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防衛庁長官の「沖縄戦発言」を地元批判

久間章生防衛庁長官は昨日の参院外交防衛委員会で、太平洋戦争末期
の沖縄戦に言及し「私が米軍だったら硫黄島と同時に沖縄を占領する、
戦略上それはあったろうと思う」と述べました。

また沖縄戦の犠牲について「沖縄にもし日本の軍隊がいなかったら、
確かに悲劇は少なかったかもしれない。日本はもっと早く占領されて、
早く戦争が終わっていたかもしれない」と述べました。

これに対し、今朝の琉球新報および沖縄タイムスはともに批判してい
ます。

「『基地があれば攻撃は後回しになるのでは』 久間長官、PAC3
配備で見解
」(琉球新報)
< 久間長官の発言について大田氏は委員会終了後、「国としてそう
いう発言をするのは聞いたことがない」としながら、「沖縄戦は現実
に起きたこと。『悲劇が少なかったかもしれない』と仮定の話にする
のはおかしい。沖縄戦の実態をよく知らないから、ああいう発言にな
るのではないか」と話した。>

「『私でも沖縄を占領』/久間長官発言」(沖縄タイムス)
< 元ひめゆり学徒隊の本村つるさん(81)は「他人ごとのような
発言。沖縄戦でかつて捨て石にされた沖縄が、また切り捨てられたよ
うだ」と憤った。
 「戦争経験者や基地被害を受ける沖縄のことを自らに重ね合わせら
れないのだろう」と嘆いた。>

今朝の各紙の社説・コラムから

開戦65周年の今日ですが、主要紙の中でこれを社説に採り上げたのは、
産経紙のみです。産経以外は、やはり終戦に比べ開戦は関心も低いよ
うです。

「真珠湾から65年 語る体験から学ぶ歴史へ」 (産経)
< しかし、無謀ともいえる戦争になぜ日本は突入していったのか。
そのことは65年の歳月を経た今でも、十分に解明されているとは言
えない。
  日本人の多くが、戦後の東京裁判で戦勝国側が描いた歴史観に立ち、
いわゆる「A級戦犯」にそのすべての責任を帰そうとする傾向が強い
からである。「軍部の独走」ですべてを片づけようという見方も根強
く残っている。あまりにも悲惨だった戦争経験がそうさせているのか
もしれない。だが果たしてそれだけでいいのだろうか。>
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/061208/shc061208000.htm

各コラムでは、次のような各紙が採り上げています。

「天声人語」(朝日)
< 刻々と命が失われる戦場での営為は人の心を強くつかむ。国民は
英雄を望み、軍や国家は英雄をつくろうと試み、メディアはあおる。
もみくちゃにされる兵士たちの悲劇が、切々と伝わってくる。
 ブレヒトの戯曲に、こんなせりふがあった。「英雄のいない国は不
幸だ!」「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ」(『ガリレイ
の生涯』岩波文庫・岩淵達治訳)。戦争は、妻や子や親を思いやる当
たり前の青年同士を戦わせ、時には英雄の役回りまで強いる。65年
前のきょう、日本軍の真珠湾攻撃で、太平洋戦争が始まった。>http://www.asahi.com/paper/column.html

「編集手帳」(読売)
<◆人は誰しも、情の深い人はなおさら、戦地にいる兵隊さんの力に
なりたいと思う。戦争は雪の玉に似ていよう。最初に雪を丸めたのが
無謀で乱暴な軍部であったとしても、いったん転がりだせば、平和を
愛する人、良識ある人をも巻き込んで大きくなっていく◆だから転が
してはいけない、始めてはいけないのが戦争だろう。8月15日の終
戦記念日と同じように、それ以上に、「不戦の誓い」の重さをかみし
める日である。>
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061207ig15.htm

「中日春秋」(中日)
<▼米国では今、イラク米軍の段階的な撤退案が出ている。イラクで
の開戦直後の米国は太平洋戦争当初の日本に似て勝ちどきをあげてい
た。けれど、いまやイラク国民も米兵も犠牲は膨大で「内戦」と呼ば
れる窮状だ▼「いくさに征く」ことのない為政者たちが、過去の戦争
も現在の戦争も深く省みて、これ以上誤らないことを。命がひょんと
消えていくことなど決してないように。>
http://www.chunichi.co.jp/chn/index.shtml

「正平調」(神戸)
<◆時代を経ても国が変わっても、戦争は人心を時勢という名の奔流
に巻き込んで、一気に押し流すものらしい。世界の「待った」の声を
振り切って始めた、米国のイラク戦争もまたそうだった>
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/index.shtml

「大弦小弦」(沖縄タイムス)
< この時、悲惨な戦争の結末を予想した人々が一体どれほどいただ
ろうか。以前、当時を知る人を何人か取材したが共通して、こんな答
えが返ってきた。「物資は不足していたが、差し迫った戦争の恐怖は
感じなかった」。戦争の影は迫ってきていたが、日々の生活に大きな
変化はなかったらしい。
 あれから六十五年。この国が、ほかの国に戦争を仕掛けたことはな
くまた、攻められたこともなかった。「開戦」は、もはや死語になり
つつようにも思えるが事は、そう単純ではない。>
http://www.okinawatimes.co.jp/col/20061208m.html

マレー半島、香港にも攻撃開始した日

MLで次のような投稿がありました。

>  本日は12月8日ですね。
> 真珠湾攻撃の二時間ほど前に、マレー半島コタバル海岸に日本
> 軍が上陸しておりますが、
> 現在の様子は、このような感じに成っていました。報告します。

> 「コタバル海岸

ML最長老の多田清さんも、この作戦に参加、シンゴラに敵前上
陸されています。

マレー半島に敵前上陸の命令

また日本では余り知られていませんが、同じく12月8日早朝日本軍は
同じくイギリス統治下だった香港に対しても攻撃を開始しています。

「【今日は何の日?】1941年:日本軍が香港に侵攻」(中国情報
局、8日)

私の十二月八日

今日は太平洋戦争開戦65周年の日です。およそ70代以上の皆さんにとっては、忘れられない日です。もっともお若い方には、ジョン・レノンの命日としかご存じないかもしれませんが。

拙サイト「戦争を語り継ごう -リンク集-」に、皆さんの思い出を綴る「私の十二月八日」というページを設けています。まだご覧になっていない方は、ぜひご訪問ください。当日の大本営発表の臨時ニュースもお聴きいただけます。

なお、この日に深い思い出をお持ちの方は、ぜひご寄稿ください。

童謡「たき火」も放送禁止

「♪垣根の垣根の 曲がり角♪」で始まる童謡「たき火」をご存じの
方は多いと思います。しかしこの曲が、1941(昭和16)年12月9日、
すなわち日米開戦の翌日、初めてラジオで放送されたのをご存じの方
は少ないでしょう。

ところが、この曲は3日続けて放送されるところが、戦争が始まった
ため、軍部から禁止令が出て、僅か1日の放送で打ち切られ、戦時中
はついに放送されることはなかったそうです。

禁止の理由は、「落ち葉は貴重な資源だ。風呂くらい沸かせる。たき
火は敵機の目標になる」というものでした。

今朝の北海道新聞のコラム「卓上四季」は、このことを紹介し、作詞
者の巽聖歌の師、北原白秋の「この道はいつか来た道」になるのだろ
うかと書いています。

たき火

NHKテレビ「その時歴史が動いた 真珠湾への道」

明日12月8日は日米開戦65周年にあたりますが、昨夜のNHKテレビ
「その時歴史が動いた」は、「シリーズ真珠湾への道 <前編>
~山本五十六 苦渋の作戦立案~」を放映していました。

これは昨年11月放映のアンコールですので、ご覧になった方も多いと
思いますが、見逃された方は、次のように再放送されますので、ご覧
ください。

・12月8日 ( 金 )  0:00~ 0:43 ( ※今日の深夜です )
総合 ただし近畿地方のみ
・12月11日 ( 月 ) 17:15~17:58  BS-2

番組の詳しい内容は下記をご参照ください。
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_12.html

また「シリーズ真珠湾への道 <後編> ~山本五十六 運命の作戦
決行~ 」は、次のように放映されます。

12月13日 ( 水 ) 22:00~22:43 総合
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html

泰緬鉄道をめぐるタイ人家族と元日本兵のエピソード

戦時中、旧日本軍はタイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道を
建設しましたが、その建設に当たっては、多数の連合国軍捕虜や東南
アジアの労務者を酷使し、多くの犠牲者を出したことから「死の鉄道」
と呼ばれていました。

しかしこの鉄道をめぐって、当時一日本兵とタイ人家族との間に交流
があり、このほどその家族の子孫であるタイ人のビジネスマン、ビク
ロム・クロマディットさん(53)と元鉄道第9連隊第6中隊の大塚高
二さん(91)との対面が実現したと、今朝の産経新聞のコラム「産経
」が伝えています。

このエピソードについては、先に8月10日の「産経抄」でも採り上げ
られています。

真珠湾への道 日米開戦65年(2)

前回に引き続き、産経新聞のコラム「正論」連載の「真珠湾への道 
日米開戦65年」の、4~6日掲載分をご紹介します。

(4)「衝突不可避へ7つの契機」帝塚山大学名誉教授・伊原吉之助

< 「負け戦は断じてすべきではなかった」という反省もある。三国
干渉時のように臥薪嘗胆(がしんしょうたん)すればよかったという
のである。でも、昭和16年に満洲を含め、中国全土から撤兵できた
だろうか? 日清戦争当時の日本の実力では引っ込むほかなかったに
しても、昭和に米国の言いなりになって臥薪嘗胆するのは無理だった。

 なぜ無理か? 軍部を含めて日本の各界が官僚制化し、指導者不在
のまま「誰も責任をとらぬ」世の中になったからである。進出は指導
者なしでもできるが、撤退は無理。江戸時代に各藩は藩校で指導者教
育をしたから指導者に事欠かなかったものの、近代化を担う専門家・
技術者が払底していた。そこで開国後は技術者・専門家教育に専念し
た。>
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061204/srn061204000.htm

(5)「色眼鏡越しの冷たい眼差し」 防衛大学校長・五百旗頭真

<  ローズベルトが真珠湾攻撃を知りつつ、やらせたとの主張が何度
も現れてきた。が、それを実証したものはいない。大統領は日本の開
戦を予知していた。たぶん、それを歓迎していたであろう。だが日本
軍の南進を予期し、真珠湾攻撃を想定できなかった。彼は日本海軍の
能力を過小評価し、大きな打撃を被る過ちを犯したのである。もちろ
ん、それ以上に大きな過ちを犯したのが、300万人を超える犠牲を
出したうえ敗戦を招く日本政府であることはいうまでもない。>
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061205/srn061205000.htm

(6)「開戦に踏み切らせた小さな意志」 評論家・鳥居民

< 大きな出来事がまことに小さな原因から起きることがあるという
事実をだれも認めたがらないし、私もつぎのように書くのは抵抗があ
る。

 だが、すべては木戸幸一の小さな私心にあったのだ。

 中国からの撤兵となれば、その戦いを拡大してしまった陸軍首脳の
責任が追及されよう。かれらは昭和11年に起きた二・二六事件後の
粛軍の実行者でもあった。かれらが行った粛軍の基本方針を定めたの
が、当時の内大臣秘書官長、木戸だった。かれは、その責を追及され
るのを恐れて、中国撤兵の決意ができなかった。>
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061206/srn061206000.htm

玉砕の島・ビアク島での遺骨収集

厚生労働省は先月、戦時中日本軍が玉砕したインドネシア・ビアク島
で遺骨調査を実施し、新たに遺骨35柱を帰還させました。


この調査で厚労省の職員を案内した、岩手県奥州市のNPO法人・太
平洋戦史館会長理事の岩淵宣輝さんは、「戦後60年以上たった今も、
正味5時間程度の作業で思った以上の遺骨を簡単に収容できる状況に
怒りを感じた」と述べています。


「遺骨放置無残 岩淵さんビアク島訪問」(岩手日報、5日)
http://www.iwate-np.co.jp/news/y2006/m12/d05/NippoNews_16.html


太平洋戦史館については:
「ようこそ太平洋戦史館へ」
http://www14.plala.or.jp/senshikan/


次のサイトは、2年前にビアク島へ調査に行った社民党代議士の阿部
知子氏のレポートです。


「ビアク島遺骨収集」
http://www.abetomoko.jp/photo/biak/biak11.html

「東アジア共同体」づくりへの日本の役割

朝日新聞では、「人類史上でも稀な変化の時代を迎えた世界にあっ
て、日本はどんな構想のもと平和と繁栄を目指すべきか。それを探っ
ていきたい」として、今年の4月から1年にわたり、シリーズ「新戦
略を求めて」を連載中です。

11月は、「第4章 アジアの中の日本」を掲載しましたが、その締め
くくりになった「ナショナリズム越える道、まず日本が歴史を直視」
をご紹介したいと思います。

今や世界の成長センターとなったアジアは、今世紀前半に経済規模で
米欧を抜き去る勢いです。アジアでは人やモノ、情報の流れが加速し、
国境の壁がどんどん低くなっています。その様子は次の図でご覧くだ
さい。

この5年、アジアで人と情報の往来はこんなに進んだ

その一方で、ナショナリズムが高まる傾向があります。お互いに「ウ
ィン・ウィン」で繁栄するためには、こういうナショナリズムの悪循
環を絶ち、「東アジア共同体」づくりを目指すべきでしょう。

そういう状況の中で、日本もかつての「大東亜共栄圏」のような独り
よがりでない形で、リーダーシップを発揮していくべきだと、この記
事は主張しています。

<日本の課題
・感情的な衝突が起きないよう、まず日本が歴史と向き合う。侵略の
反省を行動で示す。
・誤解の増殖を防ぎ、お互いの理解を蓄積していく。そのために、情
報発信、人的交流を強化する。
・アジアの多様性を生かしながら、市場の力と互恵の実益を重視して
共同体づくりを進める。>

ナショナリズムが過剰になるのは、メディアとくにインターネットの
影響も大きいが、それを防ぐには、やはりお互いに顔を合わせて話す
ことも大事だと、熊谷伸一郎さんの言葉も紹介しています。

< 反日活動家と呼ばれる中国人たちを訪ねて「『反日』とは何か」
(中央公論新社)を書いた熊谷伸一郎さん(30)は「ネットは誤解
も生みやすい。会ってみると、何に怒っているかがよくわかる」と語
る。彼らの名刺には、「すべての日本人を敵視することに反対しよう」
とあった。「右翼と政治家の言動に抗議しているだけ」ということが
わかった。>

そして、「東アジア共同体」づくりへの日本の役割を、次のように結
論付けています。

< 日本は戦前にも、アジアの交流の中心になった歴史を持っている。
百年前の東京には、中国やインド、東南アジアから独立運動の指導者
らが集い、アジアの未来を語り合った。中国革命の中心人物、孫文も
日本で、アジアは「東洋の王道」で連携すべきだと説き、支援する日
本人も多かった。

 なのに日本は「覇道」に走り、独りよがりの「大東亜共栄圏」で破
滅を迎えた。新たな共同体をめざす今こそ、苦い経験を踏まえたうえ
で、アジアを強く意識する日本の感性を生かせる時だろう。

 間違っても日中韓の対立を持ち込んではならない。アジアの長い歴
史と広い地理空間を俯瞰(ふかん)し、互恵と寛容の精神でじっくり
と共同体への道を開いていく。そのためにもまず、過剰なナショナリ
ズムを克服しなくてはならない。>

ナショナリズム越える道、まず日本が歴史を直視

真珠湾への道 日米開戦65年(1)

来る8日は、日米開戦から65周年にあたりますが、産経新聞のコラム
「正論」では、「真珠湾への道 日米開戦65年」というシリーズの
連載が始まりました。とりあえず第3回までの記事をご紹介します。

(1)「4つの『跳躍』が導いた戦い」 京都大学教授・中西寛

<65年前の12月に行われた日本軍による真珠湾攻撃は、日本にと
って何重かの意味で「跳躍」であった。>

<まず、真珠湾は「軍事的跳躍」、ないし飛躍であった。>
<しかし第2に、真珠湾は日本の政治的選択としては「死への跳躍」
であった。>
<第3に、真珠湾攻撃は日本の「アジアからの跳躍」を意味してい
た。>
<最後に、真珠湾攻撃は「アメリカへの跳躍」であった。>

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061201/srn061201058.htm

(2)「非凡な2人が切った片道切符」 元駐タイ大使・岡崎久彦

<この真珠湾奇襲も周囲の反対を押し切って山本五十六が決したもの
である。通常の提督が決断し得るものではなかった。幣原喜重郎と山
本五十六、この2人は昭和史で最も傑出した人物であり、私の最も好
きな人である。また当時としてはアメリカというものを最も良く理解
していた人物である。

 その2人が、他の凡百の人々にはない個人的能力を発揮したことが、
日本をあの悲劇的な戦争に導き、しかも国民が徹底的な惨禍を受ける
まで終わらせる方法をなくしてしまったのである。その後近衛文麿、
東条英機たちのやったことなどは、時流に押し流されて、その場その
場で、平凡人ならそれしかできない判断を積み重ねただけである。>

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061202/srn061202000.htm

(3)「三国同盟の熱狂と罪」 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛

< 私は日米開戦時は「国民学校」1年生、敗戦時は5年生の「少国
民」だった。それが嬉(うれ)しかった。後年、ベルリン留学時にド
イツ人学友から「集団責罪否定論」を聴かされた。罪があるのはナチ
ス指導者たちで、国民は基本的には受難者だというその論理には、な
じめなかった。いまだにそうだ。地位により責任の軽重には差があろ
う。だが、一般国民完全無罪論は私見ではおかしい。国民のナチス熱
狂は不問でよいのか。

 数年前、「先の大戦」についての寄稿を、私は「僕たちの、私たち
の戦争だった」と題した。今も変わりない。戦争に共感した「少国民」
の苦い記憶を消せないものだから。>

http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/061203/srn061203000.htm

福岡大空襲・少年の記憶

「戦争を語り継ごう -リンク集-」に、新しく次のサイトを追加し
ましたので、ご覧ください。

道路さえ燃えた福博の街 ~福岡大空襲・少年の記憶~
工業学校1年生(今の中1)の時、身近に見聞した、1945年6月19日の
福岡大空襲の記憶

中国残留孤児訴訟の判決に関する各紙社説

昨日神戸地裁は、兵庫県などの中国残留孤児65人が1人あたり3300万円の国家賠償を求めた訴訟の判決で、原告61人について請求を認め、総額4億6860万円を支払うよう国に命じました。今朝の各紙の社説は、いずれもこの判決を支持し、政府に何らかの対策を要求しています。

「残留孤児、勝訴 祖国への思いに応えよ」(朝日)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
「残留孤児判決 生活支援は国の責任だ」(毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061202k0000m070173000c.html
「残留孤児勝訴 戦後の『空白』に差す光」(東京)
http://www.tokyo-np.co.jp/sha/index.shtml
「残留孤児判決*政府は全面救済を急げ}(北海道)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?j=0032
「中国残留孤児/『神戸判決』高く評価する」(神戸)
http://www.kobe-np.co.jp/shasetsu/index.shtml
「中国残留孤児判決 国は救済に本腰入れよ」(中国)
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200612020157.html
「国の無策が指弾された 中国残留孤児」(西日本)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/syasetu/

この判決は、拉致被害者との対比についても触れていますが、今までの政府の対応は、「拉致は平時での犯罪行為、孤児の問題は戦時に起こった問題」というものでした。北朝鮮による拉致は、国民のほとんどが大きな関心を持っていますが、それと同じような、あるいはもっと悲惨なことが、日本の戦争によって、日本国民のみならず、外国の人々の上にもたらされたということも、もっと関心が持たれてしかるべきでしょう。

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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