にすぎない。>

太平洋戦争開戦の前年、1940年9月に日本軍は、当時フランスの植民
地であった仏印(仏領印度支那の略、現在のベトナム、ラオス、カン
ボジア)へ進駐しました。その少し前にヨーロッパ戦線でフランスが
ドイツに降伏して新しく成立したドイツ傀儡のヴィシー政府に認めさ
せたものです。

そして1941年年7月、日本は日・仏印共同防衛協定を結び、仏印は日
仏両国の共同統治となりましたが、実質的には武力を背景に、日本の
支配力の方が勝っていました。そしてさらに、日・仏印間で経済協定
が締結され、米、ゴム、鉱物等の資源も日本の支配下に置きました。

とくに米は、日本国内の食糧難対策として、大量に日本へ輸出されま
した。当時米の配給では、国内米より輸入米の比率が多くなり、私た
ちは、黄変して臭い“外米”を我慢して食べていました。

また日本軍は、田畑での米栽培を制限して、軍需用の綿、ジュートな
どを栽培させました。これらがベトナムにおける米不足を招き、多数
の餓死者を出す大きな原因になったことは否めないと思います。

秦氏が、餓死者を出した責任はあたかもフランス側にあるように言う
のは、“現代史家”らしからぬ「邪論」だと言わざるを得ないのでは
ないでしょうか?


【参考資料】「対仏印支経済発展ノ為ノ施策(昭和15年9月3日 閣議
決定)

<二、皇国ノ必要トスル重要物資ハ可及的ニ大東亜圏内ニテ確保シ、
以テ英米ヨリ資源的独立ヲ図ルタメ、仏印支ニ対シテモ法人企業ノ創
設及経営ニ特別ナル便宜ノ供与ヲ要求スルト共ニ皇国必須ノ重要物資
ヲ優先的ニ皇国ニ輸出ヲナサシムル如キ貿易協定ノ設定ニ努ムルコト
  差当リ仏印支ニ対シ米、石炭、燐灰石、マンガン、工業塩、錫、
生ゴム、亜鉛、珪砂等ニツキ輸出ノ保障ヲ要求スルコト
尚進ミテハ皇国ノ指導ニヨル貿易管理ノ実現ヲ見ル如ク努ムルコ
ト>
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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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