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沖縄戦:軍と県が一体になって学徒動員

今日の沖縄タイムスは、沖縄戦で「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」として、当時の中等学校(今の中学校・高等学校)の生徒たちが動員されたのは、沖縄県が旧日本軍と覚書を結び、学徒名簿を軍部に提出するなど主体的な役割を担っていたためであることが判明したと報じています。

これを聞いた元学徒隊員たちは、驚くとともに、突然断りもなしに戦闘体制に組み入れられたことに対し、あらためて当時の体制に「だまされていた」と憤っています。

< 吉浜忍沖縄国際大学助教授(沖縄戦) 鉄血勤皇隊については学徒の証言が中心で、これまで文書は出ていない。中学生もまったく知らぬままに動員されており、資料は沖縄戦の空白を埋めるものだ。軍、県、学校の三者が協力体制を組んだ編成だったことが分かった。戦時下では、法と関係なく、関係者の話し合いでどうにでもできたことが、まさしく有事体制といえる。今後、義勇隊や女子の動員など、「根こそぎ動員」の前提に話し合いや覚書がある可能性が出てきた。>

軍と県一体に衝撃/鉄血勤皇隊編成文書
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自主投降した日本兵捕虜

戦時中、日本の軍人は東条英機陸相(当時)が出した戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」という一語によって、捕虜になるくらいなら自決せよと教えられていました。ですからわれわれ当時の軍国少年は、日本の軍人は絶対に捕虜にならないものと信じていました。

ところが戦後になって、真珠湾攻撃の特攻隊員・酒巻元海軍少尉を始め、多くの日本兵捕虜がいたということが分かり、まったく驚きました。その数は、赤十字国際委員会捕虜中央情報局の資料によりますと、何と約20万人ということです。

捕虜になった体験記など読みますと、ほとんど酒巻元少尉のように、負傷して人事不省になった、身動きできなくなったといった原因です。しかしこの数字からみて、全員がそういうケースで捕らえられたとは考えられず、やはり皇軍の軍人でも、白旗を掲げて、自主的に投降した捕虜が大半と考えられます。

そういう人たちは、投降したことを恥じて、戦後も自らの体験を語ることはほとんどなかったと思います。しかしそれを実証する資料も数多くあるようです。以下そのいくつかをご紹介します。

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プロフィール

西羽 潔

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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