スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「君が代」判決についての各紙社説

昨日の最高裁の「君が代」判決について、今日の各紙の社説の論調は、
賛否両論に分かれています。


「『君が代』判決 『思想・良心』の侵害はなかった」(読売)
< 問題なのは、一部の教師集団が政治運動として反「国旗・国歌」
思想を教育現場に持ち込んできたことだ。国旗・国歌法が制定され、
教育関連法にも様々な指導規定が盛り込まれている現在、そうした法
規を守るのは当然のことだ。>
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070227ig90.htm


「妥当な最高裁『君が代』判決」(日経)
<争われているのは公務員の職務としての行為だ。最高裁判決の那須
弘平裁判長の以下の補足意見が常識にかなうのではないか。「(国歌
伴奏などの行為が)『思想・良心の自由』を理由にして、各教師の個
人的な裁量に委ねられたのでは、学校教育の均質性や組織としての学
校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こしかねない」>
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20070227MS3M2700427022007.html


「君が代伴奏拒否 最高裁判決は当たり前だ」(産経)
<  校長がピアノ伴奏を命じたのは、職務上当たり前の行為である。
これが「憲法違反だ」というのは、あまりにも突飛(とっぴ)で自分
勝手な論理である。これでは到底国民の支持も得られまい。>
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070228/shc070228000.htm


「国歌伴奏判決 強制の追認にならないか」(朝日)
< 今回の判決で心配なのは、文部科学省や教委が日の丸や君が代の
強制にお墨付きを得たと思ってしまうことだ。
 しかし、判決はピアノ伴奏に限ってのものだ。強制的に教師や子ど
もを日の丸に向かって立たせ、君が代を歌わせることの是非まで判断
したのではない。>
http://www.asahi.com/paper/editorial.html


「君が代判決 『お墨付き』にしてはいけない」(毎日)
<  戦後学校教育の原点は「自治」であり、特に学校現場の裁量に期
待されるところが大きい。そのことを改めて確認しておきたい。>
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/


「君が代伴奏*軽視された内心の自由」(北海道)
<  最大の争点となった「内心の自由」をめぐる問題については、判
断しなかった。問題の重みを受け止めていない判決と言わざるを得な
い。>
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?j=0032

スポンサーサイト

「慰安婦」問題で日本の戦争責任資料センターが声明

現在、アメリカ議会下院において、日本軍「慰安婦」問題に関する決議案の審
議が行なわれています。これに関連し日本国内で、麻生外務大臣をはじめ政府
・自民党の関係者から、日本軍「慰安婦」問題に関する基礎的な事実を否認し
ようとする発言が続いています。

こういう状況に際し、日本の戦争責任資料センターが23日、日本軍「慰安婦」
問題に関する冷静な対応を求め、今日の研究水準と歴史的な事実を踏まえて問
題の解決に資する行動をとるよう呼びかけた声明を発表しました。下記サイト
をご参照ください。

歴史的事実踏まえよ~日本軍「慰安婦」問題で声明

「起立!」「礼!」

先日、自民党の中川秀直幹事長は「首相が入室したときに起立できな
い、私語を慎めない政治家は美しい国づくり内閣にふさわしくない。
閣僚、官僚のスタッフには首相に対して絶対的な忠誠、自己犠牲の精
神が求められる」と述べて、物議を醸しました。

私はテレビで、閣議の前に首相が入ってくると、閣僚が一斉に立ち上
がってお辞儀をするシーンを見て、かねてからアナクロ的な違和感を
感じていました。なんとなく、戦時中の「起立!」「礼!」とか、
「気をつけ!」「かしら右!」とかを連想させるからです。

あの部屋は閣議室でなく、閣議前の待合室のようなところだそうです。
何も皆が首相を一斉に迎えるのでなく、三々五々集まって挨拶や懇談
をしているのが、ごく自然な風景ではないでしょうか?

国民新党の亀井静香代表代行は「日本はいつから北朝鮮になったのか。
自分は直立不動で首相を迎えたことはなかった」と批判しました。ま
た社民党の福島瑞穂党首も「日本は『ハイル・ヒトラー』の世界では
ない」と指摘しました。

昨夜テレビのニュースを見ていましたら、亀井氏が運輸大臣だった村
山内閣の閣議前のシーンが映りました。橋本通産相らは煙草を吸って
おり、新聞を読んでいる人もいました。村山首相が入ってきた時、右
隣の人が中腰で頭を下げたほかは、だれも座ったままのようでした。

中川発言が効いてか、その後は大臣の皆さんも規律正しく起立してい
るようです。外国の人が見たら、さすが「美しい国」の内閣と思うで
しょうか。それともかつての軍国日本を思い出すでしょうか?

TV番組「遠い島~硫黄島・その33年~」のお知らせ

硫黄島の戦いから約33年後の77年11月に放送され、日米双方の元兵士
や遺族らの証言を集めた朝日放送(ABC)のドキュメンタリー番組
「遠い島~硫黄島・その33年~」が、26日午前1時10分~2時28分
(25日深夜枠)で30年ぶりに再放送されます。

番組の内容は下記の朝日新聞ウェブ版の記事で紹介されています。関
西地区の方は、録画するなどして、ぜひご覧ください。

日米双方から硫黄島描いたドキュメンタリー再放送

産めよ殖やせよ

最近大きな問題になった例の「女性は産む機械」という柳沢発言を
聞いて、戦争中の標語「産めよ殖やせよ 国のため」を思い出しま
した。多くの戦争体験世代がそう感じたと思います。

私たちが戦争中受けた国民学校教育は、男の子は「天皇陛下のため
に戦う機械」に、女の子は「優秀な兵士を産む機械」に育成すると
いうものでした。

この「産めよ殖やせよ 国のため」は、1941年1月22日、閣議決定し
た「人口政策確立綱項」のスローガンです。その趣旨、目標は次のと
おりです。

<第一、趣旨
 東亜共栄圏ヲ建設シテ其ノ悠久ニシテ健全ナル発展ヲ図ルハ皇国ノ
使命ナリ、之ガ達成ノ為ニハ人口政策ヲ確立シテ我国人口ノ急激ニシ
テ且ツ永続的ナル発展増殖ト其ノ資質ノ飛躍的ナル向上トヲ図ルト共
ニ東亜ニ於ケル指導力ヲ確保スル為其ノ配置ヲ適正ニスルコト特ニ喫
緊ノ要務ナリ

第二、目標
 右ノ趣旨ニ基キ我国ノ人口政策ハ内地人人口ニ就キテハ左ノ目標ヲ
達成スルコトヲ旨トシ差当リ昭和三十五年総人口一億ヲ目標トス、外
地人人口ニ就キテハ別途之ヲ定ム
 一、人口ノ永遠ノ発展性ヲ確保スルコト
 二、増殖力及資質ニ於テ他国ヲ凌駕スルモノトスルコト
 三、高度国防国家ニ於ケル兵力及労力ノ必要ヲ確保スルコト
 四、東亜諸民族ニ対スル指導力ヲ確保スル為其ノ適正ナル配置ヲナ
スコト>

人口政策確立綱項

そして「人口増加ノ方策」として、次のように書かれています。

<一、出生増加ノ方策
 出生ノ増加ハ今後ノ十年間ニ婚姻年齢ヲ現在ニ比シ概ネ三年早ムル
ト共ニ一夫婦ノ出生数平均五児ニ達スルコトヲ目標トシテ計画ス>

戦争中、私たちは5人兄弟でした。両親はきわめて国策に忠実だった
ようです。

米下院の「従軍慰安婦問題」決議案(産経社説)

米下院の「従軍慰安婦問題」決議案について、今朝の産経の“主張”
(社説)は、この決議案に反対し、正しい事実関係の再調査を、と
主張しています。

慰安婦決議案 正しい事実関係で反論を
< 安倍晋三首相は昨年秋の国会で、河野談話を「政府として受け継
ぐ」と答弁した。だが、談話は事実に基づくより政治配慮の結果-と
の証言もある。河野談話が意図的に拡大解釈されるのを防ぐためにも、
事実関係の再調査と適切な見直しを改めて求めたい。>

米下院の「従軍慰安婦問題」決議案

“従軍慰安婦”の強制連行を非難し、日本政府の謝罪を求めるという
内容の「従軍慰安婦決議案」が、先月31日、米国下院に提出されまし
た。これは過去何回も提出され廃案になっていたものですが、今回は
民主党の日系議員マイク・ホンダ氏が中心になって、ふたたび提出さ
れたものです。

これについての初めての公聴会が、韓国人とオランダ人の元慰安婦3
名が出席して、去る15日(現地時間)に開かれました。韓国・朝鮮日
報は17日の社説でこの問題を採り上げています。

日本はわれわれが死ぬのを待っているがわたしは死なない

この証人となったオランダ人女性を、9日の韓国・中央日報が紹介し
ています。

日本の従軍慰安婦に連行されたオランダ人女性が証人に

これに対し首相官邸は、今回の決議案は、いずれも廃案になった過去
8回と違って成立しそうだとの危機感を強め、加藤駐米大使からアジ
ア太平洋小委員会の委員長宛てに「日本政府はすでに慰安婦問題につ
いて責任を認めた」という内容の書簡と、歴代首相の過去の謝罪文を
送らさせましたが、さらに広報担当の世耕首相補佐官を訪米させ、メ
ディアに安倍政権の政策をPRすることにしています。

この問題は、昨日の衆院予算委員会でも採り上げられ、麻生外相は
「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」と答弁
しました。一方、塩崎官房長官は、いわゆる“河野談話”については
「政府としては受け継ぐ」と述べました。その模様は、「衆議院TV」
で中継録画が視聴できます。下記サイトの、稲田朋美議員(自由民主
党)の質疑をご覧ください。

衆議院TV

これについて今日の毎日新聞は、<中国、韓国との関係改善のため靖
国神社参拝問題などで持論を封印してきた首相の「ソフト路線」が、
外交政策としての強度を試されつつある。>と報じています。

従軍慰安婦問題:問われる首相のソフト路線 米下院決議案

新規リンクのお知らせ

「戦争を語り継ごう -リンク集-」に新しく次の2サイトを追加し
ましたので、ご覧ください。

元島民が語る『北方領土』」
終戦直後、ソ連軍が進駐してきた北方4島での生活とその後の引揚げ
の体験記

舞鶴引揚記念館
シベリア抑留を体験した画家、漫画家による絵画、漫画など

沖縄戦の戦没者数

MLで、硫黄島の戦いに比べ、沖縄戦での戦没者数はどのくらいかと
いう質問がありました。一般に公表されている数字は次のとおりです。

沖縄県の一般住民      94,000
沖縄県出身の軍人・軍属  28,228
本土出身の軍人       65,908
米軍            12,520
沖縄戦戦没者総数     200,656  
>
この数字は、沖縄県生活福祉部援護課が1976年3月に発表したもので、
今のところこれが公式な統計とされています。しかし軍関係の数字は
一応信憑性があると思われるものの、一般住民の数字は人口統計から
推計されたかなりアバウトなものです。研究者によれば15万人以上と
いう推計もあるようです。

沖縄戦戦没者数

一方摩文仁の丘にあります「平和の礎」には、ご承知のように、沖縄
での戦没者の個人名がすべて刻み込まれていますが、その出身地別の
内訳は次のとおりです。

沖縄県出身者 148,702 (軍・民合計)
他都道府県出身者  76,549 (ほとんど軍人・軍属と思われる)
外国出身者     14,550 (朝鮮・台湾出身者451名を含む)
合計        239,801  

沖縄県平和祈念資料館 | 平和の礎概要

この内、沖縄県出身者の軍人は満州事変以降の戦死者の数字ですの
で、沖縄戦以前の分は差し引く必要があります。また民間人の戦没者
はこれ以外にも身元不詳者が多数あると思われます。プラスマイナス
すれば、沖縄戦での全戦没者数は、24万人を超えることも考えられま
す。

外国出身者のうち、アメリカ人は14,008名です。硫黄島での米軍の戦
死者は6,821名とといわれていますので、その約2倍ということになり
ます。ちなみに硫黄島での日本軍の戦死者は20,129名です。

硫黄島戦の両軍の損害

いずれにしろこれらの犠牲者は、本土防衛のための捨石にされた犠牲
者であることを忘れてはなりません。

日韓歴史共通教材、来月発売へ

東京学芸大学とソウル市立大学を中心とする研究者・教員が、15回の
シンポジウムを経て10年がかりで完成させた初の日韓歴史共通教材
「日韓交流の歴史-先史から現代まで」が、3月1日に両国で同時に出
版されます。

明石書店の新刊案内

今朝の韓国・朝鮮日報の社説も、この教材を前向きに評価しています。

韓日歴史共通教材、歴史問題に風穴明けるか
< 良心的知識人の努力が実を結んだ今回の韓日歴史共通教材は、北
東アジアの若者たちが望ましい歴史観を身につけていく上で、貴重な
一歩となることだろう。>

歴史認識と愛国心―大沼保昭教授

今朝の朝日新聞のコラム「私の視点」に、東京大学教授(国際法)の
大沼保昭氏が、「歴史認識と愛国心 国民の感覚を大事に」という見
出しの一文を寄稿しています。

大沼教授は、先月の朝日新聞の世論調査で、自分は愛国心があると思
う人は78%で、かつアジア諸国への侵略や植民地支配に対して85%が
反省する必要があると答えているのを例に挙げ、国民は至極まっとう
な感覚を持っていると述べています。

そして、「反省するリベラル=非愛国者」対「反省は恥ずべき自虐と
見る愛国主義者」という対立は、メディアが「受け」を狙った図式で、
国民の意識から乖離したものであるとし、<愛国心が強いものほど自
国に誇りをもち、それゆえに自国の過去を反省し、克服しようと努め
る>と書いています。

日系人監督の原爆ドキュメンタリー映画、日米で公開へ

広島、長崎への原爆投下と被爆者たちの人生を追ったドキュメンタリ
ー映画「ホワイトライト/ブラックレイン」がこのほど完成し、8月6
日に全米でテレビ放映されるほか、日本でも夏に公開予定とのことで
す。

日系人監督の原爆ドキュメンタリー映画、日米で公開へ」(読売、
9日)

米で異例の『原爆』映画公開 被爆者に焦点」(産経、1日)

White Light/Black Rain」(映画の説明、英文)

Re: 元日本兵の日章旗、62年ぶりに故郷に

先日、「元日本兵の日章旗、62年ぶりに故郷に」でご報告しました、
元日本兵の日章旗の返還に関する記事が今日の大分合同新聞の1面と
3面に掲載されました。

内容は下記でご覧ください。
日章旗 日出町に万感の帰還 『元米兵に感謝』」

『第9条』もっと大切に--岡本三夫さん

今日の毎日新聞広島版に、日本の大学で初めて平和について考える平
和学講座を開設した岡本三夫さんのインタビュー記事が掲載されていま
すので、お読みください。

広島の発言2007:『第9条』もっと大切に--岡本三夫さん

あゝモンテンルパの世は更けて

70歳台以上の方なら、戦後まもなく渡辺はま子が歌った「あゝモンテ
ンルパの夜は更けて」という歌をご存じでしょう。しかしこの歌を作
詞、作曲したのは、当時フィリピンのモンテンルパ刑務所に戦犯とし
て収容されていた死刑囚だったことをご存じだったでしょうか?

今日のインターネット新聞JANJANのコラム「時代の証言~昭和
の歌声」は、そういったこの歌にまつわるエピソードについて書いて
います。この歌が当時のフィリピンのキリノ大統領の心を動かし、戦
犯の早期釈放につながったとのことです。

戦犯を救った望郷歌

モンテンルパといえば、かつて「チック・パーソンズ米海軍中佐と日
本人
」でご紹介しました、チック・パーソンズ元米海軍中佐も、
この刑務所に収容されていた戦犯たちの支援、慰問にずいぶん尽力し
ました。

当時日本の水泳の強さを世界に広く知らしめた、古橋、橋爪などの水
泳選手も、モンテンルパに慰問に行きましたが、それをアレンジした
のがパーソンズ氏でした。渡辺はま子のモンテンルパ慰問にも一役買
っていたものと考えられます。

「あゝモンテンルパの夜は更けて」のメロディーは、下記サイトで聞
けます。
http://www.biwa.ne.jp/~kebuta/MIDI/MIDI-htm/AhAh_MontenrupanoYohafukete.htm

なおいつもお願いしていますが、このチック・パーソンズ氏が戦争中
日本軍の陣地で収得した日本兵士の手紙の宛先であるご遺族を探して
います。ご協力をお願いします。

戦争遺留品の返還

日本軍政下におけるベトナムの多数餓死

昨年10月、ベトナムのズン首相が来日し、国会で演説した際、河野衆
議院議長は挨拶の中で、「先の大戦において、わが国の軍政下におい
て多数の餓死者を出してしまったことを、私たちは決して忘れてはな
らないと思います」と述べました。

ズン ベトナム社会主義共和国首相 国会演説の際の衆議院議長挨拶

この言葉に対し、インターネット上では、河野議長を“反日”とする
批判が数多く見られますが、今朝の産経の「正論」では、秦郁彦氏も
「河野談話」の関連でこの挨拶に触れ、河野氏の発言はあやふやな歴
史認識に基づくものと批判しています。

現代史家・秦郁彦 アジア女性基金の遅すぎる解散
< 餓死説の起源は、ホーチミンの独立宣言に出てくる「200万人
餓死」のくだりだが、ベトナムはフランスの統治下にあり、日本が軍
政をしいたのは餓死が下火になりつつあった昭和20年3月以降の5
カ月にすぎない。>

太平洋戦争開戦の前年、1940年9月に日本軍は、当時フランスの植民
地であった仏印(仏領印度支那の略、現在のベトナム、ラオス、カン
ボジア)へ進駐しました。その少し前にヨーロッパ戦線でフランスが
ドイツに降伏して新しく成立したドイツ傀儡のヴィシー政府に認めさ
せたものです。

そして1941年年7月、日本は日・仏印共同防衛協定を結び、仏印は日
仏両国の共同統治となりましたが、実質的には武力を背景に、日本の
支配力の方が勝っていました。そしてさらに、日・仏印間で経済協定
が締結され、米、ゴム、鉱物等の資源も日本の支配下に置きました。

とくに米は、日本国内の食糧難対策として、大量に日本へ輸出されま
した。当時米の配給では、国内米より輸入米の比率が多くなり、私た
ちは、黄変して臭い“外米”を我慢して食べていました。

また日本軍は、田畑での米栽培を制限して、軍需用の綿、ジュートな
どを栽培させました。これらがベトナムにおける米不足を招き、多数
の餓死者を出す大きな原因になったことは否めないと思います。

秦氏が、餓死者を出した責任はあたかもフランス側にあるように言う
のは、“現代史家”らしからぬ「邪論」だと言わざるを得ないのでは
ないでしょうか?


【参考資料】「対仏印支経済発展ノ為ノ施策(昭和15年9月3日 閣議
決定)

<二、皇国ノ必要トスル重要物資ハ可及的ニ大東亜圏内ニテ確保シ、
以テ英米ヨリ資源的独立ヲ図ルタメ、仏印支ニ対シテモ法人企業ノ創
設及経営ニ特別ナル便宜ノ供与ヲ要求スルト共ニ皇国必須ノ重要物資
ヲ優先的ニ皇国ニ輸出ヲナサシムル如キ貿易協定ノ設定ニ努ムルコト
  差当リ仏印支ニ対シ米、石炭、燐灰石、マンガン、工業塩、錫、
生ゴム、亜鉛、珪砂等ニツキ輸出ノ保障ヲ要求スルコト
尚進ミテハ皇国ノ指導ニヨル貿易管理ノ実現ヲ見ル如ク努ムルコ
ト>

被爆語らず逝った母

今日の朝日新聞大阪本社版夕刊に、「被爆語らず逝った母」という見
出しの記事が掲載されています。

<やけどを負い、夫の手押し車で運ばれる母と子。原爆投下直後の広
島市で写真をとられた一家の1人、相崎ハツヨさんが昨年11月に死
去していたことがわかった。95歳だった。写真は朝日新聞カメラマ
ンだった宮武甫(はじめ)氏(故人)の撮影で、被爆後最も早い時期
の家族写真として海外でも知られている。これで写真に写る3人のう
ちで生存するのは当時6歳で娘の吉田恵美子さん(67)=同市東区
=だけとなった。「あの日を語ることに新たな責任を感じています」
と話している。>

この記事は去る1月26日の広島版に掲載されたのと同じ内容です。

「『手押し車の母子』 相崎ハツヨさん逝く」


一家の写真を含めた宮武カメラマンの写真は、4月9日から同27日ま
で大阪市北区の朝日新聞大阪本社アサコムホールで開かれる「宮武甫
・松本栄一原爆写真展」で展示されとのことです。

戦時改描

戦時中、軍事機密の保護を理由に、市販の地図上の軍事施設や工場、
鉄道などが別の施設であるかのように書き換えられたました。これは
「戦時改描」といわれていますが、その「戦時改描」について今朝の
日経新聞のコラム「春秋」が書いています。

また次のサイトでは、「戦時改描」の実例が見られます。

地図が隠してきたもの

ここにはまた次のように書かれています。

< 地図にとどまらず、当時は鉄道の駅名さえも、たとえば横須賀軍
港駅が横須賀汐留駅(京浜急行現・汐入駅)、師団前駅が藤森駅(京
阪電鉄)、村山貯水池駅が狭山公園前駅(西武多摩湖線)、航空廠前
駅が三柿野駅(名鉄各務原線)のようにおおむね1938年(昭和13)か
ら3年くらいの間にことごとく改称されている。>

米下院に「従軍慰安婦決議案」再提出へ

今朝の韓国・朝鮮日報は、昨年米中間選挙で廃案になった「従軍慰安
婦決議案」が、ふたたび下院に提出されると伝えています。。

米下院議員 7 人、『従軍慰安婦決議案』を再提出

日本でも先月26日に、共同通信が伝えています。

新たな慰安婦決議案提出へ 米下院、可決の公算」(西日本、1月26日)

また今朝の産経新聞のコラム「産経抄」もこの問題に触れ、<こんな
しろものがまかり通るのも>「河野談話」に責任があるからだとして、
次のように書いています。

<▼歴史の捏造(ねつぞう)を許せば、われわれの名誉は末代まで汚
される。日米が歴史問題で離間して喜ぶのは誰か。安倍晋三首相は
「河野談話」の見直しを含め先頭に立って採択阻止に動いてほしい。
「主張する外交」がホンモノかどうかが試されているのだ。>

15 年戦争は共産主義者の陰謀?

今朝の産経新聞の「正論」は、作家の深田祐介氏が書いていますが、
それによりますと、

< なんのことはない、15年戦争は日本軍閥ではなく、ソ連と中国
の共産主義者の陰謀であり、世間知らずの日本は15年にわたって共
産主義者の手のひらで踊っていただけの話だったのだ。>

ということです。あの満州国建国の端緒となる張作霖爆殺事件も、日
中全面戦争の口火となった盧溝橋事件も、そして太平洋戦争のきっか
けとなったハル・ノートも、すべてソ連や中国の共産主義者が企てた
ものだそうです。

<あの昭和6年から20年に至る戦争を左翼の連中が「日本軍閥によ
る15年の侵略戦争」と呼び始め、「15年戦争」の呼称はほとんど
国民的にも認知されてきた。

 ところが冷戦が終結し、情報開示が進んできて、この15年戦争が
日本主導でなく、共産主義主導であることが次第にはっきりしてきた
から、戦争体験者としては、愕然憮然(がくぜんぶぜん)たる思いに
とらわれる。>

作家・深田祐介 太平洋の新覇権時代に甘い危機意識

深田氏は、私より2歳年長の1931年生まれですが、同じ年代として、
15年戦争についてこういう見方もあるのかと、愕然憮然たる思いにと
らわれざるを得ません。

«  | HOME |  »

最近の記事

カテゴリー

カレンダー

01 | 2007/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -

月別アーカイブ

最近のトラックバック

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

「戦争を語り継ごうML」ご案内

このブログの記事は、主としてメーリングリスト「戦争を語り継ごうML」へ投稿したものです。このメーリングリストは、世代間の交流を通じて戦争を正しく語り継いでいく場として、設けたもので、10代から90代まで、多数の人が参加しています。

参加を希望される方は、上の「リンク」の「戦争を語り継ごうML」をクリックしてください。

コメントをどうぞ

このブログについてのコメントは、下記へお寄せください。

名前:
メール:
件名:
本文:

プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。