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シベリア抑留絵画展

東京・新宿の住友ビル31階にある「平和祈念展示資料館」の特別企画
展「戦後強制抑留絵画展~凍土の大地シベリアで!強制抑留者の実相」
が12月3日まで同館で開かれています。

終戦後も酷寒の地で過酷な労働に従事させられた人たちが描いた「抑
留絵画」約70点を展示。体験者の証言を録音音声で紹介しています。
また同館は7月、日本人受け入れ・労働利用を決めた極秘文書、通称
「スターリン文書」の写しを入手。初公開しています。

「見る:戦後強制抑留絵画展 新宿住友ビル31階、来月3日まで」
(毎日東京版、29日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20061129ddlk13040352000c.html

なお「戦争を語り継ごう -リンク集-」にも、シベリア抑留者によ
る絵画のサイトを掲載しています。ぜひご覧ください。

「旧ソ連抑留画集」
敗戦後旧ソ連の捕虜となって、ウクライナに抑留された、元陸軍飛行
兵がユーモアの漂う絵で、厳しい収容所生活を描く。木内 信夫の わ
んぱく物語の後編
http://kiuchi.jpn.org/nobindex.htm
  
「シベリア捕虜生活の思い出」
1943年召集され、旧満州で終戦を迎えた後、4年間シベリアに抑留。
その厳しかった収容所生活を思い出しながら、30代のころ描かれた画

http://www.asahi-net.or.jp/~kw2y-uesg/siberia/001siberia_top.htm

「シベリア回想 早田貫一画伯のシベリア抑留鎮魂歌」
シベリア抑留を経験した画家が、当時を回想して描かれた絵画
http://www.donpu.net/21siberia/siberia.htm

「きらめく北斗星の下に」
第二次世界大戦終結後のシベリアに抑留された画家、50数人による抑
留画集
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k-s/main.htm

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シドニー湾攻撃の旧海軍特殊潜航艇を発見

1942年5月31日、日本海軍は特殊潜航艇3隻によるシドニー湾攻撃作戦
を敢行しましたが、うち2隻は湾の奥まで侵入することができず、自
爆しました。

侵入に成功した1隻は、オーストラリア軍の艦艇を撃沈した後、行方
不明になっていましたが、その潜航艇と見られる艦体が、このほどシ
ドニー湾北部の海中で発見されたと、オーストラリアのテレビ局が報
じました。

シドニー湾攻撃の旧日本軍特殊潜航艇を発見=オーストラリア
(時事通信、27日)

自爆した2隻の特殊潜航艇は6月4日、5日に引き上げられましたが、オ
ーストラリア海軍は乗員4名の勇敢さに敬意を表して9日に海軍葬で弔
いました。そして、4人の遺骨は交換船によって10月9日に横浜に到着
したとのことです。

特殊潜航艇によるシドニー港攻撃( Wikipedia )」

なお引き上げられた2隻は、半分ずつつなぎ合わされて、現在キャン
ベラにある戦争記念館に展示されています。

http://suisantaikoku.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/p1010245b.jpg

危ない!戦争がつくられる

今朝の中日新聞のコラム「中日春秋」は、名古屋女子大名誉教授の青
木みかさんの新刊「危ない!戦争がつくられる 一庶民の反省と不安」
(風媒社)を紹介しています。

青木さんは1923年生まれ、女学校時代に実弾射撃の訓練を受け、卒業
後結婚した夫は戦死、20歳で戦争未亡人になったそうです。

「『撃ちてしやまむ』。もとは古事記に出てくる言葉で、戦時下に…」
<▼<永劫にかかる凄惨の戦ひを禁じて誓ふ平和憲法>。自民党衆院
議員を長く務めて、一昨年に亡くなった山中貞則氏の歌だ。太平洋の
戦跡を巡って編んだ歌集の中の一首で、青木さんは本の冒頭で紹介し
ながら、平和憲法の意義を強く訴える▼今月で公布六十年の平和憲法。
かつては多くの政治家が戦争体験も踏まえて大切にしたが、今は改憲
の風が吹く。「戦争を知らない大人たち」が増え、為政者が「愛国心」
を語る。その動きを見つめるうちに青木さんは戦争に突入したころの
記録を残したい思いにかられたという>

靖国参拝訴訟:四国訴訟、原告敗訴に批判の声

小泉前首相の靖国神社参拝は政教分離を定めた憲法に違反するとした
訴訟の控訴審判決が22日、高松高裁であり、裁判長は原告の訴えを退
けた松山地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却しました。

これに対し、原告の遺族の中から批判の声が挙がっていると、昨日の
毎日新聞香川版は伝えています。

靖国参拝訴訟:四国訴訟、原告敗訴 『司法は存在しないのか』相
次ぐ批判の声 /香川

< シベリア抑留中に死亡した父が靖国神社に合祀されている原告の
吉田孝子さん(71)=同市塩上町=は「父の命を奪った戦争を起こ
した『国』を私は許していない。なのに(国の代表である)首相は勝
手に私の父に感謝の意をささげに行く。胸の傷をえぐられるような思
いだ」と語り、「利益侵害がない」と述べた判決を批判した。

 また、特攻隊員だった弟を亡くした山崎幾右衛門さん(81)=愛媛
県宇和島市=は「司法が世の中の傾向に流されており、大きな犠牲を払
って作られた日本国憲法がないがしろにされている」と訴えた。>

水師営の会見

前稿「旅順虐殺」で、「水師営の会見」というのが出てきましたが、
おそらく水師営(スイシエイ)といっても初めて聞かれた方も多いの
ではないかと思います。

しかし70代以上の方なら、知らない人はまずおられないでしょう。こ
れは、明治の末から1945年の敗戦で墨を塗られるまで、ずっと小学校
の教科書に載り、また文部省唱歌として歌い継がれてきたのです。

あるサイトで読んだのですが、水師営へ観光で行った人が、そこで台
湾から来た70代の観光ツアーの団体に出合って、不思議に思ったそう
です。しかしこの人たちも戦時中は、国民学校で私たちと同じ教育を
受けていたので、水師営の史跡にも関心があったのでしょう。

戦前の国語の教科書に書かれた文章と唱歌の歌詞は、次のサイトでご
覧いただけます。

水師営の会見

水師営の会見と並んで、日本の戦史上有名な敵将との会見は、太平洋
戦争のシンガポール陥落の際の、山下奉文大将と英軍の司令官・パー
シバル中将との会見でしょう。

水師営の際は、日本も文明国であるということを世界に誇示するため、
友好的な雰囲気の様子を写した記録写真が残されています。これは、
勝者と敗者という感じで撮られるのを防ぐため、内外の報道陣に撮影
を許可した唯一の写真だそうです。↓
http://www.mnet.ne.jp/~s-uchida/nogisutesseru.jpg

一方シンガポールの場合は、その前夜水師営の乃木の故事を思い出し
て眠れなかったという山下の意に反して、なぜか「イエスか、ノーか」
と恫喝したかのように報道され、日本軍の緒戦の勝利を誇示するのに
利用されました。

従軍画家・宮本三郎が描いた「山下・パーシバル両司令官会見図」は、
そういうプロパガンダの典型で、当時のわれわれ軍国少年の血を沸か
させたものです。↓
http://www.gallerysugie.com/mtdocs/artlog/archives/000133.html

旅順虐殺

1933年生まれの私の幼児時代の英雄といえば、日露戦争で活躍した東
郷元帥や乃木大将でした。東郷の日本海海戦や乃木の旅順攻略は、子
供向け絵本の定番のテーマでありました。

中でも旅順攻略は、乃木大将と敵の敗将ステッセルとの水師営での会
見など、歌にもなってよく知られていました。しかしその十年前の日
清戦争でも、やはり旅順攻略が行われ、その時中国人に対する虐殺が
行われたなどは、余り知られていなかったのではないでしょうか?

日露戦争における旅順攻略戦は、日本海海戦と並んで、この戦争の山
場でした。日本軍は、後方部隊を含めて延べ約13万人を投入し、155
日かけてやっと攻略できましたが、1万5千人余の戦死者を出しました。

しかし日清戦争の場合は、旅順は僅か1日で陥落したのです。そして
その直後、開城された市内へ入った日本軍は、敗残兵の残る市内の掃
討作戦として、多くの市民を巻き添えにした虐殺を行ったのです。詳
しくは、次のサイトをご参照ください。

旅順虐殺事件 - Wikipedia

この状況は、ちょうど日中戦争時の南京虐殺を思わせます。ただ南京
の場合と違うのは、日清戦争の場合は、欧米のジャーナリストも多く
従軍しており、彼らによって、その実態が広く世界に知らされてしま
ったことです。そのため、日本も文明国の一員と認められたいと願っ
ていた明治政府は、その善後策に苦慮することになります。

明治天皇もこの事実を知っていたため、10年後の「水師営の会見」に
おいては、とくに敵将ステッセルの名誉を重んじ、帯剣を許すよう指
示したとのことです。そのためこの会見では、お互いの健闘を称えあ
うものとなり、日本の武士道の鑑を世界に示したものとして、教科書
にも書かれるようになりました。

このように、日露戦争時の「水師営の会見」にも、ロシア兵捕虜への
人道的な扱いにも、日清戦争時の「旅順虐殺」という背景があったの
です。しかし戦前も今も、そういうことを知っている人はきわめて少
ないようです。

戦前の私たちは日清・日露の戦争については、まったくの“自慰的”
史観で教えられていました。旅順虐殺といった、“自虐的”な事実は
ぜんぜん教えられていませんでした。そうしたことが太平洋戦争に人
々を駆り立てていった一因であったことも、あながち否定できないで
しょう。

栗原利一資料集

次のサイトを、「戦争を語り継ごう -リンク集-」に追加しました
ので、ご覧ください。

栗原利一資料集
1932年に入営後、約10年にわたって日中戦争に従軍した体験を、スケ
ッチとメモで描く。南京で捕虜を大量虐殺した体験も記述されている

「スケッチ帳 0028」には、以下のようにメモが書かれています。

*************************************************************
揚子江

ここの中央の島に一時やるためと言って
船を川の中程にをいて集めて、船は遠ざけて
4方から一斉に攻撃して処理したのである
この時の撃たれまいと人から人へと登り集まるさま、
すなわち人柱は丈余になってはくづれなってはくづれした。

(島流し)
その?は片はしから突き殺して、夜明けまで
その処に石油をかけてもし、
柳の枝をかぎにして1人1人ひきじって
川の流れに流したのである。
我部隊は13500であったが
他部隊合わせて70000余と
言って居られた。
全く今考えて想像もできないことである。

これは兵は田山大隊
全員で135人くらいあったに思う
俺はクリスチャンなのになぜこんなこと
と言って大隊長はつぶやいた。
兵は戦友の敵と思って平気でやった
機関銃隊は
一大隊機関銃隊と
独立機関銃隊で
あったようだ。

Re: 旧日本軍の航空特攻作戦、命中効果率は56%(訂正)

一昨日ご紹介しました時事通信の記事に関し、神戸新聞では、さらに後半部
分として、次のような記述があったと、MLでご指摘がありました。

< 米軍損害分分析班が1945年4月に行った集計では、特攻作戦が始ま
った44年10月から45年3月までに米艦隊の視界に入った特攻機は計356
機で、うち米艦への命中が140機(39%)、至近距離での爆発による被害
が59機(17%)だった。
半年間の航空特攻作戦で米艦20隻が沈没した。視界に入る前に米軍機によ
って撃墜された特攻機は含まれていない。>

時事通信のサイトを調べても、なぜかこの記事はなくて、Yahoo!ニュースの
サイトから引用しましたので、後半が省略されていたのでしょう。前半だけ
読めば、誰しもすごい命中率と誤解します。

「命中効果率」とは、やはりそういう計算でしたのですね。またこのデータは沖
縄戦以前の、主としてフィリピン海域の特攻作戦に関するものですね。先にご
紹介しました資料では、フィリピンで出動した特攻機は650機、命中率は26.8%
となっています。したがって出動した特攻機のうち、米艦隊が視界に捉えたの
は約半数ですから、両者のデータも大筋では符合しているといえましょう。

いずれにせよ、原勝洋氏の著作にはどう書かれているのでしょうか?

Re: 旧日本軍の航空特攻作戦、命中効果率は56%

昨日、特攻機の命中効果率を半年間で56%という時事通信の記事をご紹介しま
した。命中効果率というのがどういうものか分かりませんが、命中率と同じだ
とするといかにも高い数字だとMLに書きましたら、Kさんから次のようなメ
ールをいただきました。

> 通信兵の情報と戦隊の、知人
> の、話を総合すると、始めは、体当たりは25%くらいは成果をあ
> げて、終戦半年前くらいには、10機飛んでも、1機当れば良しとか
> で、10%・・総合して、20%以下が、後方整備の者としての、
> 数字です。こんな数字を云々するのは、複雑な気持になります。

やはり従軍体験に基づくお話は貴重です。ネットで検索しましても、木村さん
のお話に符合する、平均18.6%という数字が数多く出てきます。出典元は定
かではありませんが、小沢郁郎 「つらい真実─虚構の特攻隊神話」(同
成 社、 1983年)ではないかと思われます。

その資料を引用したものと思われるデータが、次のサイトにあります。確かに
当初フィリピン沖での特攻作戦では、26.8%になっているのに対し、最後の沖
縄戦では、15.8%に下がっています。

特攻による戦果

木村さんも言われますように、沖縄戦末期になると、飛行機も不足し、練習機
まで動員する始末、それに当然パイロットもしだいに経験不足者が増え、効率
は悪くなります。逆に米軍の方は、次のサイトにありますように、特攻機を邀撃
する戦術を強化し、これにより、<特攻機の命中率を、10%いくかいかないか
までにすることができました。>とのことで、命中率も10%程度に落ちたことが考
えられます。

軍事用語の基礎知識(7)弾道ミサイル防衛に関わるイージスとは?

われわれの子供のころは、特攻攻撃によって、敵の空母や戦艦を次々轟沈させ
ていたかのように思っていましたが、実際は沖縄戦で沈めたのは、駆逐艦や商
船ばかりだったとは、意外でした。

【参考】「鳥飼行博研究室

5.特攻では,航空機2000機,搭乗員3000名を失ったが,沖縄戦の命中率は10%
程度であった。大半の特攻隊員は,戦果を挙げることなく死亡した。特攻機の戦果
は,艦船・商船撃沈30隻,撃破80隻程度で,戦果に比して損害が大きすぎた。
  
菊水作戦の時期には、1900-2200機が特攻に出撃した。
1945年4月から6月までの間、沖縄方面作戦に特攻出撃した海軍機は神風特別
攻撃隊・八洲隊元隊員永末千里サイトによれば,次の通り。
零式艦上戦闘機   631機
九九式艦上爆撃機  135機
機上練習機「白菊」 130機
艦上爆撃機「彗星」 122機
陸上爆撃機「銀河」 100機
九七式艦上攻撃機   95機
水上偵察機      75機
一式陸攻(桜花)   54機
艦上攻撃機「天山」  39機
九六式艦上爆撃機   12機
  合計      1393機

米軍艦艇の損害は沈没26隻、損傷160隻であったという。

旧日本軍の航空特攻作戦、命中効果率は56%

今日の時事通信は、航空機の体当たりによる米艦への特攻作戦で、米軍
が至近自爆を含む特攻機の命中効果率を半年間で56%と算定し、日本側
推定 を大幅に上回っていたことが、米国立公文書館に保管されている米
軍機密資料で分かった、と報じています。

どういう計算方法か分かりませんが、50%強とはかなり高い確率ですね。

旧日本軍の航空特攻作戦、命中効果率は56%=予想以上の戦果-米軍
機密文書


米空母に命中した瞬間の写真も掲載されています(合掌)。

神風特攻機の命中で黒煙を吐く米空母

ヨーロッパにおける歴史認識共有化の試み

今日の朝日新聞夕刊の「歴史認識」のコラムに、欧州統合時代への一歩とし
て、ドイツ、ポーランド、バルカン諸国で、過去の戦争や内戦の対立を超えて、
広い視野から、新たな歴史像を描こうとの試みが続いていることが紹介され
ています。

かつて内戦が絶えなかったバルカン諸国でも、和解を進めようと、歴史家や教
育者の努力が続けられており、そのたたき台として、ギリシャに本拠を置くNG
Oが南東欧地域共通の歴史副教材として発行した史料集が挙げられていると
のことです。

<史料集は、11カ国の研究者が6年かけてまとめた。(1)批判の刃は自分に向
ける(2)相手の立場で考える(3)バルカン諸国の歴史家だけで自立的に行う―
を基本に重ねた対話の成果だ。>

<ドイツ、ポーランド、バルカン諸国に共通するのは、自国中心の歴史観、歴史
教育を変えようという意図だ。過去に存在した対立を和解させ、欧州統合という
新たな時代にふさわしい歴史像を探る試みでもある。>

先の日中首脳会談でも、日中歴史共同研究を開始することが同意されています。
「批判の刃は自分に向ける」を“自虐的”とするようなジコチュー的な史観では、到
底このような新時代への試みには参加できませんね。

雲南・ビルマ最前線における慰安婦達

北ビルマ戦線で連合国軍の捕虜になった従軍慰安婦に関する貴重な資料がネ
ット上にありましたので、ご紹介します。

雲南・ビルマ最前線における慰安婦達 - 死者は語る 浅野豊美

北ビルマの戦場にとり残された彼女たちの証言により、前線の部隊にも慰安
所があったこと、そして北ビルマ戦線における日本軍の敗退の状況などが明
らかされています。中でも、水上少将の英断により、玉砕を免れてかなりの将
兵が生還しているミチナからの脱出の実態の一端を知ることもできます。

また同じく捕虜になった一朝鮮人看護婦の証言により、従軍看護婦の間にも、
日本人と朝鮮人との間に、給与面、待遇面で大きな差があったことが明らか
にされています。彼女が、日本軍にいたときよりも、米軍の捕虜になったほう
が待遇がよくなったというのも、印象的です。

教育基本法改正 なぜそう急ぐ

国会で審議中の教育基本法改正案は、与野党間で紛糾が続いています
が、 与党側は今週中にも強行採決の姿勢をちらつかせています。なぜ今
そう急 ぐのか、今朝の毎日、中日(東京)の2紙の社説は、そう問いか
け ています。

「教育基本法改正 一から論議をやり直す時だ」(毎日)
< 結局は「現行法は占領軍に押しつけられた。全面的に改めたい」という
認識と動機が第一で、法改正そのものが自己目的化しているのではない
か と思いたくなる。それが誤解というなら、深みのある論議を十分に経ない
まま「残り時間」を言い立てるようなことはすべきではない。>
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/

「教育現場からの議論を」(中日)
< “愛国心”の盛り込みを含め教育基本法改正案には、こうした国からの
指示、関与を強化する意図が読み取れます。東京大の調査で全国の公立
小中学校長の三分の二が改正案に反対したのも、国の管理、監視の色彩
が濃い改正案に対する懸念からでしょう。今は改正を急ぐことなく、多様な
現場の声をすくい上げ、再生への道を探る時ではありませんか。>
http://www.chunichi.co.jp/sha/index.shtml

ご承知のように、この教育基本法“改正”は、安倍首相が内閣発足後第
一 に取り上げた、“目玉”法案です。安倍氏がなぜこの実現に力を入れ
て いるかといえば、やはり毎日の社説のように「現行法は占領軍に押し
つ け られた。全面的に改めたい」という点にあり、それは同じ主旨
で、 憲 法改正にもつながるものです。

また実質的な目的は、中日の社説のように、教育に「国からの指示、関与を
強化する意図」でしょう。安倍首相の有力なブレーンである八木秀次氏の狙
いはもっと端的で、下記記事にあるように、「左派系教職員組合の影響力を
排除し、教育界を正常化するため」にあるということなのです。

■「【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 教基法は教職員の法令遵守
が 眼目」(産経、10日)
< あまりはっきり言う人はいないが、今回の教育基本法改正の眼目の一つ
は、この左派系教職員組合の影響力を排除し、教育の主導権を国民の手
に 取り戻すことにある。冷戦が終焉(しゅうえん)して15年以上も経つのに、
我が国の教育界には依然として「東側」、いや38度線の北側に位置する勢
力が大きな影響力を持ち続けている。そして税金を使って、国家の転覆を考
えるような子供や日本に帰属意識を持たない子供を大量生産している。それ
を正常化するのが教育基本法改正の目的の一つなのだ。>
http://www.sankei.co.jp/news/061110/sir000.htm

八木氏は、教育の主導権を国民の手に取り戻すことにあると言っていますが、
本心は国家の手に取り戻すということでしょう。そこには戦前の大日本帝国時
代への郷愁があるように感じます。しかしそれこそ38度線の北側に位置する
勢力と同じ方針と言うべきでなないでしょうか?

ノーベル賞学者・小柴昌俊さんの戦争体験

昨日の毎日新聞夕刊の学生紙面「キャンパる」に、ノーベル賞学者の小柴昌
俊さんのインタビュー記事が掲載されています。

インタビュー・会いたい人 ノーベル物理学賞受賞者・小柴昌俊さん
< 取材の最後に今の世の中について聞いた時、「戦争で人の殺し合いなん
か、絶対にやるべきじゃない」と断言した。それまでの笑いの消えた、厳し
い小柴節だった。>

小柴先生はテレビでしか拝見していませんが、大学者らしからぬ、気さくな、
温かいお人柄のようです。お父上とのやり取りも秀逸ですね。父親に進言さ
れた先生もさすがですが、息子に相談して、それを聞き入れられたお父上も
立派だと思います。

小柴先生から、何となくよく似たお人柄の、今年95歳になられます日野原重明
医師を思い出しました。いつかご紹介しましたように、日野原先生もご自身の医
師としての体験から、「戦争は二度と繰り返してはならない」と仰っています。や
はり80代以上の、戦争を体験された方の言葉は重いですね。

国会でももうそういう方はほとんどいなくなりました。昔は、保守・革新を問わず、
そういう方がおられて、戦前回帰のブレーキになっていましたが、今はだんだん
そういう歯止めがなくなってきたようです。

昨日の朝日川柳から、
   「国民に必修漏れてる戦前史」


NHKへの放送命令に関する各紙社説(続々)

NHKへの放送命令に関する各紙の社説については、今日残る読売、日経の
2紙とも採り上げ、これですべての主要新聞が、命令放送反対の立場を表明
しました。提案を含めて、再度採り上げた東京の社説とともにご紹介します。

なお、日本新聞協会も10日、「報道・放送の自由を侵す恐れがあり、重大な懸
念を表明せざるを得ない」とする白石興二郎編集委員会代表幹事(読売新聞
東京本社取締役編集局長)名の談話を発表しました。

「[NHK国際放送]『命令』までは必要なかった」(読売)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061110ig91.htm

「なぜ『命令放送』なのか」(日経)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20061110MS3M1000I10112006.html

「放送命令 制度の抜本改革が急務」(東京)
< これを機に、命令の廃止はもちろん、制度全般の洗い直しと真剣に取り組む
べきだ。敗戦直後の一時期に行われた、政府から独立した行政委員会が放送行
政を担う方式を基本に、政治家、役人支配から脱した新制度を早急に組み立て
たい。>
http://www.tokyo-np.co.jp/sha/index.shtml

インパール作戦からから生還された中野誠司さんを偲んで

毎日新聞の読者クラブ「まいまいクラブ」に、記者がインパール作戦「烈」
部隊中隊長の中野誠司さんのことを偲んで書いています。中野さんは、 戦
後「鯨・烈山砲戦友会」会長として戦病死した部下らの慰霊に努めてこられ
ましたが、去る8月6日猛暑の中、ビルマでの戦病死者を追悼する 香川県内
のパゴダに、自宅に祭っていた位牌と戦友会が編さんした本「鎮魂」を自ら
奉納に行かれ、その3日後に惜しくも亡くなられたそうです。

この「鎮魂」には、軍の無責任な作戦で20代の命を無駄にし、自分が生き残
るために同僚や部下を見捨てざるを得なかった、そんな無念を込めて、中野
さんが寄稿されています。そこで中野さんがぜひ書き残していたかったと言
われていたのが、部下を全滅から救うため死刑覚悟で独断で部隊を撤退させ
た烈師団長、佐藤幸徳中将の話だそうです。

インパール作戦を指揮した牟田口 廉也中将は、稀に見る愚将といわれていま
すが、その部下には、上記の佐藤幸徳中将や、Sさんの 「ミチナの木盃(祖
父の手記から)」に描かれています、上官の命令に背いて部下を撤退させた後
自決した水上源蔵少将などの立派な将軍もいました。

この記事には、多くの読者のコメントも書かれており、まさに「戦争を語り継ご
う」にふさわしいものです。ぜひご一読ください。

インパール作戦「烈」部隊生還者=田畑知之(阪神支局)」

原子爆弾 後悔する人としない人

インターネット新聞「JANJAN」のコラムに、松岡陽子マックレインさんという
在米の日本人女性が、「原子爆弾 後悔する人としない人」という一文を書い
ています。

原子爆弾(2)後悔する人としない人

後悔しない人として彼女が挙げているのは、原爆を投下した元飛行士で
す。 彼らはテレビ・インタービューで、「後悔していない。自分達は愛国者だ。
落として戦争を終わらせたことを今も誇りに思っている」と言っていたそうです。

また後悔する人とは、 彼女がが長年勤務したオレゴン大学の元学長で
す。 彼は戦時中ネヴァダ州ロスアラモスのマンハッタン・プロジェクトで、原子
爆弾の開発に参加したのです。

< 彼は後年、自分が原爆製造を手助けしたことを非常に罪深く感じ、平和運
動に携わっていた。大学の仕事で東京に行った時も、会議の後、自費で広島
まで行き、原爆博物館で千羽鶴を見たときは、自分がこの悲劇をもたらした責
任者の1人だと感じて涙が止まらなかったと私に直接話してくれた。彼は戦争
を止めるため広島に原爆を落としたことは仕方がなかったかもしれない
が、 長 崎には落とすべきでなかったと何度も言っていた。数年前に他界したが、
昔 彼と話した度にいつもその謙虚な態度に印象づけられた。>

これを読んで、MLでも話題になった自虐か、自慰か、ということを思い出しま
した。

私たち日本人から見ますと、この元学長は「自虐的」とはどうしても思えません。
むしろ「自省的」というべきです。しかしアメリカでも、ネオコンなどはやはり「自
虐的」と批判するのでしょうね。

一方、元飛行士の場合は、私たちにはこちらはやはりどうも「自慰的」に見えま
すね。彼ら自身およびネオコンさんなどは、「自由主義史観」と言っているので
しょうか?

NHKへの放送命令に関する各紙社説(続)

昨日、NHKへの放送命令に関する各紙の社説をご紹介しましたが、今日は
朝日、産経の2紙が、社説で採り上げています。両紙ともさすがにジャーナ
リズムの死命に関わる問題だけに、いずれも政府を批判する論調となってい
ます。これで読売を除くほとんどの新聞が、命令放送反対の立場を表明しま
した。


なお昨日の北海道新聞の社説も、併せてご紹介します。


「命令放送 規定を法律から削れ」(朝日)
http://www.asahi.com/paper/editorial.html


「命令放送 納得できる仕組みが必要」(産経)
http://www.sankei.co.jp/news/061110/edi000.htm


「放送命令*権限の乱用ではないか」(北海道、9日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?j=0032


この北海道新聞の社説には、<これに対しNHKは、拉致問題を「一生懸命報
道している」と言い続けてきた。今年一-九月で七百本の拉致絡み原稿を国際
放送した という。 >と書いてあります。拉致問題についてはNHKも、言わ
れなくても当然力を入れて放送しているはずで、何も今さら命令しなくとも、
要望でいいはずです。


菅氏総務相は、昨日審議会のお墨付きを貰っての感想として、「拉致問題は最
重要課題だ。そうした毅然たる姿勢を伝えられればと思っている」と語ってい
ます。どうやらタカ派の菅氏は、拉致問題の政治的アピールと、とにかく「命令」
という先例を作りたいという意向のようです。


また与党の議員からも国会審議で、「ニュースの項目という重要な編集権に、
口をはさむことになる」などと批判されても、「自分の責任でやる」と自説を曲
げていません。自民党幹部の一人から、「国論を二分する問題で命令を使えばど
うなるか。野党に転落したとき、相手にやられたらどうするのか」と嘆きが聞こ
えてくるほどです。


またこれによって、政府とNHKとの関係が微妙に変わってくることも予想され
ます。あるNHKの有力OBは「以前ならこんなことは言わせなかった。なめら
れている」と言っています。


このように各新聞が声を揃えて政府を批判していますが、もっと問題が深刻な民
放各社はどこも批判的です。テレビ東京の菅谷社長は、「悪い先例として残る。
極端に言えば、民放も免許があるからこれをやれと言われるかもしれない」と、
拡大解釈されることを警戒しています。

NHKへの放送命令に関する各紙社説

ご承知のように、菅義偉総務相は、NHK短波ラジオ国際放送で北朝鮮
の 拉致問題に関しNHKに命令する方針を打ち出していましたが、昨日
そ の是非を電波監理審議会に諮問しました。すると審議会は、審議非
公開のまま あっという間に、命令を適当とする答申を出しました。

この審議会の答申に対し、NHKは次のような見解を発表しています。

「ラジオ国際放送の命令放送における電波監理審議会の答申について」
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/otherpress/061108.html

この問題について、今朝の毎日新聞の社説は、電波監理審議会やNHK
の 態度を批判しています。

「NHK国際放送 命令規定そのものの撤廃を」(毎日、11月9日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061109k0000m070158000c.html

この問題は、総務相がそういう意向を表明した時点から、与党内でも反対の
声があり、一時は断念したかと思えましたが、いつの間にか強行されてきま
した。

かつて幹事長代理の時、安倍首相は従軍慰安婦問題でNHK番組に介入
し たといわれますが、今回の問題については、「北朝鮮で救出を待っている
被害者のために何ができるかという観点からみんな考え、その中で適切
に 対処していくと思う」と理解を求めています。ただし首相自身が菅総務相に
指示したか否かに関しては、明言を避けています。

こうした報道規制は戦前・戦中の暗い時代を思い起こさせ、再びああいう時代
に戻らせてはならないと、マスメディアは、一部を除き、今までもいっせいに政
府を批判してきました。余り皆さんの目に付かないと思いますが、地方紙の社
説も声を揃えて次のように批判してきています。

「国のマスコミ介入続く」(岩手日報、11月2日)
http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2006/m11/r1102.htm

「NHKへの放送命令/編集権の介入につながる」(河北新報、10月31日)
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2006/10/20061031s01.htm

「放送命令 毅然たる姿勢で対処を」(東京、10月28日)
< こうした事態を招いた一因はNHKの政治迎合ともいえる弱腰だ。予算、
決算の説明と称して国会議員の意向をうかがう行動を職員が日常的にし
て いる。天皇の戦争責任に関する番組内容が政治的圧力で変更されたと
され る問題でも、圧力をかけたとされる側に迎合するかのような姿勢に
終 始した。>
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20061028/col_____sha_____002.shtml

「放送命令 報道の自由侵す愚作だ」(京都、10月28日)
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20061028_2.html

「放送命令・あまりに短絡的すぎる」(琉球新報、10月28日)
< 英国でも政府が公共放送に国費を投入して、国際放送を義務付けている。
しかし、個別具体的な事項について命令することはないという。金を出しても、
編集権には口出ししない。健全な在り方である。
 日本の報道機関は戦前、戦中と政府の言論統制下に置かれ、国民に正
確 な情報を提供する使命を果たさなかった。>
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-18392-storytopic-11.html

「放送命令 政府の介入は適切か」(佐賀、10月27日)
http://72.14.235.104/search?q=cache:XCFdiFqW__YJ:www.saga-s.co.jp/view.php%3FpageId%3D1669%26blockId%3D234346%26newsMode%3Darticle+%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%94%BE%E9%80%81%E3%80%80%E5%91%BD%E4%BB%A4%E8%A6%8F%E5%AE%9A&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=21

「蟻の穴を開けてはならぬ 放送命令」(西日本、10月26日)
< しかし、だからと言って政府が放送の内容にいちいち口出しするようになれ
ば、太平洋戦争中に新聞も放送も軍部の支配下に置かれ厳しく統制された歴史
を引くまでもなく、民主主義の根幹が危機に直面してしまう。>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/syasetu/20061026/20061026_002.shtml

「NHK放送命令 『表現の自由』に触れる」(中国、 10月26日)
< 首相はこれまで、従軍慰安婦問題でNHKとの「摩擦」が伝えられてきた。今
回の命令問題をきっかけに、万が一にも政権に対してNHK全体の腰が引けて
しまうようなことがあってはならない。今後の経緯、自らの見解について視聴者
にその都度、情報公開と説明をしていく責任がある。>
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200610260189.html

「国家権力介入は許せぬ」(沖縄タイムス、10月26日)
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20061026.html

「【国際放送】報道介入の危うさ 」(高知、10月26日)
http://www.kochinews.co.jp/0610/061026editor.htm

「拉致問題放送 NHKの自主性尊重せよ」(山陽、10月24日)
http://www.sanyo.oni.co.jp/sanyonews/2006/10/24/2006102411444269025.html

国民学校教科書と神話(下)

4年生になると、一応神話の世界は終了して、「神皇正統記」を教材とし
て、 空中の祭祀をつうじて天皇が「天照大神の血筋をひいた天皇」いわ
ゆる「現人神(あらひとがみ)」であることを立証する試みが行われます。

こういう準備段階を経て、5年生からいよいよ本格的な「初等科歴史」の
授 業が始まります。その教科書の第1ページが、先にもご紹介しました
次の神勅です。

<豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是れ吾が子孫の王たるべき地なり。
宜しく爾皇孫就きて治せ。さきくませ。宝祚の隆えまさんこと、当に天壌と
窮りなかるべし>

また5年の修身第一課「大日本」でも、この神勅を<皇祖天照大神は、御
孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に天壌無窮の神勅をお授けになりまし
た。大日本は、天照大神の御子孫がお治めになり、天皇の御位は天地と
ともに、き わまりなくおさかえになるということが、この神勅にしめされている
のであります。>と説明しています。

4期の修身では、この「神勅」を逐語的に詳しく解説しているのに対し、5期で
は「神勅」を合理的に解釈することは避け、「信念」として扱う姿勢がみられます。

このように歴史教育は、神話に基づく「神勅」から始まり、それらの「尊い歴史」
をいかに「現人神」である天皇の「大御心」による「大御業」、つまり「八紘一宇
の大理想」という名の戦争の大義名分とむすびつけるかの一点に集中するこ
とになります。この「八紘一宇」という言葉もまた神話から採った造語なのです。

こうした神を中心とした教育のすべてを凝縮してものに、5年の国語「十二月八
日」があります。これは太平洋戦争開戦の日、皆で講堂に集まって、宣戦の大
詔をラジオで聞いたときの様子を書いたものです。

<「天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇」
と仰せられるお国がらの尊さ、この天皇の御ためなればこそ、われわれ国民は、
命をささげ奉るのである。そう思ったとたん、私は、もう何もいらないと思った。そ
うして、心の底にあった不安は、まるで雲のように消え去ってしまった。

「皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ。」
と仰せられている。私は、神武天皇の昔、高倉下(たかくらじ)が神剣を奉り、金
のとびが御弓の先に止まったことを思った。天照大神が、瓊瓊杵尊にくだしたま
うた神勅を思った。神様が、この国土をお生みになったことを考えた。

 そうだ。私たち国民は、天皇陛下の大命を奉じて、今こそ新しい国生みのみわ
ざに、はせ参じているのである。勇ましい皇軍はもとより、国民全体が、一つの
火の丸となって進む時である。私たち少国民も、この光栄ある大時代に生きて
いるのである。>

今思えばずいぶん難しいことを習っていたものですが、このころはもう疎開生活
でろくろく勉強をしてなかったせいか、ほとんど覚えがありません。

国民学校教科書と神話(上)

私たちが習った戦時中の国民学校の教科書の中で、いかに神話を通じて
皇国史観が教え込まれ、皇国民として練成されていったかを、入江曜子
著 「日 本が『神国』だった時代 -国民学校の教科書をよむ-」(岩波新
書、 2001年)によって、ご説明したいと思います。

まず1、2年生では、導入部として神社参拝や各家庭にあった神棚などを
通 じ て、生活と神の関わりあいを教えます。神話は2年生になった初め
て、 「国 引き」が登場します。これは高学年における日本の領土拡大
政 策―侵 略戦争賛美の比喩としての伏線でもありました。

神話が本格的に、徹底して教えられるのは3年生です。3年前期の「国語
一」 では24課中5課が、「修身一」では20課中4課が神話を扱っています。

そして修身の第一課「み国のはじめ」で、イザナギ、イザナミによる国生み
と天照大神の誕生を教えます。また同時進行で、国語の第一課「天の岩
屋」では天照大神が太陽神であることを教えられます。

さらに、スサノオ、オオクニヌシ、スクナヒコなどの神々の伝説で、日本が統合
されていくことを示し、そしてアマテラスが孫ニニギに「神勅」と三種の神器を与
えたことを説明して、ここに神の子孫である天皇が日本を治めるという「国体の
本義」が教え込まれます。

そして修身では、<世界に、国はたくさんありますが、神さまの御ちすじをお
受けになった天皇陛下が、おおさめになり、かぎりなくさかえて行く国は、日本
のほかにはありません>と、日本は神国、天皇は神様の子孫というこ とを徹
底させています。

3年生といえば、まだ神話と史実の区別が明確にできないでしょう。そうした
純真で、無垢の頭に、まず皇国思想の基礎が繰り返し刷り込まれていく
の でした。

長くなりますので、後半は次回に。

戦時中の教科書に出てきた外国

MLで、日中戦争時でも、世間では意外にアメリカ文化が流行っていたということを聞いて、若い人が驚いていました。そこで戦時中(日中戦争時を含む)の教科書に、外国の事情がどのように描かれていたかを、ご紹介したいと思います。

15年戦争の嚆矢となった満州事変が起こった翌々年の1933年に、小学校の 教科書が改訂されました。いわゆるサクラ読本といわれる第4期の教科書に なりました。

この第4期の教科書から、時局を反映してかなり戦時色が濃くなってきました。しかし欧米を中心とした外国人もまだかなり登場しています。例えば、コロンブス、ライト兄弟、張良と韓信、スチーブンソン、アレキサンダー・グラハム・ベル、リヤ王、ソクラテス、ナイチンゲール、フランクリンなどです。

その後1941年に、小学校は国民学校に改められ、それとともに、教科書も第5期に代わりました。そしてそれは徹底した皇国民練成のためのものでした。

第4期の外国人はほとんど姿を消し、第5期に引き継がれたのは、僅かにジ ェン ナー、ガリレオ、ベートーベンのみでした。このうちガリレオは同盟国のイタリア、ベートーベンは同じくドイツと、国籍が明記されていましたが、種痘を発明したジェンナーについては、イギリスという国籍は明記されていません。ジェンナーが採り上げられたのは、おそらく当時小学生に強制されていた種痘の意義を分からせるためであったのでしょう。

代わって新しく登場した名のある外国人は、満州国皇帝・愛親覚羅溥儀ただ一人です。彼は、日本の宮城を遥拝する場面で登場します。

外国事情についても、第4期ではまだ、「ホノルルの一日」、「アメリカだより」、「南極海に鯨を追う」、「パナマ運河」、「欧州航路」、「欧州めぐり」などは残っていました。

しかし第5期になると、同盟国ドイツ・イタリアを含め、西欧は完全に姿を消し、満州や占領地を除く、中国も消えました。教科書の世界は、「満州国」および日本が構想する「大東亜共栄圏」内の占領地だけの狭い世界になってしまいました。

このようにして、私たちは国際社会から隔絶されて、欧米の優れた文化も知らない「井の中の蛙」のまま、大日本帝国は世界に冠たる神国であり、日本民族は天孫民族として他のどの国よりも優れているという皇国意識を叩き込まれたのです。

今もわが国の近くに、同じように世界から断絶された国民がいます。それを批判する人は、かつての大日本帝国も同じようであったということをよく知るべきです。

参考文献:入江曜子著「日本が『神国』だった時代 -国民学校の教科書をよむ-」
(岩波新書、2001年)

大東亜会議

ちょうど63年前の今日、1943年11月5日に、東京で「大東亜会議」が開かれました。これは当時占領下にあったアジアの各地域の代表を集め、「大東亜共栄圏」の実現を目指し、協力と結束を示すものでした。

当時私はまだ国民学校4年生でしたので、詳しいことは分かりませんでしたが、大東亜共栄圏の盟主になった大日本帝国を誇りに思っていました。

当時の国民と同じく、「新しい歴史教科書」も、この大東亜会議を高く評価し、「大東亜会議とアジア諸国」という1章を設けて、当時の新聞と同じように写真を大きく掲載しています(下記URL)。

http://www.tsukurukai.com/05_rekisi_text/HP_kaitei_pdf/kaitei_75.pdf

しかし戦後知ったことですが、会議に参加した中国(南京政府)、満州国、フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)は、いずれも事実上日本の傀儡政権の代表でした。またインド(自由インド仮政府)も、必ずしもインド人民全体を代表する政府ではありませんでした。

戦前から独立国であったタイは、巧みな外交戦略で、日本と手を結びながらも水面下では連合国側とも通じていましたので、日本の度重なる要請にもかかわらず、正式の代表は送らず、代理出席にとどめました。もちろんインドネシアやマレーシアは、当時はまだ帝国の領土にするという方針だったので、朝鮮・台湾と同様、出席はできませんでした。

このように集まった代表は皆、東條首相(当時)の息の掛かったカイライばかりという声もあります。事実 、東條がもっとも得意の絶頂にあったのは、この時だったでしょう。 首相退陣後、彼はこの大東亜会議をしきりに話したといわれていますし、戦後まもなく自殺未遂を起こした時、彼の応接間にはこの時の会議の写真が飾ってあったそうです。

「大東亜会議」について、ご存じない方は、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E6%A0%84%E5%9C%8F#.E5.A4.A7.E6.9D.B1.E4.BA.9C.E4.BC.9A.E8.AD.B0

当時「大東亜共栄圏」は、八紘一宇の精神ということで、日本を家長、その他のアジア諸国を家族として、アジアを一つの家のようにするものだと、教えられていました。しかし今では何となく、戦後のソ連邦を連想させます。日本がもし戦争に勝っていたら、それは実現していたでしょうが、ソ連邦と同じ運命を辿ったに違いありません。

アジア各国の歴史教科書にみる日本の戦争

昨日、「先の大戦はアジア解放のための戦争であった」とか、「日本の戦争のおかげでアジア諸国の独立が実現した」といった論調に反論する意見をご紹介しましたが、アジアでは「日本のおかげで独立できた」という声も聞こえるという人もあります。

しかしその国の代表的な歴史観を表しているものは歴史教科書でしょう。そこでアジア各国の教科書に、かつての大日本帝国の戦争がどう記述されているかを書いているサイトをご紹介します。

アジア各国教科書の記述

いずれの国の教科書も、日本の戦争には批判的で、日本のおかげで独立できたなどと書いているのは一つもありません。

なお、このサイトの出典元は、
越田稜著「アジアの教科書に書かれた日本の戦争」(梨の木舎)
この本はシリーズで、パート7(1995/10刊)まで出版されています。

日本に対する闘いがアジア各国に独立をもたらした

先の大戦はアジア解放のための戦争であったとか、日本の戦争のおかげでアジア諸国の独立が実現したかの論調がよくあります。しかし確かに結果論としては、日本の戦争のおかげでアジア諸国の独立が実現したといえますが、それは日本が戦争に負けたからで、もし勝っていたら、第二、第三の朝鮮や満州帝国ができていたに過ぎないと思います。

日本の現代史、とくに軍事史では第一人者といわれた故藤原彰も、「日本のインドネシア占領と独立運動」という講演で、「日本に対する闘いがアジア各国に独立をもたらした」と説いています。藤原は、陸軍士官学校を卒業し、中国戦線で中隊長として従軍しましたが、戦後その経験、反省を活かして歴史学者となった人です。

この講演では、主としてインドネシアを例にして、いかに「アジア解放のための戦争であった」という主張が間違っているかを説いていますが、その 基本的な考えは次のとおりです。

< 欧米諸国もアジア各国も、あの戦争は日本の侵略戦争であったことで一致しています。日本がアジアの各国を独立させたのではなく、日本に対する闘いがアジア各国に独立をもたらしたのだ、ということは、歴史の真実だとして各国で認められている事実なのです。それに反するような考え方が日本から伝えられて行くと反発を買って、日本はアジアでは尊敬される国ではなくて、むしろ嫌われ、非難される国になっているというのが実情です。>

以下、その結論の部分だけを引用します。

<●日本軍がアジア諸国の独立を救けたのではなく、日本と闘うことでアジア諸国民は強くなって行った

 これは、東南アジア全体に言えることです。例えばビルマの場合、日本は形式的にはビルマの独立を認めました。認めたけれども、実質的には政治、外交、経済の実権を日本は握っていたわけです。日本がビルマに侵攻して行く時は、インドネシアの場合とは異なって、ビルマ人をあらかじめ訓練して「ビルマ独立義勇軍」を作らせておいて、これを連れて入って行った。これらはビルマ独立とともに、ビルマ国軍になるわけです。ところで、このビルマ国軍はどうしたか。日本の本心を見抜いているわけです。そこでインパ ー ル作戦で日本が負けると、反乱を起こしてしまう。日本軍の背後から日本軍を襲うわけです。この反乱を起こしたビルマ国軍の司令官がアウンサンで、 例のアウンサン・スーチーさんのお父さんです。この人が、戦後のビルマ独立の先頭に立ち、日本軍と闘うことで独立したわけです。

 ベトナムもそうです。「ベトミン」(ベトナム独立同盟)は、日本と闘うことで力を貯えて、戦後の長い反仏闘争、さらに反米闘争を闘い抜いて、今 のベトナムを作って行く訳です。

 日本軍がアジア諸国民の独立を救けたのではなく、日本と闘うことでアジア諸国民が強くなって行ったのです。中国共産党の周恩来が、冗談に「中国 革命は日本のお陰だ」と言ったと言われていますが、それと同じことで、結局インドネシアの場合も典型的な例であった。日本はアジア解放とか、インドネシア独立を考えたのではない。初めから日本に必要な物を取り上げる、資源豊かだから占領する、と考えて、そういう方針をもって臨んで行った。そして独立運動を弾圧したのです。

(中略)

 日本は、インドネシアの独立を救けにいったのではなく、それを抑えに行った。しかしその日本軍と闘うことで、インドネシアの独立は成し遂げられてのだ、というのが真実であります。>

日本のインドネシア占領と独立運動

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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