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米公文書に「軍命」 慶良間・集団自決

沖縄戦時の慶良間諸島で起きた「集団自決」は、軍の命令であったかどうかについて、訴訟まで起こっていますが、米軍が上陸直後にまとめた資料に、日本兵が住民に「集団自決」を命令したことを示す記録があることが、二日までに分かったと、沖縄タイムスが伝えています。

「米公文書に「軍命」慶良間・集団自決/発生直後の住民証言」
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「日の丸将軍」から「赤い将軍」へ

昨日ご紹介しました「天皇陛下と大福餅」の中で、著者の秋葉洋氏は、当時の航空士官学校校長だった遠藤三郎氏について次のように書いています。

<その人の名は遠藤三郎元陸軍中将、南方派遣空軍司令官、晒木綿に自らの血で日の丸」を描き軍帽の下に鉢巻きをして「日の丸将軍」の異名を博した勇猛な将軍である。>

< 遠藤氏は昭和五十九年亡くなる直前に回顧録を出版しているが、その中で戦時中陸軍中枢部の戦争指導方針を痛烈に批判し、無謀な戦争を強行し続けた責任を厳しく追及している。そして航空土官学校長時代の思い出として「天皇は神でなく人間だと発言した学生がいて問題となり、その処理に苦慮した」とたった数行の文章だが書き残している。勿論対面した事も対話した事もない私の名前は載っていないが遠藤氏にとって忘れられない事件の一つだったのだろう。

  遠藤校長は戦後になって変身したのでなく、校長職に在った昭和十八年頃には既に批判的考えをもち、とくに天皇神格の思想動員に反対の立場にあったから、私を「無罪」としたのである。>

Nさんは「戦時中の陸軍の学校にも、天皇や戦争に疑問をもつ人がいたんですね」と書かれましたが、陸士の生徒だけでなく、校長までもそうだったようです。「天皇は生き神様」という、子供だまし、いやわれわれ当時の子供でも疑問を持つような非科学的な考えは、軍人を含め、本音では信じていた人はいなかったと思います。

遠藤氏は、戦後日中友好に尽力し、、「元軍人訪中団」を率いて、5回にわたる訪中を行い、毛沢東首席や周恩来総理と会談、今度は「赤い将軍」という異名を受けました。「『護憲大会』――遠藤三郎賞のルーツ」というサイトに、遠藤氏の戦前から戦後への思想の遍歴を詳しく紹介していますので、以下引用します。

< 遠藤さんは異色の陸軍軍人でした。陸幼・陸士・陸大を抜群の成績で通過したこのエリート将校は、満州事変にはじまる日中戦争のおおくの期間、軍刀を下げて中国にいました。彼もまた「坂の上の雲」を見上げる典型的な明治人でしたが、政治的な軍人ではありませんでした。「日ソ衝突は将来避け難しとの主観的判断を基礎として一撃を与えんとするが如きは皇国の武士道、大和民族の正義心が許さざる所」と日記に書き(1932年7月17日)、また陸大兵学教時代に「日清戦争で遼東半島や台湾の領土割譲を迫ったのは誤り、と講義して物議を起こした」(自著『日中十五年戦争と私』)ような思考と姿勢をつねに持していました。第三飛行団長時代、抗戦首都・重慶に対する無差別爆撃の軍事作戦を批判し、「重慶爆撃無用論」を参謀本部に具申しています。ふつうの軍人にはとてもなし得ぬ硬骨漢ぶりです。

 何が、遠藤さんの人格をつくったのでしょうか。大尉のときフランス陸軍大学に二年間留学した
体験が原点でしょう。そこでクーデンホーフ・カレルギーの「世界連邦思想」に出会うのです。日本
人を母にもつ政治学者カレルギーの「汎欧州主義」──今日EUとなって実現している──が第一次大戦後の荒廃した光景と重なって遠藤さんの心にしみこみました。ベルダン戦場の視察旅行からは現代戦の惨状がなお生々しくつたわり、若い大尉を慄然とさせました。帰国船上の日記
(1929年11月29日)に「軍備縮小の必要なるを感ず。軍備縮小は理想なり。吾人はこれに向かい努力せざるべからず」と記しています。陸軍省に「汎欧州主義」の概要報告を行い研究の進言をしたが「全く反響はありませんでした」(自著)。

 52歳、陸軍中将で敗戦を迎えた遠藤さんは、「軍隊はなくともいい」と声明を出します。旧知の東久邇首相に面談して「軍隊のなくなることは日本の黎明であり慶ぶべきことである」と訴えました。翌年、日本国憲法が制定され「私の悲願が明文化された」のをみつつ、遠藤さんは軍刀を鍬に持ちかえ開拓農民となり埼玉県入間の旧航空士官学校跡地で家族とともに農業生活にはいりました。「貧乏生活にも楽しい日々」と、そのころの暮らしをつづっています。

 しかし、朝鮮戦争を機に警察予備隊が創設され再軍備への動きがあらわになると、遠藤さんは
居ても立ってもいられなくなってきました。主張に共鳴する人たちや団体からの執筆、講演依頼も舞い込むようになりました。鍬をおいて全国行脚するうち片山哲氏や有田八郎氏と語り合い、ともに「憲法擁護国民連合」の結成(1954年)に参画、理事、代表委員に就任しました。その発会式でのあいさつで、こう述べました。「今後日本の国防は、あるかないか分かりもしない外国軍隊の侵略に対し、軍隊をもって国を守るのではなく、必然的に来る台風や地震、その他の災害に対し国民の安全を守ることを第一に考えるべきである」。いまでも、いや、今だからこそより切実に聞こえる一節ではないでしょうか。片山代表委員が「本式の平和主義者だ。あれでよく軍人が勤まった」と書いていますが、まったくそのとおりでした。

 遠藤さんの信念は旧軍人や右翼による迫害の的となり、陸士同期生会から除名されましたが、動じることはありませんでした。軍備不要の環境を「日中不戦」によって現実化するため、55年から72年にかけ5回にわたる訪中を行い毛沢東首席や周恩来総理と会談しました。毛首席に「左翼だけでなく右翼も」といわれ遠藤さんは、「元軍人訪中団」を組織し、それはやがて「日中友好元軍人の会」へと発展しました。会則第1条は「過去の戦争に対する反省に立脚し、戦争準備の動きを防止し、平和と日中友好に貢献」とさだめています。82年護憲連合議長となり84年亡くなりますが、遠藤さんの精神はいまも新しい。

 本稿執筆にあたって、遠藤三郎著『日中一五年戦争と私 国賊・赤の将軍と人はいう』(日中書林1974年)および宮武剛著『将軍の遺言 遠藤三郎日記』(毎日新聞社1986年)を参照しました。>

http://www.peace-forum.com/news2005/aug.html

国会代表質問おける「歴史認識」(各紙社説)

安倍内閣の最初の外交課題である中韓との首脳会談ですが、どうやらこれはかねて予
想された「落としどころ」を前提に取りあえず開催されるようです。それを意識したのか、
昨日の衆議院の代表質問では、首相は相変わらず歴史認識や靖国参拝については
逃げの答弁に終始しました。それに対する今朝の各紙の社説をご紹介します


「歴史認識 もう一歩踏み出しては」(朝日)
< 隣国の信頼を得るには、首相が自らの言葉で日本の過去について語る必要がある。
安倍氏には歴史から目をそむけず、謙虚で率直な発言を求めたい。 >
http://www.asahi.com/paper/editorial.html


「代表質問 首相は論点をはぐらかすな」(毎日)
< 日中、日韓首脳会談が近く再開される見通しとなっている。首相のあいまいな態度で、
中国、韓国との真の相互理解が進むのか、懸念せざるを得ない。関係改善に成算がある
のかもしれないが、長期的に安定した関係を築くには明確な歴史認識が必要だろう。>
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061003k0000m070144000c.html


「まずは無難だった首相の歴史認識答弁」(日本経済)
< 極東国際軍事裁判(東京裁判)に関しては「裁判を受諾しており、国と国との関係におい
て異議を述べる立場にない」と表明した。A級戦犯の責任については「政府として具体的に断
定することは適当ではない」と述べた。安倍首相の歴史認識を懸念する声が出ているが、全
般に無難な答弁であり、今後も無用な警戒感を招かないように心がけてもらいたい。今回の
無難な歴史認識の答弁を、中国や韓国との関係改善につなげていく不断の努力が必要だ。>
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20061002MS3M0200102102006.htm


「lこんな論戦では困る」(中日)
< 歴史認識では「戦後の日本は国内外に大きな被害を与えた率直な反省の上に立って、自由
と民主主義、基本的人権を守り、国際平和にも貢献し、高度成長も成し遂げた。こうしてつくり上
げた国のかたちに堂々と胸を張るべきだ」と述べた。戦前、戦中も聞きたい。>


「首相は逃げていないか」(北海道)
< 一方、歴史認識問題では「政治家は歴史を語ることに謙虚であるべきだ」とし、A級戦犯の
責任問題も「政府として具体的に断定することは適当ではない」と述べ、言及を避けるばかりだ
った。
 だから「美しい国も、あなた好みの国家主義、権威主義が幅を利かせ、政治が生活から遠ざ
かる国であることが、あなたの発言に見え隠れする」という鳩山氏の批判に、説得力を持たせ
る結果となったのではないか。>
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?j=0032


「これでは論戦は深まらぬ 代表質問」(西日本)
< 首相の「あいまいさ」が極まったのは、靖国問題やA級戦犯問題だ。
 先の戦争に関して首相は、侵略に言及した1995年の村山富市首相の談話を尊重する考え
を表明したものの、A級戦犯の責任については「さまざまな論議があり、政府が断定するのは
適当ではない」として、見解の表明を避けた。
 靖国神社を参拝するかどうかについても、明言しない態度を貫いた。>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/column/syasetu/

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プロフィール

Author:西羽 潔

・1933年生まれの軍国少年OB。
・メーリングリスト「戦争を語り継ごうML」主宰。
・ウェブサイト:「戦争を語り継ごう -リンク集-」
・著書:「むかし、みんな軍国少年だった」(共著)

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